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インフォーマル組織の過去・未来

2016年2月28日 (日)

明治乳業争議――戸塚章夫さんの【検証・都労委「明治乳業事件」】読み終えて

  ▽追記(2017.04.08)戸塚章介:明日へのうた 労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

 

  明乳事件の中労委命令に思う(2017/2/19() 午前 11:55

 

https://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765/40931096.html

 

 

 

 明乳全国工場事件の中労委命令が出た。主文は「本件各再審査申立てをいずれも棄却する」というのだから、労働者側の敗訴には違いない。しかし命令書の最後に異例の「付言」項目があり、中労委はそこで争議解決へ向けた「当事者双方の互譲による合意」を求めている。つまり解決へ向けて話し合えということである。

 

 もし会社が、付言は付け足しみたいなものだから無視してもいいなどと思っているとしたら大間違いである。異例の付言に至った中労委の「事実認定」および「判断」は、申立人らに対する長年にわたる会社の行為を厳しく指弾している。つまり会社の不当労働行為意思を明確に認定しているのだ。

 

 都労委命令(市川工場事件も含む)は、①インフォーマル組織の組合分裂工作に会社は加担していない、②申立人らが提出した証拠文書は真正のものとは認められない、③申立人らの低職分、低賃金は公平な人事考課の結果であり有意の格差は存在しない、と会社主張をそのまま丸飲みした認定を下していた。

 

 中労委の今回の命令は①会社はインフォーマル組織の結成に関与し、申立人らへの誹謗中傷を抑制しなかった、②会社の不当労働行為意思の証拠として申立人らが提出した高島、笠原、村田らのノート等は成立の真正が認められる、③昭和40~50代にかけて申立人らとその他集団間に職分・賃金の格差が存在したことは事実である、とした。普通の事件ならこの認定だけで申立人らは救済されはずなのだ。

 

 では何故全面棄却の敗訴になったのか。労組法第27条2項の「除斥期間」が壁になっている。申立ては不当労働行為があった時点から1年以内でなければならないという規定だ。明乳で新しい職分制度が導入されたのが昭和44年、その運用で差別が生じたとして市川工場の労働者が都労委に申立てたのが昭和60年、全国工場事件はさらに9年後である。これはどう考えても間が空きすぎるというわけだ。

 

 この除斥期間問題についてはこちらにもいろんな言い分があるが、今は言っても始まらない。問題はこの命令を活用して長期争議の解決へどう持っていくかということだと思う。普通の会社なら結論は結論として命令文の中で「あなたたちは社業に従事していた労働者に、特段の落ち度もないのに酷い仕打ちをしたのですよ」と指摘されたことを真摯に受け止めるはずだ。裁判所で更に争う前にぜひ話し合いに応じてほしい。

 

 これまでの経過があるからそう簡単ではないとは思うが、明乳も企業としての社会的責任があるはず。しかも個人顧客に直接商品を買ってもらわなくてはならない食品企業なのだ。中労委命令の「付言」を「主文」として読むくらいの見識、大局的見地を示されることを切に望む。

 

 ▽追記(2017.0411

 明治乳業全国中労委事件命令は、「付言」の中で双方に「互譲」を求め「殊に会社」に大局的見地を求める

 

 明治乳業争議団(blog)

 http://blog.goo.ne.jp/meinyu-so/e/61248e3d049f9aa1f088366ded830f72

 

 

 

 20170219 155701 | お知らせ

 

 明治乳業賃金等差別事件に関する中労委命令に対する「声明」

 

 

 

 1 中央労働委員会は、本日、全国9事業所の申立人32名が株式会社明治に対し申立てた職分・賃金差別の不当労働行為救済申立の再審査申立事件(平成25年〔不再〕第61号、以下「本件事件」という)について、再審査申立をいずれも棄却するという不当な命令(以下「本件命令」という)を交付(送達)した。

 

 2 本件命令は、申立人32名に対する平均97万円(月例賃金4~5か月分にあたる)に及ぶ大きな賃金差別を、また基幹職1級への昇格で13年以上遅れている職分差別を、不当労働行為にならないという非人間的な判断を下した。

 

  これは「賃金上の不利益取扱については、救済対象となる期間において、会社による不利益取扱の事実が認められ、かつ、現に存する差別について救済を求めているときには、その差別の是正を命じることは、労働組合法272項になんら抵触するものではない」として救済した新日本石油化学事件命令、東芝事件命令、昭和シェル石油事件命令等、中央労働委員会が積み重ねてきた救済を投げ捨てたものである。私たちはこの異常な判断に怒りをもって抗議する。

 

 3 しかし本件命令は異例にも「第6結論」の前に「第5付言」(裏面に全文転載)をおき、以下のように述べ、紛争の早期解決への判断を「殊に会社」に求めた。

 

  会社の職制らが申立人らに対し「誹謗中傷と評価されるのもやむを得ない活動を行って」いたと認め、会社が職制らのこの「活動を抑制することはなかったという限度においては、非難を免れ得ない」と厳しく批判している。また市川工場事件申立人及び本件申立人らとその他の従業員との間に職分・賃金格差が「存在していたのは紛れもない事実である」と強く指摘し、その解決を求めている。

 

  4 さらに本件命令は救済こそしなかったものの、事実認定においてインフォーマル組織に会社が関与したこと等を認めたことは、平成2579日に救済を否定した都労委命令を見直し、本件に先行した市川工場の32名の救済申立事件(「市川事件」という)について都労委が平成87月に救済命令を出さなかったこと(その後最高裁までたたかったが敗訴で確定した)を克服したものと考えられ、その限りで評価できる内容である。

 

 5 そもそも、明治乳業の賃金職分差別事件は、本件と昭和60年に申立てられた市川事件の2つの不当労働行為事件として争われてきた。この2つの事件は昭和40年代初頭から始まった申立人らを敵視・嫌悪した会社の方針の下、昭和44年の新職分制度の導入・実施以降申立人らの退職まで一貫して続いてきた賃金職分差別の不当労働行為事件である。会社はインフォーマル組織を作り育て、申立人らが執行部を担っていた組合支部を会社派の組合員に乗取らせ、その後支部執行部から排除した申立人らに脱退工作をしたり、みせしめに賃金職分差別をする等して、その勢力の弱体化を図った。

 

 こうした連続した不当労働行為を繰返し、最後は賃金や昇格差別をする事件は典型的な組合弱体化攻撃である。こうした事件は昭和40年頃以降に全国各地の労働委員会に集団的賃金昇格差別の不当労働行為事件として多数係属するようになった。本件はこうした数多く争われた大企業職場での集団間差別事件の一つであり、最後に残された大型事件である。

 

 6 会社の申立人らに対する職分・賃金差別を認めたこの命令を契機にして、会社に対し、長年にわたって行われた争議について、当事者間の交渉で早期に全面的な解決をするよう私たちは強く求めるものである。会社が早期に私たちと交渉してこの争議を解決することこそが、食品の安全・責任を尊重する食品企業としての会社に相応しい態度であると確信している。

   2017年2月17日

 明治乳業争議支援共闘会議               

 明治乳業賃金昇格差別撤廃争議団

 明治乳業賃金差別事件弁護団  

 

 

 

 

 

【命令書 第5 として「付言」の全文】 

 

 本件の労使紛争及びこれに関連する事情等として、次の点を指摘することができる。

 

 昭和40年代において、会社の施策に賛同する当時の職制らが、市川工場事件申立人らや本件申立人らに対し、同人らの信条や組合活動等を理由とする誹謗中傷と評価されるのもやむを得ない活動を行っていたことは既に認定したとおりである。そして、会社は、信条や組合活動等を問うことなく、従業員を浩平・公正に取り扱うべき義務を負っていたにもかかわらず、少なくとも会社内で責任ある地位にあった職制らの上記活動を抑制することはなかったという限度においては、非難を免れ得ないところである。また、昭和40年代から昭和50年代初頭における査定の結果とはいえ、市川工場事件申立人ら及び本件申立人らとその他集団との間に職分格差(その帰結としての賃金格差)が存在していたのは紛れもない事実である。さらに、昭和60年に市川工場事件が申し立てられ既に30年余りが経過し、労使紛争が極めて長期化していることに加え、前記第3の9で摘示した39件もの関連する後続事件が都労委に係属するなど労使紛争が深刻化し、この間、市川工場事件申立人ら及び本件申立人らのうち12名が死亡している状況にある。

 

 上記で指摘した事情からすれば、本件の労使紛争による関係当事者の物心両面の損失は大きいものといえ、また、今後も紛争の続くことによる負担やコストの増大も避け難いことは明白といえる。このように長期化し、深刻化した紛争を早期に解決することが当事者双方に強く求められるところであるが、そのためには、当事者双方の互譲による合意をもって紛争の全面的解決を目指すべきことは自明の理である。当委員会は、当事者双方に対し、そのような解決に向けた対応を求めるものであり、殊に会社に対して、より大局的見地に立った判断が強く期待されていることを指摘しておくこととする。

 

 

 

 「付言」は「主文」に匹敵するだけの認定である。

 

 都労委命令(市川工場事件も含む)は、

 

 ①インフォーマル組織の組合分裂工作に会社は加担していない。

   ②申立人らが提出した証拠文書は真正のものとは認められない。

   ③申立人らの低職分、低賃金は公平な人事考課の結果であり有意の格差は存在しない、と会社主張をそのまま丸飲みした認定を下していた。

 

 

 しかし、中労委の今回の命令は、

 

 ①会社はインフォーマル組織の結成に関与し、申立人らへの誹謗中傷を抑制しなかった。

   ②会社の不当労働行為意思の証拠として申立人らが提出した高島、笠原、村田らのノート等は成立の真正が認められる。

   ③昭和40~50代にかけて申立人らとその他集団間に職分・賃金の格差が存在したことは事実である、とした。

 

 本来ならこれだけでも救済されるはずだ。中労委は労組法第27条2項の「除籍期間」という規定によって判断したとしています。

 

 明治乳業事件と同質なる事件は、声明2で明らかにしている各事件命令等などは救済されてきている。

 

 これまでの労働委員会が積み上げてきた実績からするならば、なぜ32名の平均97万円にも及ぶ賃金格差を判断に及ばなかったのかは、甚だ問題を呈していると指摘せざるを得ません。

 

 いずれにしても「棄却」の結論でありますが、上記記載の「付言」は、「殊に会社明治」に求めているのであり、「付言」ではなくまさしく「主文」として会社は捉え、全面解決に身を置くことを強く求めたいと考えていきます。

 

 

 

   ◆ここから本文[2016年2月28日 (日)]

《明治乳業争議が始まって30年になる。他の同種争議が次々に勝利解決をしていく中で、なんで明乳だけが取り残されてしまったのか。原因は言うまでもなく1996年9月11日に交付された都労委の不当な「棄却・却下命令」である。おれは担当の労働者委員として争議団や弁護団とは幾分違った角度、つまり都労委の内部からものを見られる立場にあった。心身の衰える前に「命令に至る経過」をもう一度検証してみたいと思う。月に何度か本ブログを借りて「真相への肉薄」を試みることを許していただきたい。》

 

 この文章が、第1回だ:2014/8/8() 午後 3:58

  http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765/39312457.html

 書き終えての発信は、「明乳市川工場事件」余聞 :2015/10/28() 午前 10:42

 72回、13か月ほどになる、渾身のレポートだ。

 

2016113日付けのブログで、「昨日(13日)明治乳業全国事件の中労委再審査が結審した」、として戸塚さんは、次のように呼び掛けている。

 

市川工場事件、全国事件の申立人64人のうち12人が亡くなっている。全員が退職して会社を離れた。これ以上紛争を続ける意味はあるのだろうか。そこのところを会社も理解して本件の和解による解決に踏み切って欲しい。

 http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765/40314861.html

 

 一読者として、次の点は、言っておきたい。

 第一に、申し立てた人たちの家族は、「インフォーマル組織による組合と会社の乗っ取り」「賃金差別」のために「労働者の基本的人権」を侵され、定年後の「厚生年金」でも差別をつけられ、日本国憲法13の「幸福追求権」「個人の尊厳」まで犯され続けているのだ。

 

 亡くなった12人の残された「妻」は、その遺族年金にも「格差」が付けられている。

 市民としての当然の権利・正当な「年金権」を回復するためにも、会社と企業内労働者は民主主義の側に戻る必要があるのではないか。

 

 第二に、「労々対決」などという都労委「マジック」は、労働法・社会政策・労働問題・労働経済・労務管理の研究者に支持されているのなら、研究者アンケートをとって、もらいたい。

 「戦争法案賛成の学者もいる」という、菅官房長官の「発言」レベルの研究者の対比である。


 第三に「事件の深部では、権力者・当事者の資料が発掘」される。

  戦後の松川事件も「諏訪メモ」が隠され、法廷で出され、無罪に寄与した。



1959年(昭和34年)810日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。検察側の隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者の発言に関するメモ。被告達のアリバイを証明していた。使用者側の記録者の名から)の存在と、検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班倉庫に1丁あった)ではボルトを緩められないことが判明した。[Wikipediaより]

 

 戸塚文書にある「笠原メモ」は、それに匹敵する証拠だ。

 公正な民主主義が社会にあるのならば、いまこそ認めるべきだ。

 

 

 検証・都労委「明治乳業事件」(39)

 2015/4/17() 午前 10:50

 

 Ⅲ、被申立人会社の不当労働行為意思

  1、「明朋会」の誕生と会社の意図

  会社の係長、主任、班長が中心になって65年(昭和40年)10月に「明朋会」がつくられ、翌66年3月19日に第1回総会が開かれ、同年6月にビラ「明朋」を作成配布して公然活動を始めたことは、会社も認める歴史的事実である。この時の市川支部書記長は申立人加賀谷であり、執行委員に申立人の伊藤、小関、松下、菊池、桜井がいて、会社のいう「特異な勤労観を支部員に押し付けるとともに」「会社諸施策すべてに反対し、会社の指揮命令系統を麻痺させようとし、政治活動に偏向し」「工場の安全衛生活動をボイコットするなど数々の不当な労組活動を行った」(会社「最終陳述書」)とされる時期である。

 

  「明朋会」は会社の「合理化」推進を謳うと同時に、支部執行部と職場の申立人らに対して猛烈なアカ攻撃と口汚い罵声を浴びせた。ビラ「明朋」によれば「(忍者)赤ガエル」「赤い火の粉」「赤ムシ」「赤水虫」「赤大根」「赤い細菌」「赤いスイカ」「赤いだし汁」「赤ムシコケムシ」「赤いタニシ」「赤い金魚のフン」「日共・民青」・・・と言いたい放題である。

 

  また「生産阻害を唯一の生き甲斐としていたインチキ革命家共」というような言い回しで、申立人らを「生産阻害者」「企業破壊者」と決めつけた表現も目立つ。これは「労働意欲欠如者の排除」を謳った「41・4労使確認書」の精神とも重なり合う。

 

  確かに「明朋会」のメンバーは職制とはいえ組合員であるから、会社の預かり知らぬ「労労対立」といえなくはない。しかし、大量に撒かれた「明朋会」の常識外れのビラは当然会社の手に入っていたはずである。会社は、「明朋会」について「市川支部の常軌を逸した行動に対する批判の中から生まれた集団」と褒めたたえているが、当時の市川支部執行部の発行するニュース類と「明朋会」ビラを比較する時どちらが「常軌を逸脱」しているか一目瞭全ではないか。これだけの「常軌を逸した」ビラが連日撒かれていたにもかかわらず会社が「明朋会」ビラに注意を与えた事実は存在しない。むしろこれを煽り育成して会社施策の遂行にとって都合の悪い支部執行部の転覆を願っていたと見るのが妥当な見方であろう。

 

 検証・都労委「明治乳業事件「(40)

 2015/4/23() 午後 3:51

 2、「笠原ファイル」で証明された事実

  会社が職制連絡会を通じて組合選挙などに直接介入していた事実が暴露されたのが甲65号証の「笠原ファイル」である。 

  会社はこの「笠原ファイル」について、①ファイルは当時製造課主任だった笠原利治のものであったこと、②職制連絡会の記録であること、を認めた上でその証拠価値を免れるために次のような言い訳をしている。「申立人らの想像力をかき立てる穏当を欠く措辞が散見されるほか、メモ類が雑然と編纂され、しかも時系列に整理されていないので、内容が誤解され易いものになっている」(会社「最終陳述書」)。

 

  申立人らが支部執行部選挙で落選し、「明朋会」会員が執行部を独占したのは68年度(昭和43年)のこと。「笠原ファイル」その直後の70年から72年にかけての職制連絡会(係長・主任で構成)の記録である。この時期、一応「明朋会」による支部執行部の独占は果たしたが、まだ申立人らの勢力は根強く、いつ逆転されるかも分からない。そんな中で緻密な対策が練られ、そりに会社も深く関与していた逃れられぬ証拠である。

 

  職制連絡会は「明朋会」から班長以下を切り捨てだ上部職制による構成である。会議場所は少なくとも1度は会社応接室が使われていたことが推認され、会社保管の資料を使用し、会社業務のみに関する議題も取り扱っていた。職制連絡会では支部役員選挙と代議員選出に関してどうしたら申立人らの進出を妨げられるかが話し合われた。申立人らを赤組、職制派を白組と名付け、赤組のチェック、排除、孤立化についての手口が細かく検討され、また職場組合員を「◎○△×」に分類して赤組の票崩し、白組の拡大を図った。なお申立人は全員「×」印がついている。このような事実が「笠原ファイル」によって明らかになった。

 

  会社はこの「笠原ファイル」について大島証人の証言の中で、職制連絡会の存在は認めたものの、①目的は職場の悪習温存をなくすため、②「赤組排除」などは笠原個人の考え、③「明朋会」とは無縁、④組合選挙に介入したのでなく感想を述べ合っただけ、とか言い繕っている。しかし、それならこの証拠について一番詳しいはずの笠原本人を証人に申請すればいいのだがそれはしない。この一事を見ても「笠原ファイル」の真実性、会社関与の真相は明白であるといわざるをえない。

  

 検証・都労委「明治乳業事件」(69)

 2015/10/12() 午前 11:33
 
第3は笠原ファイルだ。これほど明白な不当労働行為意思の証拠を判断もしないで無視したことは労働委員会のあり方として失格に値する。「邪魔な証拠は消せ」というのではあまりにも不公正ではないか。

 

 本文書は、高度成長期の大企業の職場における「民主主義の格闘」を描いたものだ。

 1960年代から民主主義は工場内でも発揮され、抑圧されただけだ。いまこそ「社会的連帯人間の登場」を待つ。

 パンフレットになると書かれているので、大企業内外の若い世代に、まとまったらぜひ読んでほしい。

 

 

 ▽編集子が紹介してきたブログ・「現代労働組合研究会のページ」

 明治乳業のインフォーマル組織がフォーマル組織のTOPへ――インフォーマル組織物語Ⅶ

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e225.html

 

 インフォーマル組織の過去・未来――現代労働組合研究会のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm

 

 明治乳業のインフォーマル組織を操る資本とのたたかい  (PDF)

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/131119informal_meiji.pdf

 明治乳業争議団員リポート記 - インターネット事業団(Adobe PDF

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/130216meijinyuugyou1.pdf

 必見! 倉内節子弁護士講演「不当労働行為と闘った30年――明治乳業事件から最近の労働問題まで」、労働相談センター・スタッフ日記、NPO労働相談センター(03-3604-1294)、全国一般東京東部労働組合、20141219

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm

 

2016年1月28日 (木)

青木慧さんの『ユニオンジャック』を読んだ人。

 

2016年の新春117日(日)、東大阪市立グリーンガーデンひらおかで、運輸一般大阪OB会に柴田光郎さんに同行してきた。阪急吹田駅から淡路乗り換え、日本橋駅(千日前線)でまた乗り換え近鉄・額田駅下車徒歩12分だった(これは帰り、行きは別)。

 

 集まったのは、「戦後民主主義の申し子」で「平和と労働の主人公」を訴え続けた(昭和2=この先輩は先達として~昭和24年生まれ)トラック労働者・生コン労働者の猛者だ。

  あった瞬間から1960年代末から1980代の「東京争議団」の報知印刷労組やニチモウキグナス労組、日本フィル争議団、沖電気争議団、雪印食品争議団、ネッスル日本の労働者と姿かたちが違う、「わっぱを握った大阪・全自軍と呼ばれた(本部は東京にあった総評全自運・引間博愛委員長で大阪の生コン・トラック労働者のユニオンとして関経連・ヤクザ関係者に恐れられた)」その姿を彷彿する人たちだった。

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 そのなかで「伊藤忠商事の関連会社で労働組合づくりをした岩田元さん(昭和14年生まれ)」から話を聞いた。 

 

「職場が伊藤忠商事の関連の運輸会社で、当時、青木慧さんの『ユニオンジャック――国家ぐるみの犯罪』(1984625日、学習の友社)を読んで、これは本腰で労働組合運動をやらないと負けてしまうと頑張った」という。

 

その文章をまずは読んでください。

  2016年の新春117日(日)、東大阪市立グリーンガーデンひらおかで、運輸一般大阪OB会が開かれた。今年で10年以上続いている。参加者は18名で、一番年上は若松秀さん(元大阪地本委員長・昭和2年生まれ)で、一番の若手は昭和24年生まれでした。

当日は、若松秀さんの司会で始まり、荒井実会長(元関西急送・昭和9年生まれ)の「亡くなった方もいますが、元気な顔を見られてうれしい。これからも元気でがんばろう」と参加者への励ましの挨拶がありました。

  総会ということで幹事の柴田光郎さん(元関扇運輸・昭和18年生まれ)から会計報告があり、みなさんの了承を経て、乾杯し宴会に入り、なごやかな交流が始まりました。

 例年のように、参加者一人ひとりから、発言を受けました。すべては紹介できませんが、TOPは地域の革新懇で活動している人が、「沖縄にも行って沖縄の現状を学んできた。若い人に伝えたい」、と。つづいて「おおさか維新の党が勝利して、生半可な取り組みでは彼らの動きを止められない」と警告する人。「和歌山の田舎で老人会の会長をやっている。元気だぞー」と大声で語りだす人。「沖縄出身で大阪に来て40年近くになる」という人、それぞれの現状報告が続いた。

 テーブルの近くにいた森本孝士さん(元府本部副委員長・昭和17年生まれ)は、出身職場(盛永乳業・明治乳業の関連運輸会社)が明治乳業から送られてきた管理職メンバーが画策して「70人」ほどの建交労の組合がなくなってしまって「くやしーっ」と、うめき声。

 その横にいた岩田元さん(昭和14年生まれ)は「職場が伊藤忠商事の関連の運輸会社で、当時、青木慧さんの『ユニオンジャック――国家ぐるみの犯罪』(1984625日、学習の友社)を読んで、これは本腰で労働組合運動をやらないと負けてしまうと頑張った」ことを力説してくれた。

 こちらのそばにいらっしゃって「旧満洲生まれで『棄民政策』の犠牲者とインタビュー記事」(「大阪民主新報」、2015118日付け)にまとめられている話をじっくり聞かせてくれた松原弘太郎さん(昭和14年生まれ)。「職場では残業拒否をして、賃金が会社で一番低くかった」と。往時の闘いの姿が浮かんできた。

  なかには「長島問題」(大阪府本部から「統制権処分を受けて」)守る会の代表をやっている長崎屋勉さん(昭和14年生まれ)から懇々と解説を受けたが、「ガリキリ機関紙ジャーナリスト出身とのことなので、組合内部の問題の視点だけではなくて、これまでの生コン労働者が生きてきた物語を書いて、南海トラフ地震が発生した場合、革新の側はどのような予防政策があるのか、大阪・橋下に負けない市民のためのまちづくりを書くべきなのではないか」と、編集者魂で語った。

 しかし短い時間だったが、昔、ヤクザとのたたかいで「大阪の全自軍(大自連)」とよばれたトラック労働者・生コン労働者たちの姿が浮かぶような話も聞いた。

 軽井沢のバス事故(2016115155分頃、長野県北佐久郡軽井沢町の国道18号碓氷バイパスで)に対して、「親は苦しくてたまったもんじゃないな」との声、「労働組合があったらなー」という声がみなさんからあった。

  会場では、いまでも社会運動の現役として地域で動いている話が、いつまでもつづいた。


  青木慧さんの話が出たので、手元にある『ユニオンジャック――国家ぐるみの犯罪』(青木慧著、1984625日、学習の友社)の「総目次」を下記にUPした。

 

 

 

「インフォーマル組織の過去・未来」

 

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1章 やればやり得まる儲けの犯罪 7
ハイジャック=おい、手を高くあげろ 8 絶対に損のない荒事のハイジャク10 背後に財界・自民・民社の三角関係? 12 自民党労対部長がつくった同盟系労組 15 肝心な事実を隠す大企業と報道管制 17 ケシ粒が天下をとる手品 20

2章 《民主的労働運動》のトリック 25

完全犯罪のノウハウを企業に売る労務屋 25 労務屋の悪知恵を借りて極秘計画作成 23 《使用者の利益を代表》する順に研修30 職制兼組合員の社外研修が第一のカギ 33 《民主的労働連動》はユニオンジャック運動 36 ユニオンジャック判定のリトマス試験紙 39 会社の組合支配は人づる、金づるで 42

3奉 職場の秘密警察とクーデター 45

社外研修終了者で職場ごとに「核づくり」 46 「屁のカッパ」を「陸にあがったカッパ」に 48 その基本戦略は「ぞろぞろ部隊」対策 50 会社と連携で全組合員の思想・素行調査 52 芝居うって家庭訪問、エセ電話、尾行も 55 「左翼人脈づくり」と職場のデマ情報 59 戒厳令下で会社、職制総ぐるみの役員選挙 81 クーデターで労働組合民主主義は骨ぬき 64

4章 住友電工の《QC労務・左翼対策》 67

財界の労働組合対策の見本「住友大学」 68 金社、職制総ぐるみによる組合役員選挙 72 会社による会社のための《組合強化》対策 75 《QC》の名で労働組合総ぐるみ育成 77身も心も会社製、不当労働行為の産物 78 偽装労組であるがための宿命と《左翼対策》 80 外部情報で人事課員と親衛隊が潜入 82 カトリックの女性も《左翼》と解雇 85 労働者の《主体》と《自主》性の抹殺 85 宗教者の「心の自由」も踏みにじって 90 全社員は国家と会社に生命を捧げよ 92

5華 中部電力の《逆包囲・特定思想対策》 97

秘密文書が裏付ける企業犯罪の数かず 98.係長クラス・を基盤に《健全思想》の育成 99 日経連直結の労務屋を《社内講師》に 102 秘密労務組織を使って《政治地図》づくり 104 《リストアップ者対策》あの手この手 107 会社は公害出しているのになぜ公害反対か 110 「灯し火は消えた」が示す《特定思想者対策》 113 《告白書》を転向のあかしとして強要 115
6章 日産偽装労連の労働者支配と悲劇 119

立ち上がった係長会・組長会有志の訴え120 世界に誇る日本式労使関係の代表だが 122 職場での二重支配の要・職制兼組合役員125 経営陣内部でも労組支配めぐり争奪戦129 偽装労連を私物化し、粛正で権力を経る 131 日産に発生した鉄サビは日産人が除去を133 会社を食いものにするユニオンジャッカー 135 社会的犯罪のツケは必ず支払わされる 137

7章 「ヘチマ会」大連合の《終着駅》 141

偽装労連を使った系列労使への支配 142 親企業労使による丸抱え御用組合づくり 144 下請けごときの賃上げ要求が高すぎる 147 昭和高分子でも背後に秘密労務研修団体 150 総評、中立労連内部の隠れ同盟部隊 152 暗躍したユニオンジャッカーとその組織 154 組織ごと乗っ取って危険な《終着駅》へ 156

8章 背後から糸を操る仕掛人は? 161

民間のユニオンジャックと官公版のちがい 162 警察や公安機関などは企業の共犯者なのか 165 自民党は労働組合政策をもって国政で実行 169 《自由にして民主的な労組》を高く《評価》 172 財界と政府・自民党が合作の生産性本部 175 労務研修や《民主的労働運動》の出前機関 177 正体がわかり、びっくりの吉田忠雄明大教授 170 日特金属で生産性研究会がユニオンジャック 182 「労働戦線統一」推進労組は半ば以上育てた 186 生産性本部と《姉妹》の社会経済国民会議 189

9章 財界と政府・自民党の隠れ部隊 193

少数が多数を支配するトリックとその構図 194 労働・社会運動での民社党《独特の使命》 197 自民党系人材で民社党育成の岸信介構想 202 自民・民社の二党流で仕える《同志》たち 204 憲法と革新など《既成観念のタブーに挑戦》 207 《イデオロギーのバックボーン》は軍拡・改憲 210 改意への《条件づくり》と《突破口》づくり 213 二党流使いで軍拡・改憲の《筋書》が進行 215

10章 臨調方式と国家ぐるみの仕掛け 219

臨調のうまみと財界の「口出し手出し機関」 220 臨調を主導する「タックスラー」たち 223 「教育改革」と相乗りで改憲コースの大掃除 227 密室でないと本音が語れない審議とは? 229 行革審や行革国民会議にも《同志》が横すベり 291

11章 はさみうちの標的・国鉄労働者 235

国鉄再建監理委にターゲットをしぼれば 236 「親方日の丸」攻撃の臨調学者の親方は? 239 国鉄はなぜ臨調「行革」の最大の焦点か 243 不当労働行為は《やればやり待》の労務学者 247 密室審議で国労取り込み交通運輸版JCづくり 251 全民労協加盟組合を基礎に選別し排除も 254 いやだというものも、一括してハイジャック 257

12草 地方公務員版ユニオンジャック 261

私的諮問機関などを隠れみのに使って 262 民間並みの《能力主義》労務管理を導入 266 《人事考課》は管理者が職場支配の武器に 289 《使用者の利益を代表する者》づくりの研修 274 QCなど職場小集団の自主管理運動の狙い 274 都知事の私的諮問機関「活力懇」も労務方針 280 「活力懇」 の中心は財界の労務屋と二党仕え 283 同盟主導で「労働界代表」も取り込んで288

13章 教育臨調版ユニオンジャック 291

少数者支配の国家ぐるみの《システム》 292 文教懇は《国民のみなさん》より《同志》たち 295 臨教審へ「第一与党」民社のラブコール 298 同盟は民主教育解体でも財界のパートナー 301 教育臨調用の《国民運動》と「労働戦線統一」 303 改憲をめざす教育臨調版《公正な教科書》 306 企業や政治の品質を問う運動こそ必要 309

おわりに 315

 

 

 

上に書いておいたが、びっくりしたのは「明治乳業」関連会社の労働組合(上記のように70名の建交労)の転覆を、今も行っている明治乳業出身の管理職グループがいるということ。

 

彼らは「団塊の世代」の競争信仰・自己実現の生存因子を受けつづけているのだろうが、すでにそのメンバーも40代から50代、アメリカの近代経済学者の下記のような発信をどう受けとめているのか。

 

 

 

日本は「協調組合主義」と決別を=ノーベル経済学賞受賞者・フェルプス氏(アメリカ)

 

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-19aa.html

 

 

 

コーポラティスト的な価値観を打ち破らずして、日本が自己を変革できるとは私には思えない。このコーポラティスト的な価値観には、家族のつながりや利害関係の持ち方、物質主義、順応主義、社会的保護などが含まれる。

 

 

 

「労働組合破壊。乗っ取りグループ」の策謀は、今に続いていること。

 

どうして抵抗する運動主体とその理論が誕生していないのか。

 

 

 

 

 

2014年9月10日 (水)

「早川タダノリ@hayakawa2600」さんのtwitterで書かれた「サスコミ」

 昨日(99日)、「早川タダノリ@hayakawa2600」さんのtwitterで「サスコミ」が紹介された。その反響は、このブログでは初めての体験で、1時間に15通以上、延べで150通ほどになった。今日も続いている。

 

早川タダノリ@hayakawa2600 さんのprofile

 

· 東京都千代田区

       · http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/

       · 編集業兼DTPオペレータ。 『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版ちくま文庫)『原発ユートピア日本』(合同出版)『「愛国」の技法』(青弓社)あり。 敵は「良識」。

 

   http://twilog.org/hayakawa2600/asc

 

  早川タダノリ@hayakawa2600

 「インフォーマル組織の過去・未来」/現代労働組合研究会 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informa.htm 怖いよ「サスコミ」グループ http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/pst-d4b4.html

  posted at 11:36:13

 

 早川タダノリ@hayakawa2600

 先のtw https://twitter.com/hayakawa2600/satus/509168369526767617… にある総評系労組解体のために仕込まれた労働組合内インフォーマル組織を掘っていくと、必然的に旧民社党系反共人脈にゆきつき、その水路はN会議に合流していることがわかる。……すいません、これは常識ですねすいません。

 posted at 12:34:42

 

労働組合関係者ではない人の方が、まっとうな反応をするケースだと思った。それにしても検索機能(Niftyの)からルートがわかり、書き手のところにお礼の返信ができる時代なのだ。

 

2013年11月19日 (火)

「インフォーマル組織の過去・未来」をUP――現代労働組合研究会のHP

 この数年、「本ブログ」で書いてきた、「インフォーマル組織物語」を「日本の労働組合と企業社会の劣化をすすめたインフォーマル組織!」として別のページにUPした。

  インフォーマル組織の過去・未来

 また国会図書館に通って、「1980年代に追及したインフォーマル組織」として、過日にペンネームで書いたものと吉村さんの論文をここに収録した。

 インフォーマル組織――その過去・現在・将来、勝山善介・ジャーナリスト、賃金と社会保障 838号、1982年03月25日号
 インフォーマル組織と人間性回復闘争、勝山善介・ジャーナリスト、賃金と社会保障 849号、 1982年09月10日号
 『サスコミ』を追う――ある反共労働運動誌を斬る、吉村宗夫・雪印争議団、賃金と社会保障 838号、1982年03月25日号
 『サスコミ』を追う(PARTⅡ)――ある反共労働運動誌を斬る、吉村宗夫・雪印争議団、賃金と社会保障 849号、 1982年09月10日号
 金属労働戦線におけるインフォーマル組織――[原題:「ねらわれた組合」からの脱出――インフォーマル組織とたたかう、大木兼次郎・金属機械反合インフォーマル対策委員会、賃金と社会保障 879号 1983-12-10

 その上で、下記の三つの文献も次の世代に読んでいただきたく、紹介した。
 

 〔1〕アンドルー・ゴードン著、二村一夫訳 『日本労使関係史~1853-2010』(元法政大学大原社会問題研究所所長・法政大学名誉教授)の「第11章 日本型労使関係のヘゲモニー」(434p-437p)の部分を読んでほしい。(PDF版)

 インフォーマル組織は、「裏返しのレーニン主義」の母国であった、と書いてある。

 「インフォーマル・グループ」とは、共産党の組合内派閥集団である「細胞」をお手本にしてつくられた組合内組織であった。ただし経営側と対立する存在ではなく、会社に支援され会社と協調する集団であった。レーニン主義が政治的に目覚めた前衛分子によって大衆をリードし社会主義革命へと導く戦略であるなら、戦後日本は「鏡の国のアリス」ならぬ「鏡の国のレーニン主義」、 「裏返しのレーニン主義」の母国であった。インフォーマル・グループは、革命とは反対方向へ大衆を導くことを目指した前衛組織である。組合潰しだけがこのお話のすべてではない。インフォーマル・グループに属する者は、採用、昇進、昇給、あるいは仕事の配分、さらには作業長といった監督者への選抜に際し有利な扱いを受けたのである。他方で、戦闘的な活動家は差別的に処遇された。だが日本鋼管だけでなく他社でも、労使関係を安定させ生産性を向上させるには、こうした強硬路線だけでは不十分であった。 1950年代から70年代まで、企業経営者とその同盟者である協調的な労働組合内「会社派」は、従業員の支持獲得の上で大きな成果をあげた。そのための諸方策こそ、ある意味で「日本的労使関係」の核心をなしている。

 〔2〕第1章 60年安保闘争と労働者の運動、三宅明正――日本の社会・労働運動の史的研究、三宅明正 編、2011年、千葉大学大学院、人文社会科学研究科

 “インフォーマル・グループについて詳しくは、三宅明正「インフォーマル・グループ小史―横船「二八会」史料から―」(『市史研究よこはま』第14 号、2002 年)を参照されたい。なお全造船二八会や電機二九会、私鉄三〇日会、化労研、鉄鋼連絡会など総評や中立労連の単産に組織されたインフォーマル・グループは、みなこの60年安保闘争の時期に、「政治スト反対」を掲げて、民主社会党(民社党)結成と時を併せて発足した。ただし民社党との関係が公然と示されるのは1970年代半ば以降のことで、発足からしばらくの間、これらの組織は○○会として政党色をださずに活動した。”

 〔3〕レオ・ヒューバーマン、訳・雪山慶正、安田正美、『労働スパイ』、紀伊国屋書店。1959年4月、川﨑忠文さん推薦――アメリカ社会における戦前・戦後における労働現場における探偵社などの潜入スパイの実態を解明。日米共通する労働組合活動家排除・労働組合転覆策動は、あまりにも知られていない現状がある。訳者・雪山慶正さんの労働関係書はたくさんあり、一読を。

2013年10月23日 (水)

大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織

  ▽追記:ある編集者のブログ〔2016年1月24日 (日)〕
    日本は「協調組合主義」と決別を=ノーベル経済学賞受賞者・フェルプス氏(アメリカ)

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-19aa.html





 「どこに消えた『サスコミ』グループ――インフォーマル組織物語Ⅸ」[20121017日(水)]で書いた情報の後、いくつか調べてきたが、やっとその事実が出てきた。

 

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-d4b4.html

 

 

 1960年代以降の高度成長期から企業・労働幹部が一体になったインフォーマル組織。そのメンバーは、現在では一部は経営陣に、残りは「連合」の企業連幹部についていることはわかっていた。前者は明治乳業やオリンパスの社長たちだ。後者は、「連合」の担い手として、企業連を握り、『サスコミ』グループはフォーマル化して、表(おもて)の富士政治大学で次の世代の育成に当たっている。当時からこの両者はダブっていた(東京都電力総連、凸版印刷労働組合、新日本製鐵住金八幡労働組合、日本電子連合労働組合など)。


 今回は、日本各地でフォーマルな企業別組合になった一覧表を、以下につくった。

 

大企業労働者(多くの非正規労働者を含めて)を統合し、「物言わぬ民」として「ナショナルセンター・連合」を国民の願いから乖離させ、反原発を抑圧するなど反民主主義を推進する部隊。そして青年層を富士政治大学でみずからの後継者づくりに乗り出している。

 

  「Ⅰ 平成25年度の事業計画について」(公益財団法人 富士社会教育センター)

 

   http://www.e-fuji.or.jp/file01/h25keikaku.pdf

  

 財団の3つの使命と役割<①オピニオン組織としての役割(民主的共同社会システムによる社会改革の実践の検討と提案)②生涯学習社会の充実に向けての新たな取組み③自由にして民主的労働運動の発展とリーダーの育成>を再確認し、新たな取組み、新たな教育支援の充実に努めます。

 

 ・北海道・東北事務所

 

幹事・推進委員組織:東北電力総連、UAゼンセン宮城県支部、日本郵政グループ労働組合東北地本、交通労連東北総支部、建設連合宮城、JR東日本ユニオン、東北電力労働組合、ユアテックユニオン、東北電気保安協会労働組合、東北発電工業労働組合、通研電気工業労働組合、藤崎労働組合、ヨークベニマル労働組合、仙台銀行新労組、第一貨物労働組合、三八五労働組合、林精機製造(株)労働組合、東芝労働組合本社支部東北地区、東北電力労働組合宮城県本部、本山製作所労働組合、IHI労連相馬支部

 

 ・東京事務所

 

IHI労連東京支部、旭硝子労働組合、カスミグループ労連、基幹労連東京都本部、共同印刷労働組合、建設連合関東地方連合会、コニカミノルタ労働組合、すかいらーくグループ労連、セイコーインスツルメンツ労働組合、全矢崎労働組合、千葉友愛連絡会、電源開発関連労組総連合、東亜道路労働組合、トーカン労連、東京エネシス労働組合、東京計器労働組合、東京都電力総連、栃木友愛連絡会、凸版印刷労働組合、トッパン・フォームズフレンドシップユニオン、日産労連東京地協、日本原子力発電労働組合、日本梱包運輸倉庫労働組合、日本電子連合労働組合、三菱自動車工業労働組合、三菱ふそう労働組合、UAゼンセン茨城県支部、UAゼンセン東京都支部、UAゼンセン山梨県支部、オリエンタルランド・フレンドシップ・ソサエティー

 

 ・東海事務所

 

基幹労連愛知県本部、基幹労連三重県本部、全トヨタ労連、中部電力総連、電機連合愛知地協、日産労連愛知地方協議会、日本郵政グループ労働組合東海地本、三菱自動車工業労働組合岡崎支部、UAゼンセン愛知県支部、UAゼンセン静岡県支部

 

 ・関西事務所

 

イオンリテールワーカーズユニオン、大阪ガス労働組合、川崎重工労働組合、関西電力労働組合、かんでんエンジニアリング労働組合、基幹労連大阪府本部、交通労連関西地方総支部、コーベヤ労働組合、ダイキン工業労働組合、ダイハツ労働組合、西日本旅客鉄道労働組合、パナソニックグループ労働組合連合会、UAゼンセン大阪府支部

 

 ・九州事務所

 

沖縄電力労働組合、九州電保労、九州電力総連、九州電力労働組合、九電工労働組合、九州旅客鉄道労働組合、交通労連九州地方総支部、西部ガス労働組合、佐世保重工労働組合、JX日鉱日石金属労働組合佐賀関支部、新日鐵住金化学労働組合、新日本製鐵住金大分労働組合、新日本製鐵住金八幡労働組合、ダイエーユニオン、中国電力労働組合、西日本プラント工業労働組合、日産労連福岡地方協議会、パナソニックシステムソリューションズ労働組合、福岡国税労働組合、三井三池製作所労働組合、三菱重工労働組合長崎造船支部

 

 

 富士政治大学は、1970年代から1980年代の「総評全金つぶし」などの担い手を育成したことなどで有名だったが、横浜市長になった中田と「松下政経塾」の関連を追及した横浜市立大学の「平智之」さんがインターネットに発表している、以下の文章を読んでほしい。

  

 松下政経塾と「中田人脈」の研究 (3)、2003710日、平 智之(商学部教員)

  

 http://www.tomocci.com/sinpo/report/nakada.pdf

  

 以上、戦後日本の労働運動の歴史的系譜から由来する、やや複雑な前置きが長くなったが、本題に入ろう。まず、本連載の(1)で紹介した松下政経塾のホームページなどをブラウズしていると、私には何か別の「政治的教育機関」がだんだん思い当たってきた。それは何かというと、労働運動の活動家や研究者などにしか知られていないが、旧同盟系の「富士政治大学校」という、静岡県御殿場市にある労組幹部の養成学校である。この研究をした文献まで当たる余裕がなかったので、私の『横浜市史』編集事業での同僚、三宅明正氏(千葉大学)による、以下の簡潔な紹介に負うことにしよう。

  

 富士政治大学校は、一九六八年八月に財団法人として認可された「富士社会教育センター」が翌六九年一〇月に開設した機関である。第一期の「特別労働講座」から、同盟系ならびにJC系【金属労協のこと。同盟加盟の鉄鋼・金属・自動車・電機・造船などの単産が別に組織した国際的労働団体-引用者注、以下同じ】の労組が若手の職場活動家を派遣している。同校では当初から「活動家養成講座」や「幹部研修講座」が開設されている。そこでは「進歩的な市民を発掘し、これを闘う民主主義者に養成する」ことが目的とされ、その「最大の相手は共産主義に立つ人々」とされた。……

 

同校には創立者西村栄一【創立当時の民社党委員長】の「遺訓」をもとにした『三訓五戒』が掲げられ、「己をすてよ」「けじめをつけよ」のスローガンのもとに、「評論家的民主主義者ではなく行動的民主主義者を」育成することが強調された。実際の講座を見ると、「かけあいコール」で「絶叫」による「興奮」を味わい、参加者は「演壇」「訓練」で批判派を実力で「撃退」する「訓練」を受けた。

 

 一九七〇年代前半に同校の講座は急速に数を増している。開催回数は一九七一年七回、七二年三一回、七三年五六回、七四年六七回、七五年八〇回で、以後毎年一〇〇回を超えた。

 

……

 

 さらに一九八〇年代になると、富士政治大学校での労働講座は企業の「研修」名義で行われることが多くなった。経費は会社持ちの出張扱いにされ……【別の団体名義の】「研修」とされたのは、外部の批判を避けるためであった……〔三宅明正「インフォーマル・グループ小史」、『市史研究よこはま』第14号、2002年、3637ページ〕

  

 そして、三宅氏は事例として、横浜市にも大事業所を有する複数の造船重機企業の同校への社員派遣の具体例もあげている。富士政治大学校の場合は、大企業の本社や工場の中堅層を労組幹部へと、短期間で大量養成をめざしている点やファナティックとも思える政治訓練を実践している点で、松下政経塾が政財界のエリート候補生を少人数のオーソドックスな授業で中長期で育成するという、目的やスタイルの違いは少なくない。しかし、寝食を共にした合宿制の研修方式を採用し、ともに創立者の精神主義的なスローガンを掲げて精神修養を重視し、単なる「座学」ではなく現場や地域での実践的な研修や自己表現と他者の論破を重視する教育方法、さらには「行軍」のような肉体・精神練成まであるところが、私には10年置いて設立された両校の共通性が非常に感じられたのである。

 

 そして、やはり両校に大きな人的な連続があることを決定的に裏づける証拠を探し当てたので、以下で明らかにしよう。すなわち、松下政経塾の役員には、幸之助翁の嗣子の松下正治・理事長(松下電器産業・名誉会長)の下に、キラ星のごとくの有名かつ有力な財界人、および意外にも大学界の大物教授が各種の役員に就任している(政治家はむしろ少ない)。

 

そのなかでやや異色のグループが、旧同盟〔正しくは旧総評―編集子〕の最有力単産の1つの鉄鋼労連の委員長や前出の金属労協(JC)の議長を長年務めた宮田義二氏が「相談役」を、その鉄鋼労連での後継者で連合の前会長を務めた鷲尾悦也氏(現・全労済理事長)、および鷲尾会長の「女房役」の事務局長から後任の連合現会長に昇格した笹森清氏がそれぞれ「評議員」を務めているという、「連合トリオ」の存在である。

  

 現在は、著名大企業内に「敵」がいなくなり、「連合」の主たる担い手になっている(『もう一つの鉄鋼労働運動史―人間らしい働き方を求めた闘いの記録』、発行NPO法人労働者運動資料室、発行者 鉄鋼労働者協会など)が、カンパニー・ユニオン化した戦後労働組合運動の集大成としての「労働組合名」だ。

  http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_270.htm

 

 その現状については、日本の労働問題研究者の奮起を期待したい。若手研究者の民間企業労働組合幹部への聞き取り(オーラルヒストリー)の視点に過不足がないのか。

  

 ブラック企業へ物申し、非正規労働者の組織化に奮闘している青年たちにも、これらの一つひとつの「労働組合乗っ取りの過程」を学んでほしい。

  ▽参考
  『金杉秀信 オーラルヒストリー』、金杉秀信著、評者:山本 潔、大原社会問題研究所雑誌 No.627/2011年1月
   http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-05.pdf

   

    八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ芹澤寿良のページ)

     http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-0d95.html

   『ニッポン丸はどこへ行く』が解明したこと――インフォーマル組織物語Ⅵ-2
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f924.html

 

 ▽高橋祐吉、『企業社会と労働組合』「第3章 インフォーマル組織による組合支配構造の分析」、労働科学研究所、1989年。[原題「労働組合運動のガン=インフォーマル組織とどうたたかうか――その支配構造と克服の展望」、高橋祐吉、『日本の労働組合運動 5 労働組合組織論』大月書店刊 1985年]。
(PDFにできていませんがぜひ読んでください――編集子)。

 

 

   追記:2013:11:19

  ▽「インフォーマル組織の過去・未来」をUP――現代労働組合研究会のHP
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-82a1.html

 

 

 

2013年10月 5日 (土)

ネッスル日本労組の争議和解

 労働関係の名物ブログ「シジフォス」を読んでいたら、ネッスル日本労組の争議の和解を知った。

http://53317837.at.webry.info/201310/article_4.html

 

内容は、全労連のHPに告知されている。

http://www.zenroren.gr.jp/jp/

 

■【声明】ネスレ争議和解にあたって(声明)(2013/10/01

http://www.zenroren.gr.jp/jp/opinion/2013/opinion131001_01.html

本日、「OECD・多国籍企業ガイドライン」(「ガイドライン」)が目的とする「多国籍企業とこれらの企業が事業展開する地域社会との間の紛争防止と信頼向上を実現させる」観点から、スイスのネスレ本社と全労連の確認のもとに、兵庫労連並びにネッスル日本労働組合とネスレ日本(株)とが合意書を交わし、31年の長期にわたるネッスル争議は和解しました。

 

 声明にあるように、「31年の長期にわたる」争議だった。本当にお疲れ様でした。

 「ブログ・シジフォス」には、争議にかかわる経過・特徴・問題点など以下のように引用してある。


>ブログ・シジフォス「組合員がいなくなっても団交応諾命令」( 2010/11/05
 http://53317837.at.webry.info/201011/article_5.html

 3年前は、実に真面目に法律と向き合っていた自分を見るので過去ログは赤面の至りだが、争議の詳細をここに記しても悩みがつのる一方なので、いくつかの記事を掲げておくこととする。興味ある方はご参照頂きたい。

 
>当該HP「ネスレが組合つぶし、人権侵害 1980年代から20年間のあらまし 」
 http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page030.html

>ブログ・薔薇、または陽だまりの猫より「世界で最も倫理性が疑問視されている企業ネスレ/ネッスル日本労働組合」(2006-03-26
 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/c422f62b7aea81a546efaa05fdd3f7ba

>OECD指針に違反 ネスレの人権侵害ただす 笠井議員(赤旗 2007.6.7) 
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-06-07/2007060705_02_0.html

>東京東部労組HP・労働相談・労働組合日記( 200825日)より煮えたぎる怒り」及び『週刊金曜日』(10/13日号)より「ネスレで闊歩する法令無視-最高裁も断罪した労組攻撃」
 http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/40534669.html

>ある編集者のブログ「ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 
」(2012917)
 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html

 

 

HPの元がなくなっていたので心配していたが、「ネスレ日本争議の概要」のページに上記[ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 」(2012917)]で書いたSさんがいた。

http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page028.html

 

当時、お会いした方々は、すでに定年で自己の人生を歩んでいると思うが、次の世代は、少数だがまだまだ「まっとうな労働組合」をになっている。

なんらかの知恵を提案することが、編集子の責任だと思っている。

▽追加(13.10.07

 

神戸新聞のWEB版で以下のように報道された(2013/10/7 07:04)。

 

 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201310/0006399872.shtml

 


  
ネスレ日本と労組 30年の労使紛争終結 

 

 約30年にわたり労使紛争が続いていたネスレ日本(神戸市)と、同社の少数派組合「ネッスル日本労働組合10+ 件」が6日までに、紛争終結で合意した。労組によると、組合員の遠隔地異動や解雇などで訴訟や労働局への申し立てに至った紛争は、計100件以上に上った。 

 関係者によると、1982年から83年にかけ、会社介入でネッスル日本労働組合10+ 件が分裂。多数が新組合に流れ、同労組は少数派に転じた。それでも当時、組合員は300~400人いたが、長引く紛争で6人に減った。 

 裁判では会社の敗訴が相次ぎ、2005年には労組側が、経済協力開発機構(OECD)の多国籍企業行動指針に違反すると主張し、OECD日本国連絡窓口に申し立てていた。 

 合意は今月1日付。「ネスレ日本は過去の裁判所、労働委員会の判決、決定内容を真摯に受け止め、順守することを表明する」とし、「人権侵害、いじめなどの疑いが持たれる可能性のある行為がないように努める」などとした合意書が、同社と同労組、同労組の上部団体である兵庫県労働組合総連合(兵庫労連)の間で交わされた。また、過去の紛争について、双方が金銭の請求をしないことなどを約束した。

同社は「OECDなどのグローバルガイドラインを全面的に支持する。各国の法律を順守し、事業活動全般で人権を守り、労働慣行の模範となるよう努めたい」とコメント。同労組の播戸夏樹委員長(60)は「わずか6人の組合と会社が和解したことは評価できる。組合のあり方を若い人に示すことができた」と話していた。(中部 剛)


  

  ▽追加(03.10.09

 

  「きっと勝つ」 争議31年――ネスレ労働者 和解への道程

  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-10-08/2013100805_01_1.html

 

 

 

 ネッスル日本労働組合と兵庫労連は、世界最大の総合食品メーカー、ネスレ(本社・スイス)の日本法人ネスレ日本(神戸市)に対し、対等の立場で労使関係を正常化させました。31年の争議をふりかえりました。 (田代正則)

 

 「長い争議だったが、負けなかった。つぶされなかった」とかみしめたネッスル日本労組の播戸夏樹委員長。1日、日本語と英語の合意書にサインしました。

今年7月に60歳の定年を迎え、1年更新の契約で雇用継続しているところでした。「職場にいるうちに解決できた」

解決を心待ちにしながら、31年のあいだに職場を去っていった労働者もたくさんいました。

 

組合分裂の攻撃

 

 「ネスカフェ」「キットカット」などで日本に定着しているネスレ。日本で営業を始めて、今年で100年です。

ネッスル日本労組は1965年に結成され、頸肩腕症の問題を取り上げたり、労働者が健康に働き続けられる職場づくりのために要求をとりあげていました。それを嫌悪した会社は、組合を破壊するためのインフォーマル組織をつくりました。

82年~83年に、組合分裂の攻撃が仕掛けられ、ネッスル日本労組は職場の少数派に追い込まれました。

組合は、裁判闘争で、会社を断罪する命令・判決・決定等を100件以上勝ち取っても、会社の攻撃が続きました。

転機は2005年、経済協力開発機構(OECD)が多国籍企業に責任ある行動を求めた「OECD多国籍企業行動指針」に沿って、組合側が、労働者の権利侵害を申し立てたことでした。

申し立ての当初は、日本政府に設置されたOECD連絡窓口で手続きが停滞しました。日本共産党の笠井亮衆院議員が、07年6月に国会質問で取り上げたことで進展しました。

指針の枠組みでは、法的拘束力のある決定を出しません。代わりに紛争が解決するまで年次総会に報告され続けます。早く解決しないと、企業の信頼が低下します。

 

本社が姿勢転換

 

 多国籍企業であるネスレは、世界各地で指針違反の申し立てを受け、近年、スイス本社は姿勢を転換し、現地法人に対し「どのような少数組合とも話し合いの場を設定すること」を奨励していました。

 和解内容の履行の確認書には、ネスレのスイス本社役員と、全労連の大黒作治議長が名前を連ねました。全労連に結集し、ネッスル日本労組と連帯する日本のすべての労働者が見届け人となったのです。

「これで、職場で気軽に話ができる」と前海明(ぜんかい・あきら)書記長は、しみじみ話します。

これまで、会社の圧力で、ネッスル日本労組の組合員とは、あいさつもできない雰囲気がつくられていました。職場の人間関係が深く傷つけられてきました。

播戸委員長は、「きっと、少しずつ慣れていきます」と職場の仲間へ信頼を込めています。「これまでなかなかできなかった、職場の要求を集め、合理化とのたたかいや、労働条件の向上に取り組んでいきたい」[「しんぶん赤旗」、2013108日(火)]

 

 

  ▽追加(13.10.10

 

   明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

   http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765

 

 

  ネスレ日本の長期争議解決を喜ぶ 

 

 

 スイスに本社のある多国籍企業「ネスレ日本」の労働争議が、31ぶりに和解協議でで解決した。7日付『赤旗』によると、「多国籍企業に対して責任ある行動を求めた、経済協力開発機構(OECD)の『多国籍企業行動指針』にそった手続きで解決した日本初の事例です」ということだ。

 

ネスレ(当時の社名は「ネッスル」)の労使紛争が都労委に不当労働行為事件として申し立てられたのは1983年6月1日だった(昭和58年不56号事件)。この事件は団交応諾を求めるものだったが、組合員1人の降格配転事件(58不57)、チェックオフ分返還請求事件(58不66)と続いて申し立てられた。

 

担当委員は、公益・高田、使用者・兵頭、労働者・戸塚で、代理人は組合側古川弁護士、会社側青山弁護士とそうそうたるメンバー。おれは労働者委員6年目で46歳。自分でいうのもなんだが「脂の乗り切った」時期で、百戦錬磨の兵頭さんや青山弁護士と丁々発止やり合って一歩も退かなかったものだ。

 

組合は、会社が申立組合の存在を認めず①団交を拒否し②チェックオフした組合費を別組合に交付していると主張。会社は、お互いに本家争いをしており明確に組合分裂とは言えないので団交応諾を保留しているだけだと弁明していた。結局、56号、66号事件を併合して、84年7月30日付で組合主張をほぼ認めた救済命令を発した(①団交応諾、②チェックオフの禁止と別組合に交付した組合費の返還)。

 

その後、茨城工場での組合員解雇事件も起こり、中労委、地裁、高裁、最高裁から会社断罪の命令・判決・決定が100件を超える長期のたたかいになった。今回、①団交応諾、②人権侵害・いじめなどを行わない、③人事異動の事前協議、④命令・判決の順守、の内容で和解に達するまで31年を要した。

 

和解確認書の調印は1日、スイス本社人事労務管理責任者エンリケ・エルダー氏と全労連大黒作冶議長の間で行われた。この調印式の写真が7日付『赤旗』1面に載っている。大黒、エルダ―両氏が握手している後ろに、最初からこの争議をたたかってきた斎藤勝一さんの姿が写っている。感無量だろう。

 

これでおれが関わった長期争議は「明治乳業」を残すのみになった。明乳争議の未解決の原因はあげて都労委にある。限りなく愛着のある都労委だが、明乳に関しては憎しみを禁じ得ない。

 

 ▽追加(13.10.13)

  解決してもメディアは報じないネスレ争議の意義、シジフォス、 2013年10月10日(ちょいと長いので失礼します。下記のアドレスをクリックして下さい)
   http://53317837.at.webry.info/201310/article_10.html

 

 ▽追記(2014.01.06)

 

 全労連のツイッターを読み直したら、下記の集会報告がYouTubeにUPされていた。

 弁護士のHさんからきついメッセージが発せられていた。

 ネッスル争議和解報告集会-20131129

 

 zenrorenweb·

 

 公開日: 2013/12/11 

 

 2013年10月1日。31年の労働争議をたたかってきたネッスル日本労組が、会社と­和解しました。1129日に全労連会館で行われた和解報告集会の模様です。

 

 http://www.youtube.com/watch?v=rmYgVoQSxnc&feature=youtu.be

 

 

 ▽以下のページも。

 

 ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html

 

 

 ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-bf1d.html

 

 ▽参考(現代労働組合研究会のHP)

インフォーマル組織の過去・未来

2012年10月18日 (木)

オリンパスもインフォーマル労組が会社乗っ取り――インフォーマル組織物語Ⅹ

 

 オリンパスの新旧社長は元組合幹部

 

 昨年から新聞・テレビなどで報じられている「オリンパスの乱脈経営」の主人公たちが、あの名だたる総評全国金属に加わっていた元労働組合幹部たちだということが、分かってきた。

私は編集者時代から労働問題を「小説のような社会」として、とらえている。

以前、小説家・清水一行さんに企業小説の材料を提供したことがあるが、「企業小説」の舞台・深部が労働問題なのだ。

 

 昨年、『今崎暁巳さんと私』(PDF版)の編集に参加し、そこに文章を寄せられた、下村三郎さん(元全金理学電機支部、のちに全日本金属情報機器労働組合〈JMIU〉)が、機関紙「金属労働新聞」JMIUの機関紙、1210日号)に下記のような文章を寄せている。

 機関紙はWEB上で読めないので、沖縄県労連の「働く仲間の労働相談センター ☆管理人のよもや話 管理人のまったく個人的感想などを記したブログ」に掲載しているモノをそのままUPする。

 労働組合・ユニオンの側の対応の遅れを痛感するが。

 

  企業をなくしたのは「インフォーマル組織」だ

 

 下村さんによると、「かつてオリンパスの労働組合は全国金属に加盟し、たたかう姿勢と経営をただす気骨を持っていた。しかし、オリンパスの経営者はそれを嫌う。山武、北辰電機などがインフォーマルグループによって労働組合が変質させられる時期、オリンパスでも組合の「体質改善」が進む。組合のトップが今話題の菊川元社長だ。高山新社長は八〇年代、八王子工場の組合支部長だった。たしか全金東京西部地協の副議長だった事もある」と記している。

 

 ここでもインフォーマル組織(グループ)というキーワードが浮上している。「体質改善」という名で企業内労組の実権を奪い、会社の主権を乗っ取り、フォーマル組織のTOPに立つ。

 明治乳業と同じパターンだ。

 この結果、これまで追及してきたように、この組織がかかわると、そののち会社がおかしくなる。

 職場の民主化をもとめた人たちへの「企業破壊分子」だという暴力的攻撃や“職場いじめ”を組織したグループみずからが、「とばし行為」のように犯罪に手を染めている。

 「満足化社会」の達成のために、「法人乗っ取り」と「エゴ社会」の先兵となっている姿が浮かび上がっている。

 

 

20111226

オリンパスよ、お前もか

 

日本が行動成長を遂げ、諸外国から経済は一流、政治は二流などと言われ、日本的経営が賞賛された時代があった。

その日本的経営が成功した要因として、「三種の神器」にあるとされた。「三種の神器」とは、終身雇用、年功序列型賃金、労使協調である。

今や、終身雇用と年功序列型賃金は風前の灯となっているが、労使協調はとりわけ大企業において今なお健在であり、場合によっては協調を超えて癒着とさえなっている。

このような労使協調・癒着は、経営陣がまともな経営をしている場合はともかく、経営陣が悪事を働いていている場合においても、労働組合に経営のチェック機能が働かず、時としては悪事に加担し、ひいては大リストラに導いたり、起業の消滅さえ招来する。

全日本金属情報機器労働組合(JMIU)の機関紙「金属労働新聞」1210日号に、労働組合の役割を考えさせてくれる一文を、元副委員長の下村三郎さんが書いているので紹介したい。

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オリンパスよ、お前もか

 

  いまこそ本物の労働組合が必要

 

「オリンパスよお前もか」「高山君 とうとう貧乏くじを引かされたな」。テレビ、新聞で毎日、オリンパスの「損失隠し」の報道を見ながら思う。

 もう二年ほど前か、朝日の声欄に「働く者軽視の企業に未来なし」とかいた。当時JALJR西、日本郵政など「官から民」となった企業の不祥事が相次いでいた。今年は東電はじめとした電力会社の「安全神話」胡座(あぐら)をかいた結果の大事故だ。

 ただ、いずれも問題の根源には、本来なら経営の暴走や安全無視をただすべき労働組合がその役割を果たしていないことがある。JALJRは労働組合を分裂させ、電力会社はレッドパージや正論を吐く労働者への差別や隔離で組合を会社いいなりの組織にした。それが、儲け第一、安全軽視の経営を許した。

電力会社の組合は、いまも経営者顔負けに原発推進、早期運転再開を主張する。

ところでオリンパス。かつてオリンパスの労働組合は全国金属に加盟し、たたかう姿勢と経営をただす気骨を持っていた。しかし、オリンパスの経営者はそれを嫌う。山武、北辰電機などがインフォーマルグループによって労働組合が変質させられる時期、オリンパスでも組合の「体質改善」が進む。

そのあとの組合のトップが今話題の菊川元社長だ。高山新社長は八〇年代、八王子工場の組合支部長だった。たしか全金東京西部地協の副議長だった事もある。いまから九年ばかり前、オリンパスが茨城・協和町の子会社・東京金属に「会社解散」を仕掛けた時、何度か新宿のオリンパス光学本社に抗議要請にいった。その時に対応したのが、当時、総務部長だった高山氏。交渉の冒頭に彼は「理学の下村さんですね」といった。

「労働組合」は、もう産別組織からも脱退していた。歴代の組合トップが経営の中枢・トップに座る。こうした企業と労働組合に正常な労使対等の関係は生まれない。それでは経営のチェック機能も失われ、コーポレートガバナンスも働かなくなる。カメラや内視鏡の技術は優秀でも、経営は目先の利益追求だけに走る。オリンパスも横河電機に吸収された北辰の撒を踏むのか。

 いま、つくづくと本物の労働組合の必要性を痛感する。まともな労働組合こそ企業を守ると。

 

働く仲間の労働相談センター ☆ 沖縄県労連

http://okinawakenroren.org/

 

 

管理人のよもや話 管理人のまったく個人的感想などを記したブログ

http://okinawakenroren.org/kanrinin-blog/2011/12/1226olympus.html




 

 ▽参考

インフォーマル組織の過去・未来

 

2012年10月17日 (水)

どこに消えた『サスコミ』グループ――インフォーマル組織物語Ⅸ

 1980年代に「影の労働界」の中心を占めた、『サスコミ』グループ。

 私たちは、雪印食品争議を通じて暴露していた(『自立する労働運動――知られざるインフォーマル組織』、1983年)。

 その『サスコミ』グループに犯された企業群は以下の通り。

 福島第一原発事故を引き起こし、民主党の反原発代議士たちに「恫喝」を行っている東京電力労組が表紙を飾っていたのを記憶する(東電鶴見火力、電力労連という名前が出ている)。

 ▽サスコミによく出る労組名

昭和電工川崎、東電鶴見火力、タイコー電機、東芝、全化同盟川崎化成、基金、セガ、エンタープライゼス、日本航空生協、小野田セメント、雪印乳業、雪印食品、味の素、プリマ民主、レナウン、伊藤製パン、日清紡、モービル石油、油研工業、凸版製本、凸版印刷、細川活版新労、大目本印刷、図書印刷、東京書籍、北辰電機、大日本インキ、第二精工舎、ニコン、松下電器、三豊製作所、日本ケミコン、川崎重工、三晃印刷、空航グランドサービス、セントラル自動車、富士工業、日本金属工業、三菱重工、東京化学、旭硝子、日本鋼管、三菱重工、AGS民主、全金同盟タイコー、日本ユニカー、ブリヂストンタイヤ、東急車輌、小松製作所、カシオ計算機、立川スプリング、全トッパンムーア、久保田鉄工、丸菱総業、プラチナ万年筆、日本ビクター、日本電子連合、航空同盟、新日鉄労連、電力労連、自動車労連、モービル石油(アメリカ合衆国)、全トッパンムーア(マレーシア)、八重洲無線

『サスコミ』の発行母体は、当時の新聞では、このように書いている。

 1、『サスコミ』は月刊誌、定価500円(現在700円)、創刊は1976年7月、市販はされていない。

 2、『サスコ…』のサスとは、Social-Academy-Seminar(ソシヤールアカデミーセミナー)の英単語の頭文字をとったもの。会員組織であり、『サスコミ』(SASCOMI)は、この機関紙。

 3、発行所は「社労研」(社会労働運動研究所)東京都新宿区四谷1の8、佐伯千成ビル7F(1980年1月より)法務局には登記されていない団体。

 4、社労研所長に気賀健三慶応大学名誉教授。民社党を支える学者グループ民主社会主義研究会議(民社研)メンバーが常連執筆者の大半を占めている。

 5、社労研はSAS(サス)学校という研修会を東京、大阪、神奈川などで開催している。参加者は同盟系労組の中堅幹部、会社の意をうけた社員ら。

 6、SAS学校長は気賀健三社労研所長が兼任。副学校長は吉田忠雄明治大学教授。 講師に宮田義二鉄鋼労連会長、中村卓彦同委員長、高畑敬一松下電器労組委員長、畑良雄自動車労連副会長など。

  
 150313sasukomi027


私が、《Windows95》以前の労働界の話を書くために、インターネット上で調べたら、『サスコミ』は1件しかヒットしなかった。

 http://library.main.jp/index/jst25112.htm
 

  121017ags5491



 それは航空界の労組の一つで『翼の下で-民航労連・AGS労働組合30年のあゆみ』(民航労連AGS労働組合30年史編集委員会、発行社:あかつき印刷、平成06年09月10日 1994年)だった。

 その中の「【第7章 第二次分裂攻撃】――AGS民労の旗揚げ民労の組織拡大の手段/『サスコミ』誌の坂井レポート」と書かれている。

「インフォーマル組織」に犯され、『サスコミ』グループに企業破壊された事例のひとつに「全金北辰電機労組」がある。

当時、そのリーダーが『サスコミ』に顔写真を出して弁舌を振るっていた。今、存命するならば70代のはずだ。

北辰はその後、横河電気に合併・吸収されている(1983年には業界3位で住友グループの株式会社北辰電機製作所と合併、横河北辰電機株式会社と改称。1986年にCIを実施し、現在の横河電機株式会社となった)。

企業破壊者は、職場の民主化をかかげたメンバーではなく、労働組合を乗っ取ったインフォーマル組織のリーダーたちだったのではないか(その影でリードしたのは、だれなのか。企業小説のレベルの話だと確信している)。

ある読者の方からの疑問を以下に答えておきたい。

消えた『サスコミ』グループの話を取り上げたが、私はこのグループ(昭和ヒトケタから20年生まれ)がその次の世代(団塊の世代)も含めて「企業のフォーマル組織の実権」を握って、日本国の権力に入り込み、日本企業や自治体の活力を奪っているのではないか、と思っている。

不正義と自己中心社会の中心部に、連綿とつながる「インファーマル組織の遺伝子」が入り込み、実権を握り締めて離さない集団がいる。その一例が、前回レポートした「明治乳業の役員構造」だ。

追記

ダンボール数箱に入った『サスコミ』グループなどの資料は、当時、国労(国鉄労組)へ総がかりで襲いかかった攻撃のために「勉強したい」というある弁護士に送った記憶がある。しかし残念ながら、国労は「芹澤寿良のページ」で紹介してきたとおりだ。

  

  ▽追記(参照、13/10/25

 

  大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織 

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html 

  

   ▽追記「インフォーマル組織の過去・未来」をUP――現代労働組合研究会のHP 

 

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-82a1.html

 

 

  ▽追記 あるtwitterで書かれた「サスコミ」  (14.0910

 

        http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/twitter-c054.html

 

 

2012年10月10日 (水)

八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ

 現代労働組合研究会のサイトをオープンして10カ月になるが、本サイト内で紹介した「1960年代後半期の八幡製鉄所におけるインフォーマルグループ育成策に関する総括的文書」(芹澤寿良のページ)を再度、このブログで紹介しておく。

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/serizawa/index.htm

 本論文の経緯は、製鉄労働者新聞社のサイトで、次のように書かれている。

  http://blogs.yahoo.co.jp/sttroshin/3579193.html

 

1960年代後半の八幡製鉄所の青年対策   資料 2010.1.102010.4.10 10回連載

  この資料は昭和40年代日本共産党製鉄委員会の代表的人物の一人宛てに匿名で送られてきた手書きの青焼き資料です。明らかに八幡製鉄所労働部で作成されたものと推測されます。昭和30代年後半から40年代前半の会社の青年層における対策が詳細に記録された貴重な資料です。青焼き原稿をワープロで編集整書して、「製鉄労働者」新聞に2010年1月10日から2010年4月10日号(1395)10回に分割して掲載しました。

 高知短大芹澤教授は、この資料の背景について、前文で解説をしています。

 参考文献『1960年代後半期の八幡製鉄所におけるインフォーマルグループ育成策に関する総括的文書』

(高知短期大学名誉教授 芹澤壽良 著201111月 高知短期大学 社会科学論集第99号抜粋)

 

 

 八幡製鉄所について、特別の感慨があるのは、学生時代に学んだ「労働問題・社会政策」の根本を占めた日本の企業だったからだが、編集子は学生が終わる時期その姿を見てみたくて、東京から夜行汽車に乗って、労働者の入門風景(朝8時位ごろだったか)を見に行ったことがある。

 『溶鉱炉の火は消えたり』(浅原健三著)で八幡製鉄所の劣悪な条件下で働いていた工場労働者たちを大いに鼓舞した本があるが、冬まだ寒いなか白い息を吐きながら黙々と働きに行くその後ろ姿は、少し違和感を感じたものだ。

 

 その後、佐木隆三の『ジャンケンポン協定』(1963年、晶文社→講談社文庫― 新日本文学賞受賞)を読みながら、“巨大企業とその人間模様の虚業的雰囲気”も学んだ。

 

鉄鋼労働組合運動史専門家の芹澤寿良さんは、畏友・下山房雄著 『現代世界と労働運動――日本とフランス』(御茶の水書房 、1997/2/1)の書評〈『大原社会問題研究所雑誌』第481号(199812月)〉 の中で以下のように、下山説(65年画期説)に触れ、その役割を担った組織が「インフォーマルグループ」であることを明示していた

“一章は、戦後日本の企業別組合の変化に関する学説を検討し、そこから産別の時代、総評の時代、同盟・JCの時代に分けて企業別組合の機能、組織の変化が組合主導路線の交代(イデオロギー)と不可欠に結合していたことを明らかにしている。

 著者が前編各章や「あとがきに代えて」の戦後日本の労働組合運動論に関わる部分において、繰り返し主張している論点(「65年画期説」)は、1960年代の半ばに基幹的な民間重化学工業部門の大企業において、労働組合の企業への抵抗組織から企業への協力組織への交代、転換(「日本的労使関係」の成立)が、強力な労務管理の誘導、左派活動家へのあらゆる差別、職場の自主的な諸活動の抑圧、組合執行部の会社派による制圧、インフォーマルグループの全国的結集など、こうしたなかで労働者多数の同意をとりつけながら行われ、その結果積極的な意義をもっていた春闘も「社会運動から管理された制度」へその性格が変化し、単産は企業別組合の連合体に変わり、雇用と生活を犠牲にしても企業を守るのが労働組合の課題とする路線が春闘をも貫いていったということである。“

 

 さらに、芹澤さんは、“「組合執行部の会社派による制圧」について指摘しておきたいことは、その主要な手段として会社派による組合役員選挙制度の相次ぐ改悪と運用、それを利用した会社側の大がかりな干渉、介入がおこなわれたことであり、評者は、これを抜きにして、「日本的労使関係」の成立もその後の安定的な展開、維持もきわめて困難であったと思っている。この状況は、今日に至るまで続いており、労働組合の役員を民主的に構成するという組合民主主義の初歩的かつ根本的な改革はかなり長期にわたって実現されていないのである。 ”と指摘していた。

 

 その役員選挙の前段に、会社側の労働部が率先してグループ育成を行う過程が書かれたものが、本文書である。

 解説文(〈高知短期大学社会科学論集99号〉投稿原稿)で、「宮田義二氏が松下政経塾の塾頭として、今日に民主党の何人かの幹部の育成に関係してきたことも、見流せない事実だ」と指摘している点だ。

 「政労使の統合社会」が生まれているのだろうと思うが、そのプロセスも知りたいものだ。

 

 本文書の時代的舞台は1960年代。いま60代から70代の人たちが現場をになっていた。昭和歴では41年、42年と明示されているが、この時代に生きていた人たちのそれぞれの思いが、インターネット上でかき消されないためにも、本文書は歴史を背負っているのだ。

 

2012年10月 3日 (水)

明治乳業のインフォーマル組織がフォーマル組織のTOPへ―インフォーマル組織物語Ⅶ

 20120628日(木)の明治HD株主総会で一人の株主が訴えた様子が発信されている。

 http://kotayan.seesaa.net/

以下の文章は、明治乳業争議を支援する会のサイトから引用した。

 

「大企業の労働争議で解決していないのは明治HDだけです。国際社会の中で、賃金差別や人権侵害をしている企業は通用しません。だから、日立は6件の争議をまとめて話し合いで解決しています。

 労働争議を抱えていたのでは、社内の人心は乱れ、モチベーションはあがらず、全社一丸となって働くことができません。

食の安心と安全を守るべき食品産業でこれだけの不正・不祥事を多発させている企業は明治HDだけです。

 企業不祥事の影響はステークホルダー(利害関係者)である消費者、酪農家、取引先、小売店、従業員、地域社会、社会、政府・行政・国民、投資家、債権者に深刻な打撃を与えています。

 その結果、明治HDに対するステークホルダーの信頼感は低下し減収減益につながり、従業員の解雇やリストラに向かい、株価下落の悪循環に入ります。

 株主のみなさん

 企業不祥事の根絶、長引く労働争議の解決なくして、明治HDの発展はあり得ないのではないでしょうか。

 明治HDの浅野茂太郎社長(就任予定)はじめ経営人に、その決断を株主総会で求めようではありませんか。

 株主総会で明治HDのオーナーとして声をあげていただくことを心から呼びかけます」と。

 

 その明治乳業では、現在もインフォーマル組織のメンバーが会社役員のフォーマル組織になって、実権が握られている。

 

“労働争議は10件、現在も3件が係争中で浅野茂太郎社長が賃金差別やパワハラで訴えられています。なぜ、このように明治は暴走し、反社会的企業になったのでしょうか。その原点は明治乳業市川工場(千葉)にあります。

 浅野茂太郎氏は会社の意を受けて秘密組織(明朋会)のインフォーマルの代表として、明治乳業労働組合市川支部に支配介入し、支部長選挙に立候補し、対立候補の小関守氏を破り労組を乗っ取りました。

 この行為は労組法で禁じている不当労働行為、労組に対する支配介入、すなわち犯罪行為です。

 浅野茂太郎社長が労組乗っ取り後にやったことは、食の安心・安全守れ!社員の賃金・労働条件や権利を守れ!と主張する小関守氏などの活動家集団を徹底的にイジメ、人権侵害と賃金差別を行ったことです。

 そして、労働者を「紅組」「白組」「雑草組」に差別・分断して支配しました。

「紅組」には、職制らを先頭に「赤い水虫」「赤いゴキブリ」「生産疎外者」「職場秩序破壊者」などの罵倒を浴びせ、人権蹂躙と差別の限りをつくしました。

 また、「紅組」は、「青空部隊」と蔑視し、敷地内のゴミ拾い、草取り、ドブ掃除、ペンキ剥がし等の、嫌がらせを徹底的に強いました“

「明治乳業争議を支援する会」のサイトでは以上のような経過を書いている。

 



 その文書を読むと「すでに争議団64人中10人が早死にするなど、これ以上の争議引き延ばしは人道上も許されません」と書かれた箇所があった。

 

 実は、1980年代のあるとき、「雪印と同じインフォーマル組織にやられたという」訴えがあり、千葉の元八幡駅の近くの会場で、後の明治乳業争議団の皆さんと会ったことがある。

 「赤い工場・市川明治乳業」という、労務屋さんの文書が手元にあった。

どこから回ってきたがもう忘れたが、「『学習の友』500部入っている工場」という見出しが踊っていた。

みなさん、自分よりずーっと年上の人たちだった。

 なにか、こちらが話していいのか戸惑いながら、「インフォーマル組織の構造、背景、担い手」を話した。

 しかし、みなさんは「東京争議団運動」をほとんど知らなかった。「政党の枠組み」の気分が強かった印象を持った。

 前回紹介した、「日産厚木を明るくする会」の活動を話したが、どうもピーンと来なかったようだ。

 

 こういう集団には、日本鋼管京浜製鉄所の取材に行ったときも出会った。まだ「労働組合運動をするより、議会に出て社会が変えられる」と思っているようだ。

 


 その後、東京争議団運動に加わり、活動を活発に展開しているのは、知っていた。

 『今崎暁巳さんと私』(2011年6月刊)には、作家の山形暁子さんの寄稿文がある。

  ある思い出●山形暁子

 十五~六年前、『住民と自治』という月刊誌に「松の見える町から」と題するルポ風エッセイを連載させていただいた。

 私が36年間働いた都市銀行を退職して間もなくのころだ。今崎さんがかねがねおっしゃっていた「地域に入ると、企業の中だけでは見えなかった、別のものが見えてくる」という言葉を、改めて実感したものだ。

 地域に根ざしたさまざまな運動との出会いのなかで、とりわけ印象深いのは、賃金・昇格差別とたたかう明治乳業争議団市川工場32人の男性たちの存在だ。裁判所の勧告に108も応じない卑劣な企業とのたたかいは、今もなお続いているが、1991年に発行された冊子『俺たちは負けない―人間らしく生きるために』には、連帯ある生活を創り始めた青年たちを、熱い眼差しで捉えた今崎さんのルポ「雪の下で準備する春」が載っていた。あっ、ここにも。思いがけない巡り会いだった。(日本民主主義文学会会員)

 

 何もできないが、「インフォーマル組織のフォーマル組織化」の典型例として紹介したい。昔の言葉で言えば「御用組合幹部の会社乗っ取り」の事例だ。

 その上で、会社の不祥事体質を持った役員ということが、上記ページで告発している。雪印食品の二の舞になる前に、社会的説明が必要だ。

 

   

  ▽2016.02.28戸塚章夫さんの【検証・都労委「明治乳業事件」】読み終えて

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-1b16.html

   ▽参考(13.11.01)

 

   大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html

   『金杉秀信 オーラルヒストリー』、金杉秀信著、評者:山本 潔、大原社会問題研究所雑誌 No.627/2011年1月
   

  http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-05.pdf

   

  八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ芹澤寿良のページ)

     http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-0d95.html

   『ニッポン丸はどこへ行く』が解明したこと――インフォーマル組織物語Ⅵ-2
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f924.html

 

  ▽「労働組合運動のガン=インフォーマル組織とどうたたかうか――その支配構造と克服の展望」、高橋祐吉、『日本の労働組合運動 5 労働組合組織論』大月書店刊 1985年(PDFにできていませんがぜひ読んでください――編集子)。 

 ▽それぞれの労働組合運動史・3

 アドルー・ゴードン著、二村一夫訳 『日本労使関係史~1853-2010』(元大原社会問題研究所所長・法政大学名誉教授)の「第11章 日本型労使関係のヘゲモニー」の部分を読んでほしい。
 インフォーマル組織は、「裏返しのレーニン主義」の母国であった、書いてある。

  追記(2014.12.27 ) 「インフォーマル組織の過去・未来」を更新
32〕必見! 倉内節子弁護士講演「不当労働行為と闘った30年――明治乳業事件から最近の労働問題まで」、労働相談センター・スタッフ日記、NPO労働相談センター(03-3604-1294)、全国一般東京東部労働組合、20141219日(ビデオを見てください。1時間6分ほど)