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2022年9月

2022年9月26日 (月)

神保町の町中華「成光」と旧々社屋(労働旬報社)の紹介

 facebookの「大衆食堂、町中華、洋食屋が大好きな人」グループ(2022年9月20日(火))で、神田神保町(専修大学前交差点を皇居方面へ、1本目の角・さくら通り)の老舗の町中華「成光」が紹介されていた。
 https://www.facebook.com/photo?fbid=8086649224742931&set=gm.1774792059548969&idorvanity=1580326845662159


 1972年から1980代初頭まで、会社(労働旬報社)があり、そこから徒歩3分ほどなので、毎週2回ほど食べていた。

 2022年9月 24日(木)に久しぶりに神保町で人に会うので、行ってみた。

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 味は、昔と変わらず「ちょっと濃い目の醤油味のラーメン」でおいしかった。

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 その向かい側(九段方面へ)の木造の建物は「鰻屋」の老舗の道を入った先の8階建てのビル(都ビルの先。1978年宮城県沖地震の時は、このビルとぶつかった)にあった。
 2階が事務・営業・書店品出し、7階が編集部だった(1971年に「和議騒動」もあり、前の所在地・港区西久保巴町からこの地に移転)。私も1年ほど他でアルバイト生活をした

 

 この時代の仕事の一端を過日書いているので、気になる方は読んでください。
 その文中に、著者に関して(会って話をしてみたい方の一部だが)、これも書いておいた。
 

 ▽2020年6月 6日 (土):国民春闘をめざして『春闘読本』を編集していた
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ed2a35.html


 5 毎年、この著者に書いてもらいたい人という意味で、編集子にとって得難い存在の方を探して、「政治社会情勢、春闘、労働者の現状と未来」を忌憚なく発言していただいた。渡辺 洋三(東京大学名誉教授)、高内 俊一(『現代日本資本主義論争、1973年』) 、青山 四郎(経済学者)、鎌倉 孝夫(埼玉大学名誉教授)、森 恭三(『記者遍路』朝日選書、1974、戦後の朝日新聞労組委員長)、沼田 稲次郎(東京都立大学元総長)、樋口 恵子(女性史研究家)、吉原 公一郎(作家)、金子美雄(日本賃金研究センター所長)、孫田良平(日本労働ペンクラブ)、板垣保(労働ジャーナリスト)、青木慧(ジャーナリスト)、水沢透(経済ジャーナリスト) の各氏だ。

 

2022年9月25日 (日)

月刊『ファミリーコンピュータMagazine』(略称は「ファミマガ」)を創刊した友人の紹介。

 すでに紹介した話のつづき。

 最近、地元(越谷市)の市民サークルで「◆編集者の仕事とは:児童書の編集はできません――ある市民生協のママさん理事の声」と題して話した。少人数の参加者だったが、まとめる準備が面白かった。

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#220901-rogo

    ・2022年9月17日(土)午前10時~12時、ミニ講演会で話します。

  ・場所:越谷市市民活動支援センター5階会議室

  ・主催:ロービジョン友の会

 

 「Ⅳ 素晴らしき編集者の実像」の一人は、私の友人。こここで再紹介したい。

 その人は[村田 憲生さん]で『ファミリーコンピュータMagazine』(ファミリーコンピュータマガジン)を創刊した主たるメンバー。

 彼は学年は1年上で、立命館大学を卒業して労働旬報社関西支社に入社し、1971年の「和議騒動」で支社廃止になり上京して労働教育センター(代表は私鉄総連・内山光雄さんの妹さん)の編集部で仕事をやっていたが、1980年代にはいると、新宿のゴールデン街で飲もうとたびたび電話が入り、いま何をやっているのかと聞くと、わら半紙を出して説明をしてくれた、

 それはその時はやりだした、「ファミコン・ゲーム」のスピード競争のやり方(ウル技:ウルテク、ウルトラテクニック)、バグの発見などを紐解いたメモ(図式化した)帳だった。

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 それを仲間と「徳間書店」に持ち込み、なんと月刊『ファミリーコンピュータMagazine』(略称は「ファミマガ」)として世に出したのだ。50万部以上いったのではないか

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BFMagazine

  新橋にあった仕事場に行くと、6時過ぎに50人以上の若者が朝礼をして、そこには生き盛んな編集現場があった。この仕事を10年近くしていた。

 私の子どもも「ファミコン世代」の一人だが、副編集長の名前を指して「友人だ」というと、目を輝かしていた(その前もその後も、そのようなまなざしで見られたことがない)。

 編集者はすごいなー、という体験をそばで見ていた話。

 今もマンガ関係の編集プロの現役!

 

 そのときに紹介した編集者像は、以下の通り。

 Ⅳ 素晴らしき編集者の実像

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/#220901-rogo

 

 1 偉人伝としての編集者→吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)。

   『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長。

 2 岩崎勝海:編集者。(1925年-2000年8月18日)

  長崎市生まれ。1949年早稲田大学卒、岩波書店に入る。50年『文学』編集部、55年岩波新書編集部、71年編集長、75年岩波文庫編集長を兼ね、78年岩波ジュニア新書を創刊して編集長。80年編集部副部長。 編集長二十年

 

 3 知りえた編集者

   イ 角川春樹(『最後j角川春樹』、角川書店→カドカワハルキジムショ)

   ロ 芝田暁(『共犯者 編集者のたくらみ』、駒草出版刊2018年11月、大月書店→徳間書店→幻冬舎)

      ハ 『はだしのゲン』(汐文社)を見出した編集者

    https://www.choubunsha.com/special/hadashinogen/

 

   ニ 村田 憲信さん(徳間書店→『ファミリーコンピュータMagazine』(ファミリーコンピュータマガジン)は、徳間書店インターメディアが発行していた日本のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)専門ゲーム情報誌。略称は「ファミマガ」。1985年7月、世界初のファミコン専門誌として創刊[1]。ゲーム雑誌としては『Beep』に次ぐ最古の部類に入る。創刊当初は月刊誌として刊行されていたがその後月2回刊、さらに隔週刊となる。

   ホ 柳澤明朗(労働旬報社→『教育は死なず』篠ノ井旭高校校長/若林繁太著、3部作、1981年。100万部を超えた⇔『父母の誤算』の原作。1981年(昭和56年)5月8日から同年7月31日まで放送されていたテレビドラマ。全13話。⇔都内、文京区で新社屋建設。

2022年9月18日 (日)

「◆編集者の仕事とは:児童書の編集はできません――ある市民生協のママさん理事の声」

 最近、地元(越谷市)の市民サークルで「◆編集者の仕事とは:児童書の編集はできません――ある市民生協のママさん理事の声」と題して話した。少人数の参加者だったが、まとめる準備が面白かった。

      (パワーポイント版)

https://view.officeapps.live.com/op/view.aspx?src=http%3A%2F%2Fe-kyodo.sakura.ne.jp%2F220917aditor-toha1.pptx&wdOrigin=BROWSELINK

   テキスト版のページへ

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/arisu/220917aditor.html

 ・2022年9月17日(土)午前10時~12時、ミニ講演会で話します。

  ・場所:越谷市市民活動支援センター5階会議室

  ・主催:ロービジョン友の会

 

 ❖主な柱建て

 序 出版業界の編成

 Ⅰ 出版業界の現状は

 Ⅱ 編集者の仕事とは

  1 「無から有へ」「出版業は、生産労働である」、と教えられた。

  2 企画力、マーケットの判断力→無政府的販売の仕事。

  3 活字文化における「インテル」――活字の組版に使う込め物。行間(interline-leads)に挟む鉛の板という意味である。

    売れる本づくりのむずかしさ

 Ⅲ 編集者の仕事で出会った話

 [1]インタビュー記事づくり

 [2]日本中の産地訪問の記事づくり

 [3]ヨーロッパの「協同組合訪問」記事づくり

 Ⅳ 素晴らしき編集者の実像 

 

 この作業を進めるために編集子の仕事を振り返って整理した一覧を「シーアンドシー出版のページ」に作ってみた。

 http://e-kyodo.net/

 

 やっぱり1980年代の激しい時代の変化が、本づくりに及ぼしていることがわかる。

 当時、労働組合運動のあり方や社会政策、労働問題、社会保障などの分野の本づくりを目指し(20人以上研究者の本づくりと社会政策学会の年報が作れる出版社へ)ていたが、社長のYさんからストップがかかっていた。

 それはこちらが企業内組合の役員であった折、「会社内で利益を出していないなら春闘要求を出すべきではない」という言い方と、飲み会(それは自分が彼の一番そばにいた時期が多かった)などで「俺の知らない研究者(社会政策学会の動向について無関心)の本をなぜだすのか」「大月や青木、ミネルヴァや法律文化社(名前を出して申し訳ない)などの出版社にはしない」、といつも言っていた。

  その上に、こちらが「教育資料出版会や晩聲社などの本づくりは意味があるのではないか」と聞いても、いい返事がなかった。これは今崎暁巳さん以外は認めないという、ルポ論(告発だけでは意味がない論)が根底にあって、強固だった。

 彼は「切り口を変えろ」「テーマを生活レべルに」など貴重なアドバイスもあったが、合意できたのは市民生協に関する企画や「女性向けの本づくり」だった。

  ◆「女性の読者」を意識した本づくり――1980年代の出版状況の大変化に抗して

 http://e-kyodo.net/#20220525jyosei

 

 1990年初頭、「PROSUME」や「健康せいきょう」、「大相撲ファンクラブ」「パフォーマー」「仕事の発見」誌づくりの仕事をマンションに仕事場を作り、編集・制作していた時、「自分が定年になるので復帰せよ」と言われたが、条件が「今ある仕事を全部やめる」「中西五洲、永戸祐三関係(労働者協同組合など)は持ち込まないこと」と言われたので、決裂してしまった。

 後半の条件をなぜ出したのか、聞けなかった。

 その押しつけを理解するために、富澤賢治さん(一橋大学名誉教授・聖学院大学名誉教授)が書かれた文章を紹介したい。旧「左翼陣営」の反発が強かったわけだ。

 2014年5月16日 (金):非営利・協同の10年――「関東の3悪人」

 富澤賢治さん(一橋大学名誉教授・聖学院大学名誉教授)が、研究者としてはめずらしい自己への批判に応える文章を発表した。テーマは表題のように「非営利・協同の10年」(いのちとくらし46号)を振りかえって、以下のような柱立てで、論理を展開している。

 「非営利・協同の10年」、富沢賢治、『いのちとくらし研究所報』46号、2014年3月

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tomizawa/tomizawa-ronkou1.htm

 

 上記論文で「実践面で最初に批判の対象とされたのは、全日本自由労働組合(全日自労)の委員長であった中西五洲氏である」と書いている。

 また“労働者協同組合運動を理論面で支援する研究者たちも厳しく批判された(黒川俊雄氏、角瀬保雄氏、富沢賢治は「関東の3悪人」と称された)。” 

 “批判の対象とされた「関東の3悪人」の主要著作としては、黒川俊雄『いまなぜ労働者協同組合なのか』(大月書店、1993年)、富沢賢治『非営利・協同入門』(同時代牡、1999年)、角瀬保雄『非営利・協同と民主的経営論』(同時代牡、2000年)がある。”

 なぜ「左翼」から批判されたのか、その状況を書いている。

 判断は、読み手に任せたい。

 

 【追記:2022.10.06】

 1990年代の社会的背景の一端を書いたが、再会したのは、2001年新年号の「けんこうと平和」(医療生協さいたま広報紙)に、「ゾウ列車のコンサート」について書いてもらったことがある。

 その間、「柳(やな)さん」は、労働旬報社定年後、疎遠になって、自らの出版物を「ふきのとう書房」(目黒さん)から出版していた。

 ということは、「あの時、戻らないほうがいい」と話していた事実(当時の経営陣の分裂)は、彼の方にあったんだと思う。

 

 やなさんとの関係では、以下の文章がある。

 2019年2月23日 (土):柳澤明朗さんの追悼を含む「たたかいのルポルタージュ」第16号を編集中。

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/16-b577.html

  2019年4月 5日 (金):「たたかいのルポルタージュ 第16号」(追悼 柳澤明朗)を発行。

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d823.html

 

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