『新下郷農協物語』――「産直・日本の農業のページ」を編集した。
「労農牛乳」について先日(以下)、紹介したが、市民生協の仕事で、1988年春に耶馬渓(大分県)に取材に行って、奥登組合長のインタビューを二宮厚美さんが担当し、ルポ風にまとめた記事がある。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/santyoku/simogou.html#ninomiya220220
産直のルーツは「労農牛乳」。「労農同盟にひっかけた名だ。思えば、産直とは都市の労働者と農村の農民との直結を意味するから、労と農のむすびつき」だと語っている。
戦前、戦後を生き抜いた人の発言は、貴重だ。
奥組合長は「意識ある消費者にしか売りたくない」とも語っている。
「土づくり・人づくり・地域づくりの産直運動●大分県・下郷農協」 二宮厚美――◇〔◇『PROSUME』(プロシューム)を編集・制作(労働旬報社、1988年7月発行)B5判、50ページ、大阪よどがわ市民生協発行・労働旬報社編、1988年7月30日発行〕
その後、1990年代に農協祭りや診療所開設、開拓村訪問などたびたび取材に行き、『新下郷農協物語』(奥登・矢吹紀人共著、シーアンドシー出版、1996年5月30日 第1刷発行)を編集・発行した。この本は、久しぶりの下郷農協に関する本になって、各地の農協、産直センター関係者、市民生協の組合員、地方自治体職員に広く読まれた本になった。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/santyoku/simogou.html
奥組合長の原稿をもらった時は、「戦後、開拓村に農協づくりを呼び掛けに夕方歩いて登って行って、夜遅くまで戻らないと橋のたもとに父が待っていた」という話を思い出し、数少ない、農を通じて「土とともに生きる人生」を発見した本づくりだった。
【以下追加:22.02.18】
なんと「労農牛乳」というネーミングで始まった牛乳。北九州エリアで市民生協づくりをすすめた後に、「耶馬渓牛乳」に変えたはず。新工場(1980年代末か? それとも本づくりに通ったそのあとか)ができた当時、取材で訪問した。「昭和の時代の産直組織・団体」はほんとうにユニークだった。
奥 登組合長は、「労農牛乳」を残したいと思ったけれど、市民生協の側がきつく「市民感覚」で変更をもとめてきた、と語っていました。生協側の発想は、「忖度的」で変ですよね。
【参考】"労農牛乳"を軸に農協運動(わたしの農協経営論-17-)、奥 登、「農業協同組合」[ 19(12), 114-120, 1973-12]、全国農業協同組合中央会。
この「忖度姿勢」が、市民生協内に「組合員の要求に安価な輸入商品もあり」ということで、「国産産直論」から「自由化」へ変更して「中国からの輸入餃子」で、組合員に被害を及ぼしたケースが出た生協もあった。
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