大企業・総評型労働組合はどうなったのか

2019年7月10日 (水)

《「はたらく」(1979年~1987年)、――「指名解雇された沖電気の仲間を支援する会 ニュース」》をUPした。

 「沖電気争議の記録」のページ

http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/190708hataraku.html

 

 現在は、SNS全盛期で労働弁護士や労働組合活動家の呼びかけで、facebooktwitterの活用の学習会が行われているが、戦後、私が知っている1970年代からでも「機関紙活動」が労働組合運動のなかで重視されていた。

 その代表的なものにニコヨンさん・日雇い労働者を対象に、有料制で現場で読み合わせをする「じかたび」(全日自労機関紙)が有名だった(「じかたび 1500号さらに輝け」全日自労・じかたびの研究――松澤常夫のページ参照)。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/jikatabi.html

 

 この機関紙活動と匹敵する新聞として、「71名の若き労働者(平均年齢30歳)が沖電気における指名解雇攻撃撤回闘争を闘った争議」で毎月1回定期発行した《「はたらく」――縮刷版・準備号~第97号、(1979年~1987)、――「指名解雇された沖電気の仲間を支援する会 ニュース」》は、歴史に残る発行物だった。

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 同書前書きで、日本機関紙協会東京都本部理事長矢野政昭・事務局長大淵俊之両名の《「はたらく」“不滅”です》には、以下のようにその意義が書かれている。

 

 この「はたらく」で評価できることは次のような点にあります。

 ① 月一回の定期発行をきちんと守って、全国の読者に届けたことです。

 ②タブロイド四ページ建の紙面は、ともすれば“闘争ニュース”だけになりがちなところをグッとこらえて、記事の内容をかなり幅広くとりあげたことです。

ベトナム戦争のこと、三宅島闘争のこと、原発問題、国家秘密法――など“総合的” な企画で、しかも“足” をつかって記事を書いて仲間に訴えかけたことです。つまり沖電気の闘争は、全国的な政治、社会問題と深くかかわっていることが“事実” を通して報道されつづけたものです。

 ③クイズをのせたり、子どもの成長を中心に家族を登場させたり、マンガで綴ったり――と、だれにでも分り、理解され、支援を拡げる“大衆性”もこの「はたらく」はスペースをさいていることです。

 ④「はたらく」を中心としながら、ポスター、ビラ、リーフ、パンフなど、そのつど作成された沖電気闘争の宣伝物は、どれ一つみても洗練されたデザインや技術で、最高水準のものばかりであったと思います。機関紙と宣伝技術がいかに大切かも教えています。

 

 1970年代末から1980年代半ばの沖電気争議は、全国を震撼させた「指名解雇」だったが、ニュース「はたらく」は、今読み返してみると、「闘う人間の宝庫」だ(全国各地に訴えた若き行商マン、争議中であっても結婚して子育てした女性・青年のがんばり、会社から排除された青年たちの人間的つながり、それぞれの個性が絡み合った力の発揮、親子で闘った子どもの力、沖電気争議を各職場で支えた人間集団、沖企業内で“いじめ”と闘った人たち、東京争議団をはじめ他企業の労働者との行動、電機産業における電機総行動づくりを担った人たち、福島原発推進を反対した人、平和を願って外国まで訴えに行った人などなど、まだまだ書ききれない)。

 私個人としては、今回、連続的に「沖電気争議の記録」をWEB上にUPできたことは、「現代労働組合研究会のページ」を作り続けてきた、“こころのとげ”の一つを解決できたので、感謝したい。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/union-top.html

 

2019年6月10日 (月)

「沖電気争議の記録(1978.11/21~1987.3/31)」のページをUP。

  「沖電気争議の記録」のページ

      http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html

 

 連合ができる前の時代、三池炭鉱争議以来の「指名解雇」が、沖電気工業の職場に襲い掛かった。

 「沖電気は 指名解雇を撤回せよ!」と闘いに立ち上がった70人を超える労働者は、当時20代から30代を中心にした青年・女性たちで、リーダー層も、「団塊の世代」より少し上の世代だった。

 なんとか「たたかいの記録」として編集したいと企画し、会社経営陣と交渉した記憶がある。

 当時は、今崎暁巳さん(ドキュメント作家)が「油に乗り切っていたので」、社の合意を得て、出版したものが『なにをみつめて翔ぶのか 沖電気・指名解雇をこえて』(著者・今崎暁巳、発行者・柳沢明朗、発行所・労働旬報社、1980328 日初版第1刷発行)だ。

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 争議終結当時(1980年代半ば)の社は、すでに「子育て・教育出版」「大型本出版」時代に入っていて、編集子も「売れる労働関係出版企画づくり」があまりできず、「現代社会シリーズ」・「女性向け企画担当」となっていたので、なかなか難しかったが、営業部長さんから「沖電気争議が終わったので企画しろ!」、と厳命されて編集・出版したのが、『ドキュメント沖電気争議 企業社会の扉をひらけ』(著者 中山森夫・矢吹紀人、発行所 労働旬報社、19871215日 発行)だ。 

 

  現代ルポルタージュ研究会で再会した、松謙さん、相原さんと相談できたので、以下のように当時出版された「パンフレット」「単行本」「写真集」その他をPDFで読めるようにした。

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d823.html

 

 WEB上には、「沖電気争議」で検索すると、まったく少ない情報しかない。なんとか一石を投じたい、次の世代に「伝えておきたいこの闘い」という編集コンセプトですすめた。

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  編集子は、1980年代末から1990年代の難しい時代の「労働組合運動の行方」について、少し心に引っかかるものをもっていたが、今回の編集・制作作業をすすめることですこし氷解した気分になっている。
 次の世代へ、「闘い、それが生きる希望を切り拓く」というメッセージとして発信したい。

 

 沖電気の職場を明るくする会

 http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html

 

◆まえがき(松本謙司)

◆PART《Ⅰ》指名解雇を許さない闘いへ――『無情 沖電気は 指名解雇を撤回せよ! 闘いの記録 争議団結成に至るまで』(沖電気の不当解雇を撤回させる会、197925日 第2刷)を発刊し、闘いに立ち上がりました。

闘いの全国化のなかで、『なにをみつめて翔ぶのか 沖電気・指名解雇をこえて』(著者・今崎暁巳、発行者・柳沢明朗、発行所・労働旬報社、1980328 日初版第1刷発行)が出版され、電機産業を中心に全国各地の市民・労働者に広がりました。

もうけるための指名解雇、職場の専制支配をねらう! 『陽はまた上(のぼ)る 沖電気は指名解雇を撤回せよ』(19831010日初版発行)

 

「ほうり出されて なるもんか――働く全ての仲間に贈る、たたかいと連帯のうたごえ」(レコード版、企画制作・東部合唱団  中島修一 作品、1979212日発行)(未UP)

「ビデオ りんごの樹は育つ」(沖電気争議支援中央共闘会議・日本電波ニュース社

沖電気争議団、198511月製作)(未UP)

「こぶしくん 漫画集」(八嶋崇好・沖電気争議団〉、発行・沖電気争議団、1994年。沖電気は指名解雇を撤回せよ! と書き続けた「八島漫画集」。http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/190622yasima-manga.html

◆PART《Ⅱ》 指名解雇の沖電気で職場からたたかいへ

『嵐に抗して』(指名解雇裁判を傍聴して仕事差別された浅利・中山さんを守る会

発行 19811121日)

『この手のぬくもりを』(発行 指名解雇された仲間と浅利・中山さんを支援する沖電気の会発行 198521日)

 

◆PART《Ⅲ》 指名解雇を撤回させ 沖電機争議勝利!

『ドキュメント 赤いゼッケン 勝利報告号』(沖電気指名解雇撤回闘争 3033日 1978.11/211987.3/31,1987331日 発行・沖電気争議支援中央共闘会議・沖電機争議団)

『たたかってよかった』(藤田庄市・森住卓写真集、編集 中村悟郎、装本 粉川道博、

発行所・日本電波ニュース社、1987820日)

『ドキュメント沖電気争議 企業社会の扉をひらけ』(著者 中山森夫・矢吹紀人、発行所 労働旬報社、19871215日 発行)

『陽はまた昇る 沖電気指名解雇撤回闘争の記録』(編者 沖電気争議支援中央共闘会議、発行者 生活ジャーナル、1992125日発行)

 

2019年3月23日 (土)

高卒青年労働者が担った「高度成長期」の「職場の主人公づくり」――日立労働者群

 以下の文章は、「現代労働組合研究会のページ」《13/11/25+12/02》に書いたものだが、《沖電気・浅利さんのたたかいへの「柳(やな)さん」のコメント》(2019年2月26日 (火))で紹介した続きで読んでほしい。


 3冊目は、『明日へのうた――語りつぐ日立争議』(戸塚章介、大月書店、200112月)

 著者の戸塚さん(1937年生まれ、元毎日新聞労組・新聞労連出身、元東京都労働委員会労働者委員)は、現在でもブログ「明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ。」で健筆を振るっている。

 http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765

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 本書の日立争議の主人公たちは「残業拒否解雇事件の田中秀幸。中研賃金昇格差別事件の一二人。男女差別事件の五人。東京賃金昇格差別事件の四人。愛知賃金昇格差別事件の三人。茨城賃金昇格差別事件の一七人。提訴外で共同要求団に加わった三二人。茨城関連会社賃金昇格差別事件の四人。関連会社の提訴外者五人。合計八一人(男女差別事件の五人中二人は中研事件と重複)」だ。

 前出の浅利正さんも『民主文学』(19927月号)で「日立・田中裁判のあとさき」(同書所収)を描いている。


 日立争議団の皆さんがどのような人たちなのか、本書では、本文中にカッコ内に出身学校を明記している。第1章「青春」、第2章「活動」から順に拾ってみた。

 「中川進悟(都立北豊島工業高校卒)、塩沢正夫(都立中野工業高校卒)、日立工業専門学校、大川武宏(国分寺市立中学卒)、技能者養成所、日立武蔵女子高等学園、佐竹光生(愛知県立岡崎工業高校機械赤卒業)、永井孝二(中卒、日立工業専修学校)、赤川博(北海道立穂別高等学校卒)、渡部則男(北海道立下川高校普通科卒)、馬場豊彦(福島県立平工業高校卒)、宮尾則伸(都立本所工業高校卒)、中村治郎(福島県立川俣高校機械科卒)、斉藤久男(埼玉県立秩父農工高校卒)、植木日出男(兵庫県立龍野実業高校電気科卒)、大内健次(茨城県立大子第一高等学校卒)、堀啓一(山形県立酒田工業高校卒)、堀口暁子(都立武蔵高校卒)、酒井清志(長野県立長野工業高校卒)、高野勝義(埼玉県立熊谷工業高校卒)、鈴木正彦(中卒、日立工業専修学校)、真坂秀男(秋田県立矢島高等学校卒)、飯田武(日専校卒)、青田正芳(福島県立相馬高等学校卒)、井川昭雄(長崎県立長崎工業高校卒)」と。


 日本の大企業は、高度成長期に全国の農村部(都市郊外エリアも含めて)から優秀な子弟を北から南から集めて、資本蓄積(会社規模の巨大化、グローバル産業としての対外進出の原資)と大量生産・大量消費の担い手を培ってきた。

 その企業社会の変化・発展がひきおこす矛盾を一身に受けた世代が、上記に書かれた労働者階級の面々なのだ。だから戦後2回目の資本の苛烈なる攻撃を受けた、当事者だった。

 最後のインフォーマル組織による組合活動家差別事件で、現在もたたかっている明治乳業労働者の姿と、まったく共通するものだ。


 「インフォーマル組織の過去・未来」のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm

 明治乳業争議団員リポート記


 また「日本の農村に貧困化がなくなった」と書かれた岩波新書『戦後史』(中村政則著、20057月)が描いた時代の前の出身者なのだ。

 その後の「受験社会・競争社会の主人公」として人生を出発し、大学生17パーセントの「団塊の世代」の「高度消費社会」を受容し、企業社会への埋没する人生観とは、根本が違っていた。

  文部科学省 進学率/年度大学生数推移

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 本書では、このように語られている。

 「日立争議団の多くは、一九四〇年から四五年、昭和でいうと一五年から二〇年の間に生まれている。一九四五年は日本がポツダム宣言を受諾し、連合軍側に無条件降伏した年である。これで第二次世界大戦は終息した。戦争が終わった後の数年間に生まれた世代は、成長して「団塊の世代」と呼ばれるようになったが、日立争議団はそれよりさらに若干さかのぼった世代である。

 日立争議団の多くは戦争の末期に誕生し、幼年期を戦後の混乱とひもじさの中で過ごした。戦争は彼らの両親のような庶民の家庭生活を圧迫し破壊すると同時に、民主主義と個人尊重の思想を根こそぎ否定した。生活の破壊と民主主義の否定は戦争という同じ根っこから発生している。争議団員たちは幼年期に戦時体験をした最後の世代として、民主主義と個人尊重恩想の大切さを幼い頭に刻みつけて育った。

 そして彼らは教育基本法に基づいた新しい教育制度の下で小学校に入学する。四七年三月に公布された教育基本法は、前文・第一条で教育の目標を「民主的・平和的人間像」においた。さらに、教育の機会均等(第三条)、教育行政における不当な支配の排除(第一○条)を明記した。これは主権在民をうたった新憲法の精神であり、民主主義の徹底と個人の尊重を何よりも大切にしたものであった。後に日立争議団を形成することになる彼ら少年少女たちは戦後民主教育の躍動期の中で学び、「民主主義と平和」「個人の尊重」の思想を心に根づかせて学校を卒業した」


 社会運動史・労働組合運動史の側面から、また会社(資本)の側の苛烈なる攻撃対象になっていった背景を、次のように語っている。

 「六〇年安保闘争は、日本の大企業にとつても彼らなりに学ばされることが多かった。戦後急激に昂揚した労働運動は、二・一ゼネストの挫折、松川・三鷹などの謀略事件、レッドパージ、大型争議の鎮圧などであらかた沈静化した。労働運動の指導組織も「産別(会議―編集子)」が崩壊し、五〇年の総評誕生に見られるように反共的労使協調型労働組合が主導権を掘った。経営者たちはほっと一息ついていた。

 そこへ降って湧いたような六〇年安保闘争だ。息の根を止めたと思った労働運動が政治闘争化して復活した。なかでも経営者たちを震え上がらせたのが、大企業で働く青年労働者たちの台頭だった。青年労働者は高度経済成長を支える大量生産・大量消費の担い手だ。彼らが労働組合に理想を求め運動を活発化させるのは大企業の経営者にとって死活問題に思えた。

 大企業の経営者は青年労働者を労働運動に駆り立てている元凶は、日本共産党とその青年組織の民主青年同盟 (民青)だと決めつけた。共産党・民青の影響力を労働組合や職場活動から排除することが労使関係の安定、ひいては企業の繁栄につながると考えた。この大企業経営者の不安に悪乗りして、共産党・民青を今にも会社をつぶし暴力革命を企てる赤鬼集団のように描き出す反共グループや労務屋が横行した。どこの会社でも競って彼らが主催する反共講座等に人を送った。そしてますます共産党・民青に対する恐怖心と敵愾心を植えつけられて帰ってきた。それは実態がデフォルメ(対象を変形・歪曲して表現すること――編集子)された虚像だったが(中略)。


 本書は、高度成長期、その後の社会変化の中で、一人ひとりの社会変革への願い、職場の民主化、賃金・労働条件への同権化へむけた取り組みと、会社のさまざまな「隔離・差別政策」・解雇攻撃、男女差別政策とたたかい、長期にわたる争議を経て、20009月に和解した姿を描いている。

日本航空で「勇気をもって闘った」――小倉寛太郎さんに続いた人物(土井清著)

  以下の文章は、「現代労働組合研究会のページ」《13/11/25+12/02》に書いたものだが、《沖電気・浅利さんのたたかいへの「柳(やな)さん」のコメント》(2019年2月26日 (火))で紹介した続きで読んでほしい。

 

   2冊目は『俺たちの翼――巨大企業と闘った労働者の勇気と団結』(土井清著、文芸社、20034月)

 本書は、日本航空に入社し、「長時間労働に反対し、職場の人間関係における対等性をもとめ、会社側の一方的で恣意的命令・仕事はずしなどとたたかい、みずからの人生と労働組合の意味を描いた本」である。

 土井さん(1935年生まれ)は高卒後、社会の矛盾に気がつき、人間の尊厳を目指した姿を「【『沈まぬ太陽』が話題になったとき、日航労組は結成五〇年を迎える】という題して、「私の生涯の中で、四〇年前に、不当配転で強いられた釧路の生活がなければ、この歳になって高度経済成長下の企業とはなんであったのか、という問題を真剣に考えることもなかったかも知れない。もちろん労使関係について、若いころから自分なりに考えたり、日航労組の仲間たちと議論も交わしてきた。しかし自分の半生を通じて、改めてこれらの問題について考えてみようという気持ちになったのは、釧路の辛い体験が心に焼きついていたからだ。定年になって職場を退いた後、私は組合活動の経験を生かして、賃金差別撤回闘争に関連した裁判や争議の支援を続けている。その中で私が常に耳にし、また常に自分に向かって眩いてきた言葉がある。

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 「企業とは一体なんだ? 人間の可能性を破壊していくところなのか?」

 「これはわれわれ高度経済成長の時代に生きた世代に共通した難問にほかならない。しかし、実際に自分たちが生きた時代がどういうものであったのかを把握するには、自分の体験を想起しながら答えを探っても、そう簡単にできることではない。抽象的な世界を具体化して理解することは、それほどたやすいことではない。まして戦後日本という時代背景が加わると、きわめて複雑な様相をはらんでくる。

 私がそんなもどかしさを感じているとき、日本航空を舞台にした山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』の連載が『週刊新潮』で始まった。一九九五年一月のことである。企業戦士の左遷がひとつのテーマとなった作品だったので、私はまるで自分のことのようにこの小説をむさぼり読んだ。小説の記述の中に、四〇年前の日本航空と自分の姿を探そうとしたのだ」と綴っている。

 前書きでは、土井さんがおかれた位置(数多くの同時代に生きた労働者・サラリーマンの仲間)を次のように描いている。

 「日航労組が政界・財界の猛攻を受けた一九六〇年代から七〇年代にかけて、実は他の大企業でも同じことが起こっていた。具体的な名前を挙げるなら、東京電力、雪印乳業、日立製作所、明治乳業、石川島播磨、凸版印刷など。まず労働組合活動への 「インフォーマル」組織を使っての介入、組合の乗っ取り、それに屈しない者に対する貸金・昇格差別、解雇、それに配転などが労働者の上に襲いかかったのだ。これに抗して地道な反撃が開始された。そしてその闘いは現在まで続いているものもある。」

 本書の柱立ては、つぎのとおりである。

 目 次

 前書き

 第1章 わが心の釧路

 第2章 消えていった海岸線

 第3章 小倉執行部の輝き

 第4章 嵐の前夜

 第5章 隔離政策

 第6章 配転事件の全面勝利

 第7章 Nの謀略

 第8章 労働運動の攻勢

 第9章 賃金差別撤回闘争に勝利

 第10章 二人の経営者

 第11章 高木社長の膿罪

 終 章 高度経済成長の光と影…

 後書き

 土井さんは「本書『俺たちの翼』は、多くの飛行機好きの仲間が日本航空に入社し、真面目に働き、低い労働条件の向上のために立ち上がった仲間たちの闘いの物語です。しかし巨大企業はその労働者たちを分断し、差別し、隔離し、苛めつくしました。でも私たちはその攻撃に負けることなく、労働組合に結集して普通に、元気に生きてきました。」と書いて本書を締めている。

 編集子がびっくりしたのは、「第7章 Nの謀略」だ。巨大企業における労働スパイとしての謀略か! 映画のワン・シーみたいだ。

2019年2月26日 (火)

沖電気・浅利さんのたたかいへの「柳(やな)さん」のコメント

 以下の文章は、「現代労働組合研究会のページ」《13/11/25+12/02》に書いたものだが、昨日書いた「たたかいのルポルタージュ 第16号」の紹介した続きで読んでほしい。

   

    http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/16-b577.html

 

 

 

 ◇電気、日本航空、日立における人間の尊厳のたたかい 

――1970年代から1980年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―2]、PDF版としてUP

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#okidenki

 

 このサイト(「現代労働組合研究会のページ」)では東京争議団、千代田総行動(のちに東京総行動)、総評全金の北辰電機などにかかわった人たちと労働組合を紹介してきた。

 今回は社会の矛盾を肌身で感じて社会運動としての労働組合運動をになった人たちの本を3冊、ご案内する。

 

 1冊目は『たたかいと愛と、これからも――短編小説とルポでつづるふたりの五十年』(浅利勝美・浅利正著、一粒書房、20134月)

 

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 197811月、沖電気で起こった会社側の「企業競争に勝ち残れない」と、従業員の一割にあたる1500名の首切り合理化とつづく指名解雇事件があった。

 当時の状況を今崎暁巳さんは『何をみつめて跳ぶのか――沖電気指名解雇をこえて』(労働旬報社、1980年)で、「血の入れ替えを行おうとする会社の姿とその若き労働者への指名解雇の姿」を描いた。

 浅利正さん(1959年秋田県角館高校定時制卒)は職場の中から、争議を支援したことから仕事を干され、「仕事を取りもどす訴え」を東京都労働委員会に起こし、3年余にわたるたたかいで仕事を取り戻した。

 みずからもルポとして「小さな背中で見つづけたもの」などを書いている(初出は下記のルポ同人誌、本書所収)。

 

 さらに浅利さんは“1978年秋、中央労働学院の「ルポルタージュ教室」に学んだ。その時の主任講師が今崎暁巳先生だった。その年の11月、私が勤める沖電気が大量の指名解雇を強行した。今崎教室の受講生で沖電気争議団の事務所を訪問取材し、教室終了後も勉強を続けようと「現代ルポルタージュ研究会」を設立。機関誌創刊号で「特集沖電気争議」を”発行し、同人メンバーと現在『たたかいのルポルタージュ』を15号(2011年)まで発行し続けている。

 

 同誌の13号に浅利さんは「定年退職の日」(同書所収)を書き、そのあとがきに、私の大先輩の文が掲載されている。

 

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 筆者の「柳さん」は、先に紹介した『たたかいのルポルタージュ』編集長として尽力し、高度情報社会・大量消費社会・企業社会に振り回されない生き方を創造するために、文化・コミュニティ・人間としての絆づくりの視点から、一人ひとりに分け隔てなく、さまざまな編集プラン・企画・構成を語りつづけていた。

 

人間を人間らしく扱え・まともな労働を

柳沢 明朗

 

 いわゆる「一人争議」として、このことを主張して差別され続けた浅利さんが、節を曲げずに誇り高い労働者の働き方を掲げきって定年退職を迎えた。人間の尊厳、人格の尊重を根底にすえた近代社会の人間関係、働き方、職場や労使関係を提起した労働人生の完結だった。

 二〇世紀の価値観を時代と企業社会に打ちつづけた技術者・労働者魂を尊敬せざるを得ない。

 退職の日に出会う元同志。仲人もしたという同志が〝裏切り″代価として得た出世。その管理者との出会いを淡々と描く退職の日に「ご苦労さん」と涙が滲んだ。なんという人生の違いだろうか。小倉さん〔小倉寛太郎=「沈まぬ太陽」のモデル〕の場合も、働き手を分断していく資本の悪しき衝動の手先が登場するが、酷似した事実に怒りが湧く。

 共通した点をもう一つみた。狂気のような異常な外地たらい回しの先々で、人の絆を作りサバンナクラブなどで、仕事を起こしていく小倉さん。同じく流罪先の職場での「仕事をしないことが仕事」の仕打ちのなかで、技術者魂を発揮して、独学で身につけたパソコンを駆使して基板設計実績データの整備をする浅利さん。その五年が誇りだという。次の担当者に引き継ぐときの「浅利さんは天才だ」という継承者のコトバが、自己の技術・労働の主人公となって創造した働き方の評価を示す場面でうれしい。

 小倉、浅利、松謙さん〔沖電気争議団事務局次長〕の三人の姿は、人生丸ごとをかけて、企業社会の論理に人間の論理を打ち込み、対峠したものだといえよう。これこそ、西ルポがいうように「近代の普遍的価値である人間の尊厳」の実現への挑戦にほかならない。

 もともと「おれたちは奴隷ではない。人間だ」という権利主張が団結の土台だ、労働運動だと、いわれ信じてきていた。英国で「組合を裏切ったことがあるか」と問われた、破廉恥な犯罪者が「オレはそれほどの悪人じゃねえ」といったという話を授業のなかで聞かされた。

 この燃えるような権利感情に打たれて生涯を労働法を商売にして食ってきた。だから三人の生涯、価値観に感動し、励まされる。

 仲間とともに生きる三人の人生・存在がなかったら、これらの問題提起や考え方、価値観が観念論、卓上の空想、願望になってしまうところだった。幸いなことに私は、夢のように描いていた労働法、労働運動が持つ役割、機能を手にしたり、見たりできた。しかも、誇るべき友人として、わが人生の価値の証として持つことができた。その継承のための価値の発見・確認と表現が今回の特集号の質ではないか。

 沖電気争議の特集で出発し、ともにルポし記録し続けたこの雑誌だからこそできることだと思うし、何よりの浅利さんへの記念号だと思う次第だ。(元労働旬報社社長・「現代ルポルタージュ研究会」顧問)

(『たたかいのルポルタージュ』一三号「あとがき」 二〇〇〇年三月)

 

 ▽追加(2013.12.06

  柳澤明朗のページ

 

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/yanagisawa/yanagisawa-index.htm

 

 

 

 

 特筆すべきことに『たたかいと愛と、これからも』は、前半が浅利勝美さん自身の生活リアリズムにもとづく、「短編小説集」だ。

 あるページに「職場のなかでのたたかい、裁判、そして経済的苦労とさまざまあったが、子育てのうえでの苦労があまりなかったのは幸せなことだった」と書いてあった。

 イクメンと呼ばれる時代には、まったく不向きな男たちの姿も描かれている。

 私が書いておきたいと思った、「1960年代から社会変革をめざした、一人の生活者の人間として女性としての姿」も随所に描かれている。ぜひ御一読を

2018年10月31日 (水)

『国鉄闘争の成果と教訓』――当事者主体でたたかった国鉄闘争の本の紹介(下)

この本の帯には[発行所:スペース伽耶、20135月、編=国鉄闘争を継承する会 監=加藤晋介/二瓶久勝 発行=スペース伽耶 (発売元=星雲社)]――24年間の闘いで、花を咲かせ、実を結んだ――国鉄闘争を闘った、当事者・弁護士・支援者、総計18名による座談会と特別論文。8事業体ネットワークからの報告。資料=ILO条約勧告適用専門委員会への情報提供(英文付) 、と記されている。

 

 

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本書の構成は以下のようになっていて、「はじめに」では、《たしかに、『国労闘争団が闘い取ったもの』(加藤晋介著、[2018年12月29日に読了])、『国鉄闘争の真実』(二瓶久勝著)、で一定の「総括」がなされている部分もあるが、未だ不十分である。

 そういうことから今回、国鉄闘争を主体的に闘った、当時の闘争団、共闘会議、弁護士、支援者の座談会を開催し、それぞれの立場からの「総括」を試みた。そして、「JR東日本の違法取水」問題を含めて七名の特別論文を掲載し、さらに闘争終結後の事業体の進捗状況と課題、株主代表訴訟裁判に取り組む意味を明らかにする文章を含めて、掲載した。

 この『国鉄闘争の成果と教訓』が、日本労働運動に活かされ、その再生に少しでも寄与することを切望する。

 座談会は、「国鉄闘争を継承する会」が主催し、二回に分けて、合計五時間以上の討議を行なった》と書かれている。

 

 1 1章 国鉄闘争の総括 座談会(第一回目「職場・生産点、当事者に依拠した運動を!

 2 中曽根行革と国鉄闘争

 3 JR不採用以降の国労の運動と国労高崎の基本方針

 4 われわれはなぜ、JR東日本株主代表訴訟を闘うのか―JR東日本・水泥棒株主代表訴訟の現状と展望

 5 国鉄改革法23条以降つづく司法反動と政治和解の意義

 6 第二回目「支援組合、各地区の共闘会議からみた国鉄闘争」

 7 2章 事業体ネットワーク 北から南から(国鉄闘争の総括を教訓に「労働運動」の再生を目指そう! )

 8 世界と日本から見た国鉄闘争の総括

  9 国鉄闘争の総括をこれからの人生に活かす生き方を!

10 (国鉄闘争関連年表)

11 行動提起 壊憲NO!九六条改悪反対618 1000人集会への呼びかけ 次代を担う「組合員のみなさん」への「労働講座」の案内

 

 

  ▽対談1、「職場・生産点、当事者に依拠した運動を」

 挨拶:武藤弘道(東京労働組合連合会中央執行委員長)、

 参加者

 加藤晋介(元鉄建公団訴訟弁護団、主任弁護士)、二瓶久勝(元国鉄闘争共闘会議議長)、佐久間誠(鉄建公団訴訟原告団事務局長)、酒井直昭(元鉄建公団訴訟原告団団長)、唐沢武臣(元国労高崎地本書記長、群馬県平和センター事務局長)、小林春彦(国労千葉地本委員長)、司会、新田進(国鉄闘争を継承する会事務局長)。

 ▽対談2、「支援組合、各地区の共闘会議からみた国鉄闘争」

 参加者、中村広之(世紀労働組合委員長)、村中哲也(元国鉄闘争首都圏連絡会共同代表)、丸林俊之(全水道東京水道労働組合)、中島義雄(元長崎国鉄共闘会議議長)、本間正史(オリジン電気労働組合前委員長)、吉田壽(東京清掃労働組合委員長)、坂本浩明(東京清掃労働組合組織部長)、小川信(オリジン電気労働組合委員長、特別参加)。助言者:二瓶久勝(元国鉄闘争共闘会議議長)、加藤晋介(元鉄建公団訴訟弁護団、主任弁護士)、司会:内田泰博(元国鉄闘争共闘会議事務局長)

 その他、執筆は、中曽根行革と国鉄闘争、武藤弘道(都労連議長)

 発行所:スペース伽耶20135月/四六判/218頁/¥1,500+75] 編=国鉄闘争を継承する会 監=加藤晋介/二瓶久勝 発行=スペース伽耶 (発売元=星雲社)

 

 本書には、この対談に加えて、7本の論文と《第2章 事業体ネットワーク 北から南から》として、「企業組合クリーン大牟田、NPO法人ecoおといねっぶ、北見ユニティ、生活者労働者協同組合、事業体ネット稚内、㈲サンピア、NPO法人 ワーコレるもい、紋別》の事業活動報告がUPされている。

 

 2回にわたる対談の最初は、闘争団当事者、加藤弁護士、二瓶・元国鉄闘争共闘会議議長をはじめ、国労内で支援を一貫して行っていた高崎地本、千葉地本のメンバーで、後半のメンバーは、支援者、各地区の共闘会議から見た国鉄闘争だ。

 前者には、対国労、44団体共闘における統一・「政治解決」への波風が浮かび上がっている。

 後者の支援メンバーでは、「なぜうちの組合が国労闘争を支援し、共闘するのか、当該組合員との葛藤を乗り越えた」、姿がある。

 

 この全体の企画は「国鉄闘争を継承する会」が中心になっているようだが、最近でも「秋葉原駅、大塚駅」などの都内駅の「再度、民間下請け化」を推し進めようとしているJRの姿、大幅に増えた非正規労働者の実態なども、今後どうするか、声をあげてほしい。



 ▽(追記:2018.11.05)

 ●東京相馬代議員

 

「来年3月から秋葉原駅が委託される」、「60名を超える社員が出向する」と、運転取扱い駅ではないが1日の乗降客が25万人超えるターミナル駅が委託になれば、どこの駅も業務委託できることになると安全とサービスの切り捨てがより一層進められていることを報告されました。(建交労鉄道東日本本部第20回定期大会が2018930日発言)

 

 http://www.kenkourou.or.jp/wp-content/uploads/2018/10/003800a0fefd29c9345d85cf3e2ed20c.pdf

 ▽(追記:2018.11.09)【東洋経済WEB版】首都圏で「早朝無人」駅、脱鉄道へJR東の焦燥[2018/11/05 4:20

 

  https://toyokeizai.net/articles/-/246932

 

 大量退職が間近、駅業務の合理化を加速

 

 ローカル線ではありふれた無人駅だが、実は利用者が多い首都圏の駅にもじわりと広がりを見せている。今年3月からは東船橋駅のほか、同じく総武線の下総中山駅や幕張本郷駅にも、早朝時間帯の完全無人化が導入された。無人化の決定に一律の基準はないようだが、これら3駅の1日の平均乗車人員は、下総中山と東船橋で各2万人程度、幕張本郷で約3万人(いずれも2017年度)の規模になる。(略)

 

 そうした中、早朝時間帯に限ってだが、完全無人化の取り組みが広がってきた。取材によれば来年からはJR中央本線の信濃町駅、千駄ケ谷駅、東中野駅のほか、山手線の駒込駅や鶯谷駅などでも検討されているという

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 ▽(追記)

 

 国労敗北の歴史を学ぶ――その1

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/1-6778.html

  What Was 国鉄闘争~そして次へ~』を読んだ――国労「敗北」の歴史 その2

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/whatwas2-1c1c.html

 

 

 当事者主体でたたかった国鉄闘争の本の紹介(上)

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-8921.html

 

  『国鉄闘争の成果と教訓』――当事者主体でたたかった国鉄闘争の本の紹介(下) 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-08cd.html

 

 

 

2018年10月23日 (火)

当事者主体でたたかった国鉄闘争の本の紹介(上)

1407名の国労闘争団の政治解決まで持ち込んだ闘いの歴史は、当事者も含めてその全容を知る人は少ないのではないかと思ったら、以下のような「総括書」が2冊出版されていた。

 

《1》『国鉄闘争の真実 共闘会議議長としての総括そして次の闘いへ』(二瓶 久勝 スペース伽耶 、201221日)、《2》 国鉄闘争の成果と教訓』(編:国鉄闘争を継承する会、加藤晋介、二瓶久勝監修、スペース伽耶、20135月。

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前者の本《1》は、《いま、日本社会は、改憲をめざして憲法審査会が始動し、東日本大震災と原発事故を口実にした、労働者・被災者無視=大企業優先の「復興」策が強力に推進されている。2012年の現実は、1987年に中曽根首相らが構想した国鉄分割・民営化攻撃=「国労つぶし総評を崩壊させ、社会党を解体し憲法改悪を実現する」戦略が、成功しつつあることを示している。この酷薄非道な解雇攻撃に耐え24年間闘いつづけた国鉄労働者1047名の大半は、201049日、一人平均2,200万円の解決金を確保し、歴史的政治和解を勝ち取った。その成果と無念、闘いの真実を約10年にわたり共闘会議議長を務めた著者が初めて明かす。》と明記されていた。

 

 インタビュー形式でまとめられているが、著者は、以下のような方。

1945年福島県(岩瀬郡)生まれ。1964年オリジン電気()入社。1969オリジン電気労組書記長に就任2008年の退職までの約40年間、書記長・委員長などを務め、現在、全オリジン労働組合協議会顧問。20001月、国鉄闘争支援中央共闘会議事務局長に就任するも、20023月同職を辞任し、416日に結成された国鉄闘争に勝利する共闘会議議長に就任。20104月の政治解決を実現する。20116月の同会議解散まで議長を務める。

 

本の冒頭は、みずからのオリジン電気労組書記長に就任などの闘いの歴史を振り返っており、全国金属にあっただろう「まともな労働組合の歴史」を学ぶことができる。

 

本書の中心は、9.15判決、44団体の結成、そして政治解決の道の判断を綴った本だ。

国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労争議団鉄道運輸機構訴訟原告団/【四団体】国鉄労働組合(国労)、全日本建設交運一般労働組合(建交労)、国鉄闘争支援中央共闘会議(中央共闘)、国鉄闘争に勝利する共闘会議(共闘会議)

 

「国鉄闘争に勝利する共闘会議議長(2002416日以降)」の闘い――24年間の当事者・家族の闘い――は「一体どう評価されるのか」を書き残したいと書かれている。

注目される言葉としては、「国鉄闘争が他の闘争とちがうのは、政治解決を目指したことです」と書き、当時の政府・政党・政治家、そして官僚・財界などの動向を分析し、当事者主体で解決をしていった経過が明らかになっている。

 

本書を読んで、なぜ国労は1407名の当事者主体ではない方向で、舵を切っていったのか。企業内組合として「労使関係」を形成したいと願った人をリーダーに選んでいったのか、よくわからない《国労「敗北」の歴史 その3》。

2018年9月26日 (水)

『What Was 国鉄闘争~そして次へ~』を読んだ――国労「敗北」の歴史 その2

 この本は、20135月に出版された本(発行:ぶなの木出版)だが、「国鉄闘争」を分析した貴重な本だ。

 

 ▽目 次:

刊行にあたって

24年間の闘いを終えて

第一部 総論 

座談会 国労闘争団はなぜ24年間も闘い続けられたのか(中村宗一、神宮義秋、小島忠夫氏、山下俊幸、平賀健一郎, 小野寺忠昭)

争議としての国鉄闘争(小野寺忠昭)

国鉄闘争と東京総行動(平賀健一郎)

自立する国労闘争団(荒木健次)

第二部 第二次国鉄闘争

国鉄闘争解決までの苦闘(原田亘)

当事者の一人としてみた国鉄闘争(清野隆)

国鉄闘争から新たな運動へ(関口広行)

我々は闘う闘争団の側に立つ(星野良明)

戦術論から見た第二次国鉄闘争(川副詔三)

あとがき

 

 本の紹介は、「レイバーネット日本のWEB」で、以下のように出ている。

「紹介にかえて:闘争団には人間の誇りがあった 杜 海樹」

http://www.labornetjp.org/news/2013/0527hon

 

編集子のまず「はじめの感想」は、BOOKデザインと本の中身の乖離はどうしてなのだろうか。どうしても違和感を感じざるを得ない。もっとデザイナーに注文してもよかったのではないか(通常、ゲラを読んでもらって2案のプレゼンを受けるはず)。

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感想の第一は国労闘争団の出発期に、知人・友人たちが貴重な助言・アドバイスを行っていたことが分かった。

市毛さん(東京地評)、渡辺清次郎さん(東京争議団)、中山さん(沖電気争議団)、石井さん(パラマウント製靴)、東芝アンペックス、山下さん(「社会通信」を知った人)、菅野さん・永戸さん(労働者協同組合)の名前があがっている。



『旬刊社会通信』の存在を知ってよかった[20161216 () 

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-cb95.html

 

第二に、国労争議団というネーミングは、「国労本部側」から受け入れられなく、国労闘争団となったこと。

 

三に、「国鉄労働組合は職場組合の典型」だと書く。

私の編集者・大先輩の木檜哲夫さんが、『国鉄労働組合の現場交渉権―その理論と闘い(労旬新書)』(1968年)、『組合活動の権利―不当労働行為との闘い (国労読本〈権利編〉』(1970年)、『国鉄労働者の権利―労働基本権確立とたたかい (国労読本〈1 権利編〉』(1976年)、『国労読本 組織編』(1978年)、そして『国鉄マル生闘争資料集』(国鉄労働組合、1979年)、『国労権利闘争史』(1981年)、などを編集していた(労働旬報社刊)。

職場を基礎とする戦後権利闘争の一大到達点として、編集したのだ。

 

私も、単産研究の一環として、早川征一郎さん、高木郁朗さん、永山利和さんらと「国労の研究」(単産研究会聞き取り「国鉄労組・細井宗一氏、武藤久氏より」(『賃金と社会保障』5下、No.7341977年)を企画し、レジュメの確認などで通っている中で、細井さんから「国労のための企画プラン」を作るのが編集者の役割だと諭され、『一人ひとりがつくる労働組合を―国鉄マル生と国労運動の発展 』(1980年、国鉄労働組合編)を編集・出版した。

思いは「幹部闘争から一人ひとりが闘う労働組合へ」バージョンUPすることを願って。

 

その国労は「学校別」に、「国有化鉄道主眼論」で「民主的規制・自主規律」か「反合理化・職場抵抗」の論争が主だったことは、先に紹介した、『語られなかった敗者の国鉄改革』(元国労企画部長・秋山謙祐著、情報センター出版局、200812月)に書かれている。

国家的不当労働行為への「対抗」をつくり出す人材は、「国労企業内組合では生まれなかった」わけだ。

 

その職場組合とは別に、東京争議団の「四つの基本、三つの条件」(1974年)が闘争団運動の基本に座って(その原初的運動をまとめた『東京争議団物語』[1965年]を編集したのも先の木檜さんだ)、東京総行動などの大運動の歴史を引き継ぎ、争議が展開されたことは、歴史の皮肉だ。

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第四に、国鉄闘争の経過で「国労企業内組合」の面々を別として、国労闘争団切り捨て局面(鉄建公団訴訟による闘い)から「44団体」路線(建交労の坂田さんなどとの共闘模索からその実現など)がつくられた経過(1970年代沖電気争議団の、思想を超えた初めての統一争議団の歴史があったが)は、本書のピークをなす行動だったことがよく分かった。


  第五に、闘争団支援を一貫して敢行した東京清掃労組などの様相は「2割動員」を貫くなど、並大抵の運動ではなかったわけだ。


  第六に、闘争団運動のその後を模索する「交通ユニオン」「国労ユニオン」も書かれているが、東京圏にも数千名といわれる「下請け労働者」「派遣労働者」をだれが主体として作っていけるか、いまだ未開発のようだ。

この夏に闘われ、東京駅構内で展開されたサントリー子会社の「ジャパンビバレッジの青年たちの順法闘争・ストライキ闘争」に無関心でいては進まないであろう。

 

それにしても24年にわたる闘争団のご本人・ご家族のご苦労は、争議運動のすべてに通じるが、困難を突破して、よく闘ったと、感動した一人として、書いておきたい。

2018年8月 5日 (日)

国労敗北の歴史を学ぶ――その1

国労闘争団1407名、そして首を切られなかった組合員・家族にはそれぞれに限りない人生としての苦渋、喜びがあるはずだ。

 

「すいごごcafé」(越谷市・NPO障害者の職場参加をすすめる会)に登場した松尾さんも「国鉄分割・民営化を国労組合員」として迎えて、人生のかじを切った。



  以下のレポートはその一端だ。

「すいごごcafé」のページにUP――▽2018801日(水)、「オートバイひとり旅・松尾清晴さん(元JR社員)」。NPO障害者の職場参加をすすめる会HP。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/suigogo-1.html

 

編集子はいま「国労敗北の歴史」を考えるために、『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(元日本経済新聞記者の牧久著、講談社、20170316日)、『語られなかった敗者の国鉄改革』(元国労企画部長・秋山謙祐著、情報センター出版局、200812月)を読んでいる。

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1 【参考】牧久氏 国鉄分割・民営化を描いた作品語る(週刊ポスト2017年4月21日号、■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光2017年04月13日、16:00)

      https://www.news-postseven.com/archives/20170413_508881.html?PAGE=1#container

 

 

 

2  ◆本の紹介:『語られなかった敗者の国鉄改革』、Loser_kokutetsu(October 27, 2015)
   

    http://pata.air-nifty.com/pata/2015/10/post-459e.html

 

  3 早川 行雄さん(元連合総研)の分析的視点

 

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 著者は当事者の自伝的著作や追加的聞き取りなどを基に「事実」を淡々と書き連ねているのだが、葛西ら三人組を中心とした国鉄当局の、さながら不当労働行為自白調書の様相であり、土光・中曽根の第二臨調行革路線の内実を赤裸々に暴く結果となっている。そうした観点から読めば何故負けたのかもそれなりに明らかになろう。勝ちすぎた?マル生反対闘争の成果として実現した現場協議制度は国労など組合の大きな闘争力の基盤となった。国鉄分割民営化の背景には、新自由主義化の民営化政策一般に加えて、職場生産点を握った組合からの主導権奪還の狙いも明らかにあっただろう。現場協議制に対してはフレームアップ的な職場規律の乱れ批判がメディアなどを通して大々的にキャンペーンされたが、当時の国電などの極めて正確なダイヤ通りの運行は今では想像できないほどであり、規律の乱れた職場では到底実現できないものであった。電車区、車掌区を中心に生産点を握った労働組合による生産管理闘争的な実態も萌芽的にではあれ存在したと思われる。資本と当局はまさにここにこそ恐怖して反国労の弾圧を仕掛けたのではなかったか。このような視点からの「国鉄分割民営化30年」の史的総括も必要ではないか。

 

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2008332445897440&set=a.183463795050990&type=3&theater

 

 

 

 それとは別に、久下格さん(元国労組合員)のHPに「国にたてついた一労働者の想い出」――「今でも国鉄の分割民営に反対したことは正しいと信じています」と書く元国労宮崎闘争団員・馬場園孝次さんの手記、が載っている。関心のある方はどうぞ。

http://aoisora.org/roudou/2018/20180227babazono.html

 

久下格さんのHP

http://aoisora.org/index.html

 

 ▽追記(2018.09.26

 

 『What Was 国鉄闘争~そして次へ~』を読んだ――国労「敗北」の歴史 その2

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/whatwas2-1c1c.html

 

 

2018年6月 1日 (金)

総評・全国金属はなぜ変わっていったのか――青木慧著『ニッポン偽装労連』(1989年、青木書店)

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#180530zenkokukinzoku

 

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これまで本ブログで総評の民間単産はどのように「敗北してきたのか」を検討してきたが、「全国金属」については、未紹介だった。

 

青木慧さんの『ニッポン偽装労連』(1989年、青木書店)を再読したら、《たたかう労働組合つぶし 「民主化運動」》の中に、「佐竹全金委員長のもとで筆頭副委員長をつとめていた中里忠仁金属情報機器労組委員長」の聞き書きがあった。

全国金属の大手企業内組合が、JCや自動車関係の同盟労組に「丸め込められた」様子が語られている。

 

「全金には、大企業ではありませんけど、中小の鉄鋼も電機も自動車も造船もあるということですから、業種的にはJCとつながりが深い単産ですよね。他方、同盟の方も金属同盟というのがあって、同じような業種を持っているわけです。しかし、同盟の方にあまりアタックしないで、総評・全金の方に焦点を当てて、七八年ごろからいろいろと介入というか誘いをかけてきた。

それは最初、全金の中央本部というよりは、大手支部ですね。シチズン時計とかセイコー、横河電機とか山武ハネウエル、東京計器とか、中京地区の豊田自動織機とかね。全金の大手支部と目される、かかわりの深いところを、幹部をとおしてね、JCとの結び付きが急速に強まってきたんです。」

(中略)

「そういう大組織の幹部というのは、たたかうだけでは組織を守れないと。これは労使の対立とか対決でなくて、協調してやっていくべきだという思想が、だんだんとJCの影響が強まるにしたがって、全金の中枢部が、そうなってきた。それが、全金という一つの単産が、だんだん右傾化する、当初の一つの特徴だね。比較的に階級的であり、権利闘争を大事にしてきた単産がなぜ右傾化してきたのか、だいたいそういう経過ですよ。」

(中略)

「それまでは波風がたたなかったのが、それらの大手支部委員長あたりから、原案に対して修正を求めるようなことが出てくるわけですよ。

 たたかいの内容を、文言上で非常に歪めてみたり、ストライキという文言をできるだけ削ってみたり、「統一闘争」という表現を削ってみたりね。資本や権力に対するたたかい方、それについての行動も弱める修正を求めるわけですね。それはJC路線に間違いないし、同盟方針にも近いやつなんですね。

 そういうのが、平気で組織だって出てくるわけです。東京地本の大手支部委員長あたりが中心になって、中央本部に方針の修正を要求するようになったのです。そういう圧力をかけて方針を変えさせようとしたけども、当時の佐竹委員長もわれわれも、それには応じなかったわけですけど、そういう力が全金をじょじょに蝕んでいったということですね」

 

以上の文章を読んで、下からの池貝鉄工などの首切り、北辰電機・山武ハネウェルなどのインフォーマル組織等による攻撃、それに加えて大手支部内での「労使協調への陥落」などが相まって、「全国金属の変化」が生まれたようだ。

 

▽全国金属の歴史的紹介

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#zenkin1

 

 

 

20190805日:
「職場レベルの諸問題の処理方式(承前)――全国金属における関連政策の分析」(嶺 学 『社会労働研究』、法政大学社会学部、22(3・4), p63-125, 1976年03月)

20140701日:全国金属における闘いの歴史 書評:柳田勘次著『闘えなくなった企業別組合』(早川征一郎、『大原社会問題研究所雑誌』20091月号、No.603)

労働争議と単産の役割――清水明、第38回東京労働争議研究会

 金属機械反合闘争の到達点と発展方向、石川武男、全日本金属情報機器労働組合(IMJU)副委員長、労働法律旬報、NO.12891992610

 産業別個人加盟労組運動の経験――全金品川支部地域支部の事例、長谷川義和、大原社会問題研究所雑誌 / 法政大学大原社会問題研究所 編、NO.348198711 

 

20140701日:『追悼・岡安政和』(PDF版 「追悼・岡安政和」編集委員会、19826月) (一部訂正:2014.07.02 

 

20140701日:『社会のしくみと労働組合(増補改訂版)』――金属労働者の教科書、
全国金属労働組合、1971 9 25 日第1 刷発行、1976 2 10 日増補改訂版第1 刷発行


 ▽「インフォーマル組織の過去・未来」のページより。

〔6〕全国金属・金属機械反合におけるたたかい   (2014.05.01更新)
 [1] 『ねらわれた組合――インフォーマル組織とどう闘うか』(金属反合闘争委員会編・発行、1983年7月1日、初版1万部)  【原本募集中】
 [2] 
金属労働戦線におけるインフォーマル組織――[原題:「ねらわれた組合」からの脱出――インフォーマル組織とたたかう、大木兼次郎・金属機械反合インフォーマル対策委員会、賃金と社会保障 879号                       1983-12-10   (PDF)
 [3] 全金山武ハネウェルのたたかい――弁護士法人 けやき総合法律事務所のサイトより
   
http://www.keyakisougou-law.jp/affairs/entry-44.html

 

▽対抗的労働組合運動の模索もご参考にしてください――◇金属労働戦線の現代的課題を追求

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#jmiu1

 

労働組合運動の再生・強化と日本型産業別組合の可能性 小林宏康[3]、特集●労働運動の再生と産業別組織の課題、「労働総研クォータリー」、2015年夏号(20157月発行)(PDF版)

非正規・未組織労働者の組織化と産業別組合の強化―すべての労働者のための労働組合へ―、労働総研クォータリーNo.7677、小林 宏康[2 ](PDF版)

全国金属―JMIUの産業別統一闘争―「日本型産業別組合の可能性」について―、小林宏康[1](PDF版)

結成20周年を機に、真の産業別労働組合へ――JMIUの20年の歩み


 ◆総評・中立労連内民間労組の「変化」を紹介してきたのでこれもご参考に。

▽鉄鋼労連

八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-0d95.html

 

▽合化労連

化学産業における労働組合の旗を守った人たち[20162 4 ()

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-834d.html

 

 ▽全造船(中立労連)

 『あたりまえの労働組合へ』・全造船石川島――議論は続く。[2016710 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-7f4c.html

 

『あたりまえの労働組合へ』(全造船石川島分会・佐藤芳夫著)が書いていたこと[2016531 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-bc6f.html

 

長崎造船社研・左翼少数派労働運動の軌跡 [201510 9 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-3925.html

 

 

 

 

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