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2022年10月 4日 (火)

吉原公一郎さんの「遺稿集と遺筆目録」をいただいた。

 先日(9月24日(土))、神田神保町で「故・吉原公一郎」さん(1928年6月22日 - 2021年8月6日、死去 作家)の娘さんに会った。

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  私が過日に書いた文章を読んで、メールが送られてきて、いくつかやり取りをしていた。
  ❖2016年2月27日 (土):吉原公一郎原作の映画「日本列島」を観てきた
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-40e1.html


   吉原さんは、自分が若い時期に読み込んでいた作家。
 『松川事件の真犯人 ジョージ・クレーと九人の男』三一新書 1962 のち祥伝社文庫
 『小説日本列島』三一新書 1963
 『赤坂桧町三番地』三一新書 1964
 その後、『謀殺 島田常務怪死事件』(ダイヤモンド社 1979年)を読んだり、先輩の本づくりで自宅に原稿をいただきに行ったこともあり、「作家という人はこんな暮らし方をしているのだ」と教わった。
 のちに、雑誌『まなぶ』(労働大学、1982年11月、491号)が「特集:"丸がかえ"御用組合化とたたかう」を発刊のときには、データや資料を提供した。
 《資本の組合"丸がかえ"作戦――インフォーマル・グループを中心に /共同討議
  富士政治大学校にみる洗脳教育 / 曽戸正明
  謀略の機関誌『サスコミ』とは何か / 吉原公一郎
  核づくり、組織づくりで対抗 / 浜崎忠晃》
  http://e-union.sakura.ne.jp/union/informal.html#20141022manabu


 つづけて、日本航空の労働問題のシンポジウムのまとめなどで、出会っていた。

 娘さんは(還暦を超えていると自ら話していた。現職はイベントやカタログ・デザイナー)、「父の仕事を残すために、テーマごとに段ボールに整理して、単行本以外の主な執筆原稿と遺筆目録」を1冊にまとめていて、この数か月で自主出版した、出来立ての本をいただいた(なんと四六判、600ページを超える)。
 「あまりにページが増えて、本文ポイントの級数を下げたり、紙質を軽いものを探して造本(フランス装)した」と話していた。

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 彼女からいただいメールでは、「防衛・内調関係は父の晩年に親交のあった研究者たちがおりますので、そちらと相談していますが、下記に関しては、アクセスすべきところがどこか考えあぐねているところです。
 ・JR労働組合関連(浦和電車区事件などの調書、裁判記録等も含め)
 ・日航労組と御巣鷹山墜落事故、羽田沖墜落事故等一連の航空会社&航空機問題
 ・戦後GHQ時代の事件関連(松川・三鷹等一連の事件など)
 ・ロッキード・グラマン関連と一連の謀略関連
 特に日航労組に関しては故藤田日出男氏はじめ組合の方々とも深い親交があり、カンパを募っての機関誌発行もしておりましたが、藤田氏が急逝し、組合も解体されたと聞き及んでおりますので、コンタクト先が皆目見当がつかない状態です」とアドバイスを求められていた。
 私には応える情報が少ないので「学生時代の先輩で日本航空第一組合で闘った人(波多野章さん )がいるので、聞いてみる」という返事をして。その結果、24日(土)に神保町の「カフェ古瀬戸」にて3人で面談した。

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 話の中身は結論だけ、「11月中に吉原家に訪問して、段ボール5~6個を開けてみよう」ということになった。
別れ際、「自分の親が作家とはいえ、遺稿集と遺筆目録づくりをするなんて、今どきエライ人がいる」と思って来ました、と話して別れてきた。
 【注】研究者の方で、「日本航空の現場、企業分析」などに関心がある方がいらっしゃたら下記へ、ご連絡ください。
sin_ryo11731アット(@に変えて)yahoo.co.jp

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