「現代政治・戦後史」研究会

2024年10月 6日 (日)

『北大院生協議会史一大学院生の苦悩と成長の軌跡』をご案内。

 手島繁一さん(札幌市在住)から【北大院生協議会史 大学院生の苦悩と成長の軌跡』を送っていただいた。A5判、352pで昔流に言えば8ポ2段組の本。
 私は内容紹介するだけの役割ですが、「手島繁一のページ」にUPした。
 手島さんの「まえがき」と、「目次」、それに「あとがき」(編集委員を代表して、明神勲さん)だけは読めるようにした。
 http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/index.html


 編者 北大院生協議会史編集委員会 編集委員:佐々木忠、岡孝雄、小坂直人、佐久間亨、高田純、手島繁一、羽田貴史、平田文男、明神勲、山口博教
 発行 花伝社、発売 共栄書房、2024年9月5日、初版第1刷発行、3520円(税込み)

 

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  発行元の花伝社のHPに内容紹介がある。
 https://kadensha.thebase.in/items/89603413

 ●著者紹介●
 (編集委員)
 佐々木忠、岡孝雄、小坂直人、佐久間亨、高田純、手島繁一、羽田貴史、平田文男、明神勲、山口博教
 ●内容紹介●
 「高等教育の拡大・多様化」の初期に、大学院生は何に悩み、どう手を取り合ってきたのか

 戦後の高等教育の民主化の一環としての「新制大学院制度」のもとで、生活・研究条件の改善、研究の自主的、創造的発展を求め、院生協議会を組織し、大学当局・部局と粘り強い交渉を重ねた運動の軌跡を辿る。

 大学院制度の未来を見据えて編まれた貴重な本邦初の院協運動史、ついに刊行
 ●目次●
 目次
 執筆者一覧
 まえがき
 第Ⅰ部 北大院史(通史)
 第Ⅱ部 各研究科と個別分野における北大院協の活動
 第Ⅲ部 北大院協と私(個人回想録)
 第Ⅳ部 資料・年表・文献一覧
 あとがき
 【編集後記】
 執筆者一覧

 

 ▽この出版物の前に編集・出版されたのが『北大1969―あのころ私たちが求めていたもの』(2020年12月25日、「北大1969」編集委員会編、代表 手島繁一、発行 メディアデザイン事務所マツモト)。

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-039b29.html

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 ▽2011年に刊行された『蒼空に梢つらねて――イールズ闘争六〇周年・安保闘争五〇周年の年に北大の自由・自治の歴史を考える』
 あとがき:手島繁一
  
http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/hokudai.html#atogaki

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2021年1月15日 (金)

『北大1969―あのころ私たちが求めていたもの』を紹介。

  『北大1969― あのころ私たちが求めていたもの』、(2020年12月25日、「北大1969」編集委員会編、代表 手島 繁一、発行 メディアデザイン事務所マツモト)

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/index.html

 【追記  2102.02.18】 ▼本書の申し込み先(Media Design Office Matsumoto:発売元のご案内)

 『北大1969― あのころ私たちが求めていたもの―』価格: 1,800円(消費税含む)

   https://media-design.work/wp/?p=1838

 

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はじめに

      編集委員会を代表して        手島 繁一

   われながら大仰な書名をつけたものだと思う。とはいえ、これ以外に表現しようがない、との思いも一方ではある。
 一九六九(昭和四四)年は、大学紛争が全国を席巻した年であった。年明けからして、東京大学のシンボルでもある安田講堂に立て籠もった学生たちと警官隊との派手な攻防戦が繰り広げられ、その模様を報じたテレビの視聴率は過去最高を更新した。東大と東京教育大の入試は中止となり受験戦線は恐慌をきたしたが各大学の入学試験は滞りなく実施された。
 と思う間もなく、四月に入って大学の入学式は、当時新左翼系といわれた暴力学生集団の乱入などによって荒れに荒れた。
 またたく間に、紛争は全国の大学に広がり、所によっては高校にまでも広がって学園紛争と呼称された。政府も手を拱いているわけにはいかず、紛争の鎮静化のために権力的介入を可能にする大学臨時措置法を国会に上程したが、これがまた火に油を注ぐことになった。
 北大では、紛争は六九年四月十日の入学式の混乱に始まり、翌七〇年一月の機動隊による教養部封鎖解除と学内駐留で終結した、と公式文書にある。 本書は半世紀前、一九六九(昭和四四)年に、北海道大学の学生であった者たちが、北大紛争あるいは北大闘争といわれる事態のなかで、なにを思い、なにを求めて闘争に参加したり、あるいは紛争に巻き込まれたりしたのかを、それぞれに思い起こし書かれたものである。
 本書の企画の起点となったのは、紛争当時、北大経済学部の自治会組織であるゼミナール協議会で活動していたOBOGが呼びかけて開催された「北大闘争五〇年の年に語り合う夕べ」という同窓会(二〇一九年十一月四、五日、定山渓温泉)であった。紛争当時、経済学部の新任の助教授であった荒又重雄先生の講演を伺い、それぞれの来し方や近況などを交流し合った集まりの報告集を出版しようと、編集委員会が発足した。さらに経済学部の枠にとどまらず全学に呼びかけて寄稿を募ろうと準備が進められた。コロナ禍に見舞われたという事情もあったが、学部学年を広く網羅するには至らなかったことは編集委員会の力不足であり、お詫びするよりほかはない。本書の公刊が契機となって、北大闘争あるいは紛争についてのさらなる探求と対話が広がることを願うものである。
 ところで、本書の編集委員会や寄稿者の多くは、大学と学問が負っている社会的使命を果たすべく、「全構成員の自治」という新しい理念による民主化闘争を担った学生たちであった。これまで、大学紛争は全共闘系学生の封鎖や暴力、警官隊との衝突といったセンセーショナルな場面がことさらに強調された報道の影響もあって、その本質ともいうべき民主化闘争の位相が正当に評価されてこなかったように思う。本書は当事者の回顧や証言、歴史資料などをもとに北大闘争あるいは紛争を検証し、その歴史像を更新する試みでもある。
 それにしても、わたしたちの編集作業は五〇年という歳月の重さをあらためて実感させられるものであった。忘却、記憶違い、記憶の選択性などの限界ないしは難点は、常にわたしたちの前に立ち塞がった。だが、五〇年の歳月が育んだ豊饒さは、それらの難点をはるかに凌駕するものであった、とわたしたちは自信をもって言うことができる。それぞれの執筆者が当事者としてアイデンティティ・ヒストリーを語りながら、他方、五〇年の人生経験を経て得られた視点から自らを再審するという行為は、はからずも紛争あるいは闘争の多面性を、そしてそれゆえの複雑さと豊饒さを示すことになったのではないだろうか。闘争や紛争への関わりの如何にかかわらず、すべての人に公平に開かれた言論空間を提供することは、わたしたちがめざしたことのひとつであった。
 さて本書は、目次が示すとおり、一部・二部と資料編の構成になっている。第一「北大闘争とはなんだったんだろうか」は、報告集の起点となった荒又重雄先生の講演、当時の北大学連委員長であった手島繁一の論稿、六九年の日録風ドキュメントが収められており、いわば導入部になっている。
 第二部は本書の白眉とも言える部分で、三十九人の方が寄稿した回顧、証言論稿である。それぞれが担った北大闘争の諸断面を自分史と重ねながら綴った貴重な証言・記録の集積であり、これからも続くであろう歴史の掘り起こしや再検証に役立つと確信する。読者の便宜を考えて、所属した学部、サークル毎に整理して配置した。
 資料編は、本書の出版の基礎ともなった歴史資料のリスト、および年表である。歴史資料は「伊佐田・伊藤・岡旧蔵資料」(約三二〇点)と、「神田健策旧蔵資料」(約五〇点)の二つで、いずれも北大闘争の理解には欠かせない一次資料、ビラ、パンフレット、討論資料などをリスト化したものである。この二つの資料群は北大文書館に寄贈する予定であり、今後の歴史研究へのまたとない置き土産となろう。
 本書の構成について一言お断りしておかなければならない。本書は、本編ともいうべき第一および第二部と資料編という、本来別の本となるべきものを一冊の本としてまとめたため、本編部分は通常通り頁が前から後ろへと進むのに対し、資料編は本書の最後から前へと頁が逆に進むという、変則的な構成となっている。それがゆえに読者の利用に不便が生じることもあろうかと危惧するものであるが、歴史資料を大切にしたいという編集委員会の意図に免じてご寛容を願うものである。

『北大1969―あのころ私たちが求めていたもの』

 はじめに  編集委員会を代表して 手島 繁一 

 第一部 北大闘争とはなんだったんだろうか
 第一章 《記念講演》 そこから何を学んで、私たちは生きてきたのか… … 荒又 重雄(北大名誉教授) 

 第二章 私 論「北大紛争」 手島 繁一 

 第三章 1969北大ドキュメント
 第二部 回想 わたしたちの一九六九

 第四章 教養部
 私の踏み出した第一歩と、今につながる二歩、三歩、四歩、ゴホッ 吉田 万三 
 教養時代随想 君嶋 義英 
 激動の一九六九年―封鎖と封鎖解除の中でのクラス・自治会活動 山口 博教 

 第五章 農学部・工学部
 たかき希望は 時代を照らす光なり 佐々木 忠 
 苦い思い出 ジェンダー不平等時代 伊藤(増田)光枝
 学問へのあこがれと自主ゼミ活動 守友 裕一 
 「七二年北大事件」と私 山下 悟 
 一九六九年当時の北大工学部の動向  編集委員会 

 第六章 理学部
 一九七〇年前後の北大理学部の動きと私のあゆみ 岡  孝雄 
 『大学変革』の裏方としての思い出  北口 久雄 
 北大闘争の思い出  宮下 純夫 
 故二ツ川健二君・故卯田強君 そして理学部地鉱教室の日々(一九六七年十月~一九七〇年三月) 大我 晴敏 
 北大闘争五〇年に寄せて(一九六六年~一九七三年)  山本 尊仁 
 一九六九年北大闘争に身をおいたときを振り返って  江見清次郎 
 大学のなかで、労組専従として  佐々木 章 
 一九七一年頃の北大闘争を省みて 重本 直利 
 「北大闘争五〇年」― もう一つの世界 小室 正範 

 第七章 法学部
 わが青春の楡法会(ゆほうかい) 山本 長春 
 「茫洋の海、峻険の峰を求めて」自治会・サークル運動で培ったもの  吉野 正敏 
 私の北大時代と今へのつながり  小田 耕平 

 第八章 経済学部
 一九六八年~一九六九年の経済ゼミ協と私  越野 誠一 
 私にとっての北大闘争 ― 今も残る「二つの謎」 上野 雅樹 
 資本主義の貧困と未来  菊池 卓哉 
 「自己変革」を迫られた「北大闘争」 紺井 博則 
 求めた我々とは何者だったのか  山本 隆夫 
 私の北大時代と今  石河 庄一 
 五十年前のいくつかの場面、そして現在 君嶋(田辺)千佳子 
 六九~七二年北大闘争を担った私達 ― 経済学部を中心に当時を振り返りながら ― 木村 和広 
 北大闘争と教育改革のゆくえ  小坂 直人 

 第九章 薬学部、医学部附属看護学校、医学部附属診療放射線技師学校
 北大闘争(紛争)の中での薬学部そして私 山下純一
 看護学生として関わった大学紛争とその後の人生を振り返って 小川けい子
 北大一九六九―我が人生のターニングポイント  吉岡 恒雄 

 第十章 寮、生協、サークル、セツルメント、平和委員会
 不法入居者であった寮生  皆川 吉郎
 北大生協学部学生組織学科で学ぶ  佐藤 静男 
 激動の一九六九年を民研わだちはどのように乗り越えて活動したのか 大塚  勲 

 私たちがもとめていたもの あらぐさセツルメント  濵田 三郎 
 あの日、あの頃 ― 平和運動づけの学生生活 福原 正和 

 第十一章 院生協議会、教職員組合
 大学の自治と学問の自由を守る北大院生協議会の闘い  平田 文男 
 北大教職員組合のたたかいの実相  本郷 得治 

 おわりに 「五十年後の卒業文集」 上野 雅樹 

 資料編
 資料一 北大闘争略年表 3
 資料二 伊佐田・伊藤・岡 旧蔵資料 
 資料三 神田健策旧蔵資料 

 『北大1969 ― あのころ私たちが求めていたもの ―』
 「北大1969」編集委員会
 編集委員長  手島 繁一
 編集委員   上野 雅樹
          岡  孝雄
        菊池 卓哉
        小坂 直人
        佐々木 忠
        山口 博教
        山本 隆夫

【追記 21.04.29】

『北大1969―あのころ私たちが求めていたものー』 「北大1969」編集委員会編 北大改革50年 紛争の中でもがき成長した若者の生きざま

 発行元:メディアデザイン事務所マツモト
    ――「ほっかい新報」3月7日号より――

 頒価 1800円+税。ポプラ書房でも扱っています。

 50年という年月は誰しもがその来し方を振り返る節目かもしれない。ましてや、その50年前が人生の岐路ともいえる出会いや事象に満ちているとすれば、なおさらその思いが強くなるであろう。

 本書は、二十歳前後の学生が1960年代後半に全国で吹き荒れた、いわゆる「大学紛争」に直面した時、何を思い、何を求めて紛争の渦中に身を投じたのか、とりわけ北大紛争のクライマックスともいえる1969年に焦点を当てる形で振り返ってみた記録であり、回想である。

 手島繁一によると、50年前ともなると、その記憶は誤謬を含む極めて選択的なものとなり、総じて曖昧なものになっていることが多く、編集者の間で記憶を突き合わせることによって再確認される事実が多々あったという。既に記録された「大学年史」等に照らし合わせる作業が必要であったし、何よりも当時のビラ、パンフなどの資料と新聞記事などを探し出し、自分たちの記憶を検証しなければならなかった。あたかも、列車時刻表を前に推理小説のなぞ解きをするかのような作業もあった。そして、この作業を最終的に保障したものが、伊佐田・伊藤・岡旧蔵資料と神田健策旧蔵資料であったことになる。本書に収められた北大1969ドキュメントと巻末年表はこれら資料の集約的表現でもある。

 本書は、紛争当時、若い教員であった荒又重雄教授の講演録から始まる。教員の立場で紛争にどうかかわったか、自身の体験を基礎に振り返るとともに、戦後史的な位置づけから将来を見つめる目が示唆に富んでいる。何よりも、学生に対するまなざしがどこまでも温かい。そして、手島による総論的私論とドキュメントへと続く。

39人の回想記

 本書の核心が第2部の回想である。39本の個人回想記を軸に、それぞれの学部やサークル、そして職場等における北大1969紛争論となっている。北大紛争がどれほど深く、そして強く各人の心を揺さぶり、今なお影響を与え続けているのかが鮮やかに読み取れる。その影響は、各人のその後の人生にとって糧となっている場合が多いようであるが、逆に痛みとなって胸に突き刺さり続けている場合もある。どちらにせよ、紛争の中でもがき成長した若者の生きざまが凝縮されているといえる。

 回想記の寄稿に応じてくれたのは基本的には紛争に積極的に参加したメンバーであるが、紛争から距離を置いていたものを含めて紛争当事者であるとすると、北大1969の描き方もまた違ったものになるのかもしれない。本書はそこまでカバーすることはできなかったし、それは別の課題であるようである。可能かどうかは分からないが、小杉亮子のような生活史的手法が必要となるのであろう。

 北大は、学長解任問題など、現在は現在で大きな問題を抱えている。これに心を痛めている卒業生も多いであろう。半世紀前にも全学を挙げて大学改革に取り組んだ歴史があり、その一翼を担った学生の思いが「50年後の卒業文集」の形となったものが本書である。かつて、多くの青年が「わだつみの声」に耳を傾けたように、今の若者がこの思いに気付く機会を与えてくれる書である。(敬称略)

(小坂直人)

――「ほっかい新報」3月7日号より(日本共産党北海道委員会)――

http://www.jcp-hokkaido.jp/sinpo/%E3%80%8E%E5%8C%97%E5%A4%A7%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%96%EF%BC%99%E2%80%95%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%93%E3%82%8D%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8C%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%82/

 

【追記  2302.02.19】
 河西英通さんが書いた「北大闘争の位置と思想 The Positioning and Ideology of the Hokkaido University Struggle、「国立歴史民俗博物館研究報告」」(第216 集 2019年3月)の出だしで、2011年に刊行された『蒼空に梢つらねて:イールズ闘争六〇周年・安保闘争五〇周年の年に北大の自由・自治の歴史を考える』を紹介している。
https://123deta.com/document/yjewm1kq-%E5%8C%97%E5%A4%A7%E9%97%98%E4%BA%89%E3%81%AE%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E3%81%A8%E6%80%9D%E6%83%B3.html
 
 その冒頭には「手島繁一氏の論文」を以下のように注目している。
 >同書には手島繁一氏の「大学民主化闘争と「紛争」― 「一九六八年論」を手がかりに」も収められている。手島氏は当時北大学生自治会連合(学連)委員長でのち全日本学生自治会総連合(全学連,民青〔日本民主青年同盟〕系)委員長もつとめた。手島論文は北大闘争論ではなく,一般的な大学闘争論にとどまるが,注目すべきは全共闘中心に時代描写することを一面的と批判する一方,全共闘運動に「歴史的な理解」を持つようになったと述べている点である。さらに「自己否定」の言説は全共闘に批判的な手島氏たちも含めて,「多くの学生を虜にするマジックワード」であったと告白したうえで,1972年の連合赤軍事件はそうした否定の連鎖・連続の結果だったと総括し,「否定し合う関係でない関係,お互いを認め合う関係」をどう作っていくのかという今日的問題を提示している。
 手島氏の告白は衝撃的であるが,北大闘争を含む当時の大学闘争を再検討する際,固定的な捉え方から離れ,対立する勢力間の関係性を考える一つの視点になりうると思う。
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/hokudai.html
 ▽そのあとに編集・出版されたのが『北大1969―あのころ私たちが求めていたもの』(2020年12月25日、「北大1969」編集委員会編、代表 手島繁一、発行 メディアデザイン事務所マツモト)。
 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-039b29.html
 
 川上徹さんの『戦後左翼たちの誕生と衰亡 10人からの聞き取り』(2014年1月30日、同時代社)が描いた時代史と共有する本だ。
――フロント、解放派、第四インター、ブント赤軍派、中核派、社会主義協会、共産党などに、かつては所属しあるいは現在も所属している10人。彼らは新・旧戦後左翼史の渦中をそれぞれに歩んできた。自らを振り返りつつ衰亡の時代を共に考えた。 
 
 ▽手島繁一のHP
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/index.html 
 ▽河西英通の紹介
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%A5%BF%E8%8B%B1%E9%80%9A

 

 

 

 

2019年1月 6日 (日)

▽「佐々木洋のページ」(札幌学院大学名誉教授)を更新しました。

「佐々木洋のページ」 

 

 ▼最新ページ

 「ソ連軍の千島占領と米ソ極秘共同作戦」(佐々木洋 「週刊金曜日」、2018127日号)

 「朝日新聞」(論団員が選ぶ今月の3点、遠藤乾=国際、20181220日。「毎日新聞」20181227日、月刊持論フォーラム、今月のお勧め4本、石原俊で紹介) 

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/index.html#sorenno190106

 

 ▼《サイトマップ》のご案内

 日本人はなぜ、地震常襲列島の海辺に「原発銀座」を設営したか?――3.11フクシマ原発震災に至る原子力開発の内外略史試作年表 ――佐々木洋

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/genpatuginza.html

 『スターリン問題研究序説』をめぐる経緯

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/suta-rinmondai.html

 ロシア革命一世紀を生きぬく視角―『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』日本語版刊行によせて―付表」

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/arena18.html

 「メドヴェージェフ兄弟との交流」のページ

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/medo.html

 ウラジーミル・レーニンからウラジーミル・プーチンに―異論派RZh・メドヴェージェフ兄弟のロシア革命百年観―社会主義理論学会第75回研究会

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/index.html#syakaisyugi201710

 ◆ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集

 『歴史の審判に向けて』(上・下 第1巻、2017/10/26

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/index.html#rekisino

 「知られざるウラルの核惨事(1957年)―チェルノブイリと福島の原点として」(第2巻 、2017/5/05

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/urals.html

 『生物学と個人崇拝』(第3巻、2018/04/27

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/index.html#seibutugaku180418

 「10月革命」はロシアの人々に幸福をもたらさなかった――「異論派」兄弟が見た100年」、ロイ&ジョレス・メドヴュージェフ、佐々木洋(解説/元札幌学院大学教員)、『週刊金曜日』1159号、2017.11.03~第1163号、2017.12.01、全4。  

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/index.html#syuukankinyoubi

 

 ◆インターネット事業団の仕事のご案内・その11

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/

2017年12月 3日 (日)

猿田正機さんの「社会民主主義型福祉国家」と労働運動

 猿田さんの論理を紹介したく前に書いたものを本ブログに書いてきた。

 

 「日本における『福祉国家』と労使関係」(猿田正機稿)を再紹介する

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-3dee.html

以下の論文の宛先が「私の先輩編集者の加藤好雄さん」を偲んで書かれたもので、今頃見て、びっくり仰天している。

加藤さんは、2006年新年早々、若く旅立って行った。

 

加藤好雄さんは東京都立大学法学部の出身で、沼田稲次郎教授・籾井常喜教授の指導を受けて、労働旬報社に入社後、「労働法律旬報」誌の編集長を長年務めた(1970年代から10年ぐらいか)。この間、出版労連の社会科学共闘のメンバーに加わり、労働組合活動を行っていた。私は後輩として「出版労働者は東京都の教師並み賃金を勝ち取ろう」と話し合っていた時期だ。

その後、ジュニア版編集担当になり、その後の経過はわからないが(編集子はシーアンドシー出版へ)、晩年になって「賃金と社会保障」を別会社として請けて編集・制作をしていた。残念ながら、中年期になって病に襲われ、寒い時期に、金町の葬儀場でお別れした。

 

猿田さんは、「追悼文集」ではなく、自らの論文のTOPに自らのアイデンティティの所在として、加藤さんの偲ぶ文を書かれている。長いがこの部分だけでも掲載した。

 

社会民主主義型福祉国家・社会と日本の労働運動…一スウェーデンを素材として

中京大学経営学部、「中京経営研究」、20060901日。

 

 はじめに

1)日本は「福祉国家」か

2)「福祉社会・スウェーデン」から日本の労働運動が学べること

  1.日本とスウェーデンの市民生活 

  2.「企業社会・日本」と「福祉社会・スウェーデン」.

  3.格差社会・平等社会と労使関係

3)福祉国家・社会への批判と憧れ.諦め

4)「社会民主主義型福祉国家・社会」を否定して日本の労働運動は前進できるのか

5)「スウェーデン型福祉国家・社会」への期待

 おわりに

キーワード:社会民主主義型福祉国家、スウェーデン、企業社会、新自由主義、日本の労働運動、中国労働運動

 

はじめに

  2006114日(土)1858分、突然、「加藤好雄
編集長が、114日に永眠されました。」とのファックスが飛び込んできた。入院されているとは聞いていたので、心配はしていたのだが、まさかという思いであった。私と加藤さんは、深い付き合いがあるわけではない。しかし、かなり以前から原稿依頼があり、「いずれ書きます」と延ばし延ばしになっていた。2年ほど前の、2004430日のファックスには次のように書かれていた。「猿田先生、連休に入ったところで恐縮です。福祉国家の論じ方/賃金制度から詰めるか、社会制度から詰めるか、くくって《賃金論の隘路と社会化戦略》。草稿も、ご奮闘いただきたく、お願い致します。目鼻をつけていただけると有難いです。トヨタの賃金制度の研究レポート掲載の用意、いつでも可です。これもタノミマス。
賃金と社会保障、加藤好雄」

 

『賃金と社会保障』誌は、大学院生の時代にゼミの仲間と調査報告を書いて以来、その後ほとんど論文を書く機会はなかったのだが、私にとっては大変身近で、多くを教えられた貴重な雑誌であった。学会の折りや文書で時折原稿を依頼された当時、私は経営学研究科長の任についており、また、社会政策学会や北ヨーロッパ学会の全国大会の開催などもあり大変忙しく、今日に至るまでその約束を果たせないできた。存命のうちにと思いつつ誠に申し訳ない気持ちで一杯である。ただ、トヨタ研究については「シリーズ・トヨタ研究」を、若い研究者の協力を得て、20046月上旬号の(その1)から20062月下旬号の(その7)まで続けることができ、少しは約束が果たせたかなと思っている。

 加藤さんから依頼のあった「労働力再生産費の社会化」、「賃金・所得の社会化」については、私が黒川俊雄先生に学んでいた大学院時代以来の久しい頃からの思いがあり、それが現在の「スウェーデン研究」に繋がっている。また、福祉国家については1992年にスウェーデンを旅行し興味を持ちはじめて以来のテーマであり、何らかの形で論文にしたいという思いは強かった。加藤さん亡き後も、このテーマを忘れず研究・執筆を続けたいと思っている。本稿は、加藤編集長を偲びつつ、「社会民主主義型福祉国家・社会と日本の労働運動」への現在の思いを書いてみたい。とは言っても、私は経済理論の研究者ではない。専門は労働問題や労務管理論である。なかでもトヨタ研究がメインテーマでありスウェーデン研究がもう一つの研究テーマである。福祉国家を論ずるに充分な研究の準備がないことを承知で、自己の国内外の調査・研究と愛知労働問題研究所などでの様々な経験をもとに、加藤さんを偲びつつ「福祉国家」への私の思いを綴ってみたものである。(中略)

《付記》本稿は『賃金と社会保障』に掲載する予定であった。しかし、最後になって新編集長から丁重な「掲載できない」旨の電話を頂いた。「加藤好雄前編集長は、こんなことは考えておられなかったと思う」、という趣旨のことが一番心に残っている。確かに、日本や世界の現状をみていると、いまさら社会民主主義的福祉国家か、と思われる人も少なくないことは本文中にも指摘した通りである。しかし、それでもスウェーデンなどのように中道左派の労働運動や政権を目標とする以外に、日本の現在の混迷を抜け出る道はないのではないか、というのが筆者の思いである。本論文が加藤前編集長の追悼論文として相応しいかどうかは分からないが、これで彼との約束を果たすこととしたい。若干の文言の修正を除いて、そのままを掲載した。

 

 《付記》の判断は、編集者の個性の問題なので、やむを得ないと思う。

 

 編集子は、加藤さん亡き後に、何もできなかったので、以下にUPし読めるようにした。

 「研究ノート」には、中林賢二郎著『世界労働運動の歴史』(上、1965年)(中略)にはスウェーデンなど北欧の記述はほとんどない、と書かれているが、「社会民主主義型福祉国家の論文」で一番ケ瀬康子さんの「ことにスウェーデンの場合には、少なくとも1970年代までは、日本においてはほとんど注目されていなかった」と書いて引用しているので、時代的限界の問題ではないかと思う。

 この時代的限界を突破する論文が、以下の論文ではないかと思い、「それぞれの労働組合運動史 3――猿田正機さん(中京大学名誉教授)の問題提起――論文・リスト」に掲載したので、是非お読みください。 

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#saruta2017-12-03

 

研究ノート:「福祉国家」と日本の労働運動――「福祉国家・スウェーデン」を素材として、中京経営研究第9巻第2号、20002月。

社会民主主義型福祉国家・社会と日本の労働運動 : スウェーデンを素材として、 猿田 正機、中京大学経営学部、「中京経営研究」、20060901日。

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「日本における『福祉国家』と労使関係」(猿田正機稿)を再紹介する

上記の論文は20130620日に「現代労働組合研究会のページ――それぞれの労働組合運動史-3」で紹介していた「日本における『福祉国家』と労使関係」(猿田正機稿、「中京経営研究」Vol.22,No.122013-03-15)。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#saruta130620

1 節 福祉国家とは

2 節 年功賃金と同一価値労働同一賃金

3 節 企業別組合とユニオンの連帯

《結論を一言で言うと, スウェーデンなど北欧的な平等・連帯の福祉国家建設の道を選択し,その上に日本的な文化を花開かせるべきだ, ということである。》

 (中略)

《そして第3 , すべての人間が尊重される平等な福祉国家を築くうえでどんな労働組合組織や労働運動が望ましいのかを正面から議論せずに日本の労働運動さらには中道左派勢力の躍進は望めないであろう。いわゆる労働組合組織の再編成の問題である。福祉国家のための労働運動なのか, 社会主義のための労働運動なのか,これらの問題を含めてすべての対立を克服して労働者が労働者の力で解決しなければならない重要な課題である。》

 再度、本ブログで紹介しなければと思ったのは、以下のように論文に書かれている人たちの人名とそれぞれが果たした結果について、若い世代に伝えていかなければいけないと思った次第。

 

13/06/20(以下が紹介文)

日本における「福祉国家」と労使関係――日本における「福祉国家」と労使関係、「中京経営研究」Vol.22,No.122013-03-15 (PDF版)

  猿田正機(中京大)さんの「日本労働運動のルネッサンス」の論文を、最近知りました。 以下に登場人物を出しておきました。

  編集子が「現代労働組合研究会」の本サイトを開設して、紹介し始めた人たちも取り上げられています。
猿田さんの研究者としての真摯な思いに共鳴する一人です。

 ▽論文で登場する論者・実践家名(または単行本)

 はじめに

 第1節 福祉国家とは

 田中浩、武川正吾、大月書店版『社会福祉辞典』(2002年)、正村公宏、『新・日本経済への提言』(日本共産党)、木下武男、渡辺治、後藤道夫、赤堀正成、岩佐卓也、森ます美、牧野富夫、二宮厚美、連合、連合総研、宮本太郎

  第2節 年功賃金と同一価値労働同一賃金

  伊藤セツ、米沢光悦(日本共産党中央委員会労働局)、越堂悦子、愛知労働問題研究所、川口和子、下山房雄、森ます美、黒田兼一、遠藤公嗣、赤堀正成、岩佐卓也、上田裕子、牧野富夫、黒川俊雄

  第3節 企業別組合とユニオンの連帯

  左派の労働問題研究者からの企業別組合の積極的評価(実名なし)、木下武男、宮本顕治、荒堀広、戸木田嘉久、下山房雄、大河内教授、三河教職員組合、金融ユニオン、全トヨタ労組、山田和代、社会運動ユニオニズム、戸塚秀男、高須裕彦、ANUオールナショナルユニオン、愛知連帯ユニオン、名古屋ふれあいユニオン、女性ユニオン名古屋、笹島日雇労働組合、ゼネラルユニオン(東海支部)、ATU(全トヨタ労組)、フィリピントヨタ労組を支援する愛知の会、NPO愛知働く者の健康センター、名古屋労災職業病研究会、ユニオンみえ、岐阜一般労組、高橋祐吉

  おわりに

 

 単行本としては、『日本的労使関係と「福祉国家」――労務管理と労働政策を中心として』/著者・猿田正機(著)、税務経理協会、発行年月 201304月。

 

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  以下、前著とは、『戦後日本における労務管理と労働政策』(中京大学商学研究叢書、1986年)をさす。

 はじめに

 序 章 前著の第1編第1章~第3章および第2編序章を大幅修正)

 第1章 戦後民主変革期における労務管理・労働政策一戦前型日本的労務管理の解体と労働政策の民主化―(前著の第1章~第3章を大幅加筆・修正)

 第2章 高度経済成長期における労務管理・労働政策―能力主義管理の確立―
(前書の第4章を大幅加筆・修正)

 第3章 低経済成長期における労務管理・労働政策(前著の第5章を大幅加筆・修正)

 第4章 長期経済不況と労務管理・労働政策(第1節を書き下ろし、第2節は2009年の論文の再録)

 第5章 日本における『福祉国家」と労使関係(書き下ろし)

 第6章 企業規模別賃金格差と労働者の分断・差別(2000年の論文に後半部分を加筆)

 

 ▽(2017.12.02)以下に書評があることを、桜井善幸さん(前愛知労働問題研究所)から教わったので、紹介しておく。

 書評
猿田正機著『日本的労使関係と「福祉国家」 : 労務管理と労働政策を中心として』、
浅生 卯一、日本労働社会学会年報・25号、日本労働社会学会編集委員会編、2014年。

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 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#asao171202

 

▽猿田正機さんの「国会図書館のデジタルデータ」

http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E7%8C%BF%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%A9%9F&range=0&sortorder=1&count=20&start=1

 ▽「中京大学経営学部 猿田
正機教授  
中京大学 学術情報リポジトリ」」での論文リスト

https://chukyo-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&creator=%E7%8C%BF%E7%94%B0+%E6%AD%A3%E6%A9%9F&page_id=13&block_id=21

 

 

2017年3月10日 (金)

「田沼肇のページ」をオープン。

▽追記(2017.03.27

「田沼肇のページ」(続)――読んでみたい論文・その他のメモリー 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-0662.html

 田沼肇先生は、196070年代の法政大学社会学部の卒業生にとっては、懐かしい先生だろう。

 晩年、「パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺という難病にかかり、13年半にわたって病気と闘われ、20008月」に亡くなった

 その後、2011年に出版された『田沼肇全仕事』では、生前の多方面の仕事をDVDにPDFで収録してある。

 

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    170305tanumadvd

       田沼肇のページ

  TOPページ――田沼肇全仕事

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/index.html

写真・略歴

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/profile-photo.html

田沼肇著作集――DVD版

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/dvd.html

執筆項目一覧

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/170305sippituitiran.html

紹介・推薦文(五十嵐・早川ほか)

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/170305igarasi-hayakawa.html

 

  編者の藤新太郎さんは、「著作集」(DVD版)と「全活動」(書籍)が入った「函」の裏面に、以下のように記述している。

「つよい人だった」そして「やさしい人だった」と誰もが言う。それは何故か? 

20世紀の後半50年余をマルクス主義社会科学者として、平和と民主主義、人権擁護の活動を貫きたたかってきた田沼肇。もの心ついたころから戦争があり、敗戦間際になって、「これはおかしい」と自覚するまで「戦争は終わるものとは思っていなかった」と。それゆえに平和を希み、それを永久に実現するには何をなすべきかを考えたであろう。その人生の、思想の軌跡を追うのが「著作集」(DVD版と「全活動」(書籍)の目的である。

 

さて縁があって、「田沼肇のページ」の制作に取りかかった。DVDなので、そのまま使えるのではないかと思って、安易にOKを出して、失敗したなと思った次第。

なぜなら、PDFには「パスワード」でロックがかかっていたのだ。

出版事業なので、IT専門家にとってはあたりまえのことだが、WEBで読めるようにすることと逆の作り方だった。

「三日三晩」寝ながら考えてあきらめかけたときに、WEBではPDF1項目ごとにURLが表示されるのではないかと思いついた。

 

そこで、以下のようにWEBで書いておいた。

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/170305sippituitiran.html

 

◇本ページと「PDF版」各ページの検索ができます。

一例として、

01-001<座談会)生活を求める群―浮浪者調査報告(東京帝大社会科学研究会)「言論」13) 氏原正次郎、井出洋、高橋洸、上原信博ほかと1946年】は、下記のようにURLを「WORD」または「メモ帳」にコピーして、下記のイタリック数字部分に当該数字(本ページの右側2列目・ファイル名)に変えて、「Internet Explorer」などのアドレス窓にペーストし、クリックすれば、PC上に出てきます(本ページの数字は、コピーできません)。

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/pdf/01-001.pdf

http://sengoshi.sakura.ne.jp/tanuma/pdf/01-001.pdf

このようにPDF版に接近してホームぺージでアクセスが簡単にできるシステムを思いついた。もともと出版の企画で作られていたので、HTMLのTOPページ(ホームページ)を作る(そこにすべてのリンクを付ける)考えがなかったのではないか。

ぜひ、ご覧ください。

 

2016年4月27日 (水)

「佐々木洋のページ」をオープン――メドヴェージェフ双子兄弟と交流。

 1970年代半ば、ソルジェニーツィンの『収容所群島―19181956 文学的考察―』(新潮社、1974年刊、木村浩訳――ソ連における、反革命分子とみなされた人々に対しての強制収容所「グラグ(グラーグ)」への投獄、凄惨な拷問、強制労働、処刑の実態を告発する文学的ルポルタージュ)が世の中に登場してびっくりした記憶がある。

その時代に石堂清倫訳の『共産主義とは何か』(ロイ・メドヴェージェフ著、三一書房、19731月)を神保町のウニタ書舗(これが正しいらしい)で買ったのも覚えている。

 

こちらは、総評や中立労連の方々とさまざまな労働関係の仕事をしていたので、後者の本について議論する相手がいなかった。一回りも二回り以上も上の年代が中心で、禁句のような雰囲気もあった。

のちに『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』 (講談社学術文庫、 志水速雄解説・翻訳、197712)もだされ、本家だと思っていた書店から『スターリン問題研究序説』(大月書店、197712月)が出版され、大先輩たちの「わが祖国ソ連」「戦後の星・中国」「東ドイツ謳歌」などとお酒を飲んで聞くうちに、「やだなー」と感じながらも生きていた。

 

しかし、石堂さんが訳した「ロイ・メドヴェージェフ」と「ジョレス・メドヴェージェフ」双生児兄弟のその後の仕事を日本に紹介している研究者がいたことも、不勉強で最近まで知らなかった。

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  http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/medo.html

 

 

偶然の結果(手島繁一さんの紹介で)、編集子は「旧ソ連内部から仮借ない体制批判で知られる」歴史家ロイ(1925年、ロイ・メドヴェージェフ)と双生児の生化学者・老人病学者ジョレス(1925年、ジョレス・メドヴェージェフ)と親交を重ねた「佐々木洋」さん(札幌学院大学名誉教授)のこれまで発表された単行本・論文を紹介し、WEB上でまとめる作業をし始めた。

 

20世紀の「社会主義」とは何だったのか、若い世代に伝えておかなくてはならない「歴史の審判」の一助としたいと願い、UPした。

 

 佐々木さんとのやり取りの中で、上の範疇に入らないが「ご本人が願うこれまで書かれた論文・ESSAY・書評」を、若い世代に読んでほしく、作業を続けている。

 現在、以下のような「コンテンツ」になっているので、読んでほしい。

  佐々木洋のページ

 http://sengoshi.sakura.ne.jp/sasaki/index.html

 

 ◇主な「ページ」構成

 1 『スターリン問題研究序説』をめぐる経緯

 

 2 ロシア革命一世紀を生きぬく視角―『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』日本語版刊行によせて―付表

 

 3 『回想1925-2010』のページ

 

 ◆『回想 1925-2010』を手にする著者ロイ・メドヴェージェフ氏、201211月 モスクワ、現代思潮新社のHPより。▽佐々木洋氏が『北海道新聞』(201338)で『回想1925-2010』を紹介。『週刊金曜日』(315日号)が『回想1925-2010』の書評を掲載、 20130315日。 『読書人』(28日号)が『回想 1925-2010』の書評を掲載、20130207日。

 メドヴェージェフ兄弟による「原子力収容所Atomic Gulag」認識の舞台裏――ジョレス&ロイ共著『回想(Memoirs)1925-2010』によせて――藤女子大学人間生活学部紀要,第50号:11-24.平成25年. The Bulletin of The Faculty of Human Life Sciences,Fuji Womens University,No.50:11-24.2013. 2016423

 

 

 4「メドヴェージェフ兄弟との交流」のページ

 

 ロイ・メドヴェージェフ、ジョレス・メドヴェージェフ双子兄弟の自宅で。

 インタビュー:ジョレス・メドヴェージェフ わが人生、わが研究、佐々木洋、特集 中国はどこへ、『季刊窓』18(1993年冬)、窓社。

 

 

 ◇主な本の書評

 書評・坂下明彦(北海道大学農学部助教授)、佐々木洋訳『ソヴィエト農業』、「農林水産図書資料月報」、19963月号

 書評・木村英亮(横浜国立大学名誉教授)、『スターリンと日本』「日本とユーラシア」、1373号。

 書評:高田広行(西洋史研究)、『回想1925-2010』、二〇世紀ソ連・ロシアを生きぬいたメドヴェージェフ兄弟の類まれな回想録、──文学的香気に満ちたまことに魅力的な歴史ドキュメント。

 書評・木村英亮(横浜国立大学名誉教授)、『回想1925-2010』、ソ連の作家と研究者との出会いと対話、「日本とユーラシア」、ユーラシア協会、1430号、2013315日。

 自著紹介・佐々木洋 『ウォルマートはなぜ、世界最強企業になれたのか:グローバル企業になれたのか』(ネルソン・リクテンスタイン著、佐々木洋、金曜日、2014年)。

 

 5 主な業績

 佐々木洋:「知られざる苫小牧巨大開発」、特集;「日本列島改造」この現実――志布志と苫小牧、『エコノミスト』(毎日新聞社、1972912日号、通巻1940号。

 「百年に一度」の2008恐慌、佐々木洋(札幌学院大学経済学部教員)、「労働運動研究」、労働運動研究所、複刊第 25 号、 2010 4月号掲載。

 改訂版「戦後日本資本主義の政治経済年表 19552008 : 高度成長期から平成大不況,および今次世界恐慌(08年~)の発現局面まで、佐々木洋(札幌学院大学経済学部教員)、札幌学院商経論集、200903月。

 佐々木洋教授の略歴および研究・教育業績等  (PDF版)

 日本人はなぜ、地震常襲列島の海辺に「原発銀座」を設営したか?――3.11フクシマ原発震災に至る原子力開発の内外略史試作年表 ――佐々木洋

 「核開発年表2014改訂版」――佐々木洋、 出所:「加藤哲郎のネチズン・カレッジ、図書館(College Library

 

 

 現在、NPO法人・ロシア極東研の理事長、機関誌(季刊)『ボストーク』の紹介。を更新しました。

 

 6 ESSAY・書評、札幌学院大学コミュニティ・カレッジ、2013年~2016

 

 夏時間のプレゼント、佐々木洋、「札幌同窓会誌」(1997年)。

 書評:佐々木洋、『知られざる日露の二百年』(アレクセイ・A・キリチェンコ著(川村秀編、名越陽子訳、現代思潮新社)、東京新聞、2013414日 。

 メドヴェージェフ双生児『知られざるスターリン』の重版に寄せて、アソシエ21「ニューズレター」(200311月号 )。

 書評・佐々木洋 荘子邦雄『人間と戦争:一学徒兵の思想史』(朝日新聞出版、20134月)(「札幌学院大学図書館報 書林」、20131016日、第84号、札幌学院大学名誉教授/NPO法人・ロシア極東研理事長) 。

 佐々木洋、「大地との絆を保持するクラーク(篤農家)を撲滅したスターリン」、『私と世界とアッちゃん先生』(藤岡惇退職記念文庫編集委員会編、文理閣、2013420)

 佐々木洋:「二つの道」に囚われた福本和夫の日本農林業研究、『福本和夫著作集』、第4巻月報、こぶし書房、20093月。

 佐々木洋:「大蔵省の文化政策」、月刊専門誌『建設とエネルギー』(建設経済社、第十号 昭和五十六年九月一日発行)

 佐々木洋:「中米蜜月Chimerica時代と工会ウォルマート支部の創設」、「HeeRo REPORT」(20111月号、No.113)。

 佐々木洋:垣間見たバルト・東欧、「隣国から次々と担ぎ屋」北海道新聞夕刊、1993(平成5年)513日(木曜日)、「性急な移行で危機的状況」、北海道新聞夕刊、1993(平成5年)513日(金曜日)、(札幌学院大学教授)。

 佐々木洋:ウォルマートは世界をどう変えたか――N・リクテンスタイン『小売革命』を手がかりに、「週刊金曜日」、2011121623日合併号、877号。

 対談・佐々木洋×水野和夫 司会北村肇:延命する資本主義――過剰資本大国 日本の進むべき道、「週刊金曜日」、20131223日号、972号。

 

 札幌学院大学コミュニティ・カレッジの講師、2013年~2016年、佐々木洋。

 

2015年12月31日 (木)

「関西発:毎日、毎日のnews・永岡です。」の4連発通信

 年末締めのお祭りのごとく「関西発:毎日、毎日のnews・永岡です。」の4連発通信があった。

  http://sengoshi.sakura.ne.jp/nagaoka.html#nagaoka

 転載するだけでも大変だったが、なんとWORD A4判・15ページ、字数は18000字ほどあった。昔風に言えば「はんぺら90枚」(20字×10行の200字詰を「ペラ」「半ピラ」と俗称したりする。:ウィキペディアより)「400字詰め45枚」になる。

 聞き書きまとめをした永岡さん(Kuich Nagaoka)の努力に敬意を表したい。  

 2015/12/30, Wed 22:00 報道するラジオ(2015/12/30)年末特番、流行語から見える2015年(1) 年の瀬の町の模様、上田さんと藤林さんの報告  

 2015/12/30, Wed 22:04 報道するラジオ(2015/12/30)年末特番、流行語から見える2015年(2)  戦争準備法案に反対、シールズ関西の大野さんと寺田さん、T-nsSOULのゆいさんのお話  

 2015/12/30, Wed 22:09 報道するラジオ(2015/12/30)年末特番、流行語から見える2015年(3) 医療・介護の在り方、長尾和宏さん、丸尾多恵子さんのお話  

 2015/12/30, Wed 22:12 報道するラジオ(2015/12/30)年末特番、流行語から見える2015年(4) 山形からの中継、影法師の皆さんのライヴで振り返る2015年

2015年11月30日 (月)

「関西発:毎日、毎日のnews・永岡です」をUP。

▽追記(2015.12.31)

「関西発:毎日、毎日のnews・永岡です。」の4連発通信

 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/news-30ab.html

 

 

 

▽追記(2015.12.04)早いものでUPしてから14~15日ほどしかたっていないが、もうすでに以下のような情報が発信されている。

 

 121日(2015年・火)からは、別のページを立てないといけなくなった。

 

  ▽以下が追加された分。

 [civilsociety-forum:10337] 朝日放送おはようコール 中川譲がカリフォルニアテロと化血研不正を語る 2015/12/4, Fri 06:22

 [civilsociety-forum:10331] サンテレビニュースPORT 福島から神戸に避難されたお母さんたちの思い 2015/12/3, Thu 21:52

 [civilsociety-forum:10314] 朝日放送おはようコール 二木啓考が辺野古訴訟とプレミアム商品券ゴタゴタを語る 2015/12/3, Thu 06:21

 [civilsociety-forum:10308] サンテレビニュースPORT ブラックバイトの現状 2015/12/2, Wed 21:51

 [civilsociety-forum:10305] 毎日放送VOICE 与良正男 もんじゅはただの夢だった 2015/12/2, Wed 19:11

 [civilsociety-forum:10296] 朝日放送おはようコール 木原善隆がマイナンバー提訴と大阪の公明党を語る 2015/12/2, Wed 06:23

 [civilsociety-forum:10294] サンテレビニュースPORT 秘蔵映像に残る出征兵士の背景に迫る(続き)2015/12/1, Tue 21:52

 [civilsociety-forum:10285] 朝日放送おはようコール 中川譲がCPO21と年金運用損失を語る 2015/12/1, Tue 08:03

[civilsociety-forum:10274] ネットワーク1172015/11/30)、災害から文化財を守る、伊藤嘉章さんのお話 2015/11/30, Mon 20:05

 [civilsociety-forum:10267] 朝日放送ラジオ おはようパーソナリティ道上洋三です、西谷文和さんのイラク報告 2015/11/30, Mon 09:46

 [civilsociety-forum:10266] 朝日放送おはようコール 伊藤惇夫が自民結党60年と地方創生の失敗を語る 2015/11/30, Mon 06:23

[civilsociety-forum:10249] 毎日放送ラジオ 今日は日曜♪野村啓司のラジオなひととき 近藤勝重 しあわせのこだわり流行歌 歌手石川さゆりと故郷の歌を語る 2015/11/29, Sun 15:16

 [civilsociety-forum:10226] 小出先生 ラジオフォーラム2015/11/28のお話(避難できない原発を再稼働させるな!)&なぜ南京はこれほど問題化するのか、武田倫和さんのお話 2015/11/28, Sat 18:13

 

 

 

 ▼以下が最初の発信文。

 関西を中心に交流している名物メーリング=「市民社会フォーラム・〈出発のとき〉(civilsociety-forum)」(岡林信一さんが運営責任者、1971年生まれ)を読んでいる。

 

その中で、連日、関西エリアの「ラジオ情報番組などの中身」を通信している「kouichi nagaokaさん」の大変な作業(書きおこし)を思い、一市民として刺激を受けていた。またコンテンツとしても興味深い。

 毎朝、6時ごろから発信され、夜は10時ごろまで、1日に数回発信されている。

 テーマは以下のようなものだ。

 

 [civilsociety-forum:10202] 報道するラジオ(2015/11/27) 高校生と選挙、大阪富田林高校からの報告&下流老人のこと(2015/11/27, Fri 22:00 

 [civilsociety-forum:10197] FW: 新聞うずみ火通信 0542015/11/27, Fri 16:02 

 [civilsociety-forum:10194] Re: Re: 毎日放送VOICE 大阪ダブル選、高校生の模擬投票(2015/11/27, Fri 09:50

[civilsociety-forum:10189] 朝日放送おはようコール 中川譲が橋下市長会見と白熱灯規制を語る(2015/11/27, Fri 06:23 

 [civilsociety-forum:10180] 毎日放送VOICE 大阪ダブル選、高校生の模擬投票(2015/11/26, Thu 18:55

 [civilsociety-forum:10172] 朝日放送おはようコール 中川譲がロシアとトルコの対立と元村上ファンド問題を語る(2015/11/26, Thu 06:23

 

[civilsociety-forum:10165] 朝日放送キャスト 敗戦70年、警察予備隊のこと(2015/11/25, Wed 18:29 

[civilsociety-forum:10168] Re: [civilsociety-forum:10165] 朝日放送キャスト 敗戦70年、警察予備隊のこと(2015/11/25, Wed 19:50

[civilsociety-forum:10154] 朝日放送おはようコール 木原善隆がトルコ軍機のロシア軍機撃墜と野々村元県議裁判ドタキャンを語る(2015/11/25, Wed 06:23 

[civilsociety-forum:10150] 毎日放送VOICE 後藤健次 大阪ダブル選を語る(2015/11/24, Tue 18:59

 [civilsociety-forum:10141] 朝日放送おはようコール 木原善隆が靖国事件とふるさと納税を語る(2015/11/24, Tue 06:24 

 [civilsociety-forum:10137] ネットワーク1172015/11/23)、災害時にやさしい日本語で外国人に情報を、水野義道さんのお話(2015/11/23, Mon 20:00

 [civilsociety-forum:10131] 朝日放送キャスト 西谷文和さんの中東報告、パリ同時テロを語る、暴力の連鎖を止められるか(2015/11/23, Mon 17:47

 [civilsociety-forum:10128] 朝日放送ラジオ おはようパーソナリティ道上洋三です、吉富有治、大阪ダブル選を語る(2015/11/23, Mon 09:43

 [civilsociety-forum:10127] 朝日放送おはようコール 伊藤惇夫が大阪ダブル選を語る(2015/11/23, Mon 06:24

 [civilsociety-forum:10109] 小出先生 ラジオフォーラム2015/11/21のお話(日本のマスコミが核安全神話を広めた)&政財界を駆け抜けたキーマンが語る成長神話の終わり,水野誠一さんのお話(2015/11/21, Sat 18:05

 

 [civilsociety-forum:10103] 報道するラジオ(2015/11/20)、大阪市長選討論(2)、吉村氏、柳本氏、中川氏、高尾氏の討論(2015/11/20, Fri 22:00

 

 

 少しでも市民の目に届くように、自分ができることをしたいと願って、永岡さん「転載のお願いメールをした」

 

2015/8/14, Fri 22:01

 

永岡です、私がテレビ、ラジオから書き起こした内容は、基本的に私に無断で使用していただいて結構です、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 時間が少し過ぎたが、主宰者の永岡さんの了承を得て、ネーミングを勝手につけてUPし始めた。

 

 「関西発:毎日、毎日のnews・永岡です」をUP
2015.11.20UP

 

   市民社会フォーラム

     社会学習ネットワーク「市民社会フォーラム」のブログです。ここにUPされています。

   http://civilesociety.jugem.jp/

 

 

 

 

  

 

2015年10月31日 (土)

『風来記 青春の巻、雄飛の巻』(上下2冊、保坂正康著)を読む

保坂正康さんの「自伝、自分史」を見つけた。

  上巻は、『風来記』(わが昭和史(1)、青春の巻 2013527日)。

BOOK紹介――昭和史研究の泰斗による回想記。幼少期のかすかな戦争体験の記憶、旧制中学の教師だった父との相克、60年安保の時代……。日本の高度成長と軌を一にした戦後史の一断面。

上巻は、幼少の思い出から、高校・同志社大学卒業、電通PRセンター・朝日ソノラマ・TBSブリタニカ勤務を経て文筆業で独り立ちを決意するまでの半生をつづったもの。)


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  下巻は、『風来記』(わが昭和史(2) 雄飛の巻、2015821日)を読んだ。

BOOK紹介――橘孝三郎、東條英機、瀬島龍三、後藤田正晴、田中角栄、秩父宮―。ノンフィクションを書き続ける中で出会った忘れ得ぬ人たち。昭和を見つめてきた作家は、いかにして時代と格闘したか。)

 

 

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 ▽昭和史講座HPを参照。(保坂さんの仕事が見られる)

   http://www.aya.or.jp/~hosaka-m/(今はダウン)

 https://tokyo-office.doshisha.ac.jp/course/2019/autumn/shouwa.html

 

 大昔(1970年代)、『死なう団事件』(軍国主義化の狂信と弾圧、れんが書房、1972年 、のち『追いつめられた信徒』講談社文庫、原題で角川文庫、2000年)が出版されたとき、戦前の「狂気」(当事者から見たら怒る表現だろうが)を「高度成長社会」に書くジャーナリストが今の世の中にいるのにびっくりしたことを憶えている。

時代は「あさま山荘事件」が起こった時だと思う。

〔(1971年から1972年にかけて活動した日本のテロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成された。山岳ベース事件、あさま山荘事件などを起こした。By Wikipedia)〕

 

その前に「三島由紀夫」が市ヶ谷のバルコニーで自衛隊の決起を呼び掛けた、衝撃的な行動をしたことがあった。

1970年(昭和45年)1125日に、日本の作家、三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件(たてのかいじけん)とも呼ばれるBy Wikipedia。〕

 

三島事件を契機として(著者は執筆の大きな動機としている)、権力の抑圧と「宗教者の反乱」を書いた年上のジャーナリストがいた。まだ若かった編集子にとって、「れんが書房」という出版社を知らなかったので余計にびっくりだった。この編集者はえらい人ではないかと、個人的に感慨があった。

 

その後のジャーナリストの行動は、「4000人以上の人の取材をしたという」事実と100冊以上の単行本を書いている事実には敬服する。

国会図書館の検索では、1000の原稿が浮かび上がってくる。

こちらが読んだ本はそのうちの5冊ぐらいだと思う

 

本書の中に登場してくる「編集者」の姿は、さまざまな思いを著者に語り、情報(人の情を伝え)、歴史を読み解く友人の役割を果たすことが書かれている。

編集子もそのようになりたいと、思ったが…。

保坂さんは、本書の中で言い回しを変えながら自らのアイデンティティとして、「私は左翼とか右翼といった政治信念で現実を見ていない。社会を昂揚しているときは冷めた目で社会の内実を見て行きたいと思っている。それが信念である」という言葉を書いている。

私の周りにはいなかった人である。

60年安保をブンドととしてたたかいながら、子どもの時から「父からの自立」、「母の血筋」と格闘してきたことから実現してきたのではないかと思った次第。

『風来記』(わが昭和史(2) 雄飛の巻)のあとがきには、「人はその人生でどれだけの人と知り合うのか」というテーマの本を書きたいといま、望んでいる、と。

「四千人から六千人ぐらいはすぐに集まってくると思う」と記す。すごい「人名事典づくり」だ。

15年安保〉を担う読者のためにも、つづいて「たとえば二〇一五年の今、日本社会は大きく変容している」と3か条を上げ、「〈掟なき暴論の社会〉の到来」と著者は書く。

60年安保〉の当事者に戻ったのか、この部分も読んでほしい。

 

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