編集子のことなど

2024年12月12日 (木)

『沼田稲次郎著作集』刊行の大事な仕事を担った大先輩の川﨑忠文さん(1934年~享年2009年)を紹介したい、

 「沼田稲次郎のページ」を編集していた時、国会図書館に通って、コピーをとってきたが、発行年月日が分からないままだったが、先日、WEB検索ですぐにわかったので、「沼田稲次郎のページ」にUP。

 沼田稲次郎先生が岩井章(総評事務局長・当時)さんと対談――大衆を信頼して闘い抜け、「連合の時代」を考える(「月刊総評」、 日本労働組合総評議会 編 (243), p20-30, 1978-03)

 ▽ナショナルセンターが闘わない「連合」しか知らないで育ってきた多くの労働者に読んでほしい。

http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/numata/index.html

 

 ❖ページの元になった『沼田稲次郎著作集』刊行の大事な仕事を担った川﨑忠文さん(1934年~2009年)をまとめて、紹介してみたい。

http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111126kawasaki.pdf

 

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 ▽「沼田稲次郎著作集」(全10巻、1976年)を編集した大先輩の川﨑忠文さん(後ろで立っている人)と石井次雄編集長(当時、後に旬報社社長)。沼田文子さん(沼田夫人)と一緒に。

 http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/numata/index.html

 ▽沼田稲次郎先生の略歴

 『越中人譚』(発行:チューリップテレビ 文:仁ヶ竹亮介[高岡市立博物館学芸員]、2003年7月10日 )に発表された評伝も、著者の仁ヶ竹亮介さんの了承を得て、「沼田稲次郎先生の略歴および主要著作」に掲載している。

http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/numata/240115toyama-all.pdf   

 ▽私が書いてきたブログ

2014年4月15日 (火):沼田稲次郎著作目録――人と学問の歩み

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-8199.html

2014年5月26日 (月):沼田稲次郎――生誕100年への追憶

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/100-c3f8.html

 

 ❖『沼田稲次郎著作集』刊行の大事な仕事を担った人を、紹介しておかなくてはならない。

 その人は、川﨑忠文さん(1934年~2009年)。

 経歴は、広島で生まれ、中央大学を卒業し、早稲田大学大学院で「野村平爾教授や沼田先生を基軸に労働法」を学び、1960年安保闘争のまっただ中で文京区労協の専従を経て、労働旬報社編集部に就く。

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 編集者としては「労旬新書」の中心的編集を担う。のちに社を離れ、『国鉄労働組合40年史』ほか多数を執筆し、中央大学講師や「大原社会問題研究所雑誌の編集」に参加していた。

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 1960年代後半に、私の「労働問題研究の視点とアメリカ労働組合運動の歴史」を教えてもらった人。

 その後、書いてきたことを、時間があれな読んでほしい。

『回想の川﨑忠文』(PDF版)

http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111126kawasaki.pdf

2011年11月14日 (月):『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する。

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b250.html

2011年11月26日 (土):『回想の川﨑(川崎)忠文』を出版する――PARTⅡ

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-26a3.html

2014年4月27日 (日):雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-151a.html

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2018年4月26日 (木):レオ・ヒューバーマンなどの著作を指導された――川﨑教授の教養ゼミ一期生

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-ac07.html

 

❖『回想の川﨑忠文』(「回想の川﨑忠文」刊行委員会、DTP:インターネット事業団、2011年11月14日)

目  次

 刊行にあたって 

 第一部 川﨑忠文遺稿と講義録

 論文・「時間労働」の希釈化とその問題点――翻訳・M・A・ビーンフェルト著「英国産業における労働時間」 

 中央大学における担当科目講義

 社会運動史講義要項(中央大学法学部二〇〇四年度) 

 社会運動史講義(第一回 二〇〇四年四月)

 労使関係論講義要項(中央大学法学部二〇〇四年度)  

 労使関係論講義(第一回 二〇〇四年四月) 

 エッセイと若き日の哲学論考

  ある私的感懐 

  大講堂の屋根裏教室  

  わが家の家財道具 

  カントに於ける認識の内容 

 第二部 回想の川﨑忠文

  Ⅰ人間・川﨑忠文

   家族のような存在              沼田 文子 

   無私・誠実な友を失った悲しみ        中山 和久 

   川﨑君との交友関係のありよう        籾井 常喜 

   川﨑忠文さんのこと             二村 一夫 

   厳しさを感じさせないロマンチストの風貌   角田 邦重 

  Ⅱ 幼年・青年時代

   学童疎開の頃                川﨑タケ子 

   試験の出題箇所を当てた忠文さん       木村あや子

   神戸と忠文さん               木村 和代 

   忠文叔父との東京での共同生活        福山 久代

  Ⅲ 中大・哲研時代

   川﨑君、楽しかったよ有難う         江川  潤 

   畏友 川﨑忠文学兄の追憶          水野  勝

   武蔵の国「青梅」を愛した忠文        春摘  智 

   悼す――川﨑兄に              井沢 彌男 

  Ⅳ 早大・大学院時代

     川﨑君を偲んで                佐々木秀典 

     彼の思い出                  鍛治 利秀

     可愛い研究者――川﨑忠文君          村山 昂右 

     川﨑忠文さんの急逝を悼む           木村 愛子

     無欲の人                   大石  進 

     権利を守ることへ限りない情熱を燃やして    古屋 孝夫

  Ⅴ 編集者時代

    「人間の尊厳」の実現に人生をかけた川﨑君への讃歌 柳澤明朗 

     川﨑忠文君と私                川辺平八郎 

     カワちゃんのひとこと             後藤  實 

     洋三先生・沼田先生の大ファンだった川﨑さん  石井 次雄 

     川﨑教授の教養ゼミ一期生           飯島 信吾 

  Ⅵ 執筆・研究者時代

     組合運動史執筆者の誕生            佐方 信一 

     労働運動史執筆のベテラン、川﨑忠文さんを悼む 宮里 邦雄 

     日本酒と豆腐                 徳住 堅治 

     追悼:川﨑忠文さん――組合史編纂や大原社研でのお仕事  早川征一郎 

     川﨑さんの思い出               五十嵐 仁 

     酒ありて                   立花 雄一 

  Ⅶ 友として

     高齢期に入って一〇年間の交友から       芹澤 寿良

     虚飾のない男                 西田  明 

     さりげないお心づかい、ありがとう       松風いさ子 

  川﨑忠文経歴 

  川﨑忠文の主な仕事

2024年12月 5日 (木)

労働者協同組合法を作る運動は、日本の近代史の中で画期的なことではないだろうか(「岩垂弘、平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員」)。

「岩垂弘のページ」(平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員)にUPしました。

http://www.sengoshi.sakura.ne.jp/iwadare/index.html#221015iwadare-5

「日本における労働者協同組合研究の先駆者たち」のページにUPしました。

http://www.e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html#221015iwadare-3

   

▼Shingo Iijima(facebookで発信、2022年12月5日)  ·

平和・協同ジャーナリスト基金は、もう何十年前から活動している団体で、その貴重な賞を松澤常夫(前「日本労協新聞」編集長)さんはがもらった。

  https://www.facebook.com/PCJFstc

 2022年9月30日の労働者協同組合法施行記念イベント前日祭(労協連本部・池袋)での岩垂弘さん(平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員)の発言が、重々しい(『日本労協新聞』、2022年10月15日)。

 ⇔「ほどんどの運動が敗北に終わる中」

 「43年前、中高年雇用・福祉事業団全国協議会が結成された時。私も参加したが、途中で潰れると思っていた」

 >私も長い間、この法律の成立と施行を待っていたので非常に嬉しく思う。前半は新聞記者、後半はフリーとして、60年間物書きをし、民衆の運動を追いかけてきた。ほどんどの運動が敗北に終わる中、目標を達した一つが労働者協同組合法を作る運動だ。日本の近代史の中で画期的なことではないだろうか。

 実現したのは、みなさん方の要求が普遍的だったからだと思う。普遍的なものはいつか実現する。

 常に嬉しく思う。前半は新聞記者、後半はフリーとして、60年間物書きをし、民衆の運動を追いかけてきた。ほどんどの運動が敗北に終わる中、目標を達した一つが労働者協同組合法を作る運動だ。日本の近代史の中で画期的なことではないだろうか。

 実現したのは、みなさん方の要求が普遍的だったからだと思う。普遍的なものはいつか実現する。

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2024年11月 3日 (日)

「永戸祐三さん・前日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会理事長」の9回目の聞き取り・取材。

 出だしの3月ごろに聞き取り・取材をし始めたと報告してきた「永戸祐三さん・前日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会理事長」の件。今回は(10月26日(土))、9回目のテーマ「労働者協同組合法はなぜできたのか」を中心に聞いてきた。
 私が編集しているホームページの検索で、「労働者協同組合に関連する」ページをまとまってきた日(2024年10月28日(月))があるので、それを図版として添付したい。
  http://www.e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html

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 ◆労協法制化関連で、聞きたいこと
       24,10,26   松沢
 1、永戸さん自身が求めた法のイメージの変遷。それはなぜかも。
  (根本的・本質的に、当面)
 2、成立した労協法についての評価
  (積極面、課題、法律名について)
 3、法成立までの当初のやりとり
  (補強 大内、笹森、長勢、その他)
 4、「新議員連盟」が動き出すまで
 (どのようにつくったか。山本=15年、桝屋=16年小田原総会、太田、田村、篠原)
 5、法案づくりでのやりとり
  (各党、厚労省、法制局、ワーカーズコレクティブ、労働組合)
 6、この過程での組合員とのやりとり
  (リーダー間、一般組合員)
 7、この過程でのその他の人とのやりとり
 8、法施行後の展開についての思い
  (100組合設立)
 9、今後の展望
  (労協法を活用した新しい社会、企業、労働者組織)
 ▽「生きる」とは、卓さんのこと

 ◆飯島メモ
 Ⅰ 労働者協同組合法はなぜできたのか(社会政策の視点から)
  1 日本における労働者保護レベル(無保護時代)
   ――連合(=経団連)傘下の正規雇用労働者以外の状況
  2 非正規労働者「4割時代」・フリーランス労働者の増大
  3 保守基盤の「地方」・「農」の崩壊
 Ⅱ 労働者協同組合法制定の意義
  1 1990年半ばに、労協法ができるのは「革命的事態」ととらえていたが。
  2 公明党がなぜ率先してすすめたのか(坂口厚生労働省大臣から)。
  3 連合内での一致はなくても、笹森会長はなぜ動いたのか。
  4 野党側のスタンスは(とくに共産党の動きは)。
  5 労働側弁護士陣営に、意見を異にする動きもあったが。
  6 地方自治体の運営システムの「民営化」に市民の力で対応する方向に確信があったのか。
 Ⅲ 労働者協同組合法制定への取り組みとその成果
  1 各地の地方自治体への要請と取り組み
  2 各地の生協・農協、労福協、民医連・医療生協の支援の事実
  3 現場の組合員の理解と一歩を踏みだした運動(全組合員経営の意義)
  4 協同集会や「映画づくり」などの文化的取り組みの意味
  5 センター事業団の複合的経営の意義(シングル・イッシューではなかったこと)

 

2024年10月25日 (金)

「インターネット事業団のページ」の更新(2021年9月~10月)

  ❖インターネット事業団のページを更新しています。

2024.10.25
◇全印総連は10月23日全国一斉に秋年末闘争要求書を提出しました❗️
▼「全印総連印刷ユニオン٠大日本印刷分会」のページにUPしました。

2024.10.23
◇11月9日(土)、「災害時に役立つ、障がい者・女性を守る知恵」をほっと越谷で開きます。
▼「ロービジョン友の会アリスのページ」にUPしました。
2024.10.23
◇4位に「フレンドリー春日部」が入りました。「卓球バレー全国交流大会」(「第23回全国障害者スポーツ大会/SAGA 2024」、【2024年10月20日】)
▼「ニューオタニのページ」(春日部市)にUPしました。

2024.10.23
◇◆10月20日(日)は10:00~14:00 わらじの会大バザー開催!――谷中小記念公園グランド(春日部市)にて。
▼「NPO障害者の職場参加をすすめる会のページ」(越谷市)に4人の方のレポートをUP。

2024.10.11
【北大院生協議会史 大学院生の苦悩と成長の軌跡』(発行 花伝社、発売 共栄書房A5判、352p)
を「手島繁一のページ」にUP。

2024.10.10
◇◆すいごごカフェ 2024.10/16~10/6 1時半のゲスト 。
▼「NPO障害者の職場参加をすすめる会のページ」(越谷市)にUP。

2024.10.07
◇BBIG BAZAAR 2024.10.20 わらじの会 WA RA JI NO KAI 大バザー
▼「NPO障害者の職場参加をすすめる会のページ」(越谷市)にUP。

2024.10.01
◇「キッチンとまとのページ」――2024年10月のメニュー
▼(ワーカーズコレクティブ・越谷市)

2024.09.10
大企業の労務政策では、大胆な変革を、即時に実行して、労働者の闘いを無効にしようとしてくる。
――大日本印刷に印刷ユニオンを――分会の闘い」(大企業職場にあたり前の労働組合を」)のページにUP。

2024.09.01
◇「キッチンとまとのページ」――2024年9月のメニュー
▼(ワーカーズコレクティブ・越谷市)

2024.09.25
▽2024年03月15日(金)、文化放送で始まった、「知っていますか ロービジョン0と1のあいだ」(第1回から第5回(9月23日)までの放送・録音分)。以下のページで聴けます。
――「ロービジョン友の会アリス」(越谷市)のページ。

2024.09.25
▽【世代を越えて】両親が晩年人生をかけてこの公演に尽力し、その思いが姪っ子に引き継がれて、本年6月松戸の公演で実現。
――「柳澤明朗のページ」(元労働旬報社社長、1970年代から1990年代初頭)にUPしました。

2024.09.26
▽回転寿司ユニオンのHP内に加入案内のページをつくりました!
――『回転寿司ユニオン』のサイトご案内(首都圏青年ユニオン)



2024年10月19日 (土)

すいごごカフェ(世一緒、越谷市)で話したこと――現代労働組合研究から障害者等も共働・協同する街を探る飯島さん(再録)

2017年10月19日(山下浩志稿)  10月3日のすいごごカフェのゲストトークは飯島信吾さんの、「越谷在住10年の中で」。ボリュームいっぱいで濃かったトークの内容に後日の取材も交えて、「現代労働組合研究から障害者等も共働・協同する街を探る飯島さん」と題して、かなり遅ればせながらですが、ブログにアップしました。トーク当日は、話の展開を追いかけるので精一杯でしたが、こうして整理してみると示唆多き語りでした。

 ブログの章構成は以下。

 1.越谷のまちづくりと人をつなぐ

 2.労働問題専門誌から生活文化、医療・健康、労協関連出版―編集者の足跡

 3.現代労働組合と地域共生・共働・協同

 写真:世一緒サポーター・直井さん.  https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/1429752507093385?pnref=story

◇UPされた ブログ:共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す 

 https://room-yellow.seesaa.net/article/201710article_4.html

  

▽インターネット事業団のホームページ。
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/  

 

2017年10月19日

現代労働組合研究から障害者等も共働・協同する街を探る飯島さん

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1.越谷のまちづくりと人をつなぐ

 職場参加ビューロー世一緒(よいしょ)でこの4月以来、毎週水曜日の午後に行われている「すいごごカフェ」、10月3日(水)のゲストトークは、飯島信吾さん。世一緒のHPをはじめ、仕事おこし懇談会inこしがや、越谷水辺の市などのHPも飯島さんが立ち上げ、常時更新していただいているインターネット事業団代表。

 越谷水辺の市については、毎月必ずといっていいほど現場に赴き取材してアップしているので、顔見知りになった人も多いはずだ。http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/171010mizubenoiti.html

 その飯島さんとの出会いは、仕事おこし懇談会inこしがや立ち上げのとき。


 2012年の秋、全国協同集会が埼玉を会場に開かれ、協同労働の協同組合法を実現しようというワーカーズコープ、ワーカーズコレクティブをはじめ、ずっと前から細いけれども長くつきあってきた共同連も社会的事業所を法制化したいという考えからこれに合流するということでNPO法人障害者の職場参加をすすめる会にも声がかかり、全国集会の分科会で筆者がパネリストの一人として参加したことがきっかけ。

 全国集会に向け、越谷でも協同まつりinこしがやをやろうと、ワーカーズコープ、ワーカーズコレクティブ、その他のNPOから呼びかけられ、キッチンとまとがある蒲生・日の出商店街で開催した。
https://room-yellow.seesaa.net/article/201210article_6.html
飯島さんとの出会いはその時。下の写真は協同まつりinこしがや実行委員会の懇親会で、右から二人目が飯島さん。このときはまだよく知らなかった。


その後も、継続して連携していこうと、不定期だが仕事おこし懇談会inこしがやを開いており、飯島さんはほぼ出席している。

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 そして、飯島さんとの関係が密になったのは、NPO法人職場参加をすすめる会として、独立行政法人福祉医療機構から社会福祉振興助成金を得て、「障害者と地域住民による身近な仕事おこし事業」を実施するにあたり、そのホームページ(上の写真)をお願いしたことから。
http://syokubasanka.com/
 「インターネット事業団」という肩書から依頼したのだが、実はその中身はよく知らなかった。このホームページは仕事としてお願いしたのだが、その後飯島さんは、仕事おこし懇談会inこしがやとか、同懇談会が関わり他団体やさまざまな市民と一緒に開催するようになった越谷水辺の市などのホームページを、つぎつぎとボランティアで立ち上げてくれることになった。


 上は仕事おこし懇談会inこしがやのホームページ。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/shigotookoshi/index.html


 こちらは越谷水辺の市のホームページ。毎月第2火曜日の開催日に現地取材してホームページを更新している。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/index.html

 こうして飯島さんとのつきあいが重なるにつけ、飯島さんってどんな人なの?と、背景もひっくるめて関心が湧いてくる。



 そこで、飯島さんが以前から書き綴っているらしい「ある編集者のブログ」をのぞいてみた。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/cat22380089/index.html

 「カテゴリー」として列挙されている以下の分野を一見しただけで、あまりにも多岐にわたっているぞと怖気づいて、二、三読んだだけで終わりにしてしまった記憶がある。

 NPOひかりの森
 PC・DTPあれこれ
 「業種別職種別ユニオン運動」研究会
 「水辺の市」
 「現代と協同」研究会
 『回想の川﨑忠文』
 ふくし生協(高齢協)
 インフォーマル組織の過去・未来
 ジャーナリスト・柴野徹夫さん
 ベトナム再訪問
 今崎暁巳さん
 労働問題・労働組合
 大企業・総評型労働組合はどうなったのか
 市民にとっての経済 ……


 そんな広大な地平を旅する飯島さんが、この越谷の地域や職場の近辺にへばりついて生きている「すいごご」の大半の参加者に、その旅の日々をどうかみ砕いて語ってくれるのか、そこに期待して今回ゲストトークをお願いした。
 

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報酬はコーヒーだけというこのトークに、飯島さんは予めていねいなレジュメを用意して臨んでくれた。以下、そのはじめの部分。

     越谷在住10年の中で
                 インターネット事業団・飯島信吾
                   2017年10月04(水)
1 60歳の手習い

 ❶DTP(PCで単行本・雑誌・新聞のページ編集ソフト)のスキル獲得
   「Adobe InDesign CS5」のアプリ・ソフトの活用
   その前に、「MACのQuarkXPress (クォーク・エクスプレス)3.3」を習得。
   ⇔3冊の追悼文集(単行本)の編集・制作のため
    「さいたま高齢協」の広報ニュース(A4判・8p)
 ❷WEB制作のスキル獲得
   ⇔ホームページ・ビルダー(サイト編集ソフト)でのHPを立ち上げ、編集・制作。

2 なにがこれからできるのか、と思って。
 ❶残された「私の課題」を実現する。
  Windows95以前の「日本の労働問題・労働組合運動」に関するページのUP。
  イ なぜはじめたのか――コンセプト。
  ロ 最近、青年からの「激励」の温かいメール
  ハ 社会政策・労働問題・労働法・協同組合・社会的経済などの「私が出会った」研究者群のUP。
  ニ インフォーマル組織の追及!
ホ 全国金属・食品関連労組・中小労組・地区労などの紹介。
ヘ 大企業労働組合・総評などの歴史UP。
 ➡40個人・団体などのページ。
 ❷越谷エリアの「自主的・自立的まちづくりと人と人をつなぐ」努力をWEBを活用して、UP。
  世一緒のページ
  水辺の市のページ
  ワーカーズコレクティブの事業組織――キッチンとまと、リフォームいと、協同購入・そら。
  仕事おこし懇談会のページ
  視覚障害者・草加虹の会

 
 「60歳の手習い」、「残された私の課題を実現する」とあるように、上記は現在の飯島さんが手がけていることの一覧といえる。では、なぜ、どのようにして、そこに至ったのか?そのルーツは何か?

2.労働問題専門誌から生活文化、医療・健康、労協関連出版―編集者の足跡

 飯島さんは、「プロフィール」として、以下のようにまとめている。

▼プロフィール
 1948年2月、東京・浅草生まれ。1970年代初頭から労働旬報社編集部、その後シーアンドシー出版設立。この間、単行本100点以上、生活文化情報誌、医療・健康雑誌、医療・健康新聞、労働者協同組合雑誌など、チームを組んで仕事。現在インターネット事業団主宰。

現代労働組合研究会のサイト、「業種別職種別ユニオン運動」研究会の事務局・HPを制作。

 


 飯島さんは労働旬報社という歴史のある労働法や労働運動の専門誌で働き、それをベースとしてシーアンドシー出版という生活文化、医療・健康、労働者協同組合といった裾野を広げた仕事に取り組んだ。それが、現在の飯島さんの枠組みの広さや時代状況への鮮明な姿勢につながっているらしい。
 そして、もうひとつ。59歳の時に初めて越谷に引っ越して来て、すぐに1ケ月の緊急入院で、救急車で運ばれる体験をして、「これは60歳の壁が来た」と思い、それまでの仕事を整理し、「残された私の課題」を明確にし、実現しようと歩み始めたこと。

 
飯島さんは、すいごごカフェの参加者を意識して、いろいろなエピソードをまじえて語ってくれた。

 編集者をしていた頃、酒呑んでカラオケばっかり行っていた。1970年代は、左右問わず軍歌ばかり歌っていた。(というのも、旬報社時代の著者・執筆者は、大正時代生まれや昭和一桁、昭和10年代初期の人ばかりで、戦後生まれで同時代の著者を「担いだ」のは、飯島さんだけだったから。)

 それが80年代は演歌(石原裕次郎など)、90年代はニューミュージック(アリスなど)をカラオケで歌った。このころはシーアンドシーの仕事で、若い人たちと組んで働いたから。デザイナーは20代、ライターは30代、編集部も30代で。40代の飯島さんとは文化も生まれも違い、労働組合運動など体験したことがない人たちだったという。

 そのころ若い人たちから教わった歌が、因幡晃「わかってください」(1976年)などだった。
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 その歌にまつわる話として、「橋のない川」の大作家・住井すゑさんと会えることになり、長大な「橋のない川」を飯島さんがどう読んだかを本人に訊かれ、「おばあちゃんが息子にさとす話がいっぱい入っている。それがこの本の特色ではないか。」と答えたことから、「わたしの童話」という本を労働旬報社から出版できることになった(その後新潮文庫に。上の画像は新潮文庫版。)。大ヒットだった。

 ここには、「橋のない川」に挿入された住井さん作の童話が4つ入り、その他の本で発表した童話を加えてある。

 そこに住井さんが書いた序文のタイトルが「わかってください」だった。飯島さんには、自分がいつも歌っていた因幡晃の「涙で文字がにじんでいたら わかってください」という歌詞との符号が印象的だった。


 その序文の冒頭は以下。
 「これは〝私の童話″です。小学生のころから、農繁期には田んぼにはいり、夜まで大人にまじって働いた〝私の童話″です。ただ一つのたのしみ(生甲斐)は、文字を読むことでした。世に言う習いごと―茶の湯や生け花とは全くの無縁で、ひまをぬすんでは活字をあさりました。これが私の履歴です。」

 そして結びが以下。
 「たかが童話と思わないで下さい。ここに私の哲学があります。それは万人に通じる哲学のはずだと思うのですが、如何でしょうか。」


その住井すゑさん(上の写真)から、飯島さんはこう言われたそうだ。「労働とは土と火と水が大事だけど、わかってんの?工場ばかり考えてちゃだめよ。」と。すいごごカフェの後で、飯島さんにたしかめたところ、以下のような解説をしてくれた。


 「工場労働者の問題だけ見ていてはダメ、農民の汗と血で作物を作り出す、その労働を取材したことがありますか」という話でした。
 この根本は、住井さんがいくつかの作品で描いた「天皇制と差別」のテーマと「農村での暮らしと貧しさ、その中から人間としての誇りや力が生み出される姿に接したことがあるか」、というきつい助言として当時は受け止めた。
 犬田 卯(いぬた しげる)さんのことをベースに、私たちに話してくれました。住井さんが「プロレタリア文学批判の一つが、農を大事にしない文学だ」、もう一つは「権威的前衛政党批判」をよく聞かされていたので。

犬田 卯(いぬた しげる):農民文学者。1891(明治24)年8月23日、茨城県稲敷郡牛久村字城中(現在牛久市)の農家の長男に生まれる。高等小学校卒業後農業に従事していたが、25歳の時上京、その後博文館に就職、1919(大正8)年に住井すゑと結婚する。やがて小説、評論を発表し始め、農民文芸研究会(のちに農民文芸会)を結成、機関誌『農民』を刊行するなどして、プロレタリア文学運動と一線を画して文学による農民解放を目指す。

『土にひそむ』、『村に闘ふ』、『農民文芸三講』などを刊行。1935(昭和10)年郷里牛久村に帰農して、長編『土』、『村の戦記』『米』などを発表。1957(昭和32)年67歳で没す。(hayashi)
3.現代労働組合と地域共生・共働・協同

 ところで、2012年に初めて会った頃の飯島さんは、NPO法人障害者の職場参加をすすめる会の理事である松田和子さんが理事長を務めるNPO法人視覚障がい者支援協会ひかりの森の関係者として仕事おこし懇談会に参加していたが、それ以前から労働者協同組合(ワーカーズコープ)とは浅からぬ縁があるということだった。そのことについて、やはりすいごごカフェの後日にたしかめたところ、以下のような答えをもらった。

  私は、1970年代から全日自労の関係書(中西五洲さんの本をはじめ)を5冊ほど編集していました。そのため協同総合研究所づくりも最初からかかわっていました。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/my-book.html

 その間、1993年から2000年までは、日本労協連理事で、「仕事の発見誌」(1994年から1999年)の編集・制作、国連の「国際高齢者年」(1997年)を迎え、高齢協ための「ドキュメンタリー・テレビ番組」づくりのために「労協連の別室にプロジェクト室」で制作・編集事務局をしていました(制作 全農映、12チャンネル報道小会社)。

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 冒頭の飯島さんのすいごごカフェ向けレジュメにある「最近、青年からの「激励」の温かいメール」については、「ある編集者のブログ」に以下のように書かれている。

ある青年からの激励のメール――ありがとうございます

先日、「現代労働組合研究会のページ」の読者の方から、温かい励ましのメールをいただいた。
 大昔、書籍編集をしていた時代、口伝えのように「1冊の本づくりで大切なことは、三人目の読者をつかむことだ」と大先輩から教えられたことがある。著者にとっての一人目の読者は「妻」(「恋人」)、二人目の読者は編集者、そして市場の中で三人目の読者をつかまないと「商品」とならない、ということだ。
  単行本企画でもっとも議論されることは「売れるか・売れる本になるか」、「読者は誰だ」という議論だった。企画したものの側からいうと「わからない」とひとこと言いたかったが、人文・社会科学書の当時の現状の中で、「なんとか」「その」などと、もぐもぐ言っていたらけられてしまう。
 とにかく三人目の読者の発見がだいじなことだし、「読者の声」は一番ありがたいことだった。
 
さて、連日ある話ではないので、以下のような激励メールは、ビジネスではないが、本当にありがたい。
 「はじめまして。私は○○の私立学校で組合の役員をしている○○○○と申します。私たちの学校も非常にブラックな職場です。2年前から組合活動を本格的に行い、現在、組合員は6倍化しました。その際に、こちらで紹介されている本のいくつかを参考にさせていただきました。本当にありがとうございます。
○○さんがやっている仕事は私にとってとても価値がある仕事です。
これからも頑張ってください。」
  さっそく「紹介した本」などについて、メールでお尋ねしたら、すぐに「父が持っていた『労働組合のロマン』(中西五洲著、1986年2月、私が編集した)」ともう1つは河西さんの、「路面電車を守った労働組合」、そして「組合がダメになっているのは職場活動の弱体化によるものだと思い」、「私鉄の内山光雄さんの本を勉強している」、という。
  「私は今、35ですが、エステ・ユニオンの青木さんは私と同じくらいの方でしょうか。こういう方がいると、励まされます」と返信が来た。
  ますます青年・女性の力で「労働組合運動のルネッサンス」をというよびかけを、「現代労働組合研究会の諸ページ」や「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページなどを一つずつ発信していかなければならないと思った。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-04f6.html
 
 飯島さんが「現代労働組合研究会のページ」で紹介している「総合サポートユニオン」を知った青年が、自分自身も動き始めた。
 「総合サポートユニオン」のホームページには、次のように書かれている。

総合サポートユニオンは、働く人の権利が守られる社会、ブラック企業によって若者が使い潰されることのない社会を目指して結成された労働組合です。
2014年に「ブラック企業対策ユニオン」として発足しましたが、より広い相談を受けるため、2015年春から「総合サポートユニオン」へ名称変更しました。
正社員・非正規雇用や、業種・職種を問わず、全国から相談を受け付けています。一人ひとりの問題を解決しつつ、ブラック企業をなくすことを目指して活動しています。これまで特に、エステ業界やブラックバイトについてはユニオンの支部を結成し、活動に取り組んできました。
働き方でお困りの方や、職場をより良くしていきたいという方、是非お気軽にお問い合わせください。

 飯島さんは、すいごごカフェで、労働組合というのは労働者の陣地をつくるもので、たんに企業内の権力闘争をやるものではないと前から考えていたという。

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そして、現在、首都圏青年ユニオン や総合サポートユニオンのように、企業の外に労働組合を作って攻めていくやり方はとても重要だと述べる。総合サポートセンターのエステユニオンは、エリアの業種の労働条件を一定にする運動に取り組み、たかのゆりと協議し、ブラック企業を変えているという。
 総合サポートユニオンには、ブラック企業ユニオン(ブラック企業支部)、介護・保育ユニオン(介護・保育支部)、
エステ・ユニオン(エステ支部)、ブラックバイトユニオン(ブラックバイト支部)、個別指導塾ユニオン(個別指導塾支部)の各支部があるという。
http://sougou-u.jp/about.html

 これらの支部名を見ていると、これらの業種には非開示や障害者枠で働いている障害者がけっこういるはずだと思う。しかし、一般に障害者の就労支援機関は、就労準備性ピラミッドに固執し、さまざまなハードルを越えられない障害者は就労準備性なしとみなすし、企業に注文付けることは避けるから、ユニオン加入など露ほども考えまい。


 だが、上記のエステ支部が、新入社員の約半数を高卒者が占めるエステサロン運営会社「TBCグループ」は、今年1月、退社から次の勤務まで9時間以上開ける「インターバル規制」を導入したところ、長時間労働になりがちとされるエステ業界だが、休暇制度の充実などにも取り組んだところ、今年の職場見学会には、昨年を3割上回る高校生が集まり、計画通り約200人を採用できる見込みになったという。(上の画像は読売新聞の該当記事)

業界のブラック体質の改善を業界の自浄作用に期待できない状況はたしかに存在する。エステユニオンが立ち上がったことによって、業界も危機を脱した。

 こうしたことは、障害者が共に働く上での環境調整としても生きるだろう。もちろん、「共に」とはこれまで分けられた来た同士が出会うのだから、かんちがいや迷いをひっくるめてのプロセスなのだが。そこでのスッタモンダを通してこそ、言葉をこえた紐帯も芽生えるだろう。


 越谷市でも、似た例がある。同市のリサイクルプラザでの缶・びん選別作業(上の写真・越谷市役所ホームページより)は障害者雇用が条件づけられた民間委託になっており、何名かの障害者が働いているが、毎年競争入札で委託業者が交代するため、その業者に雇用される障害者とその他の現場労働者は年々労働条件が切り下げられてきたが、先年ここに自治労の組合ができ、市とも交渉ができるようになり、安定してきたと聞く。



 すいごごカフェで、飯島さんは、さまざまな地域活動に関わる人たちが、世代別に、活動別に、分け隔てられていて、互いに他者に関心をもてない構造になっていることを指摘した。

 障害者の職場参加をすすめる会やわらじの会の話を労働運動をやっている人たちに話しても、何をやってるんだとピンと来ない。「障害者も街で生きてるからいいんじゃないか」と言っても、以前の私と同じでわからないと。


 越谷水辺の市のホームページを作ってひんぱんに更新しているが、水辺の市に来る人は高齢者が多く、高齢者はネットにつながらないので反応が乏しい。唯一タンクポップのことを載せると、アクセスが増える(上の写真)。

 飯島さんの思いは、とにかく交じり合って一緒に生きる社会。そのために自主的・自立的なまちづくり。また、他者との連帯(自己実現を求める方はどうぞご自由に)。


 飯島さんから映画「「人間を取り戻せ!大久保製壜闘争の記録」の上映会を世一緒でやってほしいという提案を受けている。福祉ドレイ工場と言われ、知的障害者を最底辺に、その上に身体障害者、その上に……といった差別構造を作って、リポビタンDなどの壜を製造する会社及び周辺地域へのデモに40年前、筆者もわらじの会の数名とともに参加した。越谷市職員組合のメンバーに誘われて。そのデモもこの映画に記録されている(上の写真)。

 同社は今も存在し、闘いも続いている。

 これからの取り組みにとって、重要な課題と示唆をもらった飯島さんのトークだった。

 

2024年9月17日 (火)

片平洌彦さんがお亡くなりになったようだ。

 片平洌彦さんがお亡くなりになったようだ。マイポータルのサイトが下記にある。
https://researchmap.jp/read0077980/
 私も「薬害スモンと研究者の教訓」、片平 洌彦 『賃金と社会保障』(948) p9-16, 1986-10-25などを執筆していただいた。

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 ただし気がかりなのは、私の大先輩の編集者・木檜哲夫さんと編集作業していた『薬害スモン全史 第1巻 被害実態編、第2巻 裁判篇、第3巻 運動篇、第4巻 総括篇』(スモンの会全国連絡協議会 編 1981年06月30日から1986年09月30日、労働旬報社)などは入っていないことだ。

 記憶では二度ほど、原稿をいただきに上がったことがある。

合掌
https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E7%89%87%E5%B9%B3%E6%B4%8C%E5%BD%A6&sortorder=0&page=1

2024年9月 7日 (土)

facebookで紹介した映画「新どぶ川学級」と原作の書評

 先日、映画「新どぶ川学級」を紹介した時、小松みゆきさんから、当時(1960年代末ごろ)、書いた書評が添付された。

 https://www.facebook.com/profile.php?id=100009474635039

 ご本人の了解を受けたので、下記のように、二つのページにUPした。

 ❖ある女性(すだ みゆきさん。現在名:小松みゆきさん)の書評(発行当時)と執筆意図を語る須長茂夫さん(「どぶ川学級」の原作者)。

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 「柳澤明朗のページ」(労働旬報社社長、発行当時)

http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/yanagisawa/yanagisawa-index.htm#240906dobugawa-3

 「東京争議団物語のページ」(現代労働組合研究会)

http://www.e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html#240609dobugawa-3

 amazonの検索ページには、原作から映画のDVDやパンフレットが満載になったページがある。

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%81%A9%E3%81%B6%E5%B7%9D%E5%AD%A6%E7%B4%9A&adgrpid=117031861377&hvadid=665906559729&hvdev=c&hvqmt=e&hvtargid=kwd-333956992528&hydadcr=27302_14701854&jp-ad-ap=0&tag=yahhyd-22&ref=pd_sl_534hnwciy0_e

 microsoftのサイト

https://www.bing.com/images/search?q=%e3%81%a9%e3%81%b6%e5%b7%9d%e5%ad%a6%e7%b4%9a+%e6%98%a0%e7%94%bb&id=3D29A6A86E0C5FC96B67C8822161F9CEFB5E69EA&form=IQFRBA&first=1&disoverlay=1

 

2024年8月23日 (金)

タラレバの話の一つ、『はだしのゲン』(1975年初版)発刊前に中沢啓治さんに劇画をいただきに行った。

 昨日(2024年8月22日)、<米国の権威ある漫画賞のアイズナー賞で、「はだしのゲン」で知られる漫画家の中沢啓治さんが、今年の「コミックの殿堂」を受賞した>と報じられている。

https://nordot.app/1199286667411144789?fbclid=IwY2xjawE0yxlleHRuA2FlbQIxMQABHS4lD5z1DTLGO31ZVilYcJa7Er7KjAx3re2aTpDw4CA9nzD59w9v75Wc0g_aem_B3VrzEkeA8PYiyLZjFnZGw

 こちらの恥の歴史の一端だが、書いておかなくてはならないと思ったことがある。以前、「はだしのゲン」(1975年初版)が汐文社で発刊されたのは、若い編集者が決断して発刊にこぎつけた、と紹介した。

 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02DmkKsEbRTXrgDYN3jAfNhtjysKjbB2ZUih415VJcfBJXY2A42Z6GFtGpQ1yDxokwl&id=100013342181734

 https://www.choubunsha.com/special/hadashinogen/

 なんと私は編集アシスタントとして、1970年春闘を前にして企画された『まんが安保春闘』に掲載する中沢啓治さんの劇画をいただきに上がっている。

 お伺いした場所は江東区の葛西橋のたもとの都営住宅だった。

 ある人のブログでは、「1970年春闘を前に、日本労働組合総評議会・国民文化会議が 発行した珍しいまんが本。教宣に漫画を使うというのは、なかなか斬新な発想ですね。

 表紙は手塚治虫さん本人の絵では ないが、「表紙:手塚プロ/デザイン:天造直子」 というクレジットがあります。 労働旬報社の発行で、B5判、表紙とも84ページ、定価は100円でした」と書かれている。。

http://odasan.s48.xrea.com/museum/ampo.html

 汐文社の若き編集者は、『はだしのゲン』(1975年初版) の単行本企画をしているのに、なんとこちらに発想がない未発達編集者だった。

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 別の人のブログでは「まんが安保春闘(労働旬報社)、前号の旭丘光志先生に続いて今回のヘッドライナーは中沢啓治先生。鉄工所で働く木村はスト破りを行い、同僚に「裏切り者」と責められるが。 同年少年ジャンプに掲載された『ある日突然に』やこれらの作品を経て、『はだしのゲン』の連載開始へと続いていく」と書かれている。

https://twicomi.com/manga/manga_gorilla/1127465819456196609

 『まんが安保春闘』はその直前に発刊された『まんが安保』(労働旬報社、1969年。表紙:井上洋介、裏表紙:梅田英俊、水木しげる、石森章太郎、藤子不二雄、井上智、赤塚不二夫、森吉正照、やなせたかし、しとうきねお、グループ・マッド、劇画「炎の中で見た!」・旭丘光志と旭丘プロダクション)が初版10万部という部数で発売に成功している。

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 この2冊の企画者は日高六郎さんで、総評(日本労働組織総評議会)・国民文化会議編だった。労働旬報社側の編集責任者は、石井次雄さん(後に1990年代の旬報社社長)だった。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AB%98%E5%85%AD%E9%83%8E

 国民文化会議資料インデックスが法政大学大原社会問題研究所の所蔵されているので、研究される方はどうぞ。

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/archives/darc/bunkakaigi/

 

2024年7月16日 (火)

地元(越谷市ほか)の出会いと総評・全国金属などの地道な活動・歴史に接近(facebookでの交流)。

山下 浩志
2018年12月24日 ·
 インターネット事業団の飯島さんからメールをいただいた。飯島さんの「ある編集者のブログ」でNPO法人障害者の職場参加をすすめる会のHPと併せてわらじの会のHPも紹介してくれている。
 飯島さんは元々「労働旬報」の編集者を長年務めた後、退職後越谷に居を定め、視覚障害者の活動団体「ひかりの森」に関わったりしていたが、ワーカーズコープ等が中心になって2012年秋に埼玉で開催された全国協同集会を機に越谷で協同まつりinこしがやを開くことになり、そこで私たちとも出会った。
 飯島さんのインターネット事業団は、編集者として長年の縁がある労働運動研究者の方々のHPを作成・管理しているが、そのほかにも飯島さんの出会った協同組合、市民活動等、地域のさまざまな活動を紹介している。
 時々会って断片的に話を聞いた限りでは、「業種別職種別ユニオン運動」に注目し、HPでその情報を紹介するとともに、その運動内部からの系統的な発信ができるよう呼びかけたりしているようだ。「業種別職種別ユニオン運動」は、個別企業ないし企業グループごとに分かれた企業内労働組合ではなく、地域に足場を置いた個人加盟制の労働組合であり、地域の暮らしや個人事業の協同、業界・職種のありかたの問い直しといった課題を併せて労働を考えて行く活動のようで、広い意味では福祉と雇用の枠をこえて共に働くことを考える「職場参加」と根っこでつながる気がする。
 以下、飯島さんのメールより。
今日、 facebook でも書きましたが、私の「ある編集者のブログ」でも紹介しました。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/
▽「NPO障害者の職場参加をすすめる会のHP」の《サイトマップ》の紹介
越谷・春日部エリアを中心に活動しているNPO。そのHPのサイトマップをfacebookで以下のように案内したが、その母体になっているのが「わらじの会」。説明するには、こちらが不案内なので、以下にリンクを付ける。
わらじの会のホームページ
 ◆インターネット事業団の仕事のご案内・その10
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/
 ▽「NPO障害者の職場参加をすすめる会のHP」の《サイトマップ》のご案内
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/index.html
 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/  ある編集者のブログ

山下 浩志
2017年10月1日 ·
いつも職場参加をすすめる会や越谷水辺の市HPでお世話になっているインターネット事業団の飯島さんから、以下のような提案があった。
「飯島信吾 :この映画のDVDがあるようですが、「世一緒」で観る会を開いてくれませんか。
DVD『人間を取り戻せ!―大久保製壜闘争の記録―』
 http://soc.meijigakuin.ac.jp/gakunai_gakkai/2017/05/27.html」
そして、私のブログの以下の個所を引用してあった。
「この写真はもう35年も前の『福祉ドレイ工場』といわれた大久保製壜闘争。リポビタンDのビンなどを生産する中堅企業だが過酷な労働を職場内の差別構造をたくみに用いて維持していた。身体障害者は健常者と明確な賃金差別が付けられ、組合にも入れず、深夜労働に従事する健常者たちが眠気をごまかすために身体障害者に首輪を付けて犬の真似をさせたりしたという。さらに経営者の大久保一族は知的障害者の施設を運営しており、そこから仕事ができる知的障害者を雇入れ差別構造の末端に組み込んでいた。そのように職場内で明確に分けられた世界を突き抜け、障害者たちが自らの組合を結成し立ち上がったことに対して、会社側がさまざまな解体攻撃と弾圧を加えたことから闘いが激化した。」
 写真はyoutubeにあった上記映画のワンシーン。車椅子の男性はわらじの会のメンバー、押しているのは当時の越谷市職員組合の中心メンバーだ。また、わらじの会自立に向かってはばたく家初代代表Oさんといまも会の会計を務めてくれている隣家のHさんの姿もあった。
 飯島さんのいう映画は、約40年前の差別をひっくるめて共に生き、ともに働いていた当時の状況を描いている。you tubeにあり、見てみたら、わらじの会草創期の障害者、先年定年退職した市職員、地域在住の介助者等も障害者たちと一緒にデモの群れの中にいた。


Shingo Iijima
2023年7月16日 ·
私見・異見としての「総評・全国金属」の労働組合運動。
以下の文献をお読みください。戦後日本において、民間企業において「組合活動家」といわれた方たちの数は、最大だったのではないか。1970年代半ばの「国民春闘高揚」を中小企業労働組合運動の側から率先してすすめ、ストライキ闘争をもって産業別・地域統一闘争を牽引した。
●全国金属における闘いの歴史
総評・全国金属はなぜ変わっていったのか――青木慧著『ニッポン偽装労連』(1989年、青木書店)(PDF版)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm...
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/180530zenkin3.pdf
「職場レベルの諸問題の処理方式(承前)――全国金属における関連政策の分析」(嶺 学 『社会労働研究』、法政大学社会学部、22(3・4), p63-125, 1976年03月)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../190805minegaku-zenkinron.pdf
少数派組合の団結根拠 : 全国金属大興電機矢板支部の事例、嶺 学、『社会労働研究』、法政大学社会学部学会、1981年03月20日
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/19810.20mine-2.pdf
書評:柳田勘次著『闘えなくなった企業別組合』(早川征一郎、『大原社会問題研究所雑誌』2009年1月号、No.603)
https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/.../oz/contents/603-07.pdf
労働争議と単産の役割――清水明、第38回東京労働争議研究会
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../140707simizuakira...
金属機械反合闘争の到達点と発展方向、石川武男、全日本金属情報機器労働組合(IMJU)副委員長、労働法律旬報、NO.1289、1992年6月10日
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../140707kinzokuhangou...
産業別個人加盟労組運動の経験――全金品川支部地域支部の事例、長谷川義和、大原社会問題研究所雑誌 / 法政大学大原社会問題研究所 編、NO.348、1987年11月
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../14070kojinkamei_hasegawa.pdf
『追悼・岡安政和』(PDF版 「追悼・岡安政和」編集委員会、1982年6月) (一部訂正:2014.07.02)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/130203okayasu.pdf
金属労働戦線におけるインフォーマル組織――[原題:「ねらわれた組合」からの脱出――インフォーマル組織とたたかう、大木兼次郎・金属機械反合インフォーマル対策委員会、賃金と社会保障 879号 1983-12-10   (PDF)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../131117informal_kinzoku.pdf
全国金属―JMIUの産業別統一闘争 ―「日本型産業別組合の可能性」について―、小林宏康[1]  (PDF版)
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/140706zenkin.pdf
非正規・未組織労働者の組織化と産業別組合の強化――すべての労働者のための労働組合へ―、労働総研クォータリーNo.76・77、小林 宏康[2 ](PDF版)
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/140706misosiki.pdf
:労働組合運動の再生・強化と日本型産業別組合の可能性 小林宏康[3]、特集●労働運動の再生と産業別組織の課題、「労働総研クォータリー」、2015年夏号(2015年7月発行)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/160730nihongata.pdf
『全国金属三十年史』(全国金属史編纂員会、労働旬報社、早川征一郎、小越洋之助、山田敬男、相田利雄、高橋祐吉、古関彰一、川島美穂、佐竹五三九他、1977年)
平沢栄一さんの自伝『争議屋』(1982年、論創社)、全金の総同盟時代に参加し、高野実派(総評事務局長)に加わり、その後各地の争議対策を指導した、平沢栄一さんの自伝『争議屋』(1982年、論創社)を読んだ(平沢栄一『争議屋:戦後労働運動の原点』2009年、論創社が新刊のようだ)。
 「使用者概念拡大闘争」「法人格否認の法理」など思いだすことが多いたたかいだった。その法理を推進しし現場でたたかっていた弁護士の先達(亡き東条守一弁護士、山本博弁護士など)の名前に憶えがある。私が出版社時代の大先輩の「K代表」の友人たちである。すごいメンバーが横にいたことが分かる。
 この法理は、4割になろうとしている「非正規労働者」の権利擁護に生かされているのだと思う。
http://www.jca.apc.org/.../labor.../monogatari/hirasawa.html
『社会のしくみと労働組合(増補改訂版)』――金属労働者の教科書、 全国金属労働組合、1971 年9 月25 日第1 刷発行、1976 年2 月10 日増補改訂版第1 刷発行
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../140707zenkin_kyoukasyo.pdf
『企業の塀をこえて 港合同の地域闘争』(大和田幸治・港合同田中機械支部長執行委員長、アール企画、2001年12月20日)
『中小企業労働運動に生きて――個人加盟労組と協同と』を思い出して
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm...
「加入に際しての決意と問題意識」(永瀬博忠、『協同の発見』、1993年9月、No.18、東埼中小労組書記長、城北地域労協事務局長)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/199303nagase-1.pdf
「地域労組運動の理論と実践の人・永瀬さんの死を悼む――地域労組からの労働者協同組合の探求」(木下武男、『協同の発見』、1995年10月、No.43)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/190105nagase-2-1-1.pdf
「城北地域労組協の運動と永瀬博忠さん」(外谷富二男、1995年10月、No.43)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/190105nagase-2-1-2.pdf
永瀬 博忠「二つの山を越えて 大腸・肝臓ガン克服記」(東埼中小労組、城北地域労組「豊島25・板橋30周年合同記念式典報告」(1991年11月)
個人加盟産業別地域労組運動の意義」(永瀬 博忠、『賃金と社会保障』、1982-10-25、852号)
 「中小企業の"谷間"からの提案――84年春闘読本 ; 現場から立て直しを考える」(永瀬 博忠『賃金と社会保障』、1983-12-10、879号) 
▽全国金属労働組合 百科事典マイペディア
https://kotobank.jp/.../%E5%85%A8%E5%9B%BD%E9%87%91%E5%B1...
略称は全国金属または全金。機械金属関係の産業別単一組合。1950年総同盟傘下の全国金属産業労働組合同盟(全金同盟,1946年結成)の左派が分裂して結成。1955年最初の産業別統一闘争に参加。1958年産別会議系の全日本金属労働組合を吸収した。1989年全国機械金属労働組合と組織統一をし,全国金属機械労働組合(金属機械)を結成。さらに1999年金属機械はゼンキン連合と組織統一してJAM(2005年組合員40万人,IMF-JCに加盟)となった。連合に加盟。
▽全国金属労働組合:出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
全国金属労働組合(ぜんこくきんぞくろうどうくみあい)は、1950年に結成された機械・金属産業の産業別単一組合。略称は全国金属、全金。1989年に全国機械金属労働組合(全機金)、全国産業別労働組合連合京滋地方連合会(新産別京滋地連)と統合して全国金属機械労働組合(金属機械)を結成した。1999年にゼンキン連合と統合してJAMを結成した。
https://enpedia.rxy.jp/.../%E5%85%A8%E5%9B%BD%E9%87%91%E5...
▼大企業・総評型労働組合はどうなったのか 現代労働組合研究会 飯島信吾編
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/.../170816daikigyou-zenbun.pdf

要 宏輝この「全金30年史」はよくできていると思います。私は職場経験もなく、卒業と同時に全金大阪の書記局に入局、そして「全国書記局会議」(この恒例の会議が一番実があった)に初めて参加しました。人民服を着た高野実さんにも初めてお会いしましたが、当時の佐竹五三九委員長は見るからに紳士然とした風情の方でしたが、挨拶になるや一変、「コカ・コーラを呑むのはアメリカ帝国主義の手先!」とブチあげ、大変驚かされました。彼はベレー帽をかぶり、ネクタイに背広姿で、田中機械の分裂争議現場にも現れ、激励挨拶をぶっていました。その印象はいかにも不釣り合いでした(が、彼は意図してそうしていたと思う)。彼は戦前から何回か投獄され、うち二回拷問を受けた叩き上げの闘士。言うことは的を得ていた。「ソビエトは?」と息子に問われ、「官僚的、資本主義よりタチが悪い」と答えている(1978、追悼集「佐竹五三九―その人と活動」)。「会社はつぶれてもだな、全金の組合員はなくならないよ・・・」など、数々の金言を残している。「戦前、戦後を通じて労働運動の面では左派であり、反旧総同盟的であったが・・・彼は断固たる左派であり、他方は確固たる右派である・・・名うてのストライキマンであった。」(前掲書p275、元総同盟組織部長渡辺千之助)。青木さんの「日産共栄圏の危機」は読んでいますが、「ニッポン偽装労連」は改めて読ませていただきます。ありがとう。

Shingo Iijima
「あとがき」を公開したのは、早川征一郎さんから経過を聞いていたので。1970年代半ばなどを読み返してみると、凄まじい闘いをしていますね。「春闘総括」座談会に出てきた佐竹五三九さんは、戦前からのモダンな闘士風の姿でした。

吉村宗夫
私が就職した72年から75年まで、埼玉全国金属労働組合は組合運動の羅針盤であり、先生でした。

要 宏輝
「ニッポン偽装労連」は読ませていただきました。ついでながら、懐かしい、永瀬博忠さんに関わる文献を初めて目にし、じっくりと読ませてもらいました。彼は大学で1年間ほど重なりがありましたが、全金東京の板橋地域支部で活躍していることは知っていましたが、不思議と運動の中で出会ったことはありません。がんとの闘いの中で亡くなられていたのですね。しかし彼の航跡は光っていますね。・・・それにしても飯島さんの蒐集と編集力は桁はずれですね。ちょっとした労働図書館ですね。敬服します。

Shingo Iijima
要宏輝さんのページ:「関生型運動」考察と「労働運動要論」もそのつづきです。
http://e-union.sakura.ne.jp/kaname/index.html
◇――主な目次
 1 「刑事弾圧との闘い」
 2 協同組合論――協同組合実践と「関生型運動」 
 3 現代企業別労働組合批判と関生型労働運動
 4 連帯の金字塔、長澤運輸、ハマキョウレックスの労契法20条裁判闘争の社会的インパクト
「要宏輝の関生型運動論」のページ


要 宏輝
ありがとうございます。私の論稿も「iijima文庫」の一隅においていただいて光栄です。「文庫」を目にする時、いろんな人々との出会いを体験するようで時のたつのも忘れます。本当に飯島さんは「いい仕事」をされてますね。これからも頑張ってください。

早川 行雄
16時間 ·

https://x.com/magosaki_ukeru/status/1812780248645181811
「今、芳野友子氏位、軽蔑されている(或いは馬鹿かと思われている)女性はいないのでないか。蓮舫氏のX閲覧が698万、LIKEが2.4万、コメント2204.」
孫崎さんの仰る通りなんですが、その大バカ者をいつまでも会長にしておく連合って何なのさって話です。わたしは老婆心ながら2年以上前から早く辞めさせろと言い続けているんですが。
芳野友子新体制で危機に立つ連合
http://gendainoriron.jp/vol.30/feature/hayakawa.php
迷走する連合は出直し的再生をめざせ
http://gendainoriron.jp/vol.31/feature/hayakawa.php
芳野会長が映し出す連合運動の荒野
http://gendainoriron.jp/vol.32/feature/hayakawa.php
新自由主義的な人への投資から、労働の尊厳回復への転換が急務
http://gendainoriron.jp/vol.33/feature/hayakawa.php
連合芳野会長の春季生活闘争
http://gr-test.gendainoriron.jp/.../feature/hayakawa.php
病める連合への“最後”の提言
http://gendainoriron.jp/vol.36/feature/hayakawa.php

元同盟、旧JC系の中で育てられた「インフォーマル組織」のメンバーがフォーマル組織・連合のTOPになっている、この歴史上の人物が芳野友子会長。横断的な企業戦略で富士政治大学などと提携して、育てられた人材。いま、労働者間を分断する役割を果たしているということが問題のテーマ。

2024年6月 3日 (月)

「ワーカーズコープ・センター事業団の35年」(各論編)を読む。

『共につくりあげてきた 協同労働の世界』

 よい仕事・全組合員経営を掲げて
   労働者協同組合法時代を切り拓いた
  ワーカーズコープ・センター事業団の35年:各論編(2024年3月25日)

  240603center1

   現在、40年前からの編集者の仕事として残った、「永戸祐三自伝」刊行を目指して、聞き取り取材をするためにワーカーズ本部に日参(名詞 編集 · 毎日寺社に参詣し、神仏を参拝ずること。ある目的を達成するため一定の場所に毎日行くこと)している。
 カッコ内の意味に近い心情なのかもしれない(毎日は行ってません)。
 労働組合運動内に企業・資本陣営によって産み落とされた「インフォーマル組織を克服できなかった」と思った1980年代。この「反社会党・反共産党を謳い」、 「自己実現論を基礎とし、企業社会の主人公づくりに」対抗していくために、民主的改革路線を主張した中西五洲さん(当時、建設一般全日自労委員長)に共鳴して、『労働組合のロマン――苦悩する労働組合運動からのレポート』(中西五洲著、労働旬報社、1986年2月)を刊行した。
 続いて民主主義的地域社会づくりを担う、新しい地域協同組合を再興するために「労働者協同組合について編集」し、チャレンジした。
  http://www.e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html#210209tinginto

 その後、21世紀になっても実現しないであろうと思っていた労働者協同組合法が誕生した。

 その実現を勝ち取った原動力は、以前紹介した◆『みんなで歩んだよい仕事・協同労働への道、そしてその先へ ワーカーズコープ三五年の軌跡――日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会、2023年6月15日 A4判 286p)の出版物の世界があったからだと思う。
  http://www.e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html#210818workers-nagato

 次に紹介したいのは、畏友の松澤常夫さん(前日本労協新聞編集長)が中心になって編集した以下の出版物だ。
 長文になるが、まず「あとがき」も読んでほしい。
  『共につくりあげてきた 協同労働の世界』
    よい仕事・全組合員経営を掲げて
   労働者協同組合法時代を切り拓いた
 「ワーカーズコープ・センター事業団の35年:各論編」(2024年3月25日)

 あとがき

 「労働者協同組合法時代を切り拓いたワーカーズコープ・センター事業団の35年」(35年史本編)を、23年6月に刊行した。労働者協同組合法(20年12月成立)がなぜ実現したのか、運動の原動力は何であったかと、田中羊子理事長が歴史を振り返った書で、全組合員に配布した。本書は「35年史各論編」である。
 「本編」で田中理事長は、「本書に記した歴史は、私自身の体験や実感によるところが大きく、限定的だ。仲間の実践を踏まえた『各論編』をチームを作ってまとめている」と述べたが、発刊は23年度末になってしまった。とくに、早く原稿を寄せていただいた方々、座談会に出席していただいた皆さんには、感謝するとともに、大幅な遅れをおわびしたい。              
 ただ、遅れたのは、調べれば調べるほど、あまりにも豊かで教訓に満ちた仲間たちの実践の数々を知り、それをできる限り紹介したいと願ったからでもあった。
 仕事を増やし、自分たちの「貸金」を上げ、委託の仕事を切られても、仕事おこしの歩みを続ける埼玉北部や東京東部第一。病院清掃中、患者さんから「売店はどこ」と聞かれ、「ないなら自分たちで」と、売店や移動売店を始めた東京健生病院、戸塚病院、宮崎生協病院現場などの仲間たち。さまざまな障害がある人、アルコール依存症、路上生活の人たちなども含めて、「共にはたらく」実践は枚挙にいとまがない。「所長になって初めて原価率が300%だと知った」(亘理事業所)、「累積赤字4000万を知らず、『経営改革モデル事業所』に指定されたと聞いて、『良いモデルと思った』仲間もいた」(宇都宮事業所)状態からの「経営を自分ごとにする」改革。生活介護などの事業休止を利用者に伝えるときの苦悩と、「自分たちも要望するばかりだった。もっと関わらなければいけなかった」という利用者の声(大隅ゆらおう事業所)など、事業・経営の主人公・主体者となり、協同労働を追求するが故の感動と苦闘の物語。まさに、「宝物」だ。
 私たちは「労働者が経営も担う」と主張してきたが、それでは法律がつくれず、「経営」を「意見反映」に変えることで法成立に道が開かれた。しかし、誰かに自分たちの意見を反映した運営をしてもらうのではなく、そこで働く自分たち自身が「経営」し、連帯を広げるからこそ切り拓き、創造してきた世界がここにある。
 本書では、個々の取り組みと組織全体の運動との関連がわかるようにと、労協新聞(当初は「じぎょうだん新聞」)の記事も多く紹介するようにした。
 労働者協同組合運動の歴史をまとめた本はこれまでにも何冊かある。2017年、運動を長く率いてきた永戸祐三さんの労協連理事長退任を機に、労協連が発行した、「みんなで歩んだよい仕事 協同労働への道 そしてその先へ-ワーカーズコープ三五年の軌跡」は、永戸さんの「ワーカーズコープの体験的歴史と思想」を軸とし、分野・課題別に「運動の歴史」と「政策提言集」などをまとめた。同年、センター事業団は「自ら花ひらいて」という「30年史」を発刊した。ここでは、年ごとの主な出来事について、当事者が振り返った。22年刊行の岩波ブックレット「<必要>から始める仕事おこし協同労働の可能性」(労協連編)では、コンパクトに歴史と仲間の実践を紹介した。

 「本編」「各論編」とともに、上記の本もぜひ多くの方々に読んでい共にただければと思う。

                  編纂委員 松沢常夫(労協新聞前編集長)

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