ベトナムから帰国した小松みゆきさんと食事会
昨日(9月18日(火))は、ベトナムから30年ぶりに日本戻ってきた小松みゆきさん(著書:『ベトナムの風に吹かれて』2015年9月、[角川文庫]、『動きだした時計: ベトナム残留日本兵とその家族』、白石 昌也, 古田 元夫他、めこん、2020年5月)と食事会を希望した村田憲生さん(1980年半ば以降のベストセラー雑誌:「月刊ファミコン」創始者の一人。現役の編集者)と一緒に、会ってきた。
▽2022年9月25日 (日):月刊『ファミリーコンピュータMagazine』(略称は「ファミマガ」)を創刊した友人の紹介。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-36d395.html
こちらも合わせて、1970年代初頭の「旧労働旬報社を自主退職した社員」(「和議」で解決することが決まり、社規模の縮小のため。その後私は復職)だった。
会食した場所は、新宿御苑前の中華レストラン「礼華」(らいか)さん。村田さんのゴチでいただいたが、中華「懐石料理」風(私の感想)で、品のある味付けなので女性たちは喜ぶ味付けだと思う。
名物のフカひれは、味といい形もしっかりしていて、10数年ぶりに堪能した。
3人で食事をしたのは、映画「ベトナムの風に吹かれて」(松坂慶子主演、2015年10月17日公開)上映のために帰国した時以来だから、7年ぶり。
まず小松さんが帰国した背景などを話してもらったが、もっぱら旧労働旬報社の面々の情報交換になったのは、「中小企業出版社」とはいえ1970年前後には「60人」を超す編集者・営業マン・発送・倉庫のメンバーが参加していたので大変。
1960年代末の木檜哲夫代表が40代だという話には、3人ともびっくり(頭の形やステテコ姿で仕事をしていた)したりしていた。代表は大正15年(1926年生まれ)で総評弁護団(今の労働弁護団)づくりの「裏方」を担った編集者だった。
長い年月なので、お亡くなりになった先輩たちも多く、やむを得ない人生の流れには、「知らなかった」と悔やんでいた。
話は飛び飛びながら、最後にこれからについて、小松さんが「ベトナム戦争終了時に日本に来たポートピープルの事実とその発掘をすすめていきたい」と語ったことが記憶に残り、散会した。
小松さんが表彰されている。
▽公益財団法人「社会貢献支援財団」(日本財団)
受賞者紹介:第51回 社会貢献者表彰、社会貢献の功績
https://www.fesco.or.jp/winner/h30_51/winner.php?wid=12419
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