川﨑忠文・佐方信一の追憶

2020年3月 7日 (土)

佐方信一さんの追悼文集で6人の方のメモリアルを編集した。


 人生は「縁」だとしみじみ思わざるを得ないが、以下のように5人の方の追悼集とかかわってきた(柴田さんは、HPづくりで)。

  ▽シーアンドシー出版のHP

  http://e-kyodo.net/

 

 

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 [追記:20201003日]追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』が読めます。佐方三千枝編(発行:2020315日)

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/index-6#201001-rogo

 

 追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』を編集した――2020217 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-3c6723.html

 柳澤明朗のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/yanagisawa/yanagisawa-index.htm

 柴田光郎のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/shibata/index.htm

 今崎暁巳のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/imazaki/index.htm

 『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する――PARTⅡ

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-26a3.html

 中林賢二郎のページ――現代労働組合論のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/nakabayasi/nakabayasi-index.html

 

 

 ▽追記 20200306日に仕上がってきたので、 Facebookで発信した。

    https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=912225989232132&id=100013342181734

 長年、編集者・校正者として生き続けた佐方信一さん(2019年3月15日没)の追悼文集[『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』(編者 佐方三千枝、発行 旬報社)]が仕上がった。デザイナーも加わり、出版社の出版物らしいものになったと思う。

 佐方さんは、50年近くにわたり『日本労働年鑑』(法政大学社会問題研究所編)や『社会・労働運動大年表』を(前同)はじめ労働運動史関連出版物に関わってきた。この分野でこれほど多数の出版物をになった編集者は珍しいと思う。

 追悼集は少部数なので、同書中に収録されている「主な仕事」(石井次雄作成)の一覧をUPしておきたい。

 

 本書は後輩として、編集・DTP作業をしたが、私だけの力ではできたわけではなく、編集・校正は、石井次雄さん(元旬報社社長)、口石利昭さん(元旬報社編集部)が行ってくれて、そして木内洋育(現旬報社社長)さんがデザイナーを選んでくれた。

2020年2月17日 (月)

追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』を編集した

 [追記:20201003日]追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』が読めます。佐方三千枝編(発行:2020315日)

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/index-6#201001-rogo


 2019315日にお亡くなりになった佐方信一さん(校正者)の追悼文集がやっと校了した。3月には、1周忌の会合が予定されているようだが、何とか間に合う。

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 以下は、ご執筆いただいた方々の、お名前と題名だ。

   Ⅰ 編集者時代

   佐方さんと諸先輩と私と『社会・労働運動大年表』 二村 一夫  10 

   佐方信一さんと過ごした日々           栗田  健  16

   佐方さんにお世話になって            早川征一郎  20

   大学院時代からの付き合い            五十嵐 仁  24

   佐方さんからの最後の電話            鈴木  玲  28

   佐方さんと『大年表』              佐伯 哲朗  30

   「いいじゃないですか」の励まし         木下 武男  32

   唯一、激論の根底にあったものとは        手島 繁一  34

   「知」をどう編むのか              木内 洋育  38

   「兄と弟」を重ねて               平木 豪達  42

   凛とした生き方                 山本 達夫  45

   編集者の鑑                   口石 利昭  47 

   

   鹿児島県人の佐方信一さん            永山  誠  50

   佐方さん いっぱい いっぱいありがとう     江森百合子  52

   「坊がつる讃歌」をデュエットして        隅井 郁子  55

   何でも知っていた大先輩             飯島 信吾  58

   間近に接し、あらためてわかったこと       真田聡一郎  63

   佐方さんのご指導で本ができた          橋爪 七臣  66

   アルプスの風に乗って              原 ます美  68

   『大分県労評三十年史』刊行に感謝して      佐藤 正人  70

   もっと若い頃にお会いしたかった         徳住 堅治  72

   信念の人――出会いと別れと           石井 次雄  75   

 

     Ⅱ ある日ある時――学生時代

 

   三月一五日に逝ったわが親友           井之脇寿一  82

   同学舎から神田川へ流れた青春          永山 義高  85

        青春残照――同学舎前後             森山慶四郎  89

   テレビに映った穏やかな姿            松窪 尉雄  92

   気合いの入った友情               竹下 昌勝  94

   トロツキストと呼ばれて――ひとこと       皆倉 宣之  96

   「こずかた」って何のこと            吉田 節子    101

   「三九会」の山歩き・街歩き           成田 勝代    103

   青年佐方信一の夢                木場  茂    108

   橋口先生の『某月某日』出版のあとさき      大貫 健介    114

   一本の焼酎                   佐藤  学    118

   宝物のような体験                中谷 綾野    120

   久志の海を望む校舎で              鈴山 泰弘    122

   同期生っていいな                尾辻 孝一    124

   「川畑塾」の三人                三窪 良子    127

   テニスで準優勝                 小原 道夫    129

    

     Ⅲ ある日ある時――地域から

 

   「共同の子育て」を通して            広瀬 靖子    132

   学童で楽しかったよ               鈴木のぼる    136

   学童ばかの追憶                 深山しげみ    138

   心臓病を抱えながら               草野 文喜    140

   地域における「暮らしの相談会」         伊藤  猛    142

   安心感をいただきました             野口 靖子    144

   「国道に信号」を                生方ヤス子   146

   ま、やってみるか                吉田 成助    148

   本当の知識人に会えてよかった          澤田 勝雄    150

 

     Ⅳ ある日ある時――うからの一言

 

   兄との想い出                  加藤 明子    154

   一四歳年上の兄                 白石 京子    156

   信チャン、ありがとう              菅沼チイ子    159

   優しかった、いとこの信ちゃん          村上久美子    163

   おじさんの置き土産               黒永 智子    165

   信一おじさん                  羽原 章子    167

   オヤジ・佐方信一                佐方  隆    169

   いつも微笑んでいたお義父さん          佐方由紀子    176    

 

     Ⅴ 遺稿・書簡・その他

   

    多賀夫人に学んだこと 180    

    組合運動史執筆者の誕生 185 

    わが病気 188  

    恩師川畑まり子先生へ 190

    合宿の贈りもの 192

    三九会主催の山歩きへのお誘いと資料 196

     ・初夏の緑のなかを歩く“高水三山”ハイクのご案内 196

     ・三九会のみなさま 198

     ・資料 三九会山歩き・街歩き日程表 200

    『堀田善衛を読む』への感懐 207

   

     Ⅵ 主な仕事                      

     

     Ⅶ 略歴・病歴                     

 

     あとがきにかえて              佐方三千枝  237

 

                           装丁   佐藤 篤司

                           表紙写真 尾辻 孝一

  

 高校時代の友人や地域の人たちが、交々(こもごも)語っている「山登り」。

 佐方さんがこれだけ「登山好き」ったのか、後輩としては不明を恥じている。

 山好きの方には、奥多摩を始め、関東近県の山々の登山リスト、3000m級の南アルプス・仙丈ヶ岳(日本百名山)を知るだけでも、生きた人生を知ることが出来るだろう。

https://www.momonayama.net/hundred_mt_individually_data/traffic_data/traffic_data-078.html

 

2019年12月23日 (月)

『ひたすら生きて――佐方信一 ある日ある時』のDTP作業中!

 [追記:20201003日]追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』が読めます。佐方三千枝編(発行:2020315日)

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/index-6#201001-rogo

 

 2019315日にお亡くなりになった私の大先輩=「編集者・佐方信一さん」[元労働旬報社(現・旬報社)編集部 ]の追悼文集発刊のために、DTP作業(四六判、ほぼ250ページ)をしている。

 ただいま現在、55名の方から執筆をしていただいている。

 執筆者は法政大学大原社会問題研究所関係の先生方、早稲田大学時代の鹿児島獎学会同学舎(鹿児島県人のための学生宿舎)で出会った友人や鹿児島県立甲南高校時代の友人、久志中学時代の友人、親戚関係者、そして50年を超えて編集者として、校正者として仕事を一緒にした労働旬報社(現・旬報社)の仲間たち。

 佐方さんは、1938(昭和13)年1011日、鹿児島県生まれ。19573月、鹿児島県立甲南高等学校卒業(第八期)。1年間の受験準備をして19584月に上京し 、早稲田大学第一文学部国文学科入学。

 1966年3月、労働旬報社に入社。この8年の間は、今回のDTP作業中に初めて知った「佐方版・青春の門」が友人たちから綴られている(乞う、ご期待)。

 その後の編集者人生は、大きく言えば1960年代末からの『日本労働年鑑』の編集・『社会・労働運動大年表』(Ⅰ~Ⅲ)を刊行』(1986年)と三池炭鉱労働組合編『みいけ二〇年』・国鉄労働組合編『国鉄労働組合の二〇年』など多数の労働組合史をまとめた編集者だった。

 並行して労働旬報社((現・旬報社)が発刊した様々なテーマの大型本――青木宗也他編『労働判例大系』全二〇巻、法政大学大原社会問題研究所編『日本の労働組合一〇〇年』、環境教育事典編集委員会編『環境教育事典』など40シリーズ(各3点から10点を超える本づくり)――のほとんどに関わった特異な編集者だった。

 本文集では、3000m級の山登りから奥多摩縦断山歩きの記録をはじめ、地域生活がないといわれている「男の大人」ではなく、学童保育や生活相談、交通安全のための地域づくりで市民としての活動を担った言葉が出会った方々から書かれている。

 

 以下に、大項目としての「目 次」を掲げておく。

 Ⅰ 編集者時代

 Ⅱ ある日ある時――学生時代

 Ⅲ ある日ある時――地域から

 Ⅳ ある日ある時――うからの一言

 Ⅴ 遺稿・書簡・その他

 Ⅵ 主な仕事

 Ⅶ 年譜と病歴 

   あとがき 佐方三千枝

  発刊の予定は、2020315日、出来上がり次第、報告したい。

 

2018年4月26日 (木)

レオ・ヒューバーマンなどの著作を指導された――川﨑教授の教養ゼミ一期生

 一九六〇年代末、私は虎ノ門近くにあった労働旬報社でアルバイトをしながら大学に通い始めた。そのころ『労働法律旬報』『賃金と社会保障』を主に発行していたので、アルバイトはその宛名印刷と都内の法律事務所・労働組合への集金であった。

 

 大学では、石母田正先生の「歴史学」や早川元二先生の「心理学」など、それまで学んでいなかった講義を自由に聴き、楽しんでいたが、全国に吹き荒れた全共闘諸君の大学封鎖のあおりで、ほとんど行くことがない状況になった。

 

 その折、木檜哲夫さん(当時の代表)から、「川﨑君の下で編集の勉強をしなさい」と命令に近い声がかかり、労旬新書の校正にあたった。ただし条件付きで、「毎月レポートを書くこと」ということで、川﨑教授の〝教養ゼミ演習〟が始まった。内容は、毎月何冊かの岩波新書を読み、そのなかからレポート(半ペラ一〇枚ほど)を書くことだった。今でも記憶している本は、渡辺洋三先生の『法というものの考え方』(一九五九年)のレポートと審問だ。

 

 小さな応接間で川﨑さんから「法学者としてどのようなスタンスを持って書かれたのか、位置付けがない」という厳しい指摘だった。まったく分かっていなかったので本当に困っていた時、木檜さんから「いや十分、本を理解できているレポートだ。これから勉強すればいい」という発言があった。

 

 次に記憶しているのが、レオ・ヒューバーマンの『資本主義経済の歩み』(一九五三年、〈上・下〉、雪山慶正訳、岩波新書)、『労働組合入門』 (1956) 、全日本損害保険労働組合大阪地方協議会青年婦人部、 青木新書、1956、『アメリカ人民の歴史〈上・下〉』 小林良正、雪山慶正訳、岩波書店〈岩波新書〉、1954とアレーン・オースチン『アメリカ労働運動の歩み』(一九五四年、〈上・下〉、雪山慶正訳、青木新書)であった。

 

  前者はアメリカ資本主義がどのように生まれ、変化・発展し、現在どのようになっているのか、それに対抗する人民・労働組合の歴史をわかりやすく書かれた本。後者はアメリカにおける労働運動の誕生と発展、その担い手の運動を詳細に教えてくれた本(この成果は『メーデーの話』〈一九六九年、絲屋寿雄著〉だが、雪山慶正さんが好きだったのではないか)。

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 この過程で『世界労働運動の歴史』(一九六五年、〈上・下〉、労働旬報社)の著者・中林賢二郎先生宅に一緒に連れて行っていただき、〝インテリゲンチャー〟といわれる階層の人と初めて出会った。そのうえ、『労働運動と統一戦線』(一九六九年、労働旬報社)の編集に参加でき、のちに法政大学グループの「どうどうめぐり研究会」のきっかけまで、川﨑教授につくっていただいた。

 

 いつも川﨑さんを思いだすのが、全共闘諸君の全学封鎖で大被害を及ぼされた大学院棟や大原社会問題研究所の封鎖解除の日、大原所蔵の稀覯書、『資本論』第一巻の初版本などを救出し、麻布の中央労働学院に一緒に運び出したことである。     

                (元労働旬報社編集部、シーアンドシー出版代表)

 

▽追記:本文は『回想の川崎忠文』(『回想の川崎忠文』刊行委員会刊、20111214日)に書いたものです。

  『回想の川﨑忠文』(PDF版)

 

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2014427 () 雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-151a.html

 20111126 () 『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する――PARTⅡ

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/cat22989866/index.html

 20111114 () 『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する。

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b250.html

 

2014年11月28日 (金)

箱根で紅葉と富士山を見てきた

1126日(水)~27日(木)に、私の大先輩の石井次雄さん(元旬報社社長)からお誘いいただき、佐方信一さん(校正者)、芹澤寿良先生(高知短期大学名誉教授)と箱根に久しぶりに行ってきた。


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日はあいにくの雨だったが、強羅から宿に行くために乗ったタクシーの運転手さんは「今年は赤系の色がキレイに出ている年だ」と道路沿いの紅葉のすばらしさを褒めていた。


 宿泊先は「直営保養施設・おおたいら―出版健康保険組合」で、すぐに温泉に入った。

 

 ここはたいへんきれいな宿泊所で、出版健康保険組合自体の健全性を示している保養所だった。築後20年以上は立っているようだが、部屋の中も温泉風呂も清潔で、食事ホールの天井の木の梁など、見事にきれいだった。

 

 翌日は、9時過ぎに出発したが、芹澤先生が早速、紀行文を送っていただいた(1128日、午前中)ので、以下に紹介したい。


  雨天下の箱根強羅入り、レストランからの眺望、仙石のゆったりとした出版建保施設での入浴、宿泊、食事、あれこれの回想雑談などなど楽しい一日でしたが、昨日の玄関を出た晩秋朝、雨上がりの見事な快晴に感嘆、バス乗車、何年前か思い出せない位の久々の桃源台港、これまた芦ノ湖遊覧船での見事な周辺の光景、元箱根港下船、成川美術館からの正に純白の富士を確認できた感動、そして湖上を戻ってのロープウエイで大涌谷、雲に覆われない富士山頂周辺の全容を目に焼き付けることができたことは幸せでした。

 真っ黒な殻の「温泉卵」初体験。そしてロープウエイで早雲山、ケーブルカーを利用して強羅、登山電車に乗り換えでの箱根湯本、小田原着 そして駅前「相州鳥ぎん」で美味しい最高の鳥料理で、旬報社の戦後史の意義を確認した打ち上げ、8時25分に新宿到着、車中も結構大きな声で、「労働運動論」を交わしていました。

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  成川美術館より

 

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    芦ノ湖

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  大涌谷にて

 

 70代から80代の「戦後民主主義と平和」のたたかいの先陣を切っていた大先輩なので、現在の「安倍内閣」の危険性批判と警告の視点は、いつでもどこでも発せられた。

 

 とくに、戦後労働運動の歴史と、今日の連合、全労連から過日の総評の役割など、労働法、社会政策、社会保障研究者の実像を交えて、これでもかこれでもかと発せられた。


 お3方の「元気高齢者」につづく編集子世代以降の多くは力弱さを感じざるを得ないのは、社会体験の歴史の相違からくるものだと思う。


 「高度成長・低成長時代」を競争主義で乗り越えてきた世代の「高齢社会」当事者は、「企業社会・公務員社会」で壁をつくり防御できたが、4割を超える「企業内福祉」で守られない青年・女性たちがいる現実にたいして、また逃げていいのか。

 

さらに年末選挙を株価だけで評価するようでは「安倍政権にフリーハンドを与えてしまう」と書いておきたい。

 

 

 

 

2014年4月27日 (日)

雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと

 数年前、編集者としての先輩だった川﨑忠文さん(元労働旬報社編集部、大原社会問題研究所嘱託研究員、中央大学法学部講師を歴任1934721日~20091214)の追悼文集に小文を書いた(『回想の川﨑忠文』、回想の川﨑忠文刊行委員会編20111214日、非売品)。

 

 川﨑さんは青年期(1960年代末ごろ)の私の「教養学部的ゼミの講師」だったが、労働問題・労働組合運動史の歴史のテキストとして、アメリカの社会主義者として著名だったレオ・ヒューバーマンが書いた一連の本――『資本主義経済の歩み』(上・下、岩波新書、1953年)、『アメリカ人民の歴史』(上・下、岩波新書1958年)、『労働組合入門』(青木新書、 全日本損害保険労働組合大阪地方協議会青年婦人部、1956)――の紹介とレクチャーを受けた。

 

 日本における翻訳者は雪山慶正(専修大学教授1912106日~197456)さんだ。

 

 当時、すべてを理解したわけではないが、アメリカにおける労働問題の発生、メーデーの起源、産業別ユニオンの歴史、そしてアメリカ社会の現状など新鮮な目で勉強をした記憶がある。

 

 そのほぼ10年後(1980年代)、「インフォーマル組織」(資本の秘密労務組織)の分析・紹介した単行本などを編集していたとき、さらに川崎さんから1冊の本の推薦を受けた。その本は『労働スパイ』(紀伊国屋書店、1959年)で、その翻訳者も雪山慶正さんだった。

 

 以下の「インフォーマル組織――その過去と未来」に紹介している。

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm

 

最近、偶然、『悲劇の目撃者――雪山慶正・その人間と時代』(遺稿集刊行会編、国書刊行会、19756月)を読んだ。

 

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小島亮さんの『ハンガリー事件と日本1956年・思想史的考察』(中公新書、1987年)を読んだ記憶があるが、雪山さん追悼文集ではハンガリー事件のショックがかかれており、本書に収集されている文章――「日本知識人の「奴隷解放宣言」前文」(19569月・『経想』)、「現代史=悲劇の目撃者――スターリン主義の支配とその復活」(197210月・『月刊百科』)には、圧倒された。

 

また雪山慶正さんは、『光る声』(真継 伸彦、河出書房新社、1966年)の主人公とのこと。

 

▽追記 一読した。ハンガリー事件に真正面から対応できなかったインテリゲンチャーの追想から、自らの思想と生き方を語る、稀有の書だった。 (2014.05.21)


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以前書いた岡崎次郎さん――『資本論』翻訳者の西方への旅たち――のことといい、日本の良心的インテリゲンチャーの足跡を、WEB上に残していく役割が、編集子にもあるという、強い思いが起こってきている。

 

2013年11月30日 (土)

『資本論』翻訳者の西方への旅たち――岡崎次郎

 先日(20131124()、午後900分~949分)、NHKで放映された番組――"認知症800万人"時代、"助けて"と言えない、孤立する認知症高齢者――を観て、「私たちにとって7年後のオリンピックは楽しみではないんです」と語る老夫婦の男性介護者の涙ながらの声をがまだ耳に残っている。

 何か書こうと思ったときに、ボクが参加している「市民のML(Civil mailing list。以下、CMLと略称します)」で“『資本論』(大月書店版)の翻訳者の岡崎次郎は、児戯のごとき学生運動をやっていた連中を厳しく批判しています。(『マルクスに凭れて六十年』)”という文章を読んだ(凭れて:「もたれて」)。

  http://list.jca.apc.org/manage/listinfo/cml

 

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  岡崎さんの『資本論』は学生のときにチャレンジしたが、完読できないうちの一人だった。

 向坂逸郎氏との岩波文庫版におけるやりとりは知っていたが(本当は岡崎さんが訳していたこと)、1984年に「死出の旅に」出て、現在までその行くへ不明とのこと。

 「ブログ:遠方からの手紙」は、Wikipediaより下記のように書き、その応答に知り合いの方が書かれている。

 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200710010000/

 

  Wikipedia には、彼について次のような記述がある。

 1983年に青土社から出版した 『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』
という自伝で向坂を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」 という言葉を残して、80歳となった翌198466日からクニ夫人とともに死出の旅に出た。

 全ての家財を整理し、東京・本郷の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、品川のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の大仁温泉・浜松・京都・岡山・萩・広島などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された。そして同年930日に大阪のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていない。

 

 暗澹たる思い:岡崎次郎の死出の旅 - {承}'山羊髭散人, -

 https://ameblo.jp/hisanoda1947/entry-12490910551.html

 著者はその死を、自らの強い意志で生に決着をつけた<美しい死>と美化したいようですが、実情はだいぶ違うのではないでしょうか。

「収入は毎年減る一方だし蓄財は皆無」と嘆いているあたりが本音でしょう。

時代は1970年代から80年、「資本論」など読む人もいなくなり、印税収入も入らず、そこにもってきて蓄えゼロでは生きていけない。

知人のトロッキスト対馬忠行は老人ホームを抜け出し旅に出て、玄界灘に身投げして4ヵ月後に遺体発見。

「先を越された」岡崎次郎も、79歳で夫婦揃って西方への旅に出て、遺体が発見されないようにと、身体に錘でも付けて海中に飛び込んだのでしょうか。

 他人事ではない、これからの私の人生も何とか立て直さなければ、と新春早々暗澹たる思いに駆られました。

 

 北海道の友人・手島繁一さんから送られてきた、「エピローグとなった「序説」への研究序説――『スターリン問題研究序説』と七〇年代後期の思潮―加藤哲郎(早稲田大学大学院政治学研究科客員教授・一橋大学名誉教授[●聞き手●岩間優希(中部大学講師) 影浦順子(中部大学講師) 小島 亮(本誌編集長)。雑誌『アリーナ2013 16号』発行: 中部大学  発売:風媒社2013年12月15日)に掲載の原稿]。

 

 その一文に、1970年代に入って、出版状況の一端が書かれていたので、余計だ。

「『マルクス・エンゲルス全集』、『レーニン全集』が完結したところで、社会主義協会のほうはそれを学習してくれるんですが、共産党はそのころはもう経営的に依存できる状態ではありませんでした。」

 

 妻と手を携えて「西方へ」の道へ行きますか、「老人漂流」の流れに身を任せますか。

 

まずは国会図書館に行って、『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』を読んでこようと思ったしだい。

毎日、垂れ流しのように、「団塊の世代」向け大手新聞の海外旅行への広告を見ながら、つらいですね。理屈は、のちほど。

 

 ▽追記:2013.12.08

『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』(青土社)を国会図書館で読んできた。

たしかに『現代マルクス・レーニン主義辞典』(社会思想社、19801130日初版発行、定価 20000円)が最後に編集した本だったようだ。 

 

岡崎さんは「戦後すぐに黄土社で出版し、最後は青土社にお世話になって」という駄洒落的文章を書かれる人だ。

 いまでも大月書店の広告は社告のように出されている。  

 

  ▽追記(14.04.27) 雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-151a.html

 

2011年11月26日 (土)

『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する――PARTⅡ

 11月25日、旬報社のお力添えで、きれいな体裁の本ができた。

 作った経過は、同書の「刊行にあたって」(以下のPDF版)で芹澤寿良さんが書かれているのでぜひお読みください。

 私はこの本のDTP・版下づくりに参加したので、思い出深い本づくりになった。 

 

『回想の川﨑忠文』(PDF版)

 

 

   111126kawasaki1

 

  目  次

 刊行にあたって 

 第一部 川﨑忠文遺稿と講義録

 論文・「時間労働」の希釈化とその問題点――翻訳・M・A・ビーンフェルト著「英国産業における労働時間」 

 

 中央大学における担当科目講義

 社会運動史講義要項(中央大学法学部二〇〇四年度) 

 社会運動史講義(第一回 二〇〇四年四月)

 労使関係論講義要項(中央大学法学部二〇〇四年度)  

 労使関係論講義(第一回 二〇〇四年四月) 

エッセイと若き日の哲学論考

 ある私的感懐 

 Bibo, ergo sum.

 大講堂の屋根裏教室  

 わが家の家財道具 

 カントに於ける認識の内容 

 

  第二部 回想の川﨑忠文

  Ⅰ 人間・川﨑忠文

 家族のような存在                  沼田 文子 

 無私・誠実な友を失った悲しみ            中山 和久 

 川﨑君との交友関係のありよう            籾井 常喜 

 川﨑忠文さんのこと                 二村 一夫 

 厳しさを感じさせないロマンチストの風貌       角田 邦重 

  Ⅱ 幼年・青年時代

 学童疎開の頃                    川﨑タケ子 

 試験の出題箇所を当てた忠文さん           木村あや子

 神戸と忠文さん                   木村 和代 

 忠文叔父との東京での共同生活            福山 久代

  Ⅲ 中大・哲研時代

 川﨑君、楽しかったよ有難う             江川  潤 

 畏友 川﨑忠文学兄の追憶              水野  勝

 武蔵の国「青梅」を愛した忠文            春摘  智 

 悼す――川﨑兄に                  井沢 彌男 

  Ⅳ 早大・大学院時代

 川﨑君を偲んで                   佐々木秀典 

 彼の思い出                     鍛治 利秀

 可愛い研究者――川﨑忠文君             村山 昂右 

 川﨑忠文さんの急逝を悼む              木村 愛子

 無欲の人                      大石  進 

 権利を守ることへ限りない情熱を燃やして       古屋 孝夫

  Ⅴ 編集者時代

 「人間の尊厳」の実現に人生をかけた川﨑君への讃歌  柳澤 明朗 

 川﨑忠文君と私                   川辺平八郎 

 カワちゃんのひとこと                後藤  實 

 洋三先生・沼田先生の大ファンだった川﨑さん     石井 次雄 

 川﨑教授の教養ゼミ一期生              飯島 信吾 

  Ⅵ 執筆・研究者時代

 組合運動史執筆者の誕生               佐方 信一 

 労働運動史執筆のベテラン、川﨑忠文さんを悼む    宮里 邦雄 

 日本酒と豆腐                    徳住 堅治 

 追悼:川﨑忠文さん――組合史編纂や大原社研でのお仕事  早川征一郎 

 川﨑さんの思い出                  五十嵐 仁 

 酒ありて                      立花 雄一 

  Ⅶ 友として

 高齢期に入って一〇年間の交友から          芹澤 寿良

 虚飾のない男                    西田  明 

 さりげないお心づかい、ありがとう          松風いさ子 

 

 川﨑忠文経歴 

 川﨑忠文の主な仕事 

2011年11月14日 (月)

『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する。

 私が学生時代からお世話になった川﨑忠文さんが亡くなったのは、2009年12月。諸先輩の尽力で遺稿・追悼集を編集・制作に参加した。

川﨑さんは、中央大学を卒業後、早稲田大学大学院労働法で野村平爾先生、沼田稲次郎先生などから学んだ人。

その後、東京大学職員組合書記局専従書記や文京区労働組合協議会書記局専従書記などを経験して、労働旬報社の編集部で編集者生活を経て、以下の通りの社会生活を送っている。

『回想の川﨑忠文』は、第一部が「川﨑忠文遺稿・講義録」、第二部が「川﨑忠文さんへの追悼文集」で、体裁は四六版・並製で口絵別240ページの単行本になっている。

11月末には出版されるので、出来上がり次第、PDFで読めるようにしたい。

東洋大学や中央大学で講師活動をしていたので、若い世代の教師でも会った。インターネット上の再会を望む。

 

  川﨑忠文経歴

1934721日 広島県に生まれる

 19504月 崇徳高等学校(広島県)入学

 19524月 兵庫県立長田高等学校に転校

 19533月 同校卒業

 19534月 中央大学法学部入学

 19573月 中央大学法学部法律学科卒業

 19574月 早稲田大学大学院法学研究科修士課程入学(労働法専修)

 19595月 東京大学職員組合書記局専従書記(196012月まで)

 19603月早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了(労働法専修、修士論文は「職場占拠の正当性――争議権を保障するということについて」)

 19611月 文京区労働組合協議会書記局専従書記(196212月まで)

 19631月 ㈱労働旬報社社員(19723月まで)

 19724月以降 フリーランサーとして書籍編集、労働組合史の編纂執筆等に従事(200710月まで)

 19804月 東洋大学法学部非常勤講師(823月まで)、東洋大学社会学部非常勤講師(833月まで)

 19984月 中央大学法学部政治学科兼任講師(20053月まで)

 20004月 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

 20091214日 東京都青梅市の自宅で死去

 

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