映画・テレビ

2024年9月15日 (日)

映画『カムイのうた』を観てきた。

   一昨日(2024年9月13日(金))に前々から気になっていたJR田端駅(山手線)下車5分ほどのところにある小さな映画館(客席は20席)「シネマ・チュプキ・タバタ」で後輩の友人が観に行くということで映画『カムイのうた』を観てきた。

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https:/ /chupki.jpn.org/

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 映画のモデルは、アイヌ文化伝承者・知里幸恵さん。

 予告編は以下に。

https://www.youtube.com/playlist?list=PL0r-GH27V76MEojLk4FkG1l1gda6h5Rwu

 あるサイトでは「北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作し2023年11月23日に公開しました。映画を通して、世界へ誇れる北海道の先住文化を広く伝えるだけではなく、差別のない持続的な社会の構築を目指しているとのこと。」と書かれている。

https://moula.jp/feature/kamuinouta/

 アイヌ民族の存在を知ったのは、昔のことだが、その事実はあまりにも学んでこなかったので、今からでも学んでいきたい、と感じて帰宅してきた。

 

▽「Wikipedia」より

 『カムイのうた』は、2024年に公開された日本映画。明治期から大正期にかけてのアイヌ文化伝承者である知里幸恵の生涯を題材とした作品であり[2][3]、知里幸恵の没後100年、生誕120年を機に[3][4]、北海道東川町の企画により制作された[5]。大正期にアイヌの口承文学を初めて文字化して『アイヌ神謡集』を著し、19歳で死去した知里幸恵の生涯を描くと共に、北海道の自然の風景、明治から大正にかけて土地や生活を奪われたことで衰亡の危機に瀕したアイヌの生き様や伝統と文化[6]、アイヌの差別と迫害の歴史を伝え[1]、差別や虐待のない共生社会を訴えることを意図して製作された作品である[2]。PG12指定[7]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%9F#:~:text=%E3%80%8E%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%9F%E3%80%8F%E3%81%AF%E3%80%81,%E4%BC%81%E7%94%BB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E5%88%B6%E4%BD%9C%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%82

 

2022年6月23日 (木)

映画『峠 最後のサムライ』を観てきた。

  先日、西新井(足立区)のアリオ内のTOHOシネマで観てきた。

 この本(『峠』は20代のときに読んだはずで、河井継之助の生き方に寄り添った社内(出版社)の先輩方が神保町界隈での飲み会で話題にしていた。

 この映画が読売新聞のWEBで紹介されている。

https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220620-OYT8T50067/

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 《コロナ禍の影響などで公開が3度も延期された映画『峠 最後のサムライ』が公開された。原作は司馬遼太郎(1923~96)の同名小説で、主人公は役所広司さんが演じる越後(新潟県)長岡藩の家老、河井継之助(1827~68)。 戊辰ぼしん 戦争のなかでも最大の激戦とされる北越戦争で、数に勝る新政府軍をさんざん苦しめた幕末の風雲児だ。

  筋を通した結果、長岡は焦土に…今なお分かれる評価》

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 「スイスの中立」「リバティー」「ライト」などの言葉が、活字で読んだ時の驚き(司馬遼太郎の他の幕末モノにはなかった、と記憶)があったが、画面ではなにか別のものという印象を得た。

 やはり「活字の行間を読んで、自らの思考を深める」という、出版物の大事さを教えてくれた、先輩たちの言葉の方が勝ったような気がする。

 「へ―」と感じたのは、「舞台回しの場面」として、方角に凝った演技が二つ描かれていたことだ。

 一つは映画の導入部(そしてラスト)で「太陽に向かって飛ぶ鳥」が描かれていたが、途中で「カラスは太陽に向かって飛ぶ、朝は東に、夕は西に」と河井継之助に語らせ、また戦闘で負傷した時に「刀が北を向いている」と一回転して運ばせる、シーンがあった。

 なぜ重要な場面として、入っているのか。こちらにはわからなかった。

 サブタイトルの「最後のサムライ」に関しては、「読売新聞」の映画評がある。個人としては、本映画の描きたいテーマの焦点(武士道など)の強調が、「自分にとっては違和感」が残ったような気もする。

https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220620-OYT8T50067/

2020年2月21日 (金)

杉原さんには「武器取引の実相」と「松元ヒロ 爆笑 ライブ」を堪能

 昨日(19200220日)、「商社九条の会・東京」主催の講演・「武器ビジネスが憲法を壊す」(杉原浩司・武器取引反対ネットワーク[NAJAT]代表&「松元ヒロ 爆笑 ライブ」を聞いて、観てきた(王子駅近くの・北とぴあ)。

https://sites.google.com/site/shosha9jho/

 第一部の杉原さんのパワーポイントを使った映像で、日本の防衛省・軍事生産部門を持つ大企業の「武器展覧会」の大々的な宣伝とイスラエル・アメリカなどの対日売り込みのためのショービジネスの展開などの事実に、安穏とできない現実を突きつけられた。

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 イスラエルの武器が子どもを攻撃して殺傷している映像に、日本は関わってはならない。「憲法9条」をもつ間に、中止する行動をと呼びかける杉原さんに教わった。

 『レピュテーションリスク』という、「武器商人になるのか」と言われるという気持ちも企業の中にあり、消費者・市民のアッピールが大事と強調した。

 ▽すでにYouTubeにアップされていた。

https://www.youtube.com/watch?v=M5MmVqwvvPo&feature=youtu.be&fbclid=IwAR2ugWHs100hCoQHp3feOUQk4OgRMIlnLFsMPqW-dl2wddKMyBS_h_ztm7s

 

 ◆レピュテーション‐リスク(reputation risk)とは:企業に対する否定的な評価や評判が広まることによって、企業の信用やブランド価値が低下し、損失を被る危険度。 評判リスク。 風評リスク。

https://kosugihara.exblog.jp/

 

 第二部の「松元ヒロ 爆笑 ライブ」は字のごとく、1時間半にわたって観客を和ませ、ドカーンとくる聴衆の“共鳴の笑い”など、格安なチケット代の数倍の免疫力増大を私たちにもたらしたはずだ(中身については、野暮なので書かない。「テレビに出ない、出られない筋を通す芸人を、実際に観て・聞いてほしい」)。

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 「松元ヒロ」については、紹介しておきたい。 

http://www.winterdesign.net/hiropon/html/profile.html

 

   今回は現代ルポ研のメンバーと一緒に観たが、飲み会には、松元ヒロさんが顔を出してくれて、それぞれの感想や苦労話などで盛り上がった。

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d823.html

 ヒロさんのWEBサイトを観たら、ご当地の 【埼玉県越谷市】では、● 419日(日)、 松元ヒロソロライブ越谷サンテイ小ホールで観られる。また参加したい。お問い合わせ・お申し込みはこちらへ!

 [越谷革新懇]TEL 09070178066(生田目)

http://www.winterdesign.net/hiropon/html/info2014/info2020_04.html

2019年12月 7日 (土)

「新井英一 清河への道」を20数年ぶりに聞く

   この夏に1台、仕事用のHDDが突然、朝起きたら起動せず、いろいろ試したが駄目だったことがあった。予備用にもう1台、バックアップしていたものがあったので、いまはそれを使っている。HDDは5年ぐらいで寿命(もっと使っている人も多い)が来るといわれているが、そのHDDは8年前から使っていた。

 それより前の前の1990年代に使っていた古いHDDを点検していたら、新井英一さん「清河への道」が出てきたので、全部聞いてみた(50分ほど)。

 「清河への道」は、1995年に《TBS-TV「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマ曲に選ばれ、テレビ、雑誌、新聞等で取り上げられ話題となる。そのアルバムは第37回日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞。》と書かれていて、こちらもその影響で聞いたのだと思う。

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 書店に行くと「嫌韓ブーム」に乗った「嫌韓本」が多く並んでいるが、1990年代は少なかった。

 新井さんの「生きざま」と家族との葛藤、岩国へ、アメリカへ、韓国へと綴った詩は、重厚に生きた人の感性を謡いあげている。

 興味がある方のために、Profileは、別のページに会ったのでそれを引用しておく。

 「新井英一

 あらいえいいち。19503月福岡生まれ。15歳で家を出て岩国の米軍キャンプなどで働き、ブルースに魅せられる。21歳で渡米し、放浪生活の中で歌手を志し独学で歌作りを始める。日本で生まれ育ち、朝鮮半島の血を引く自らを「コリアンジャパニーズ」と呼ぶ。

 帰国後、内田裕也氏に見い出され、アルバム『馬耳東風』(1979年)でデビュー。 1986年、様々な葛藤と不安を抱き、亡くなった父親の故郷である韓国・清河(チョンハー)を初めて訪れる。数年後、その旅の思い出と共に自らのルーツと半生をストレートに歌い上げた『清河への道~48番』を作り、1995年に一枚のアルバムとして発表。TBS-TV「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマ曲に選ばれ、テレビ、雑誌、新聞等で取り上げられ話題となる。そのアルバムは第37回日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞。韓国KBS-TVでドキュメント特別番組が放映され、日本でもNHK「わが心の旅」、テレビ朝日「報道特別番組21世紀への伝言」等多数の番組に出演。またライブにおいては国内はもとより、N.Y.カーネギーホールなどでのアメリカ公演に加え2000年はパリでもライブを開催、そして2002年には韓国ツアーが実現。念願であった「清河村」でのライブを成功させている。2004年アルバム『生きる』をリリース。2009年「ライブイズベスト』3枚組リリース。2012年オリジナルアルバム「唄魂」をリリース。

 今もなお、、、、、、、、。

http://www.e-arai.com/prof.html

 

 YouTubeには、10分弱の歌曲が聞ける。

https://www.youtube.com/watch?v=a5MufByel7s

 

 『新井英一ドキュメンタリー 韓国初ライブ全記録』(2004/カラー/90分)があるという。

 「語り 黒田福美/監督 澄田憲親/製作 ワイズプロジェクト プロデューサー 吉田豪(フジテレビ) ・寺戸美香子・岩男浩司/企画制作 堀内雄一郎」

 アボジー 新井のしぼり出すような歌声が 清河の夜空にこだました・・・

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 <STORY>

 全身から絞り出す、太くしわがれた歌声、スポットライトに照らされ汗まみれになってかき鳴らすギター、野獣の遠吠えを思わせる、その歌声にふるえる空気―――決して美しい歌声ではない、無骨な彼のブルースは、どこか優しく暖かく聞く者の魂をわしづかみにする。

 

 新井英一 1950生まれ

 在日韓国人一世の父と、日朝ハーフの母をもつ

 自称「コリアン・ジャパニーズ」のブルースシンガー

 

 九州・福岡の下町、吉塚で洗いは三人兄弟の末っ子として育った。

 父は、彼が生まれてすぐ結核に冒されて入院、離ればなれに暮らしていた。

 そのため、新井は父の記憶がうすい。

 廃品回収業を営む母親の手ひとつで育てられた英一少年。

 差別、貧困、いじめ―

 15歳で家出した新井は、荒んだ放浪生活の中で父の訃報を耳にする。

 しかし、「不思議と涙は出なかった」・・・・

 

 29歳で念願の歌手デビュー。

 その後、結婚して自らも父親となった新井は、おりにふれ、早くして亡くなった父親の無念さを深く感じるようになったという。

 「病院に入っていたけど、家族の事は気になるし、女房の事は気になるし、自分の体は思うようにいかないし・・・そう思うと、何かもう、親父もかわいそうやなぁって・・・」

 

 36歳のある日、新井はさまざまな葛藤と不安を胸に、父の故郷、清河行きを決断する。

 

 新井はこの清河訪問をきっかけに、亡き父の故郷と自らの半生を綴った歌で48番までつづく「清河への道」を制作。

 この歌を父の故郷、清河で歌うこと。

 それが新井の悲願となった。

 日本の歌が禁止されていた韓国での度重なるチャレンジ。そして挫折。

 

 2002年5月、52歳になった新井の夢がようやく実現した。

 ツアーの最終日。

 夕日がゆっくりと清河の山に沈み、新井のライブが始まった。

 舞台は清河にある中学校のグランド。

 ステージと客席を隔てるものはない。

 今、その声は海を渡り、近くて遠い亡き父の祖国、そして自らのルーツである念願の地、「清河」の山河に響き渡る。

 ルーツ探しの旅から16年のことだった。

 

 これは新井英一の悲願、初の韓国ライブの全記録である。

 

2019年8月19日 (月)

映画「ピータールー マンチェスターの非劇」を観てきた。

   三木 陵一さんの以下の「映画評」(映画「ピータールー マンチェスターの非劇」)を読んで、お盆中日の814日(水)に「TOHOシネマズ シャンテ」で観てきた。

https://www.facebook.com/ryouiti.miki/posts/3050046398403218

   お盆なので、お客が少ないのかと思いながら日比谷(都内)映画街に行ったが、始まる40分前に着いたのに、すでに客席は少数しか空きがなかった。

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  内容は、「one man one vote」と呼びかけたイギリス・マンチェスターにおける市民・労働者階級の運動と決起、そして資本家グループに呼応した正規軍+義勇軍の集会破壊、市民虐殺シーンを描いた映画だ。

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   この映画「ピータールー マンチェスターの非劇」は、1819年にイギリス・マンチェスターで起きた、社会・労働運動史でも有名なイギリス史上最も残忍かつ悪名高い事件として語り継がれるピータールーの虐殺を描いた作品(「ウィキペディア」より)。

 

 ストーリー上の映画カットを少し紹介すると、貧しい労働者家族の実情、市に立つ小売り販売業者、パブの原型のような場で市民・労働者の話し合う姿、紡績工場の労働シーンとストライキ(これは団結禁止法の下での集団的職場放棄か)、町々から音楽隊などを先頭に集会参加をする人々。

 この動きに、当時の政府(王室・法務大臣など)・資本家グループは何をしたのか――、郵便逓送会社での郵便物抜き取り、集会を監視するスパイ活動、運動リーダー層の拘束(公安の弾圧――この時代からいた)、義勇軍の育成、裁判制度の利用(判事などの取り込み)、そして弾圧を決める場での個々のビヘイビア。

 

 1830~40年代の労働者階級による選挙権要求の運動であった「チャーティスト運動」は有名だが、イギリスでは1824年には、団結禁止法がなくなったことも書いておきたい。

 しかし若き日に中林賢二郎先生から学んだ『イギリスにおける労働者階級の状態』が描いた状況(貧困・競争・抵抗など)は、その後の1840年代の姿だ。まだまだ闘いの歴史はつづいた。

▽イギリスの普通選挙権の実施は、以下のページ参照。

 https://www.y-history.net/appendix/wh1201-070.html

 

 イギリスの映画は、4年前に映画「パレードへようこそ」を観てきた(2015411 ())が、このような映画をつくり出したイギリス映画界の底力が続いていることを見せられた思いだ。

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-d3b7.html

2019年7月19日 (金)

「映画 新聞記者」を観てきた。

 昨日(2019718日)、「映画 新聞記者」をほぼ満席の「角川シネマ有楽町」で観てきた。原作は、以下の『新聞記者』(望月衣塑子著、KADOKAWA20171012日)――「感想 望月 衣塑子― 読書メーター」のページ参照。

 《明日の映画の為に読書。映画の前情報で安倍政権に対するかなり尖がった紹介がされていたので、安倍政権の話が中心なのかと思ったら、著書の自伝的内容+新聞記者・ メディアの現状が描かれた、かなりあっさりした本でした。記者志望の中学生が読んでも……》

https://bookmeter.com/books/12301803

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 不思議な場面――「自殺した官僚の最後の電話相手は若手官僚、だという場面。主人公の女性記者に突然上部機関員の男から電話が入ること」など、現代中国の「電話でデモを指示する国家」に相似した社会になっていること。

 「twitterなどで、発信する大きな作業部屋に若手官僚がいること」「与党パートナーに指示をと声高に話す幹部」、このような情報操作社会が描かれているが、あるならば「表示」してほしい。

 「タワーマンションに住む若手国家公務員官僚」――年収はいくらでしょうか。

 

 映画では明示されていなかったが、もう一冊、昨年末でている『官邸ポリス 総理を支配する闇の集団』(著者 幕蓮、講談社、20181212日)も参考にしたのだと思う。

https://www.excite.co.jp/news/article/Bizjournal_mixi201903_post-14984/

 「首相を支配する官邸ポリス、闇の警察集団…首相の敵対人物を追い落とし、世論操作」、ビジネスジャーナル、2019328 21:00

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 新年早々、読んだときは、上から目線で「官邸の意向で書かれた本」か、と少し気持ち悪い読後感だったが、facebookでの感想も少なかったのが気になっていた。

 

 私たちの先輩編集者が『菅生事件』『松川15年』(1964年)『警察黒書』(1969年)『CIA黒書』(1968年)など、反権力的な出版物を企画・編集していた時代もあった。

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 社会科学書分野に読者もいた時代だったが、現代で本映画を製作した監督たちもエライ人たちだ。

http://www.junposha.com/news/n21418.html

 

2019年4月14日 (日)

映画「『津久井やまゆり園事件』が問いかけたものは…」の上映会を開きました。

 

 ▽追記(2019.04.16

 映画会の1時間前に「予告」を観て、これは大変、と思ったので、だれもが予告を観てと思ったしだい。

 自分たちは「生きているぞ」と叫ぶアナウンスのために。

 

 

   先日(2019412日)、NPO障害者の職場参加をすすめる会(越谷市)が主催して、映画「『津久井やまゆり園事件』が問いかけたものは…」の上映会を開かれました。山下浩志さんのFacebookで速報として発信されています。(19.04.13 AM1200

  https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/2072314269503869

 

   感想を一言、話した者として、以下のように映画「『津久井やまゆり園事件』が問いかけたものは…」のページを(「世一緒のページ」)UPしました、

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/190412yamayurien.html

  ――「共に働く街を拓くべんきょう会」第53

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 越谷市内で上映会。半数以上が障害者でした。澤則雄(監督)のFacebookより。

 ドキュメンタリー映画 「生きるのに理由はいるの? 「津久井やまゆり園事件」――予告動画 。

   <資料>衆議院議長に宛てた植松被告の「手紙」全文

 ドキュメンタリー映画 「生きるのに理由はいるの? 「津久井やまゆり園事件」――上映会を主催希望の方へ。

 映画「生きるのに理由はいるの?」―「津久井やまゆり園事件」を議論するために。<柏井 宏之(共生型経済推進フォーラム/共同連)(2019 2 26日)

 津久井やまゆり園の事件とその日の絵日記の旅―分けられた教育・労働・福祉と「すったもんだ」の地域(作成日時 : 2016/07/29 23:57)。

 津久井やまゆり園の事件―「障害者のためのインフラ整備」の背後で問われる「異なる他者」――共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す。(NPO障害者の職場参加をすすめる会。山下浩志事務局長のブログより)。( 作成日時 : 2016/08/03 00:24

 

2016年6月23日 (木)

ドイツ映画『帰ってきたヒトラー』を観てきた

 昨日(2016622日)、TOHOシネマズ 六本木ヒルズで公開されていたので、六本木ヒルズの風景も見たかったので行ってきた。

 展望台の入り口まで行ったが、これは次回にと思い、シネマの方にGO。

『帰ってきたヒトラー』201211月にドイツでベストセラーになった本((河出書房新社 、20141月・上、・下)が、映画化されたというお知らせを読んで行った。

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 奇想天外の設定で、1945年に自殺を図ったはずのヒトラーが2014年のベルリンで目覚めるという場面から始まる。

 

映画評は、以下のページにある。

 ▼映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評(2016061800:34

http://cinemassimo.livedoor.biz/

 またヒトラーを演じた主人公のインタビューも興味深いものだ。

 ▼リアルサウンド
622()169分配信 )

「ヒトラーの格好にドイツ市民はどう反応したか? 『帰ってきたヒトラー』主演俳優インタビュー」

  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160622-00010017-realsound-ent

 

 現代ドイツについて、ほとんど情報がない編集子にとって、映画で描かれた日本と「そっくりなバラエティーを主としたテレビ局とそのシステム・担い手、料理番組を中心とする番組づくりなど」とハデハデの夕刊紙は、先進資本主義国の人々のマスメディアへの接近はそんなにちがわないのだ、と思った。

 若い世代は「YouTube」を使った自己宣伝の手法、「アクセス回数」の飛躍的伸長が、その人気の姿を映す。

ちょっと違うのは、(ドキュメンタリー風に取材した)ビヤホールでの「「国のために死ぬ」と口にした女性など自己主張する高齢者たち」、「移民や難民を拒否する人の姿」、前者はデイサービスの風景は流れるが、町場の中で高齢者がビールを飲んでワイワイやる「盛り場」は日本にはない。

後者は支配エリートたちの施策が「移民鎖国」を国是としているなかで、民衆からは「排除の声」を上げるようなテーマになってはいない。

日本において、一部の外国人への「ヘイトスピーチ」などをみていると、欧州の移民排撃をまねた「ニセモノ」ではないかと思った次第。

フラッシュバックで描かれた白黒画面の「緊急事態法の立法化が始めだった」とヒトラーが自戒する「役者の声」。なんだか日本の今を描いているのかと思った。

 

このヒトラーの最初の発見者(テレビ局の非正規労働者・首になったディレクター)に「人間としての意識」を取り戻させた「恋人のおばあさん=認知症になった高齢者の一撃」。

この男によって大勢がガス室で殺された」

「おまえは本当に恐ろしいよ。今度は何をする気だい?」(字幕どおりか?)⁉

 映画の最後の場面で、「ドイツ国民が私を選んだのだ」という演じる姿。

 日本でいま「改憲は争点だ」と安倍首相が主張し、「 息を吐くように嘘をつく」(金子勝さんのtwitter)と評されているが、その方向を支持しているのは、「私たち自身」なのか。

2015年11月 9日 (月)

映画「名寄岩 涙の敢斗賞」を観てきた――神保町シアター

子ども時代の栃錦・若乃花全盛時代に、近所の床屋の鏡に映る大相撲(逆に見えるテレビ)を見るのが楽しみだった。

 

「栃若」については、触れないが、その時代、大関から陥落した三根山というお相撲さんがいた。いつも「栃若」には負けていた[栃錦清隆には最後に14連敗(通算1019敗)、若乃花幹士には10連敗(通算1115敗)を喫しているなど、この2人には歯が立たなかったfrom Wikipedia - ウィキペディア]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A0%B9%E5%B1%B1%E9%9A%86%E5%8F%B8

大関から陥落しても相撲を取っていることに不思議な感じを憶えている。顔だちも何か記憶させる顔つきだった。

 

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三根山の前に「大関陥落」後も前頭で相撲を取っている前例として「名寄岩」というお相撲さんがいたことを何かで読んで記憶していた。

 

その「名寄岩」というしこ名を久方ぶりに思い出させたのは、旭天鵬が「20149月場所7日目に更新されるまで、戦後の最高齢幕内出場記録」保持者が「名寄岩」だったことが報道されたことだった。

 

神保町シアターで上映されるということをtwitterで知り、子ども時代(心)の疑問を解くために今日(20151109日)観てきた。

「名寄岩」は、日大板橋病院で糖尿病の治療をして40歳と6日まで相撲を取ったこと、のちに春日山親方として関取を育てたことなど初めて知った。なつかしい両国国技館や蔵前国技館の姿が見られたのもよかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AF%84%E5%B2%A9%E9%9D%99%E7%94%B7

 

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その間一度、大関に復帰した。

 

 昭和2011月場所後に大関に復帰した名寄岩。「大関復帰は、明治の西ノ海、大正の千葉ヶ崎、昭和6年の能代潟につづく史上4人目」

 http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/index.html

 

映画評は、Twitterで「神保町シアターのひとさんがリツイート」をされている方の声を拾ってみた。

 https://twitter.com/jinbocho123

 

たかぎ @_takagi_ ·11月8 

「名寄岩 涙の敢斗賞」本人が演ずる伝記映画ってレアさ。台詞回しの危うさも愛おしいしもう理由なく名寄岩がスキになっちゃう。当時どんだけファンがいたかも映画から伝わる。菅井一郎、滝沢修、織田政雄など名優が脇を固める安心感も。名寄岩夫婦が入院する病院は建物からしてたぶん浴風会病院だね。

 

せんきち@senkichi2918 @senkichi2918 ·118 

『名寄岩 涙の敢斗賞』、あの身体でよく関脇まで番付を戻したなあと思うわ。そして敢闘賞を受賞した場所の千秋楽取組、あの組み手(上手は一枚まわし、下手は取れず)で水入りの大相撲にまで持ち込んだ、それこそが奇跡のような気がした。

 おしるこ @osashimii_mm ·21時間前 

「名寄岩 涙の敢闘賞」 友人たちに「弱虫」となじられた息子が川辺にたたずむ場面、門限に遅れた名寄岩が雪の中四股をふむ場面、水面に映る名寄岩と弟子…どれもすごくいい画。そして妻役の山根寿子がやたら美しい。

 

BIZZARKELEY @BIZZARKELEY ·8時間前 

『名寄岩・涙の敢闘賞』「弦楽三重奏のための二つのレジェンド」を一部使った音楽を聴いて…大切にしたい作品の一つだったんだなと、、

 

せんきち@senkichi2918 @senkichi2918 ·118 

神保町シアターで『名寄岩 涙の敢斗賞』。懐かしい蔵前国技館の支度部屋や売店から花道に続く通路が出てきて感激(一部セットもあったようだが)。支度部屋入口で子供たちがたむろっていたが、私もあんな子供だった。昭和○十年代の話だけどね。

2015年10月23日 (金)

映画「ベトナムの風に吹かれて」を観てきた

昨日(2015.10.22)、有楽町スバル座で、映画「ベトナムの風に吹かれて」を観てきた。

 映画紹介の一部。

[映画.com ニュース] 2015年10月17日 13:45

 http://eiga.com/news/20151017/8/

 

 女優・松坂慶子主演の日本・ベトナム合作映画「ベトナムの風に吹かれて」が1017日、東京・有楽町スバル座で封切られた。松坂は共演の草村礼子、奥田瑛二、「NMB48」の藤江れいならとともに初日舞台挨拶を行った。

 初回上映から立ち見も出る好スタートとなり、ベトナム・ハノイでの上映に合わせ現地入りし前日に帰国したばかりの松坂は感無量の面持ち。「今日で私たちの手から離れると思うとメランコリックな気持ちになったけれど、皆さんの温かい拍手に迎えられ気持ちがオレンジ色になりました」と満面の笑みを浮かべた。

 主演女優の感激ぶりに、共演者も賛辞を惜しまない。認知症の母親を演じた草村は、「松坂さんの温かさとおおらかさに寄り掛かろうと決めて演じました。最後のシーンではメークまでしてもらって、本当に甘えちゃいました」と感謝。1980年の映画「五番町夕霧楼」では松坂とラブシーンを演じ、2004年の監督作「るにん」では主演に起用するなど親交の深い奥田も、「まさに映画女優そのもの。多分、今の時点では松坂さんのことは生き字引のように知っている。僕の宝物です」と称えた。

 藤江も、「松坂さんの娘さんが私と同い年なので、お母さんのような温かい空気感でリラックスして演じられました」と笑顔。原作のエッセーを執筆した小松みゆきさんも駆け付け、「本当に光栄。私とのギャップも含め、いろいろな意味で楽しんでください」と話し、満場の笑いを誘った。

 褒め言葉のオンパレードに、松坂は照れることしきりで「胸がいっぱいです。日本とベトナムのスタッフ、キャストが力を合わせて家族的な温かい雰囲気で撮影できました。私も20代のつもりで演じました。皆さんも若返って元気な気持ちになってくれたらうれしい」としみじみ。主題歌「たまには仲間で」も担当しており、大森監督が「主演俳優が主題歌を歌うのが日本映画の伝統。クレジットが始まっても席を立たないで、最後まで聴きほれて」とアピールしていた。

 

  観客は7割ぐらい、やっぱり女性中心だったが、映画が終わった時に、拍手が起こっていた。感動の拍手なのであろう。これには、ちょっとびっくりした。

 青年劇場周辺のベトナム人の生き様や、二人の高齢ベトナム女優の演技なども初めて見たが、ベトナムを表現した映像は、良かった。

「守衛のおかまさん」は、演技がうまいし、息抜きとして、良く演じていた。

 

但しバイク社会の映像が、ややおとなしすぎたのではないか。

 映画の描き方では、「白黒シーン」の3カ所が「母娘の葛藤」(のちにベトナムで暮らす)を下敷きにした本映画のテーマを表現していたのかと、感心した。

 おばあちゃんの「 便所、行きてえ」という介護の場面がラストに迫力を持って映像化されているが、これをどう解決したのか、不明。

 もったいない。

 

しかし、「松坂慶子」さんは、きれいすぎ。

これから日本全国でも上映されるので、地元の上映情報をつかんで、映画館へ一歩踏み出してほしい。

まあ、小松みゆきさんの在ハノイ25年間の成果とはいえ、「えらいものができた」と思った次第。

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