「生誕120年 住井すゑ、95年の軌跡」を見てきた。
先日(29日(土))、「生誕120年 住井すゑ、95年の軌跡―金輪際いつぽんきりの曼珠沙華―、日本近代文学館】」(駒場東大前下車)を松澤常夫さん(元「全日自労機関紙「じかたび」編集長。『私の童話』のインタビューをまとめた人、労働旬報社刊[1988年12月1日]のちに新潮文庫[1992年8月1日])と一緒に行った(その後、最近まで「日本労協新聞」編集長)。
展示に関する「編集の意図」について、3人の編集委員の文章があるので参照。
【編集委員 江種満子・金井景子・中谷いずみ(日本近代文学研究者)
主 催 公益財団法人 日本近代文学館】
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/13909/
内容はあまり書かないほうがいいのかもしれないが、たたかう「女流作家」として、戦前期、戦後直後、『橋のない川』の執筆、生誕85周年の武道館講演会、抱樸舎づくり、牛久沼生活、映画「橋のない川」をめぐる激動、執筆活動の流れも、ナマ原稿の実物として展示されていた。
第1部 奈良から東京へ――投稿少女から長編「相剋」の作者へ
第2部 東京・思想のるつぼへ
第3部 牛久沼のほとりで――書き、耕し、育む日々
第4部 「橋のない川」に橋をかける
Ⅰ 「橋のない川」とともにある犬田卯
Ⅱ 創作メモと原稿(第5部以降)
Ⅲ 「橋のない川」劇化と映画化
第5部 対話の時空――拠点としての「抱樸舎」
※展示タイトルの俳句「金輪際いつぽんきりの曼珠沙華(まんじゅさげ)」は、牛久で住井の隣家に暮らし、親交のあった俳人の平本くらら(元「風土」主宰)が庭の曼珠沙華に住井の印象を重ねて詠んだものです(句集『円座』所収)。
松澤さんに聞くと、当時、「じかたび」の1500号記念として、「80歳以上の社会発信をしている女性」として、本部から住井さんに直接にお願いして、お話を聞かせていただき、のちに単行本として『いのち永遠に新し』(櫛田ふき、住井すゑ、石井あや子、矢島せい子、労働旬報社、1985年8月)にまとめる編集段階でこちらが参加した。この本は、当時、寿岳章子さん(日本の国語学者他)が朝日新聞にエッセイを連載していて、すぐに取り上げていただいて、読者が広がった本。
http://e-kyodo.net/#221031jikatabi-1
その本の新刊をもって牛久沼の「住井さん宅」を訪問して行ったのが初対面だった(ゲラを読んでいただいたはずだが)。
牛久駅(常磐線)からタクシーに乗ったら、運転手さんもよく行っているところだと話してくれて着いたところは、農家の集落の中を通って、大きな庭にある2階建ての家だった。
娘さんがいると聞いて行ったので、お迎えしていただいた方が、長女さん(次女は増田れい子さん・ジャーナリスト、毎日新聞「おんなの新聞」元編集長)のようだが、玄関の入り口に「販売用のたくさんの出版物」が置かれていて、どうぞ「2階へ」と案内された。
通された和室は、12畳ぐらいあるような広さで、2人はだまって、待っていたら和服姿の住井さんが入っていらっしゃった。
「この人が住井さんか」と思ったのが、最初の記憶。
「何を話したのか」、まったく記憶に残っていなく帰ってきたのだが、最後に鰻をごちそうになったはずだ。
それからまた半年後か(?)に松澤さんから「インタビューをしに行くので一緒に行かないか」と声がかかり牛久までいって、こちらも自由に聞いていいということなので、数問、聞いてみた(中身は『私の童話』の最後のインタビューのページに出ている)。
インタビュー中に住井さんから「土と共に生きている人間に出会わなければ、いい編集者になれない」(正確ではないが)といわれたことが記憶に残っている。
これが2回ほど続き、1987年の夏ごろ、少し話ができるようになったので大胆に(!)、『橋のない川』の描き方の一つの秘密は、「孝二とお祖母(おばあさん)の・ぬいの描き方にあるのではないか」と尋ねてみた。
住井さんはすぐに「何か企画になるはずなので、考えて持ってきて」と言われ、暑い夏の間、『橋のない川』6冊(7巻は1993年)を読み返して(高校生時代から読んでいたので)、提案したのが『私の童話』の企画書だった。
その後、ゲラを運ぶなどしてお話を伺いながら住井さんから「本の体裁や表紙、挿絵は田沼茂さんにして」、とすすめてくれた上、「わかって下さい」という文章もいただいた。なにしろ、「朝日新聞」の八割広告の本は、編集者としては、2冊目だった。
すぐに出版記念会を牛久文化会館で開いたが、呼び込みの前説に永六輔さんが先頭でやり始めたときは、びっくりした。会場は満員になるほどだった。
その後、「じぎょうだん新聞」に松澤さんが連載していた住井さんが戦後に書いた「子どもたち向けの小説」をまとめる作業をして、2冊の『私の少年少女物語』(上・下、労働旬報社、1989年7月、11月)にも、住井さんは「若き友に」という文章を寄せていただいた。
さて展示会に話を戻すが、展示物の中に、私の先輩(旬報社・石井次雄社長・当時)が編集した「住井すゑ対話集」(3冊)があったので紹介しておきたい。
数多くの展示物の中にコメント文を書いているのは、編集をした3人の方だが、幾人か過去に出会った人が出ていた、そのお一人が農民運動家の「渋谷定輔さん」(『農民哀史 上―野の魂と行動の記録』、1970年)、『農民哀史から六十年』岩波新書、1986年)。
渋谷さんに、市民生協の仕事で短文をいただきに行ったら、「生産者協同組合のことも、勉強して」といわれたこと。
永六輔さんはもちろん、その後、沖縄高齢協の元理事長の平田亮一さんが書いた『ほのぼの医の風景 長寿国転ばぬ先のカルシュウム』(沖縄高齢協、シーアンドシー出版、2005年7月30日)では、序文をいただいた。
最後に、映画「橋のない川」をめぐっての激動、朝日新聞社「RONZA」(註:現在の「論座」はこの雑誌のリニューアル版、95年8月号)も掲示され、「戦争責任」に関して論評されていることが出ていた。執筆者一覧なども表示。
研究者としては、当然の営為だと思う。
このことに関してWEBを探すと、このような論評もある。「農山漁村が衰え、差別的な言説が跋扈(ばっこ)する今こそ、住井の表現と向き合いたい。」⇔同感だ。
武道館を埋めた作家がいた 戦争責任には沈黙 「差別」横行する時代に再評価を(共同通信社、2019/06/19)」
https://nordot.app/513924894760109153?c=39546741839462401
盛り上がりに水をさしたのは95年8月の『RONZA』戦後50年特集「表現者の戦争責任」。戦時中の住井が忠君愛国物語を書き、戦争を賛美したではないかと責めた。これに対して住井は「書いたというより、書かされちゃうんですよね、あの頃は」「それ書かなくては生活できない」と釈明した。さらに、責任のとり方を追及されると、「『橋のない川』を書くことがいっさいの自分の反省であり、もう、ここにすべてを書き込めると思って始めた」と応じている。
(中略)
住井については、いまだにまともな評論が見当たらない。貧しく弱い者に寄り添い続けた文学は貴重だし、農村を舞台にしたおびただしい作品群は、その時代の農村事情を知るうえで、史料的価値も大きい。
農山漁村が衰え、差別的な言説が跋扈(ばっこ)する今こそ、住井の表現と向き合いたい。(女性史研究者・江刺昭子)
2022年9月17日(土)―11月26日(土・祝)
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/13909/
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観 覧 料 一般300円(団体20名様以上は一人200円)、中学生・高校生100円
休 館 日 日曜日・月曜日(祝日は開館)・9/20・9/22・10/11・10/27・11/24
編集委員 江種満子・金井景子・中谷いずみ(日本近代文学研究者)
主 催 公益財団法人 日本近代文学館
向い風の中の曼珠沙華たちへ――「住井すゑ」の世界
住井すゑは晩年、石牟礼道子との対話(「蛽独楽の旅」、「週刊金曜日」1994年3月18日)において、自身の発想の原点とも言うべき興味深い逸話に触れている。
3、4歳の頃、自分でうんこが出るのが嫌でたまらず、出すまいとしては失敗して着物を汚した。現場を見たことがないから大人たちもするということが理解できなかった。6歳の時に、天皇が大和へ大演習で来た際に、耳成山に建てた御陵の便所から人々が天皇のそれを拾って家宝にするという話を聴いて、「天皇も同じことをするという事実」を知った。食べたものは一定の時間が経つとうんこになる。時間の加減でそうなるなら、時間というものこそが人間にとって絶対的なものだと気付いたという。
その絶対の法則があるのに、なぜ人は「時は金なり」という考え方に支配され、「時間は命である」ことを忘れるのかーー住井は深く問いかける。
幼児期の問いは、90年の時間の中で、答えを探して弛みなく言葉を引き寄せ、文が書かれ、また新たな問いを産み出して来たのである。
今年は住井すゑが生誕して120年、没後25年に当たる。
今日、住井が「橋のない川」7部作の作家として記憶されているのは疑いない。しかし、奈良大和に生まれ育った住井が、この地を舞台とする大長編「橋のない川」を描くに至る軌跡は、時代と斬り結び、暮らしの中で自身を鍛え上げ、その中から言葉を紡ぐ時間の先にしかない。そのことを私たちに教えてくれたのは、2013年と2014年の2度にわたって日本近代文学館に犬田章氏(住井すゑの長男)より寄贈された住井すゑ・犬田卯関連資料である。これらの資料から私たちは、児童雑誌への投稿者として始まり、やがては農村に視座を据え、社会の底辺に生きるおんな・こどもの声を丁寧に拾い上げながら、近代を根底から問い直す 大きな問いを繰り出しつづけた住井の足取りを辿ることが出来る。
これは、混迷を極めるwithコロナの時代に、人や地域、メディアに大きな影響を受け・与えつつ、文壇の誰にも類似しない、ただ一人の方法で時代に立ち向かった「金輪際いつぽんきりの曼珠沙華」・住井すゑの、人と言葉の豊かな世界を届ける展覧会である。
(編集委員 江種満子・金井景子・中谷いずみ)