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編集子のことなど

2018年10月 6日 (土)

芹澤寿良先生と私

「芹澤寿良―WEB版著作選集」のページをUPしたが、ここ何年間、芹澤先生のPCの相談役(インストラクター)を、仰せつかってきた。

 

 ▽経歴

 1931年生まれ

 1950年 早稲田大学第一法学部入学

 1954年 早稲田大学第一法学部卒業

     日本鉄鋼労連本部へ(19767月まで)

 1976年 労働者教育協会常任理事

 1979年 高知短期大学教授(19973月まで)

     高知短期大学学長代理(198410月~19933月) 

 現在  高知短期大学名誉教授


 下記のような文章(本ブログに掲載)は、芹澤先生のお宅にお伺いして解決したり、朝一番の電話で「ノートパソコンのキーボードが変」「インターネットがつながらない」などの、困りごと解決した時のメモだ。


 おかげで、本ブログの「PC・DTPあれこれ」のテーマが豊かになり、「Yahoo検索」「google検索」で多数の人たちが読みに来ている。


 論文を書く仕事の人は、「行間がそろわない」とページの形式が整わないので、ご本人にとっては「致命的」なので、自分で文章を追加しながら、行間をそろえる仕組みを学んだ。

「Wordで論文に脚注を付ける方法」などは、各大学が学生向けに書かれたページを参照したが、UPしたら各大学から「検索」で入ってきたのが面白かった。

 

20150223日  Outlook2013なども高齢者にもやさしく設計を

20140624日 古いPCから新しいPCへデータを移動した

20140425日 「ローマ字入力ができない」という声

20121220日 自炊用スキャナを寄贈されて

20120229日 ノートパソコンのキーボードが変

20111211日 Word2007・Word2013で行間を揃えるやり方

20111106日 Wordで論文に脚注を付ける方法

 

 この関係は、手島繁一さんが北海道に帰っていったあと、お鉢が回ってきたのだが、行くたんびに戦後の労働組合の実情、鉄鋼労連の話、某政党の話、国労闘争と文化人・学者の話、高知のことなど、貴重な話が聞けて楽しみだった。

 

 1990年直前の時期、「市民生協の生活文化情報誌・PROSUME」発行のため、江戸川橋に仕事場(マンション)を借りて始めたとき(席は前の出版社のまま)、企画プランナー・兼執筆者のお一人であった「芹沢茂登子さん」(今は故人)と一緒に来て、「君はなぜ労働組合運動の出版物の仕事をしないのか」と言われて、「いろいろありまして」と心もとないことを言ったことを覚えている。

 いまでも、「なんとも情けない答え」をしてしまった、と感じ入っている。

 

 別掲にも書いたが2011年ごろから「現代労働組合研究会のページ」をつくり出したのは、芹澤先生の《連合運動は「社会のバリケード」になれるか――基本姿勢の転換と大企業労組の組織運動の改革を」、『政経研究』、政治経済研究所、2011年、96号。》をWEBページに載せましょうということからだ。

 

 

2018年7月20日 (金)

今崎暁巳さんと私

柳澤明朗さんが亡くなり(柳澤明朗のページ)、“やなさん”の盟友・今崎さんに教わってきた編集子の思いを過日に書いた文章だがUPしたい。



[初出]
『今崎暁巳さんと私』(A5判、132ページ)は、140名の方から、それぞれの思いが寄せられました。

 


   職人的編集者のきっかけをつくっていただいた●飯島信吾

 

 

 私には、若い時に出会っていなかったら、「職人的編集者」(エディター)にはなれなかっただろうと思える人がいる。木檜哲夫さん(労働旬報社代表・当時)、川﨑忠文さん(同編集部・当時)、柳沢明朗さん(後の労働旬報社社長)、中林賢二郎先生(法政大学)、そして今崎暁巳さんです。

 今崎さんは、60年代後半から出版界で数多くうまれた「ルポルタージュ」という方法で、著作を始めた人でした。第一作の『コブだらけの勝利』で現場に連れて行っていただき、原稿運びをした経験が、最初です。

 しかし、編集者として、事実を発見して時代のテーマにマッチして、読者を見つけるには相当、時間がかかり、30代になって、やっと今崎さんに書いていただいたのは、沖電気の大量指名解雇事件(『なにをみつめて翔ぶのか―沖電気指名解雇をこえて』〈労働旬報社、1980年〉)と、大企業における人間らしい生き方を訴え、たたかいをすすめていた日本航空労組のみなさんと出版した『ドキュメント・日本航空―国民の翼をめざして』(労働旬報社、1982年)、そして薬害スモンとのたたかいを描いた『この人生に愛なくば―いのちと自立のうた』(労働旬報社、1981年)です。

 当時、労働関係編集者として、これらの素材と事実を学んだのは、東京の中心部で起こった千代田総行動(東京争議団を核とした東京総行動に発展)からです。この運動には、人間的で大衆的な統一をめざす労働組合づくりの胎動があり、その事実と読者を結びつけてくれたのは、今崎さんのルポでした。

 その後、おたがいの道を歩んできましたが、東京争議団を経験したリーダーが組織した、非正規労働者を中心とした首都圏青年ユニオンのたたかいを描いてほしいと話し合ったのが、最後でした。      (元労働旬報社編集部・シーアンドシー出版)

 

  本文は「今崎さんと私」に書いた文です。

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/imazaki/index.htm

 

2018年4月26日 (木)

レオ・ヒューバーマンなどの著作を指導された――川﨑教授の教養ゼミ一期生

 一九六〇年代末、私は虎ノ門近くにあった労働旬報社でアルバイトをしながら大学に通い始めた。そのころ『労働法律旬報』『賃金と社会保障』を主に発行していたので、アルバイトはその宛名印刷と都内の法律事務所・労働組合への集金であった。

 大学では、石母田正先生の「歴史学」や早川元二先生の「心理学」など、それまで学んでいなかった講義を自由に聴き、楽しんでいたが、全国に吹き荒れた全共闘諸君の大学封鎖のあおりで、ほとんど行くことがない状況になった。


 その折、木檜哲夫さん(当時の代表)から、「川﨑君の下で編集の勉強をしなさい」と命令に近い声がかかり、労旬新書の校正にあたった。ただし条件付きで、「毎月レポートを書くこと」ということで、川﨑教授の〝教養ゼミ演習〟が始まった。内容は、毎月何冊かの岩波新書を読み、そのなかからレポート(半ペラ一〇枚ほど)を書くことだった。今でも記憶している本は、渡辺洋三先生の『法というものの考え方』(一九五九年)のレポートと審問だ。

 小さな応接間で川﨑さんから「法学者としてどのようなスタンスを持って書かれたのか、位置付けがない」という厳しい指摘だった。まったく分かっていなかったので本当に困っていた時、木檜さんから「いや十分、本を理解できているレポートだ。これから勉強すればいい」という発言があった。


 次に記憶しているのが、レオ・ヒューバーマンの『資本主義経済の歩み』(一九五三年、〈上・下〉、雪山慶正訳、岩波新書)、『労働組合入門』 (1956) 、全日本損害保険労働組合大阪地方協議会青年婦人部、 青木新書、1956、『アメリカ人民の歴史〈上・下〉』 小林良正、雪山慶正訳、岩波書店〈岩波新書〉、1954とアレーン・オースチン『アメリカ労働運動の歩み』 (一九五四年、〈上・下〉、雪山慶正訳、青木新書)であった。

  前者はアメリカ資本主義がどのように生まれ、変化・発展し、現在どのようになっているのか、それに対抗する人民・労働組合の歴史をわかりやすく書かれた本。後者はアメリカにおける労働運動の誕生と発展、その担い手の運動を詳細に教えてくれた本(この成果は『メーデーの話』〈一九六九年、絲屋寿雄著〉だが、雪山慶正さんが好きだったのではないか)。

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 この過程で『世界労働運動の歴史』(一九六五年、〈上・下〉、労働旬報社)の著者・中林賢二郎先生宅に一緒に連れて行っていただき、〝インテリゲンチャー〟といわれる階層の人と初めて出会った。そのうえ、『労働運動と統一戦線』(一九六九年、労働旬報社)の編集に参加でき、のちに法政大学グループの「どうどうめぐり研究会」のきっかけまで、川﨑教授につくっていただいた。


 いつも川﨑さんを思いだすのが、全共闘諸君の全学封鎖で大被害を及ぼされた大学院棟や大原社会問題研究所の封鎖解除の日、大原所蔵の稀覯書、『資本論』第一巻の初版本などを救出し、麻布の中央労働学院に一緒に運び出したことである。            

                (元労働旬報社編集部、シーアンドシー出版代表)

 

  ▽追記:本文は『回想の川崎忠文』(『回想の川崎忠文』刊行委員会刊、20111214日)に書いたものです。

 

  『回想の川﨑忠文』(PDF版)

 

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2014427 () 雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-151a.html

 20111126 () 『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する――PARTⅡ

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/cat22989866/index.html

 20111114 () 『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する。

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b250.html

 

2017年11月12日 (日)

中賢さんと私――《編集子のことなど 2》

  この世からなくしてはいけない《「Windows95」以前の労働組合運動史》で、ぜひ、次の世代に伝えたい労働組合運動研究者のひとりが中林賢二郎さん(当時、法政大学社会学部教授)だ。

 当時から尊敬をこめて「中賢さん」の愛称で数多くの学生、労働組合運動家から慕われ、年齢差を超えて真摯に学びあった(学んだ)。

 「中賢さん」は、19861月に亡くなり、あれから25年もたつ。誠に残念なことだった。遅い時期(50代?)に教授職に就きながら、少なくない研究者や労働組合活動家を育てた。

 

 出版物では『世界労働運動の歴史』(上・下、労働旬報社、1965年)が有名だが、同時期の友人だった木檜哲夫さん(1960年代の労働旬報社代表)が編集・出版した。

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 この本を読んで初めて「組織のきっかけは、一杯の黒ビールを飲む会から始まった」「ラダイト運動」「チャーチスト運動」「労働組合、その過去、現在、未来」などを新鮮に学んだ人が多かったのではないだろうか。

 

 「中賢さん」は、それから数多くの著作を出版したが、私は編集者として、『現代労働組合組織論』(19796月)の編集に参加した。

 

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 問題意識は、「1970年代後半の、連続する春闘敗北の原因は、政府・財界の危機管理戦略の展開と日本における労働組合組織論が十分、議論されていないからではないか」というテーマだった。

 後者のテーマについて、やはり「企業別組合」ではない、全国につながる組織づくり(業種別・地域別一般労働組合)を担う労働組合活動家を育てる必要があるのではないかという、先生の問題意識の緒論(本論の端緒となる議論。本論にはいる前の、総括的な、また手がかりを示す論。序論)を書いてもらった。

 

 亡くなる最後の仕事になってしまったが、企業別組合についての議論を旺盛に展開している(『日本の労働組合運動』第5巻、「企業別組合と現代労働組合運動の組織論的課題」、大月書店、19856月)。

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  木下武男:「労働運動「自己改革」の議論」のページにUP

       http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/jikokaikaku.html

 

 

 さてその後について、歴史は変化・発展したのか?

 

  「中林賢二郎のページ」

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/nakabayasi/nakabayasi-ronkou.htm#dai5kan

  up 20120429日(この時期に書いたはずだ)

2017年11月 5日 (日)

「現代労働組合研究から障害者等も共働・協同する街を探る飯島さん」――編集子のこと(その1)

 

 104日[2017年](水)の午後1時から2時間ほど、「職場参加ビューロー・世一緒」(NPO障害者の職場参加をすすめる会・越谷市)で毎週恒例の「すいごごcafé」で「越谷在住10年の中で」という話をした。

 

 それが事務局長・山下浩志さんの「ブログ:共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す」で写真付きで紹介された。(作成日時 : 2017/10/19 17:48 )

 http://yellow-room.at.webry.info/201710/article_4.html

 「世一緒のページ――すいごごcafé

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/suigogo.html

 




 先に提出していたレジュメは以下の通り。

 

   越谷在住10年の中で

                 インターネット事業団・飯島信吾

                   20171004(水)

1 60歳の手習い

 

 DTP(PCで単行本・雑誌・新聞のページ編集ソフト)のスキル獲得

   「Adobe InDesign CS5」のアプリ・ソフトの活用

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   その前に、「MACのQuarkXPress (クォーク・エクスプレス)3.3」を習得。

   ⇔3冊の追悼文集(単行本)の編集・制作のため

    「さいたま高齢協」の広報ニュース(A4判・8p)

 WEB制作のスキル獲得

   ⇔ホームページ・ビルダー(サイト編集ソフト)でHPを立ち上げ、編集・制作。

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2 なにがこれからできるのか、と思って。

 残された「私の課題」を実現する。

  Windows95以前の「日本の労働問題・労働組合運動」に関するページのUP。

  イ なぜはじめたのか――コンセプト

  ロ 最近、青年からの「激励」の温かいメール

  ハ 社会政策・労働問題・労働法・協同組合・社会的経済などの「私が出会った」研究者群のUP

  ニ インフォーマル組織の追及!

  ホ 全日自労・全国金属・食品関連労組・中小労組・地区労などの紹介。

  ヘ 大企業労働組合・総評などの歴史UP。

 40個人・団体などのページ

 越谷エリアの「自主的・自立的まちづくりと人と人をつなぐ」努力を、WEBを活用して、UP。

  世一緒のページ

  水辺の市のページ

  ワーカーズコレクティブの事業組織――キッチンとまとリフォームいと協同購入・そら

  仕事おこし懇談会のページ

  視覚障害者・草加虹の会

 

 

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 この写真は、当日のもの。50年近く編集者生活を送り、数多くの写真を撮影し書籍・雑誌・新聞・WEB等にUP・編集をしてきたが、このような写真は珍しい。というか気恥ずかしい。 

 話した後、事務局長の山下浩志さんから長文の「取材・質問」がメールで送られてきた。中身の中に「困ったな」と思ったテーマもあったが、割合正直に返信したつもりだ。

 

 

 良くも悪くも、今の編集子を表現していると思う。

 

▼プロフィール

 

 19482月、東京・浅草生まれ。1970年代初頭から労働旬報社編集部、その後シーアンドシー出版設立。この間、単行本100点以上、生活文化情報誌、医療・健康雑誌、医療・健康新聞、労働者協同組合雑誌など、チームを組んで仕事。現在インターネット事業団主宰。

 

現代労働組合研究会のサイト、「業種別職種別ユニオン運動」研究会の運営委員・HPを制作

 

 

(注)「山下さんのブログ」の最後に「自己実現を求める方はどうぞご自由に」という発言が書かれているが、私にとって「日本の労働組合を乗っ取ったインフォーマル組織」の人たちが酔心していた「キーワードが“自己実現”だった」(マズローの五段階欲求説)。

 

団塊の世代を核にして、それ以前からのJC・同盟系企業内組合づくりは、このキーワードを基軸にして、「ミッション(使命)」として、労働組合を資本と一緒に牛耳った結果が、現在のユニオン・労働運動の低迷がある、と思っている。

社会党(社会主義協会系)、共産党、新左翼の人たちが、自らの思想以上に「自己実現欲求」によって、「日本的企業社会の主人公」になったホワイトカラー、現場生産労働者、サービス営業労働者の声に対応できなかった、と思う。

 

  そのベースは1960年代以来の「高度成長経済」がベースになっていた「資本の分配」政策のはずだ。

 

 2010年代の今いまこそ「緊縮経済ではなく、労働者への分配を」という、連合ではないユニオン運動だと思う。これは「反抗ではなく、労働者の欲求をベースに要求闘争を下部から始めること」だ。

 

 

2017年9月21日 (木)

ある青年からの激励のメール――ありがとうございます

先日、「現代労働組合研究会のページ」の読者の方から、温かい励ましのメールをいただいた。

 大昔、書籍編集をしていた時代、口伝えのように「1冊の本づくりで大切なことは、人目の読者をつかむことだ」と大先輩から教えられたことがある。著者にとっての一人目の読者は「妻」(「恋人」)、二人目の読者は編集者、そして市場の中で三人目の読者をつかまないと「商品」とならない、ということだ。

 

 単行本企画でもっとも議論されることは「売れるか・売れる本になるか」、「読者は誰だ」という議論だった。企画したものの側からいうと「わからない」とひとこと言いたかったが、人文・社会科学書の当時の現状の中で、「なんとか」「その」などと、もぐもぐ言っていたらけられてしまう。

 とにかく人目の読者の発見がだいじなことだし、「読者の声」は一番ありがたいことだった。

 

さて、連日ある話ではないので、以下のような激励メールは、ビジネスではないが、本当にありがたい。

 

「はじめまして。私は○○の私立学校で組合の役員をしている○○○○と申します。私たちの学校も非常にブラックな職場です。2年前から組合活動を本格的に行い、現在、組合員は6倍化しました。その際に、こちらで紹介されている本のいくつかを参考にさせていただきました。本当にありがとうございます。

○○さんがやっている仕事は私にとってとても価値がある仕事です。

これからも頑張ってください。」

 

 さっそく「紹介した本」などについて、メールでお尋ねしたら、すぐに「父が持っていた『労働組合のロマン』(中西五洲著、19862月、私が編集した)」ともう1つは河西さんの、「路面電車を守った労働組合」、そして「組合がダメになっているのは職場活動の弱体化によるものだと思い」、「私鉄の内山光雄さんの本を勉強している」、という。

 

 「私は今、35ですが、エステ・ユニオンの青木さんは私と同じくらいの方でしょうか。こういう方がいると、励まされます」と返信が来た。

 

 ますます青年・女性の力で「労働組合運動のルネッサンス」をというよびかけを、「現代労働組合研究会の諸ページ」や「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページなどで一つずつ発信していかなければならないと思った。

 

 

 ▽参考ページ

  ●中西五洲さんに関して

  20170816君は知っていますか「全日自労」という労働組合――中西五洲の思い出+「機関紙じかたび」(PDF版)――現代労働組合研究会・飯島信吾編

  ●河西宏祐さんに関して

  150720日: 河西宏祐著『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』(平原社、定価:2000円+税、20095月)

  ●「内山光雄さんを偲ぶ」を寄贈されて(2013年8月 7日 (水))

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-8a3c.html

  130807日:『追悼文集 内山光雄さんを偲ぶ』20121119日、「内山光雄さんを偲ぶ」編集委員会、総評退職者会気付、03-3251-0311)(PDF版) 

  ●[事例]エステ・ユニオンによる労使関係の展開、報告:総合サポートユニオン執行委員:青木耕太郎

  http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/170902dai1kaireikai.html

 

2012年5月30日 (水)

黒川俊雄さん(慶應義塾大学名誉教授)のHPを作成――現代労働組合研究会HPⅨ

黒川俊雄さん(慶應義塾大学名誉教授)は、論文検索によると、戦後直後に【山中篤太郎教授「中小工業の本質と展開」――国民経済構造矛盾の研究、三田学会雑誌 411112)、 96102 194812】を書かれている。

NHKテレビ朝の連続テレビ「梅ちゃん先生」の時代である。慶応義塾大学がある田町駅界隈も、あのような雰囲気だったのではないか。

 

黒川俊雄さんは、1923年に東京の神田で生まれ、1948年に慶應義塾大学を卒業し、その後、慶應義塾大学教授・桜美林大学教授として、社会政策・労働問題の教鞭をとってきた。

大学の定年後も、労働総研(労働運動総合研究所)・協同総研(協同総合研究所)の代表を歴任して、労働問題・賃金問題・労働組合運動や新しい協同組合づくり(ワーカーズコープ)の研究を行っている。

著作と論文は、ホームページ(HP)のTOPと「黒川俊雄さんの仕事(論文)・PDFファイル」のように多数書かれおり、現在も最賃制などを基軸に、論説を展開している。

 

黒川俊雄のページ

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kurokawa/kurokawa-index.htm

 

その後、多数の論文と単行本を書かれているが、黒川先生を私たちの紹介してくれたのは、1960年代の労働旬報社代表・木檜哲夫さんだ。

木檜さんは、当時、総評弁護団の組織づくりに参加し(裏方として)、編集者として弱小出版だった「労働旬報社」を出版社らしい会社につくりあげた編集者・代表。

激動の60年代後半期に『労働法律旬報』『賃金と社会保障』『日本労働年鑑』(法政大学大原社会問題研究所)をベースに、野村平爾、沼田稲次郎両先生方を中心に、東条守一・山本博・久保田弁護士など多くの「労働弁護士」と友好な関係があり、労働法出版社として、日本で貴重な、なくてはならない位置を築いた。

その背景もあって、当時の総評本部(岩井章事務局長や大田薫議長)や国労、全逓、自治労などの出版物を世に送り出した。

一方、単行本(取次を通す)の旺盛な出版活動を展開し、『ベトナム黒書』『教育黒書』などの黒書シリーズや『東京争議団物語』『松川十五年』などの記録・ドキュメントなども発行しながら、法律系(早稲田大学野村平爾ゼミ出身)出身編集者なのに社会政策・労働問題研究者(大河内一男、塩田兵平衛、中林賢二郎など)との交流も深かった人で、そのお一人が黒川さんだった。

 

黒川さんの『現代労働問題の理論』(196811月初版)も木檜さんの企画で笠原紀彦さん(元大月書店編集者)が編集し、私が慶応大学まで原稿を取りに通い、ゲラを持参したことを覚えている。

 

内容で一番、関心をもったのは、貧困化論の論文につづく「新中間層論の理論」(第一編第5章)だった。

 

当時、革新勢力が伸長し、大学では「全共闘」運動が活発化していたが、労働問題・労働組合運動の関心が“国鉄・全逓・電電などの公共事業体や大企業の生産労働者主体論”であったなかで、高度成長経済で生まれた管理労働者・技術労働者などの「新中間層」労働者をどうみるかが書かれていた。

さらに出版、マスコミ労働や医師・看護労働、教育労働、公務員、障害者(児)教育などの専門的・精神的労働の位置、増大するサービス産業労働者(商業労働者)の意味も深めるテーマだった。

 

私は、「大学の労働力再生産工場反対」「産学協同反対」をスローガン化している学生運動家に比して、「自分たちはどのような仕事を選択する」のか、自分の進みたい道と「知り合ったマルクス理論」との矛盾を感じていた。

とくに左翼系の人たちが一律に人間をとらえ「危機が深まって、労働者階級は団結する」というテーゼに違和感を感じていた。

その時代に読んだ論文だった。

 

「新中間層の理論」を読みながら、私たち(のちに「団塊の世代」といわれた)の少なくない人は「生産労働者」になるのではなくて、「新しい中間層」として、社会に登場するのではないか、そのとき労働問題・労働組合の側は、どうみるかという見方をあたえてくれた論文だった。

 

第五章 新中間層の理論 

はじめに 

 新中間層の問題がいまさらなぜことあらためて問われねばならないのか。かつて第一次世界大戦後のドイツでこの新中間層あるいは新中間階級の増大がレーデラーなどによって強調され、また、マンハイムなどによってその階級的な利害を超越して統合する媒介的な機能をはたす独自な意義が主張された。ところが第二次世界大戦後のアメリカでは、「アメリカ人はすべて中間階級である」とか「新中間階級が次の支配階級になるであろう」とかいう一種の独断にたいする反論として、ミルスなどによって、増大する新中間階級は、客観的にはプロレタリアート化してはいるが、賃金労働者とともに社会主義意識をもつようにはならず、むしろ権威あるものについていく「後衛」(Rearguarders)として、現代社会を特徴づける心理的性格をつくりだすうえで主役を演ずるようになった、と説かれている。ここにいわゆる「大衆社会」の形成が論じられ、マルクス主義の否定または修正が叫ばれる論拠がひそんでいる。しかも従来、中間層または中間階級の問題ほど、マルクス主義批判の道具にされたものはそう多くはないであろうし、そこには、ミルスにいたるまで、一貫して共通したマルクス主義にたいする無理解がみとめられる。ところが中間層の問題については、マルクス主義者自身のあいだでも、多くの誤った公式論が主張され、少なからず、問題が混乱させられてきた。 

 そこで本稿は、マルクス主義の立場から中間層とくに新中間層の問題はどのようにとりあつかわれるか、ということを明らかにし、とくに現代アメリカ社会学における中間階級研究の権威として知られているミルスの批判に及ぼうと思う。

 

   

  慶應義塾大学最終講義をホームページにUP――黒川俊雄のページ更新

 

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-1540.html

 

  1980年代半ばごろの労働組合論の姿――黒川俊雄のページ更新

 

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/1980-0840.html

 



  ▽現代労働組合研究会のHP

 

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111210roudou-index.htm