書籍・雑誌

2021年2月21日 (日)

『知られざる拓北農兵隊の記録』、新刊書を送っていただいた。

 『知られざる拓北農兵隊の記録』(高文研、2021年2月17日)が刊行されました、と新刊書を送っていただいた。

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 本書の執筆者の石井さんは「旬報社の元社長」で先に『拓北農兵隊――戦災集団疎開者が辿った苦闘の記録』(旬報社、2019年)を書いている。
 ▽2019年7月 3日 (水)に紹介していおいた 。
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-842de9.html

 ▽石井さんから

 世界中コロナ蔓延で騒がしいなか、お変わりなくお過ごしのことと推察いたします。

 この度、作家・早乙女勝元さんらのご協力により『知られざる拓北農兵隊の記録』が刊行されましたので、ご覧頂こうとお贈りいたします。
 この本は新聞への投稿が契機となつて出版されたものです。
 編者の鵜沢希伊子さんは敗戦直後に拓北農兵隊として帯広近郊に入植し、その後、僻地の教育に携わつた方です。鵜澤さんは、私の『拓北農兵隊戦災集団疎開者が辿った苦闘の記録』をお読みになり、「歴史の闇」 に沈んだ棄民政策があつたことを心に刻んで欲しいと願い、自らの体験記をふくめ二〇名の手記を集めて纏めた労作です。
 お読みいただけますれば幸甚です。

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 ▽以下、AmazonのBook紹介。
 出版社からのコメント
 空襲被災者に「罹災者よ、特攻隊に続け」と、特別列車で北海道に入植した拓北農兵隊。開拓地に着いたものの、約束の家も農地も電気も水道もなし。
牛小屋だった小屋は隙間だらけで、朝起きると布団に雪が積もっていまた。
農業経験のない都市生活者の隊員の多くが、いつの間にか姿を消しました。
生活苦はまさに残酷物語、「棄民政策」でした。正直、知りませんでした。
体験者20名の貴重な証言記録をお届けします。心にとどめてください。
 著者について
 1930年11月、東京都世田谷区で誕生。1945年4月13日、山の手大空襲で牛込区(現新宿区)揚場町で罹災、都内を転々として何度も罹災、家族はばらばら、無一物となる。
 父が拓北農兵隊に応募、北海道河西郡川西村に入植。学業のため一時帰京したが、母の死で北海道に戻り家業を助ける。
 その後小学校助教諭に。通信教育や講習を受けて小学校教諭資格を取る。1963年3月、父とともに帰京。
 その後小学校教師として主に障碍児学級を担当する。88年3月、57歳で退職。
 88年9月にフィンランドへ単身渡航。「日本紹介」をしながらフィンランド語と文化を学ぶ。
 97年1月、父の介護のため帰国。帰国後は父の介護をしつつ、全日本年金者組合都本部調布支部で、年金引き下げ違憲訴訟の原告の一員として活動。
 ほかに調布飛行場問題を考える会、戦争は嫌だ調布市民の会などの市民運動に参加する。著書『原野の子らと』(福村出版)など。

2020年4月30日 (木)

『武蔵野のいま 沼沢地 三枝登志夫随筆集 2』を紹介。

 「小越洋之助のページ」(国学院大学名誉教授) にUPしました。

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 ◆目 次

 武蔵野のいま
 夏野菜・野菜づくり雑感
 山の教会の結婚式
 宮崎駿「風立ちぬ」を見てー「天空の城ラピュタ」との比較で
 川越を歩く
 あとがき

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/ogoshi/ogoshi-index.htm

 

 あとがき
 私は下町の御徒町の生まれで、育ちも下町である。浅草には徒歩30分かかったが、上野や神田は近く、少年時代には湯島天神や神田明神にはよく行った。
 上野の不忍池は、当時は川魚や川エビが豊富で、子ども同士でよく釣りにいった。
 池という池は興味本位でいろいろ行った。東京大学の構内に裏道から入りこみ、三四郎
 池に魚がいるのかを観察したり、電車で井之頭池にも行った。
 やがて中学生になり、国語の教科書から国木田独歩の文章に接した。
 爾来、文学散歩の類に興味を持ち、大竹新助『写真文学散歩』(上・下 現代教養文庫)などを愛読した。そんな青春時代に「武蔵野」への関心で自分の内面を染めてきた。
 いつか自分も大竹さんのよう文章を書いてみたい、と思ったが、なかなか時機を得なかつた。今回、随筆でこれを書くことは、独歩の時代の「武蔵野」の変化を見て、「雑木林」などの風景を期待することもあるが、失われたもの、「滅びの美」を感傷的に賛美する趣旨ではない。タイトルにあるように、武蔵野の「いま」を歩いて、観察して、いまの時代にこういう場所があることを再発見することにある。首都圏においてその面影を探ることができれば、この文章も何らかの意義があろう。ただし、思った場所にすべて行くことはできなかった。歩く場所の選択は当方の主観のままである。
 また、今回の随筆では、武蔵野と関係がない文章3本を挿入した。
なお、川越は武蔵野台地の北端になるが、ここでは武蔵野の一環というより、この地域が独自の歴史と文化がある観光地として、末尾におくこととした。
 さいごに付言すれば、この随筆集は前作『沼沢地』に続くものである。読者の感想を得たいと思う。
 二〇二〇年春
 著者

  ▽追記:2019727 ()『沼沢地 三枝登志夫随筆集』を紹介した

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-394727.html

2019年7月27日 (土)

『沼沢地 三枝登志夫随筆集』を紹介した

 「小越洋之助のページ」(国学院大学名誉教授)

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/ogoshi/ogoshi-index.htm

 

山の詠草

妙義山麓

中津渓谷(『沼沢地』、1960年[昭和60年、昭和35年夏、17歳]

 

井上靖氏の歴史小説について(『沼沢地』第2号、19612月、18歳[補強20189月])

南へ(『ラピユタ』第2号、1976年春・創刊号、執筆1975.3.2534歳]

蘇州と万里の頂上に行く(2004年執筆)

囲碁の楽しみ(2019120日執筆)

阿部敏夫著「随想集」を読んで(2018915日、阿部社長への手紙、76歳)

 

◇筆者紹介

三枝登志夫(さえぐさとしお)

1941年4月 東京都台東区生まれ。

随筆家。本名 小越洋之助(国学院大学名誉教授)

早稲田大学卒。大学時代、同人誌「群青」をつくり創作活動。

以降、機会を見つけて随筆を執筆。

 

2019年427日初版発行

2012年7月 6日 (金)

東京国際ブックフェア2012に行ってきた

 昨日、東京ビッグサイトで開かれている「東京国際ブックフェア2012」に行ってみた。会場はほぼ満員で、1階は各出版社のブースがならび、まったく知らない出版社があるもんだなと思い、見て回った。

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こちらが見てみたかったのは、2階に出展していた凸版印刷や大日本印刷などの先端印刷現場の様子だった。タブレット型のPCでデモンストレーションをしていたが、なんとDTPデザインは「InDesgin」を使って説明をしていた。

昔は、凸版印刷は、CPSという電算写植を出版社側に使ってページのDTPをすすめていたし、さまざまなDTPソフトが他社から開発されていたが、もうInDesginなのだということが分かった。

 

Qualkも出展していたが、元気がなかった。

MACを使ったDTPの王者が世の中から滑り落ちている、現実を見た。

 

追記

「現代労働組合研究会のHP」の全面的にリニューアルして、UPした。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111210roudou-index.htm

 

TOPに使った写真は、昔訪問したイタリアの「広場」風景だ。フリーの素材だが、「青年よイタリアに跳べ」と語りたい。

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