編集子のことなど

2021年8月27日 (金)

「伊藤律・白鳥事件」の出版物を読み続けた。

 この夏、お盆前から1冊の本を読みだした。それは伊藤淳著:『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』(講談社 (2016年7月12日)だ。
 本の紹介文では「1980年9月。その男は北京から帰ってきた。狼狽する野坂参三と幹部たち。党籍を離れず夫を信じつづけた妻と、おぼろな父の記憶を抱えて入党した息子は事態にどう処したか。また、その後、九年の歳月を生きた男と家族との日々、不自由な眼に映じ、心中に去来したものとはなんだったのか…。30年の空白を乗り越えふたたび結びついた家族の雪冤の記録」。
 ご本人は、「1946年東京都生まれ。伊藤律の次男。中央大学文学部卒業。全日本民医連事務局次長、同共済組合専務理事を経て、現在、勤医会東葛看護専門学校非常勤講師」と紹介されている、
 編集子とは数年違いの同世代の人。

 【追記2021年8月30日】:手島繁一さんのメールによると、数年前にご逝去されたと教えられた。合掌。


 facebookで宇部の医師が発信していて、今頃気が付いて読み始めた。インターネット上にあった感想の一例を次に紹介したい。
 「sasha89さんの感想」(2019年3月27日)
  https://booklog.jp/item/1/4062201852

 「戦中・戦前の日本共産党の重要人物でありながら、ゾルゲ事件で逮捕・処刑されたリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実の逮捕の端緒をつくったとされた伊藤律。
 「生きているユダ」「革命を売る男」のレッテルを貼られ、日本共産党からは公に死亡説が流された。
 幼い頃のおぼろげな記憶の中で、突然行方をくらませた父。その父・伊藤律が中国で生きていた。伊藤律の次男である著者が、30年ぶりの父の帰国、父不在の期間の家族の生活、父を信じ、著者と兄を支え続けた母に対する思いを綴ったのが本書だ。
 編集部のアドバイスを受けて書かれたのだろうが、構成・文章共に上手く、テンポよく読み進められた。
 伊藤律帰国にあたっての日本共産党の対応はとことん酷い。父の帰国に際し、真っ先に党に相談しようとした著者だが母の助言を受け入れ中国大使館に足を運んだことが幸いした。
 党から死んだと言われていた父が生きて中国の病院にいる。生きていることだけで家族にとっては奇跡のような出来事だろう。なのに日本共産党は著者の母親の自宅まで乗り込んで家族を恫喝する。
 しかも最高幹部である野坂参三のご登場である。野坂達、当時の執行部にとっては相当に伊藤律の帰国は都合が悪かったのだろうと想像がつく。党は伊藤律に「スパイ」のレッテルを貼ったのに、後に野坂参三こそがスパイだったと判明したのだから。
 日本共産党の非人道的な対応も印象深いが、著者の母であり伊藤律の妻であるキミさんの芯の強さに脱帽する。自分自身も共産党員であり、律出奔後も離婚することなく家族の生活を守り、律帰国に際しての党の恫喝にも動じなかった人だ。
 30年振りの帰国を果たした伊藤律は9年を家族と共に過ごし、彼岸へと旅立った。その間、家族は律に振り回されることも度々だったが、人生の最後だけでも家族の元に帰ることが出来て本当に良かったと感じた。
 尚、律の死後になるがゾルゲ事件の研究も進み、伊藤律スパイ説は既に覆されている。名誉回復がなされたことは喜ばしいが、日本共産党が家族に謝罪したとは寡聞にして知らない」。
 

 そのあとは、地元の図書館及び県立図書館などのあるものを探したり、「WEB版日本の古本屋」に注文したりして、以下の本を読み続けた。

  210827itouritu7satu


 伊藤律『伊藤律回想録-北京幽閉二七年』(文芸春秋、1993年)
 渡部富哉『偽りの烙印-伊藤律・スパイ説の崩壊』(五月書房、1993年)
 川口信行・山本博『伊藤律の証言-その時代と謎の軌跡』(朝日新聞社、1981年)
 伊藤律書簡集刊行委員会編・渡部富哉監修『生還者の証言-伊藤律書簡集』(五月書房、1999年)
 三著出版記念講演会実行委員会編『野坂参三と伊藤律-粛清と冤罪の構図』([発行]社会運動資料センター、[発売]五月書房、1994年)
 加藤哲郎『ゾルゲ事件-覆された神話』(平凡社新書、2014年)

 210826katouteturou

 これまで読んできた以下の代表的な問題作の「虚偽」が、大胆にくつがえっている。
 出版物の歴史的誤りと政党の「恣意的偽造の行為」についての自己批判文章は、21世紀の今に至っても行われていない。
 松本清張『日本の黒い霧』(文芸春秋、1962年[文庫版1974年])
 尾崎秀樹『生きているユダーゾルゲ事件 その戦後への証言』(角川文庫、2003年)

 引き続いて◇白鳥事件の研究ーー「手嶋繁一のページ」で展開してきた「白鳥事件」の真相を確認する本を読んだ。 
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/shiratorijiken.html


 渡部富哉『白鳥事件 偽りの冤罪』( 五月書房、2012年12月28日)
 後藤篤志『亡命者 白鳥警部射殺事件の闇』(筑摩書房、2013年9月9日)と参考文献

 210822gotoubook

 

 


 ▽「弁護士会の読書」:『亡命者、白鳥警部射殺事件の闇』(2015年2月20日)       

  https://www.fben.jp/bookcolumn/2015/02/post_4236.php

 ◆同ページに収録されている論文他。 
 2018年11月19日:インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実――HBCラジオ開局60周年記念をUP。
 2012年10月27日「白鳥事件を考える集い」。今西――「白鳥事件とは何か」、大石 進「戦後政治裁判のなかの白鳥事件――個人的体験を中心として」、白鳥事件資料抄録。
 シンポジウム・歴史としての白鳥事件。今西一、河野民雄、大石進、小樽商科大・商学研究、2013年12月25日、64(2/3)、3-95(PDF版UP)。「 歴史の再審のために真実の究明を――河野民雄」をUP 
 「弁護士会の読書」に書かれているように、「当時の社会情勢を抜きにして白鳥事件を語ることは出来ません。この本は、その点がよく描かれていて、説得力があります。/要するに、ニセ弾丸はあるものの、村上国治が命令して起きた警察官射殺事件だったのです」と書いておきたい。

 出版社としては、大先輩の編集者たちが、「菅生事件」「松川事件」「メーデー事件」と歴史的フレームアップ・弾圧事件を取り上げているが、白鳥事件はなかった。事件の首謀者は誰か、知っていたのではないか。

 

 ▽追記(21.09.19):手島さんのアドバイスで以下の本も読んだ。

 2種類のビラは、「公安」ではないという見解だった。

 210916ooisi1062 

『私記 白鳥事件』(大石進著、日本評論社、2014年11月12日)

札幌の夜の雪道、公安警察官が射殺された―事件の襞に分け入り時代を読み、実証を重ね真相を糾し鎮魂を祈る。白鳥事件の紙の碑。

▽浙江大学亞法研究中心名誉教授、三鷹事件再審を支援する会代表世話人。1935年東京生れ。『法律時報』編集長等を経て1980年~2008年株式会社日本評論社社長・会長。

 目次
 序 章 事件を素描する
  第一部 私史
 第一章 中核自衛隊回想
 第二章 四つの記憶
  対談1 白鳥事件前後 辛昌錫氏に聞く
  第二部 天誅ビラをめぐって
 第三章 「見よ天誅遂に下る!」
 第四章 活版印刷技術からの検証
  対談2 昭和二〇年代活版印刷業における経営と技術 西村正彦氏に聞く
  第三部 裁判・裁判官・裁判所
 第五章 村上國治有罪判決への疑問
 第六章 最高裁事務総局と三人の下級審裁判官
 第七章 白鳥決定への途 岸盛一と團藤重光
  第四部 現代史のなかで
 第八章 それぞれの不幸
 第九章 階級闘争としての白鳥事件
 あとがき

  
▽書評:「弁護士会の読書」:『私記 白鳥事件』
 
https://www.fben.jp/bookcolumn/2015/02/post_4230.php



この本で書かれているのは、事実だと思う。前衛政党を名乗った人たちの責任は、大きい、
『闇の男―野坂参三の百年』(小林 峻一・加藤 昭著、文藝春秋、1993年9月1日)

  210922yaminootoko

 

2021年7月11日 (日)

10数年ぶりに連絡があった「是永幹夫」さん(わらび座から大分市の複合文化交流拠点施設「ホルトホール大分」へ)。

  現在、県都・大分市の複合文化交流拠点施設「ホルトホール大分」の館長・統括責任者になって頑張っている是永さん。
   http://www.horutohall-oita.jp/

 210710tacnooka


 秋田の「わらび座」で経営責任者のお一人として、「たざわこ芸術村」を育て上げ、秋田37年で満期卒業をして、上記の「ホルトホール大分」などでまちづくりに励んでいる、という。
 彼は、文工隊時代のわらび座の人だったが、1980年代半ばごろ東京に上京して「文化協同研究会」を3年にわたって組織して、芸術団体、市民生協の文化活動、子ども劇場(おやこ劇場)、児演協、音楽家ユニオンなどの垣根を越えて、協同して研究会が開かれた時の事務局長で(レター発行は、機関紙連合通信社。その研究会に、私も参加していた)、力を注いだのは文化人・知識人を広範にわたって参加・交流する場づくり(秋田へ)の役割を担っていた。
 →添付した「私の文化経済学履歴書」参照。

 210710rireki

 
 その後(2001年)、秋田に戻った時代に私の学生時代の知人がテレビ秋田の役員になっていたので、司馬遼太郎の「菜の花の沖」の創作劇(原作/司馬遼太郎(文芸春秋刊より)、脚本・演出/ジェームス三木、美術/妹尾河童)を一緒につくって宣伝・広報をしていたのを聞いていた。
 https://www.warabi.jp/nanohana/

 是永さんからは、《「インターネット事業団」の発信の量と質にいつも感嘆しています。いまの時代にとても重要な中身ですね。「温故知新」から「温故創新」のための大事な橋頭堡だ》と、彼には珍しい過分な「誉め言葉」をいただいた。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/

2021年6月28日 (月)

公文昭夫さん(元総評社会保障局長)のご逝去を知って。

 1970年代から1980年代の「賃金と社会保障」の編集の時には、毎月のように原稿を書いてもらいました。その後はペンネームになったときもありました。
 高知生まれの「キップのいい人」で、葛飾の青砥・柴又界隈でお世話になりました。
 『学童保育物語―僕はかぎっ子じゃない』(労働旬報社、1966年)を書いていて、市民運動を理解していた「総評社会保障闘争・労働運動のコーディネーター」でした。また労福協を率先してすすめて、日本生協連・労働金庫・全労済などを進展した人です。
 総評の解散後は、「年金実務家」として奮闘しました。
 ▽1931年、台湾生まれ。戦後、高知へ引き揚げ。製パン工、製材工、船員などを経て、高知県教組勤務。1955年、総評本部。解散時(1989年)社会保障局長。1990年、年金実務センター創設。現在、同センター代表。元・中央社会保障推進協議会副会長。
「五十嵐仁のページ」の紹介のように、「総評時代」の体験を発信しています。
◆『日本社会党・総評の軌跡と内実 (20人のオーラル・ヒストリー)』、五十嵐 仁 、木下 真志、法政大学大原社会問題研究所 編(旬報社、2019年4月刊)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/igarashi/igarashi-index.html#201220syakaitou

▽以下参照してください。
「私が歩んできた社会保障運動――総評・中央社保協体感の記録 公文昭夫氏に聞く」■(証言:戦後社会党・総評史、法政大学大原社会問題研究所、『大原社会問題研究所雑誌』、 №701/2017.3)

 https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/701_04.pdf

 

2021年6月 6日 (日)

『生活と地域をつくりかえる―「願いわけ集団」づくり』 (現代社会を考えるシリーズ 4、1985年5月1日)を編集したこと

 私は、1970年代前半から『春闘読本』、「単産研究」などの編集をしてきたが、1975年の春闘の敗北を契機として、総評(当時のナショナルセンター)が掲げた国民春闘は後退局面を迎え、なぜ日本の労働組合運動は後退しているのかを考えていた。
 旧左翼の研究者(大月書店の『現代労働組合運動』[1969年~] )の多くは、その後も、「資本主義の危機」の側面から専門誌に書いていた。その危機は、労働陣営の危機の転嫁されているのではないかという問題意識が心の中に生まれていた。
 このような状況を「政府・財界の危機管理戦略と財政政策」の発動という面(こちらがそう読んだという意味)から書かれた本:『日本経済と危機管理戦略』、(二宮厚美著、新日本出版社、1982年10月)があった。こんなことを考えている人がいるのだと教えられた。
 メールがない時代なので手紙を出したと思う。先生が上京するときに合わせて、問題意識を話し合い、何本か原稿を書いてもらった。そのうちの1本が、「ニューメディア時代と国民生活」(「高度情報社会読本」、『賃金と社会保障』の特集号、1984年8月合併号、No.895.896)。

 続けて「いくつかのテーマを出し、そのなかから「1冊、まず書いてほしい」とお願いして、彼が選んだのが『生活と地域をつくりかえる―「願いわけ集団」づくり』 (現代社会を考えるシリーズ 4、1985年5月1日)だった。

  210605ninomiya007


 二宮さんは、経済学者として社内では誰も知らない若手研究者だったが、のちに加藤哲郎さん、渡辺治さんなどの登場の先鞭をつけた本づくりだった。
 タイトルは「地域づくりの主人公」であったが、「これでは売れない」という営業サイドから変更されたが、二宮さんの講演も増え、全国の民主書店でも歓迎され、数万部以上ほど売れ「社会科学書」は売れないという定説を大幅に変えた本だった。
 その後、聞くところによると、大学の公募にあたって「学術書ではない」(参考文献などの注がない)といわれてはねられた、ようだ。
 私の友人の多くの普及してくれたが、「構造改革論」だと古き先輩たちが批判した。

 

 ▼以下をクリックしてください、本文が読めます。

【参考】特集 パラダイム変革期の「高度情報社会読本」(『賃金と社会保障』、No.895.6、1984年8月合併号

《巻 頭》
高度情報社会と先進国革新          山口正之
ニューメディア時代と国民生活        二宮厚美
「情報革命」と地方自治体行革の新段階    水沢 透
電電公社民営化と国民生活          儀我壮一郎
アーバン・ルネッサンスと人間主体の町づくり 佐々木一郎
ME化と労働組合運動            高木督夫
FA化と労働者の意識の変化         工藤光喜
メカトロニクス化と中小企業         森 靖雄
「ME革命」と新しい権利闘争        古川景一

《高度情報社会電基本資料》
飛躍する情報化――ニューメディアがひらく21世紀    産構審情報部会
ネットワーク社会をめざして――日本経済活性化の実現   総合データ通信ネットワーク化構想懇談会
情報ルネサンス時代の企業経営――1990年代の企業経営   経済同友会
ニューメディアで創る新しい暮らし――1990年、あなたは 実庭における情報化に関する調査研究会資料
ME化の進展と企業の対応                日 経 連
ME化と雇用問題への対応                労働 省
主要企業のOA化の現状                 日本オフィスオートメーション協会

 

 

2021年4月28日 (水)

映画『狼をさがして』を観て、「松下竜一 その仕事」を読んだ。

  韓国の女性監督(キム・ミレ監督)が描いた『狼をさがして』(1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した)を渋谷駅近くで4月上旬に観てから、松下竜一(ドキュメント作家、1937年2月15日 - 2004年6月17日)が書いた本を4冊読み続けた。

  210413ookamiwotop

    http://eaajaf.com/

 最初は、『狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線“狼"部隊』(河出書房新社、1987年1月)、『怒りていう、逃亡にあらず』(河出書房新社、1993年12月)の2冊を読んだ。同時代に生きたものとして、「なぜ」という気持ちからだった。
 本を読んだあと、それぞれの当事者、映画の主人公:大道寺将司は2017年5月に、泉水博は2020年3月に、作家の松下竜一は2004年6月、それぞれ亡くなっていることを知った。なんと歴史に挑んだ人生の終焉を知らない自分だった。

  210428matusitabook  

 その後、「松下竜一 その仕事」(全巻解説 山口泉、河出書房新社)、全30冊が出版されており、そのうちの2冊:『ルイズ 父に貰いし名は』(講談社、 1982年1月)、『久さん伝 あるアナキストの生涯 』(講談社、 1983年7月)を読んだ。
 前者はアナキスト・大杉栄と伊藤野枝の残した子どもの人生体験、後者は大正時代の「アナ・ボル論争」に登場した大杉の同行者だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E8%AB%96%E4%BA%89

  210428matusita5

 

 松下竜一の最初の本・『豆腐屋の四季』(講談社、1969年4月)は、出版社のアルバイト中に出たことを知って、“無名の人も本になるんだ”と記憶して、後年、ドキュメント・ルポの本とは何かを学ぶために読んでいたが、その後、30冊もの本を書いていた作家だと、今知った(追加で『巻末の記』、河出書房新社、2002年3月)。

 しかし、松下竜一が作家として、「アナキズムに生きた人生」を描いた真意はわかるような気がする。
 出版業界では、「総合書」「文芸書」「人文・社会科学」「医学書」「実用書」「教科書」「児童書」と別れて、それぞれ仕事をしているが、多くの「隠れアナキスト人」の宝庫なのではないかと思う。
 1960年代から出会った業界だが、「自己決定の世界」をそれぞれの分野で突き進んだ著者・編集者が多かった。
 私の先輩の一人も、労働法・労働問題の編集者だったが、1960年代末ごろ、浅草・田原町駅近くに住んでいて「梁山泊」のような労働運動家集団が住むアパートでまじって、生活していた。そこに連れられて行って、アルコールをコップ酒で飲んだシーンを今でも思い出す。(以上、敬称略。出版年は、初版発行を探した)

 

 

2021年3月31日 (水)

『労働組合をつくりかえる』(1988年刊、労働旬報社)を一部復刻しました。

 私は1980年代末まで、労働関係の編集者だったが、これが労働組合運動に関しては、最後の単行本だ。

 木下武男さんが『労働組合とは何か (岩波新書)』を発刊したので、当時の思いを含めて書いておく。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/index.html#210318uniontowa

 

 とにかく「子育て・教育○○社」とみんなから言われる状況の中で、ナショナルセンターの「連合」が総評の負け戦をしないまま、結成されようとしていた状況の下での、「あたりまえの労働組合」ネットワークを創っていこうというメッセージと組織化を願って編集した本だ。

 木下さんがあとがきで“ 五十嵐と木下にとって大学院時代の先生だった中林賢二郎氏は、労働組合組織論の重要性をつねに強調されていた。中林氏は、日本の労働組合運動が後退局面をむかえた七年代後半、「職場の組合員、労働者をいかに思想的に強化するか、という観点のみが重視され」、「労働者の組織化の形態の問題や、既存の労働組合の・・・企業別組織の問題について、十分に考慮しない傾向があった」(『現代労働組合組織論』労働旬報社)と、みずから「自己批判」という言葉をつかいながらそれまでの労働問題研究の反省をされた。

 労働組合の運動論・組織論の発展がもとめられているこの時期に、一九八六年一月、中林先生は亡くなられた。先生の考えをどれだけ受け継ぐことができたか、まったく心もとないが、本書が、研究も立ち遅れ、実践家の関心もあまり高くない運動論・組織論の分野の議論の参考になれば幸いである”と書いているが編集子も同世代で同じ思いだった。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/nakabayasi/nakabayasi-index.html

  140218tukurikaeru

 目次と「PARTⅢ 労働組合をつくりかえる 木下武男稿」は下記で読めるようにした。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/index.html#tukurikaru1988

  

 その後、木下さんや手島繁一さん、浅見和彦さんなどが編集に参加した『労働問題実践シリーズ 1から8巻』(大月書店、1990年)もその後、発刊されている。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/index.html#210329hajimeni-mokuji

  210328ootui6

 しかし、「団塊の世代」の労働組合運動への参加は、ほとんどメジャーな影響を発揮したとは言えない状況だった(『北大1969――あのころ私たちが求めていたもの』、2020年12月25日、「北大1969」編集委員会編――参照。ここで読む限り、民主主義的で良心的な人たちの多くは、労働組合運動の陣地形成の側に参加した人は少数だ)。

 これは日本型「企業社会」の進展と「豊かな社会」の幻影のもとでの「団結からの疎遠」があったと思う。また「ソ連社会主義社会」の幻滅、「大学紛争疲れ」「連合赤軍事件」などの影響があったと言わざるを得ない。

 はてさて、「現代労働組合」はどうなっていくのか、木下さんには「あだ花」と称された企業別組合の未来はどうなるのか、あと少しは見つめていきたい。

 ▽追記:21.04.03 ◆PARTⅣ「労働者=人間の顔をした労働組合づくり 高橋祐吉稿」をめぐって、学習協の辻岡靖仁氏(故人だが)がUI戦略をめぐって「民主勢力と自称する一部の学者・知識人のあいだで、企業のCI戦略から学び、労働組合のUIを提起する必要性を強調」することを批判している(『季刊・労働者教育』64号、1988年8月)。以下の下山さんのPDFを読んでほしい。
 今言えることは、どうして「審問官的発言」をできるのか。「民主勢力と自称する」とは、いつもの手法だが。

 ▽(2013.07.12)
 私家版:書評『企業社会と労働組合』(高橋祐吉著、労働科学研究所出版部、1989年3月)、下山房雄
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/simoyama/130710takahasibook.pdf

▽『労働組合をつくりかえる――労働組合の選択』――「連合」に行かないあたりまえの労働組合を(木下武男・黒川俊雄・永山利和・高橋祐吉・五十嵐仁ほか。労働旬報社、19883月)。

 

 

2020年11月 1日 (日)

「InDesign・DTP」を教えます

 「InDesign・DTP」を教えます
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#201101-rogo

   私がDTPを使って仕事を始めたのはwindows95以前の1990年前後、市民生協の「生活文化情報誌」の企画・編集・制作を行い始めたころだった。
 当時はMAC全盛の時期だ。
 当時のことを次のように、書いている――2012年3月11日 (日)」MAC・LCⅢ――なつかしいパソコン紹介。
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5f39.html

 《私たちが1990年代初頭にDTPを使って、仕事を始めた時に、デザイナー事務所から購入をすすめられたものがMAC・LCⅢ(ディスプレーは、その時は縦長のモダンなもの)。
 DTPといえばデザイナーたちはMACで2000年代前半まで「Macintosh DTPといえばQuarkXPress」(クォーク・エクスプレス)だった。ただし世の中はライターさんをはじめ、まだオアシスや書院などのワープロ機が主で、仕事場は「NECのパソコン」(それも5インチフロッピー)がメインで入力を行っていた。変換ソフトを友人からもらったり、早稲田の出力センターにフロッピーを持って行ってテキストにしてもらった。
 デザイナーたちは、当時(1991年10月に発売された)Quadra900、950をスイスイ使っていた。Quadra900, 950の価格は最上位で、「自動車が買えるくらい高い」と今書かれている。
 そのあと発売されたのが、MAC・LCⅢ(廉価版だった)。それでもQuarkXPress を入れたが、女性たちは入力に使っていた。
 当時、電算写植最盛期に、凸版印刷の自動DTP機=CPS(? 忘れた)を使って神田・神保町交差点2階のサテライトを借りて(発注先は活字時代から仕事をしていただいた真珠社さん)、ここである生協の生活文化情報誌を作っていた。
 ただし見出し関係はツメ打ちできないので、手動写植でうった(これが高かった)。
 校正室で一緒に仕事をしていたのは小学館の『サライ』の人たちだった。》
 

 話は飛んで、2007年に体調を壊し、仕事場を閉じてから「さいたま高齢協の広報」を手伝うにあたって、QuarkXPressを使ってDTPを始め、A4判8Pの誌面をつくる必要性が起こった。
 DTPはデザイナーがやるものと決めてかかっていたが、60歳の手らないが始まったのだ。
 Quarkで入稿したのだが、印刷所(浦和・双信社印刷)の田沼女史から「windows版のInDesignを使ってよ」ときつい厳命があり、新しいチャレンジが始まった。その経過を以下のように書いてきたので、DTPに関心のある方はどうぞ。
 これからは有料で案内します。
 

 ◆InDesign・DTPのチャレンジ
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#201101-rogo

 ▽2012年09月05日:第1回目の発信
 InDesign・DTP初心者のために――DTP・InDesign5において―0 
 脚注(数字)の付け方の発見――DTP・InDesign5において―1
 「句読点の半角モノ」・禁則処理――DTP・InDesign5において―2
 くの字点(くの2字分)の発見――DTP・InDesign5において―3
 背幅と表紙づくりの寸法のとり方――DTP・InDesign5において―4
 クエスチョンマーク(?)とビックリマーク(!)の合体記号(!?)の読み方――DTP・InDesignCS5において―5
 ○(まる)の中に文字をどう入れたらいいのか――DTP・InDesignCS5において―6
 脚注・ルビ(数字)をショートカットで――DTP・InDesign5において―7
 ◆ページ物のDTP作業した刊行物
 ▽2020年06月01日発信 さいたま高齢協広報誌
  さいたま高齢協・ふくし生協さいたまの仕事
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#200601-rogo
 ▽2011年11月26日発信
 『回想の川﨑忠文』(「回想の川﨑忠文」刊行委員会、2011年11月25日)、非売品。
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../180408kawasaki-zenbun1.pdf
 ▽2011年6月5日発信
 「今崎暁巳さんを偲ぶ会」が開催され、当日、参加者に寄贈された追悼文集の『今崎暁巳さんと私』(A5判、132ページ)より。(PDF版です)
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/imazaki/index.htm
 ▽2020年07月05日発信
『たたかいのルポルタージュ』(第16号、現代ルポルタージュ研究会発行、2019年4月)
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/yanag.../yanagisawa-index.htm
 ▽2020年03月15日発信
 『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』(佐方三千枝編、旬報社)
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#201001-rogo
 ▽2020.10.08発信
 『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(今崎暁巳著、労働旬報社、1970年6月刊) 
   http://e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html

2020年10月12日 (月)

私が出会って良かったこと。――労働者が出資、運営「ワーカーズコープ」法が成立へ 協同労働を実現

(2020年10月11日 05時50分))をめぐって、要さんとのやり取り。

  ▽要 宏輝さん発
 私も連合時代、関西大を会場に開かれた「労協センター事業団」の全国集会に招かれたことがある。菅野さんという方が理事長をされていた時だ。私の古い友人津田直則(元桃山学院大学)は労働者生産協同組合の法制定に関わってき、最近、「連帯と共生 新たな文明への挑戦」(ミネルヴァ書房)を刊行されている。この運動は全日自労の中西五洲さんの時代から延々と引き継がれてきたものだ。私の「倒産➡自主管理」運動と重なり合うものがあったし、法制度化がもっと早くされていたならば、私たちの運動も違った展開になっていただろう。

 「菅野正純のページ」(元協同総合研究所主任研究員、元日本労協連理事長)を制作してきました。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kanno/index.htm

 「津田直則さんの報告のページ」:ご参考に。
 ▽「関西生コン労働組合運動と協同組合運動」
 資本主義社会を超える経済体制と実現の戦略―「関生」運動を基礎に―生コン関連業種別ユニオン・連続講座第3回─
 報 告 津田直則(桃山学院大学名誉教授、大阪労働学校アソシエ・社会的連帯経済研究会代表)
 http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/181027cooph...

 「関生型運動」考察と「労働運動要論」のページも――《連帯・関西生コン支部。その機関紙「くさり」に連載の要宏輝のコラム》より。
 https://www.kannama.com/kusari/index-2.html

 ▽要 宏輝さん発
 集会で、京大の池上淳先生の特別講演を聞いた記憶があります。私には、新鮮ないい話しでした。

 池上惇先生を担ぎ出したのは、永戸さんですね。私が編集した先生の『仕事おこしのすすめ』、(池上惇著、協同総合研究所・シーアンドシー出版、1995年3月)も彼が企画者です。

 私自身は、労働旬報社編集部にいて「労働組合担当」(千代田総行動などを形成した東京争議団統一行動派を支援する)みたいなかたちで1990年初頭まで仕事をしていました。
当時、中西五洲さんの『労働組合のロマン』を編集していて、松澤常夫さん(「日本労協新聞」編集長)と一緒にいくつかの本(『じかたびの詩』、全日自労建設一般労働組合・早船 ちよ編、労働旬報社、1980年8月』)を出していたのです。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/index.html
そして彼が事業団に移る前に、紹介され出会ったのが、永戸祐三さんと菅野正純さんでした。
「事業団から労働者協同組合へ、そしてワーカーズコープへ」へと発想を持つ人間が、現代日本の労働組合運動にいるのかという思いでした。その彼らが構想した道筋が実現するということは、大変なものだと思っています。

2020年9月29日 (火)

コロナ禍の下でfacebookで紹介されていた本を、読んでみた。

   ▽9月に「誰も読まない本」と昔、係わった本をページUPをするために読んだ。
 毎日、びっくりするくらいfacebookで紹介されている本の「100分の1」ですが、関心がある方はどうぞ。

  2000929book1

 ◇「日本フィルのたたかいから――豊かさを求める労働組合運動」(『労働組合の民主的変革』――黒川俊雄[慶応大学名誉教授]還暦記念集1985年3月、労働旬報社)⇒「佐藤一晴の遺稿集・追補」  
 1 武道館をうめつくした史上最大のコンサート
 2 日本フィルのたたかい
 3 大音楽会の果たした役割
 4 日フィル闘争と音楽=人間のすばらしさへの共感
 5 豊かさを求める文化の追求  

    http://e-union.sakura.ne.jp/satou-issei/index.htm

 ◇『「勤労青年」の教養文化史』(福間良明著、岩波新書、2020年4月)⇒井上 吉郎 (kichiro inoue)さん。
    https://www.facebook.com/profile.php?id=100004634531360

 ◇『国鉄労働組合運動の一翼を担って――革同会議の50年』(「革同50年史」編集委員会編、国鉄労働組合革同会議、2002年5月)⇒山梨幸夫さん(『沼津革同』発行者)
    https://www.facebook.com/profile.php?id=100008208725656

 ◇『労働組合運動の可能性――史的考察をふまえて』(竹内真一著、学習の友社、2009年8月)⇒《だから企業別組合が有力あるいは支配的な国では、産業別組合の定義は別様であってもよい。それは産業別組合への移行の契機が欧米とちがい、そこから力点あるいはニュアンスのちがいがおのずからうまれてくるからである。
 「ワン・ビッグ・ユニオン」の不振の経験からいって、組合運動の基礎を職業的なものから階級的なものにうつす手段として、産業別組合のもつ適格さ、優位性は否定できない。産業別組合は雑種としての一般労働組合とともに、階級的労働組合の重要な組織形態であるといってよい。もちろん、両者は画然と区別されたものではない。その移行はさまざまな中間段階をふくんでいる。分野によっては職業別組合はいまでも存在理由をもっているだけでなく、産別内の職業別の協議機関もそれなりの役割をもっている。》⇒《「日本型産業別組合の可能性」を追求――小林宏康さんの問題提起、全国金属―JMIUの産業別統一闘争   (PDF版)―「日本型産業別組合の可能性」について―、小林宏康[1]》
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-eb2f.html
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#jmiu2

 ◇『日本人になった祖先たち』(篠田謙一著、NHKブックス、2007年2月)⇒どなた、なのか、メモが残っていなかったが。

 ◇『企業の塀をこえて――港合同の地域闘争』(大和田幸治著、全国金属機械港合同編、アール企画、2001年12月、協力:アスラン=事務局会議に出ていた時代に出版した)⇒「関西生コンの研究のページ」
   http://e-union.sakura.ne.jp/kansainamakon/index.html

 

 ◆最近(8月27日 その1)、facebookで紹介された本を読んでみた。

 2000827book11

 

 ◇平山さん編集の『時代へのカウンターと陽気な夢 労働運動の昨日、今日、明日』(小野寺忠昭・小畑精武・平山昇共同編集 社会評論社 2019年5月)。

 ◇石川源嗣さん(全国一般東京東部労働組合)が「清水さんの本で野武士といっていた」ことから。
『戦後労働組合運動史論』(清水慎三編著、日本評論社、1982年10月――書棚にあった)、『戦後革新の半日陰』(清水慎三編、日本経済評論社、1995年10月)、『君子蘭の花陰に――清水慎三氏の思い出』(刊行委員会編、平原社、1997年11月)――なんと私の若いときの代表が弔辞を寄せており、掲載されている。「ご主人様の逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます 旬報社 木檜哲夫」。

 ▽以下に1冊だけ、水谷さんに断って掲載してある。
 2020年07月23日(日):『時代へのカウンターと陽気な夢 労働運動の昨日、今日、明日』(小野寺忠昭・小畑精武・平山昇共同編集 社会評論社 2019年5月、 2500円+税)、「次世代へ 一時代を切り拓いた運動証言」(元東京都労働委員会労働者委員 水谷 研次、「現代の理論」20号)
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111224book-ronten.htm#hirayama200723

 

 ◆ 最近(8月27日 その2)、facebookで紹介された本を読んでみた。

 2000827book1 


 ◇北海道・札幌の姉崎 洋一さん(北海道大学名誉教授)より。
『私だけのふるさと 作家たちの原風景』(須飼秀和・毎日新聞夕刊編集部編、岩波書店、2013年3月、越谷市立図書館より)――直木賞作家「馳 星周」さんが書いたページ(p8)、「おやじから段ボール箱が送られてきた。開けたら、マルクス・レーニン全集と『お前もそろそろこういうものを読む年ごろになっただろうから』という手紙です。すぐに古本屋に売りました」。
 あれ⁉ なんか入力していておかしい。マルクス・レーニン全集、とはいかに? 天下の岩波書店校正部さんへ。

 ◇宇部協立病院の野田浩夫さんから紹介。
『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望』(山﨑 亮、PHP新書、2016年11月)。

 ◇『沼津革同 私見、国労沼津機関区分会のあゆみ、記録、資料 2014/1/1』(山梨 幸夫著)の書き手が読んだ本。
『動力車・ドキュメント 労働者運動と日本共産党』(動労名古屋地本・稲沢第二支部、三一新書、1975年4月)。

 ◇どなた、なのか、メモが残っていなかったが。
『東京電力研究 排除の系譜』(斉藤貴男著、角川文庫、2015年11月)
『反原発労働運動 電産中国の闘い』(五月社、1982年5月)

 

2020年6月13日 (土)

1980年代から「当たり前の労働組合の闘いと共鳴した本づくり」をしてきた。

     編集子の所属した出版社(労働旬報社)は、産別会議法対部の人たちがつくり、その後は「総評弁護団づくり」を担った先輩たちが創建した出版社だった。三池闘争(三鉱連)を編集した『英雄なき113日の闘い』や三池炭鉱労働組合編『みいけ20年』、「近江絹糸人権争議」の本、『幹部闘争から職場闘争へ』(内山光雄著)などの出版物や労働(組合)運動史といわれた分野で多数の本を編集していた。
 その後も東京争議団運動にかかわって多数の出版・編集を行い「運動の中の出版社」とメッセージを発信していた。

   『斗う労働者のど根性』、『東京争議団物語』から学ぶ《PART Ⅰ》
    http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-ba4198.html

 

  「団塊の世代」が社会の多数を占め始めてきた1980年代に編集子は、出版社として子育て・教育書が多数の読者をつかんでいた時期に関わらず、ほとんどタッチすることがなかった(この分野はY社長さんがほとんど編集していた)。Y社長 は、 その時期にも「大企業労働問題」に関する以下のような本も編集・出版をしていたのも事実({関西電力」は除いて)。

 

 

  200707kakannidaikigyouhe

 

 


 一方、1960年代から続く大企業(鉄鋼、造船など)における闘う労働組合の後退だけではなく、1970年代後半から1980年代は「当たり前の労働組合運動が亡くなっていく過程」に直面していた。総評の国民春闘は後退して、民間大手組合におけるJC路線が台頭し、闘う労働者と労働組合運動つぶしが、日本の大企業労働者、全金や食品労働者へ、そして国労へと全産業に広がっていく。編集子は角度を変えて、労働問題の出版物にチャレンジしていた。

  「国民春闘をめざして『春闘読本』を編集していた」
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ed2a35.html

 

 「シーアンドシー出版のページ」へ

   http://e-kyodo.net/

    201130union1_20201129113301   

  201130union2

 201130union3

  沖電争議に参加した労働者の多くは、「ポスト団塊の世代」といわれた青年たちであった。
 「沖電気争議の記録 次世代に伝えておきたいこの闘い(1978年~1987年)」(沖電気の職場を明るくする会)
  http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html

 丸一日「雑草刈り」などのイジメを命じたインフォーマル組織・DECに壊滅的破壊攻撃を受けた雪印食品労組の仲間も年若い人たちだった。
 「日本の労働組合と企業社会の劣化をすすめたインフォーマル組織!」
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm

 

 一冊一冊を企画したメモは、いま手元にないが、よく出版社経営陣は、がまんして出版させてくれたもんだ。

 この攻撃の中で、財界の危機管理・労働対策部・政府などの攻撃を超える闘いの一つが、現在の闘いにつながる連帯・関西生コン支部の実践だと思う。
 「関西生コン労働組合運動の歴史と到達点――業種別支部型労働組合運動が切り開いたもの 」(新しい労働組合運動の模索―2―他人の痛みはわが痛み)、武 建一、「賃金と社会保障」 847号、 1982年08月。
 「関西生コンの研究」(「業種別職種別ユニオン運動」研究会)  

  http://e-union.sakura.ne.jp/kansainamakon/index.html

  しかし2020年の現在も、「闘う労働者」への共鳴はつづいている。

 

無料ブログはココログ