編集子のことなど

2022年10月 4日 (火)

吉原公一郎さんの「遺稿集と遺筆目録」をいただいた。

 先日(9月24日(土))、神田神保町で「故・吉原公一郎」さん(1928年6月22日 - 2021年8月6日、死去 作家)の娘さんに会った。

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  私が過日に書いた文章を読んで、メールが送られてきて、いくつかやり取りをしていた。
  ❖2016年2月27日 (土):吉原公一郎原作の映画「日本列島」を観てきた
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-40e1.html


   吉原さんは、自分が若い時期に読み込んでいた作家。
 『松川事件の真犯人 ジョージ・クレーと九人の男』三一新書 1962 のち祥伝社文庫
 『小説日本列島』三一新書 1963
 『赤坂桧町三番地』三一新書 1964
 その後、『謀殺 島田常務怪死事件』(ダイヤモンド社 1979年)を読んだり、先輩の本づくりで自宅に原稿をいただきに行ったこともあり、「作家という人はこんな暮らし方をしているのだ」と教わった。
 のちに、雑誌『まなぶ』(労働大学、1982年11月、491号)が「特集:"丸がかえ"御用組合化とたたかう」を発刊のときには、データや資料を提供した。
 《資本の組合"丸がかえ"作戦――インフォーマル・グループを中心に /共同討議
  富士政治大学校にみる洗脳教育 / 曽戸正明
  謀略の機関誌『サスコミ』とは何か / 吉原公一郎
  核づくり、組織づくりで対抗 / 浜崎忠晃》
  http://e-union.sakura.ne.jp/union/informal.html#20141022manabu


 つづけて、日本航空の労働問題のシンポジウムのまとめなどで、出会っていた。

 娘さんは(還暦を超えていると自ら話していた。現職はイベントやカタログ・デザイナー)、「父の仕事を残すために、テーマごとに段ボールに整理して、単行本以外の主な執筆原稿と遺筆目録」を1冊にまとめていて、この数か月で自主出版した、出来立ての本をいただいた(なんと四六判、600ページを超える)。
 「あまりにページが増えて、本文ポイントの級数を下げたり、紙質を軽いものを探して造本(フランス装)した」と話していた。

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 彼女からいただいメールでは、「防衛・内調関係は父の晩年に親交のあった研究者たちがおりますので、そちらと相談していますが、下記に関しては、アクセスすべきところがどこか考えあぐねているところです。
 ・JR労働組合関連(浦和電車区事件などの調書、裁判記録等も含め)
 ・日航労組と御巣鷹山墜落事故、羽田沖墜落事故等一連の航空会社&航空機問題
 ・戦後GHQ時代の事件関連(松川・三鷹等一連の事件など)
 ・ロッキード・グラマン関連と一連の謀略関連
 特に日航労組に関しては故藤田日出男氏はじめ組合の方々とも深い親交があり、カンパを募っての機関誌発行もしておりましたが、藤田氏が急逝し、組合も解体されたと聞き及んでおりますので、コンタクト先が皆目見当がつかない状態です」とアドバイスを求められていた。
 私には応える情報が少ないので「学生時代の先輩で日本航空第一組合で闘った人(波多野章さん )がいるので、聞いてみる」という返事をして。その結果、24日(土)に神保町の「カフェ古瀬戸」にて3人で面談した。

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 話の中身は結論だけ、「11月中に吉原家に訪問して、段ボール5~6個を開けてみよう」ということになった。
別れ際、「自分の親が作家とはいえ、遺稿集と遺筆目録づくりをするなんて、今どきエライ人がいる」と思って来ました、と話して別れてきた。
 【注】研究者の方で、「日本航空の現場、企業分析」などに関心がある方がいらっしゃたら下記へ、ご連絡ください。
sin_ryo11731アット(@に変えて)yahoo.co.jp

2022年9月26日 (月)

神保町の町中華「成光」と旧々社屋(労働旬報社)の紹介

 facebookの「大衆食堂、町中華、洋食屋が大好きな人」グループ(2022年9月20日(火))で、神田神保町(専修大学前交差点を皇居方面へ、1本目の角・さくら通り)の老舗の町中華「成光」が紹介されていた。
 https://www.facebook.com/photo?fbid=8086649224742931&set=gm.1774792059548969&idorvanity=1580326845662159


 1972年から1980代初頭まで、会社(労働旬報社)があり、そこから徒歩3分ほどなので、毎週2回ほど食べていた。

 2022年9月 24日(木)に久しぶりに神保町で人に会うので、行ってみた。

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 味は、昔と変わらず「ちょっと濃い目の醤油味のラーメン」でおいしかった。

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 その向かい側(九段方面へ)の木造の建物は「すき焼き」の老舗(だった?)の道を入った先の8階建てのビル(都ビルの先。1978年宮城県沖地震の時は、このビルとぶつかった)にあった。
 2階が事務・営業・書店品出し、7階が編集部だった(1971年に「和議騒動」もあり、前の所在地・港区西久保巴町からこの地に移転)。私も1年ほど他でアルバイト生活をした

 

 この時代の仕事の一端を過日書いているので、気になる方は読んでください。
 その文中に、著者に関して(会って話をしてみたい方の一部だが)、これも書いておいた。
 

 ▽2020年6月 6日 (土):国民春闘をめざして『春闘読本』を編集していた
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ed2a35.html


 5 毎年、この著者に書いてもらいたい人という意味で、編集子にとって得難い存在の方を探して、「政治社会情勢、春闘、労働者の現状と未来」を忌憚なく発言していただいた。渡辺 洋三(東京大学名誉教授)、高内 俊一(『現代日本資本主義論争、1973年』) 、青山 四郎(経済学者)、鎌倉 孝夫(埼玉大学名誉教授)、森 恭三(『記者遍路』朝日選書、1974、戦後の朝日新聞労組委員長)、沼田 稲次郎(東京都立大学元総長)、樋口 恵子(女性史研究家)、吉原 公一郎(作家)、金子美雄(日本賃金研究センター所長)、孫田良平(日本労働ペンクラブ)、板垣保(労働ジャーナリスト)、青木慧(ジャーナリスト)、水沢透(経済ジャーナリスト) の各氏だ。

 

2022年9月25日 (日)

月刊『ファミリーコンピュータMagazine』(略称は「ファミマガ」)を創刊した友人の紹介。

 すでに紹介した話のつづき。

 最近、地元(越谷市)の市民サークルで「◆編集者の仕事とは:児童書の編集はできません――ある市民生協のママさん理事の声」と題して話した。少人数の参加者だったが、まとめる準備が面白かった。

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#220901-rogo

    ・2022年9月17日(土)午前10時~12時、ミニ講演会で話します。

  ・場所:越谷市市民活動支援センター5階会議室

  ・主催:ロービジョン友の会

 

 「Ⅳ 素晴らしき編集者の実像」の一人は、私の友人。こここで再紹介したい。

 その人は[村田 憲生さん]で『ファミリーコンピュータMagazine』(ファミリーコンピュータマガジン)を創刊した主たるメンバー。

 彼は学年は1年上で、立命館大学を卒業して労働旬報社関西支社に入社し、1971年の「和議騒動」で支社廃止になり上京して労働教育センター(代表は私鉄総連・内山光雄さんの妹さん)の編集部で仕事をやっていたが、1980年代にはいると、新宿のゴールデン街で飲もうとたびたび電話が入り、いま何をやっているのかと聞くと、わら半紙を出して説明をしてくれた、

 それはその時はやりだした、「ファミコン・ゲーム」のスピード競争のやり方(ウル技:ウルテク、ウルトラテクニック)、バグの発見などを紐解いたメモ(図式化した)帳だった。

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 それを仲間と「徳間書店」に持ち込み、なんと月刊『ファミリーコンピュータMagazine』(略称は「ファミマガ」)として世に出したのだ。50万部以上いったのではないか

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BFMagazine

  新橋にあった仕事場に行くと、6時過ぎに50人以上の若者が朝礼をして、そこには生き盛んな編集現場があった。この仕事を10年近くしていた。

 私の子どもも「ファミコン世代」の一人だが、副編集長の名前を指して「友人だ」というと、目を輝かしていた(その前もその後も、そのようなまなざしで見られたことがない)。

 編集者はすごいなー、という体験をそばで見ていた話。

 今もマンガ関係の編集プロの現役!

 

 そのときに紹介した編集者像は、以下の通り。

 Ⅳ 素晴らしき編集者の実像

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#220901-rogo

 

 1 偉人伝としての編集者→吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)。

   『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長。

 2 岩崎勝海:編集者。(1925年-2000年8月18日)

  長崎市生まれ。1949年早稲田大学卒、岩波書店に入る。50年『文学』編集部、55年岩波新書編集部、71年編集長、75年岩波文庫編集長を兼ね、78年岩波ジュニア新書を創刊して編集長。80年編集部副部長。 編集長二十年

 

 3 知りえた編集者

   イ 角川春樹(『最後j角川春樹』、角川書店→カドカワハルキジムショ)

   ロ 芝田暁(『共犯者 編集者のたくらみ』、駒草出版刊2018年11月、大月書店→徳間書店→幻冬舎)

      ハ 『はだしのゲン』(汐文社)を見出した編集者

    https://www.choubunsha.com/special/hadashinogen/

 

   ニ 村田 憲信さん(徳間書店→『ファミリーコンピュータMagazine』(ファミリーコンピュータマガジン)は、徳間書店インターメディアが発行していた日本のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)専門ゲーム情報誌。略称は「ファミマガ」。1985年7月、世界初のファミコン専門誌として創刊[1]。ゲーム雑誌としては『Beep』に次ぐ最古の部類に入る。創刊当初は月刊誌として刊行されていたがその後月2回刊、さらに隔週刊となる。

   ホ 柳澤明朗(労働旬報社→『教育は死なず』篠ノ井旭高校校長/若林繁太著、3部作、1981年。100万部を超えた⇔『父母の誤算』の原作。1981年(昭和56年)5月8日から同年7月31日まで放送されていたテレビドラマ。全13話。⇔都内、文京区で新社屋建設。

2022年9月18日 (日)

「◆編集者の仕事とは:児童書の編集はできません――ある市民生協のママさん理事の声」

 最近、地元(越谷市)の市民サークルで「◆編集者の仕事とは:児童書の編集はできません――ある市民生協のママさん理事の声」と題して話した。少人数の参加者だったが、まとめる準備が面白かった。

      (パワーポイント版)

https://view.officeapps.live.com/op/view.aspx?src=http%3A%2F%2Fe-kyodo.sakura.ne.jp%2F220917aditor-toha1.pptx&wdOrigin=BROWSELINK

   テキスト版のページへ

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/arisu/220917aditor.html

 ・2022年9月17日(土)午前10時~12時、ミニ講演会で話します。

  ・場所:越谷市市民活動支援センター5階会議室

  ・主催:ロービジョン友の会

 

 ❖主な柱建て

 序 出版業界の編成

 Ⅰ 出版業界の現状は

 Ⅱ 編集者の仕事とは

  1 「無から有へ」「出版業は、生産労働である」、と教えられた。

  2 企画力、マーケットの判断力→無政府的販売の仕事。

  3 活字文化における「インテル」――活字の組版に使う込め物。行間(interline-leads)に挟む鉛の板という意味である。

    売れる本づくりのむずかしさ

 Ⅲ 編集者の仕事で出会った話

 [1]インタビュー記事づくり

 [2]日本中の産地訪問の記事づくり

 [3]ヨーロッパの「協同組合訪問」記事づくり

 Ⅳ 素晴らしき編集者の実像 

 

 この作業を進めるために編集子の仕事を振り返って整理した一覧を「シーアンドシー出版のページ」に作ってみた。

 http://e-kyodo.net/

 

 やっぱり1980年代の激しい時代の変化が、本づくりに及ぼしていることがわかる。

 当時、労働組合運動のあり方や社会政策、労働問題、社会保障などの分野の本づくりを目指し(20人以上研究者の本づくりと社会政策学会の年報が作れる出版社へ)ていたが、社長のYさんからストップがかかっていた。

 それはこちらが企業内組合の役員であった折、「会社内で利益を出していないなら春闘要求を出すべきではない」という言い方と、飲み会(それは自分が彼の一番そばにいた時期が多かった)などで「俺の知らない研究者(社会政策学会の動向について無関心)の本をなぜだすのか」「大月や青木、ミネルヴァや法律文化社(名前を出して申し訳ない)などの出版社にはしない」、といつも言っていた。

  その上に、こちらが「教育資料出版会や晩声社などの本づくりは意味があるのではないか」と聞いても、いい返事がなかった。これは今崎暁巳さん以外は認めないという、ルポ論(告発だけでは意味がない論)が根底にあって、強固だった。

 彼は「切り口を変えろ」「テーマを生活レべルに」など貴重なアドバイスもあったが、合意できたのは市民生協に関する企画や「女性向けの本づくり」だった。

 しまいには、芹澤茂登子さんと一緒に本づくりをしなさいと命じられて(半分、気分は乗らず)、何冊かつくっている。

 ◆「女性の読者」を意識した本づくり――1980年代の出版状況の大変化に抗して

 http://e-kyodo.net/#20220525jyosei

 

 1990年初頭、「PROSUME」や「健康せいきょう」、「大相撲ファンクラブ」「パフォーマー」「仕事の発見」誌づくりの仕事をマンションに仕事場を作り、編集・制作していた時、「自分が定年になるので復帰せよ」と言われたが、条件が「今ある仕事を全部やめる」「中西五洲、永戸祐三関係(労働者協同組合など)は持ち込まないこと」と言われたので、決裂してしまった。

 後半の条件をなぜ出したのか、聞けなかった。

 その押しつけを理解するために、富澤賢治さん(一橋大学名誉教授・聖学院大学名誉教授)が書かれた文章を紹介したい。旧「左翼陣営」の反発が強かったわけだ。

 2014年5月16日 (金):非営利・協同の10年――「関東の3悪人」

 富澤賢治さん(一橋大学名誉教授・聖学院大学名誉教授)が、研究者としてはめずらしい自己への批判に応える文章を発表した。テーマは表題のように「非営利・協同の10年」(いのちとくらし46号)を振りかえって、以下のような柱立てで、論理を展開している。

 「非営利・協同の10年」、富沢賢治、『いのちとくらし研究所報』46号、2014年3月

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tomizawa/tomizawa-ronkou1.htm

 

 上記論文で「実践面で最初に批判の対象とされたのは、全日本自由労働組合(全日自労)の委員長であった中西五洲氏である」と書いている。

 また“労働者協同組合運動を理論面で支援する研究者たちも厳しく批判された(黒川俊雄氏、角瀬保雄氏、富沢賢治は「関東の3悪人」と称された)。” 

 “批判の対象とされた「関東の3悪人」の主要著作としては、黒川俊雄『いまなぜ労働者協同組合なのか』(大月書店、1993年)、富沢賢治『非営利・協同入門』(同時代牡、1999年)、角瀬保雄『非営利・協同と民主的経営論』(同時代牡、2000年)がある。”

 なぜ「左翼」から批判されたのか、その状況を書いている。

 判断は、読み手に任せたい。

 

 【追記:2022.10.06】

 1990年代の社会的背景の一端を書いたが、再会したのは、20001年新年号の「けんこうと平和」(医療生協さいたま広報紙)に、「ゾウ列車のコンサート」について書いてもらったことがある。

 その間、「柳(やな)さん」は、労働旬報社定年後、疎遠になって、自らの出版物を「ふきのとう書房」(目黒さん)から出版していた。

 ということは、「あの時、戻らないほうがいい」と話していた事実(当時の経営陣の分裂)は、彼の方に会ったんだと思う。

 

 やなさんとの関係では、以下の文章がある。

 2019223 ():柳澤明朗さんの追悼を含む「たたかいのルポルタージュ」第16号を編集中。

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/16-b577.html

  20194 5 ():「たたかいのルポルタージュ 第16号」(追悼 柳澤明朗)を発行。

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d823.html

 

2022年6月28日 (火)

「産直、日本の農業のページ」をUPしました。

   1990年代に格闘した市民生協「産直、日本の農業」の「まとめ」のサイトをUPしました。

  『日本の食糧 日本の農業』(労働旬報社、1990年8月6日) 『産直新世紀――こだわりの「農と食」をつくる人びと』(シーアンドシー出版、1995年6月)、『新下郷農協物語』(シーアンドシー出版、1996年5月30日)などの書評が「赤旗」の書評欄に出ていた。

 あの時代に「農業に関する単行本」を広告として出していた出版社は少なかったのではないか。

 

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 「産直、日本の農業のページ」をUPしました。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/santyoku/index.html

  『日本の食糧 日本の農業』――日本農業の存亡が問われる状況のなかで

(山田達夫著、シーアンドシー企画◇労働旬報社 1990年8月6日発行、増補版:1991年12月12日)

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/santyoku/nihonnonougyou-yamadatatuo.html

 「産直とはなにか」、今一度、問い返すために。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/santyoku/santyokutoha.html

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 「下郷農協のご案内」のページへ、ようこそ。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/santyoku/simogou.html#simogou220220

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 「柴田光郎のページ」――「産直運動」に光を当て、労働組合運動と市民生協・社会的運動家として生き続けた。1943年10月21日生まれ、2017年8月28日死去。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/shibata/index.htm

 ◇『日本の食糧 日本の農業』――日本農業の存亡が問われる状況のなかで(山田達夫著、シーアンドシー企画◇労働旬報社 1990年8月6日発行、増補版:1991年12月12日)

 ☆著者紹介:山田達夫(やまだたつお)

 1929年新潟県生まれ。京都大学農学部農林経済学科。同大学院を経て、現在、大阪経済大学経済学部教授、日本経済史研究所長。農学博士。

 近著には、『近畿型農業の史的展開』(日本経済評論社、1988年)、『生協運動の新時代』(労働句報社、19“年)、FFOREST POLICY IN JAPAN』(共著、日本林業調査会、1988年)、『日本林業の市場問題』(共著、日本林業調査会、1990年)などがある。

 

 ◇この「ある編集者のブログ」に登場する「柴田光郎さん」 

 国内産直を重視した『PROSUME』(プロシューム)の発刊――2015年12月30日 (水)

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-0925.html

 

 鶴岡生協、そしてまちづくり協同組合へ―20数年前の思いに遡って刺激的な「いのちとくらし」研究所のシンポジウム――2015年6月24日 (水)

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/20-333b.html

 琴欧洲断髪式を観てきた2014年10月 5日 (日)

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c9f3.html

 “かっぱのげんさん”に会ってきた――2014年8月23日 (土)

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e4ed.html

 『めしと団結』のPDF復刻版づくり――2014年8月22日 (金)

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-9679.html

 メルヘン街道ドライブの旅、その前に的埜さん宅訪問――2014年5月 4日 (日)

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-298d.html

 

2022年6月11日 (土)

全日自労の意義を再認識した本の紹介――「ニューミュニシパリズム―グローバル資本主義を地域から変革する新しい民主主義」(明石書店、2022年5月)。

 下記の本の引用(注2)は私が書いた「ブログ」です。2017年4月30日 (日):君は知っていますか「全日自労」という労働組合。毎日といってよいほどアクセスがあります。
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-630a.html

 この流れは、松澤常夫さんが書いた『<必要>から始める仕事おこし―「協同労働」の可能性―』(岩波書店ブックレット、2022年2月4日刊行)と共通する視点です。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/bookret.html

 >2 「君は知っていますか『全日自労』という労働組合」ウエブサイト資料。

 現代労働組合を良心的で開明的な社会連帯の実践方向で切り開きたいと願っているみなさんに、読んでほしい提起です。残念ながら、その後の全日自労建設一般など多くの労働組合は、この方向を切り捨ててしまっているのではないか。

 ▽以下は、facebookより。
 田嶋 康利、2022年6月11日、午後14:50分分 ·読了。「ニューミュニシパリズム―グローバル資本主義を地域から変革する新しい民主主義」(明石書店、2022年5月)。

 https://www.facebook.com/yasutoshi.tashima/posts/5209653499148279

 「あとがき」に、労働者協同組合について記載いただきました。感謝致します。
 「日本においても、協同組合の出番が来ている。様々な協同組合がそれぞれの法律に基づいて活動している。最近では、労働者協同組合(ワーカーズコープ)の活躍の場が拡充しており、期待を呼び起こしている。ワーカーズコープはまちづくりや地域コミュニティの再生につながるとして注目されているが、その契機は2020年12月4日、労働者協同組合法が成立したことによる。与野党・全会派の合意・賛同を得て、超党派の議員立法として労働者協同組合法が衆議院に提出されていた(注1)。
 ワーカーズコープの大きな転換点となったのは、2003年の地方自治法改正による指定管理者制度の導入であった。指定管理者制度に対して、公の施設を民営化・市場化の利権化に反対する姿勢を打ち出した。市民の公共を創る社会化・市民化を掲げて、様々な自治体に提案してきたのである。地方自治体によってワーカーズコープの受け入れ姿勢は様々で、賛同する自治体から受託を広げて、現在ではコミュニティ施設や学童保育、児童館や保育園、高齢者介護や障がい者の施設など、全体で約330の施設(指定管理者260施設)を運営している。
 さらに、障がいのある児童の居場所がないという親からの相談が多数寄せられて、保護者や地域住民と協働して、放課後等デイサービスを立ち上げた(80ヶ所)。これを基盤にして、就労支援事業(就労継続支援A型、B型、移行支援、自立訓練、生活介護、グループホームなど)などが広がっている。この取り組みと連動して、地域と連携した子ども食堂を113ヶ所で展開している(全国の子ども食堂は、約5,000ヶ所)。
 2008年のリーマンショック後、働きたくても働けない人が激増した。失業問題に呼応して、職業訓練の事業に着手し、就労困難な若者や生活保護受給者などの社会的困難者に就労支援を行ってきた。若者サポートステーション(23ヶ所)も立ち上げて、若者の『働く』居場所づくりを実施している。サポートステーションの利用者は、当時ひきこもっていたが、組合員になり力を発揮している。2015年には、生活困窮者自立支援制度を活用した事業(相談・就労・学習支援など)に乗り出し、『共に働く』実践が全国に広がっており、全国約80の地方自治体と協働している。これらの事業は切実な生活問題に応えるものであり、心強い。
 このようにワーカーズコープは、多様な働き方を支える手段となっており、働き手の分断を橋渡しする機能を発揮している。その役割と任務は、平等な意思決定を確立し、あらゆる形の抑圧に反対するもので、今後は、生態学的な持続可能性を追求しながら、連帯して行動しながら、代替的なアプローチを促進し、システムの変更を可能にしようとしている。
 前身の全日自労のスピリットは素晴らしかった。全日自労と言えば、人間裁判『朝日訴訟』を支援して、生存権を求めて闘ったことが記憶に残る。かつての全日自労の闘いの経験は、失対賃金を引き上げ、地域を基軸に組織化して、政府・労働省(当時)・地方自治体へ要求闘争を展開した。さらに地域の労働者の組織化(地区労づくり)をして、自らの子育てのために保育所づくりや失業をなくす運動、高齢者の要求闘争の基礎をつくっていった。この運動を支援した江口英一郎氏ならびに中西五洲氏の実践理論は今の時代に再評価されるべきである(注2)。
 今日では、全日自労の精神をモダナイズする時代である。それは抵抗による市民のための運動であり、参加による市民活動そのものである。新たな生き方や新たな働き方を実現するオルタナティブな勢力であることは間違いない。

 『生きることに呻吟している青年・女性たち、4割に及ぶ非正規労働者がつくられている現代日本の状況をつくりかえるために、自らを組織した労働者・庶民のエネルギーを、ぜひ全日自労の運動から学んでほしい』これは松澤常夫氏の言葉である。
 なお、日本の社会起業に触れておくと、CSRやソーシャルビジネスなどの企業社会に寄り添う社会的企業の育成が“社会起業1.0”であり、社会問題への構想的対策や社会連帯を喚起した『闘う社会的企業』が“社会起業2.0”と位置付けられる。そしてニューミュニシパリズムの名のもとに、新自由主義に抗する基礎自治体=社会起業の新たな同盟が、協同セクターを内実化させ、“社会起業3.0”の実体をつくり上げるだろう(注3)」(執筆者を代表して 山本隆)。
 注
 1 ワーカーズコープの現状について、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会専務理事の田嶋康利からレクチャーを受けた。2021年7月18日、Zoom形式。お礼を申し述べる。
 2 「君は知っていますか『全日自労』という労働組合」ウエブサイト資料。
 3 エネルギー自給率が低い日本において、秋田県では電力の地産地消を目指した洋上風力発電事業が進んでいる。
 https://www.facebook.com/100003110407562/posts/4195041270609512/

2022年6月 4日 (土)

windows10からwindows11へ。

   今日は、「アリパソ」(「ロービジョン友の会アリス」パソコンの会、草加市、越谷市、春日部市など)があり、越谷市民活動センター(越谷駅前)に行ってアシスタントを務めた。参加者は、8名。
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/arisu/211105totigi.html

 そこで話したのが、「windows10からwindows11へ」のこと。
 毎月中旬ごろ「Windows 10の更新が行われている」とき、「このPCは現在、windows11を実行するための最小システム要件を満たしていません」と表示されて困っている方が多いと思う。
 しかしPC業界ではWindows 10は「2025年10月14日でサポート終了の発表」が流れているが、AmazonやYahooのオークションでは「中古のwindows11パソコン」が販売されていることは周知の事実。

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 Youtubeでは、いくつかこれまでも「指針と動画」が出ていたが、二つの動画(2021/10/26)(2022/03/27)を見て、誰でもができるもののようだ。ということが分かった(他のやり方も出ているが、少々、むずかしかった)。
今回の方法は、「超絶簡単! 古いパソコンでもWindows11へアップグレード。appraiserres.dllを削除するだけ、ということ。
 そこで自宅にある使わない「HP EliteDesk 800 G1 SF PC」をwindows11にグレードアップした。左のPCに画面を立ち上げて、STOPを押しながら進行したら、難なく完了。少々、てこずったのはダウンロードしたファイルから「appraiserres.dll探しのみ」。
 作業は子1時間ほどだったが、作業手順のYoutubeのURLは表示しない。

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 このPCはすぐに「windows11の更新」を行えたので、安心してほしい。
 この更新を再起動すると、面白い日本語がでてくる→「あなたはそこに8%です。コンピューター電源を入れたままにしてください」と。

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 天下の「Maicrosoft」は話し言葉で表示するときに「バグ」を発生したままだ。その上、「コンピュータ」と表示していた「パソコン業界の通例」をwindows95以前の出版物と同じレベルにもどしたかのようだ。

 

2022年5月21日 (土)

『眞理の勇氣―戸坂潤と唯物論研究会』(青年劇場)を観てきた

  5月19日(木)に『眞理の勇氣―戸坂潤と唯物論研究会』(青年劇場、新宿・紀伊国屋サザンシアター)を観てきた。
  https://www.facebook.com/seinengekijo

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 越谷駅(東武スカイツリー線)からは、1時間5分ほどで最寄り駅の「新宿3丁目駅」(東京メトロ)についたが、MAPに表示されていた「E8出口」まで出るのに、10分ほどかかった感覚(途中、新宿伊勢丹入り口もあったりして、昔の新宿追分交差点)で、地上に出たら劇場の入り口が分からず、ウロウロ。「お上りさん」になってしましった。
 なぜ今、新劇かというと、自分が若い時に出会った、故佐方信一さん(編集者・校正者、早稲田大学卒業、1938[昭和13]年10月11日~2019年3月15日)が編集していた三池炭鉱労働組合編『みいけ二〇年』・『みいけ二〇年資料編』に編集アシスタントとして、原稿入稿、校正者とのやり取り、炭労本部へのゲラ持参をしたいたときに、校正者として著名なKさんとの飲み会で、「君ね(このときは、下の名前)、編集者になりたかったら新劇を観てこなければだめだよ」と、言われたことだ。

 ▽2020年2月17日 (月):追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』を編集した
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/index-6#201001-rogo

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 そのときの同時代の者は「全共闘運動」「大学紛争」にまい進していた渦中であったはずだ。

 思い出すのは、民芸の『夕鶴』(宇野重吉、山本安英他)、文学座の『女の一生』(杉村春子他、渋谷の東横劇場)、俳優座の「千田是也他」などの有名なプログラムではあるが、一回りも二回りも上の世代の「木下順二論」などを傍で聞いていた。入り口のところだけしかわからなかったが……。

 さて『眞理の勇氣―戸坂潤と唯物論研究会』については、いくつかの劇評を読みこみながら会場へ。観客はほぼ満員で(このシアターは全部で24列の25行ほどか)、高齢者(6割ほど女性)が多かったが、こちらの隣席は青年だった。
 戸坂潤さんの本は1冊しか読んでいなかったが、劇中で主人公を演じながら戦時中の日本(治安維持法体制下)における非合理主義的哲学を批判し、「科学的精神」をと呼びかけている台詞(セリフ)覚えには、ひきつけられた。
 劇の山場で「Encyclopédie(百科全書)づくり」の夢を語る戸坂の姿描かれていたが、1935年から1938年(?)にわたる「唯物論全書」編集の苦労には触れられていないのは編集者としては残念だった。
 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN01434511

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 こちらも読んでいないが、三笠書房の編集者(戦後も久山社から復刻されているが、のべ79冊)などの姿や、戦時下における、出版の哲学を語ってほしかった。

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2022年4月28日 (木)

西岡幸泰さん(専修大学名誉教授、1931年1月1日-2004年9月16日)。追悼文集:『心に太陽を』を読む。

 角瀬保雄(法政大学名誉教授)さんの追悼特集(『いのちとくらし 研究所報』(特定非営利活動法人 非営利・協同総合研究所 いのちとくらし、No.78、2022年3月30日)を読んで、そのあとHPにあった「角瀬保雄理事長のページ」の中に既知の先生の「追悼文」があった。

 https://www.inhcc.org/jp/research/news/kakurai/20041031-kakurai.html?msclkid=4bd1e1d3c3b111ec86c0cff6d11dc951

 

 その方は、西岡幸泰さん(専修大学名誉教授、1931年1月1日-2004年9月16日)。追悼文集:『心に太陽を』(西岡幸泰さん追悼会編、2005年9月16日、私家版)が発行されていることを知ったので、「日本の古本屋」で検索して、注文した。

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 自宅に到着次第、一気に読みこんだが、「主要研究業績」→「論文・調査報告」の中に、私が最も若い時期の仕事で依頼した論文が掲載されていた。

 「大蔵省の医療保険論批判」(『賃金と社会保障』労働旬報社、No.684、1975)だ。やや週刊誌的タイトルになっているが、相沢与一さん(当時、福島大学教授)の紹介で書いていただいたのか、記憶があいまいだが、名物教師の吉田秀夫先生(法政大学教授、1912年1月19日→1982年5月9日)以外では初めて、登場していただいた社会政策・医療政策研究者だった。

 のちに主要な単行本の一覧が掲載されているが、単独の著として発刊した『現代日本医療政策論』(労働旬報社、1985)では、同僚の永山誠さん(のちの昭和女子大名誉教授)と一緒に専修大学まで通い、編集した思い出がある(その前後で本づくりにかかわったのは、先輩編集者としては、木檜哲夫さん、石井次雄さんだった)。

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1980年代には、毎年、数回、原稿をお書きいただき、座談会などにも出ていただいた。

https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%B9%B8%E6%B3%B0&page=1

 お世話になったままだが、合掌。

 

 

 【主要研究業績】

■著書・共編著

『山谷ー失業の現代的意味』江口英一・加藤佑治と共編著(未来社、1979)

『社会保障運動全史』社会保障運動史編集委員会編(沼田稲次郎他と共編著、労働旬報社、1982)

『図説 日本の保健・医療』日野秀逸と共編著(労働旬報社、1984)

『現代日本医療政策論』(労働旬報社、1985)

『看護労働の未来』(国民医療・医療労働研究会編、沼田稲次郎他と共編著、労働旬報社、1985)

『経済学と階級』浜林正夫・相沢与-・金田重喜と共編著(梓出版杜、1987)

『現代の労働時間問題』(御茶の水書房、1988年)

『現代日本の医療保障』編著(『講座 日本の保健・医療』第2巻、労働旬報社、1991)

『医療『構造改革』の問題点』朝日健二と共編著(国民医療研究所、1999)

『医療『構造改革』の焦点』(日本生活協同組合医療部会刊、2003)

 

2022年4月26日 (火)

松澤常夫さんと一緒に本をつくってきたので紹介したい。

  松澤常夫さんがどのような本づくりをしてきたのか、その一端をまとめたページがあるので、UPしておきたい。このときはfacebookから脱退していた時期(2017年3月)なので、発信していなかった。 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/my-book.html

  松澤さんと出会ったのは、「沖電気争議」(「1978年から1987年)が起こったときに中央労働学院の学生たちがつくった「現代ルポルタージュ研究会」(ドキュメンタリー作家・今崎暁巳さん、労働旬報社社長の柳澤明朗さんを中心)に彼が参加したことからだった。

 http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html

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 最初に単行本にしたのは、機関紙「じかたび」で掲載した手記をまとめた『じかたびの詩』(全日自労建設一般労働組合、早船 ちよ編、労働旬報社、1980年8月)。小説家・児童文学作家の早船さん(『キューポラのある街』の原作者)は、当時、浦和に居住していたので、ゲラを何回か持参して、意見を聞いたことを覚えている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E8%88%B9%E3%81%A1%E3%82%88?msclkid=3aef96ccc53f11ec936ac665c57a7ee5

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 その前後に彼から芝田伸午さん(法政大学から広島大学へ)が主催していた「社会科学セミナー」に誘われて、研究会・講演会にたびたび参加していた。

 全日自労の「民主的改革闘争」の意義(PDF版)、「マルクス主義研究年報」、1980年版、NO.4、マルクス主義研究セミナー、芝田進午責任編集、合同出版

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/170221-1980nenpouzenbun.pdf

 この研究会で出会った松本猛さんとの縁で、ちひろさんの写真(藤田主一さんの撮影)を地下の部屋で撮影できて、『ちひろ 愛の絵筆』(滝いく子著、1983年1月1日)も刊行できた経緯がある。

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  ▽最初の3冊は、私は担当していませんが。

より以前の記事一覧

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