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2022年1月12日 (水)

「ある視覚障がい者の軌跡」――草加の宮田新一さん

 草加の宮田新一のページ(草加-視覚障がい者 虹の会会員)

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/miyata/index.html

  220112miyata-top1
 

 2008年ごろ、私は「デイケア施設・ひかりの森」(東武スカイツリー線の越谷駅東口徒歩5分)へ、「音声パソコンのアシスタント」(越谷市社会福祉協議会登録のボランティア)として、毎週火曜日に足を運んでいた。
 「ひかりの森」でデイジー図書や音楽CDの再生をする「プレクストークポータブルレコーダー」、拡大読書器、音声読書機など視覚障がい者に必要な機器の解説ををしていた人が宮田新一さんだった。
 その後、宮城武久さん(つばき教育研究所・草加市、越谷市在住)が毎月、第2木曜日に越谷駅近くの焼き鳥屋さんで開いている「飲んべー会」に誘われて参加したのが縁で付き合いが深まった。
 コロナ禍の下で、いまでも開いている「アリス飲んべー会幹事」が宮田さんだった。
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/miyata/nonbe-kai.html

 宮田さんがロービジョンになった原因については、ポツポツ聞いていたけれど、まとまって分かったのは「ありがとうの物語」を書いたルポライターの月崎時央さんが書かれた取材文からだった。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/miyata/tukizaki-arigatou.html#220108watasino


 年齢も近かったので、草加時代のボーイスカウトの経験、育った時代の草加の風景、昔の電機産業(ビデオテープレコーダーなど)の話――SEとして機器故障の補修に家庭を回っていた時代など貴重な経験などよく聞かせてもらった。
 このページは2014年から飲み会で頼まれた「草加 障がい者虹の会のホームページ」をつくってきたので、リニューアルして編集したので、見てください。
 


「視覚障がい者として生きて」――草加の宮田新一のページ

(草加-視覚障がい者 虹の会会員)
  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/miyata/index.html
▽2006年からの想い
   毎月一度、午後2時から集まって情報交換会。「2時の会」→「虹の会」となりました。
◆みんなの力を合わせて、一人一人の願いを。学び・遊び・スポーツを。ときには、白杖をもって都会へ、施設へ。
 ▽みんなでバス旅行。
「虹の会」や「ロービジョン友の会 アリス」の呼びかけで、楽しい旅行をしました。「栃木・巴波川」「なめがたファーマーズビレッジ」「府中のサントリー武蔵野ビール工場」などへ。
 ◇栃木・巴波川へ
 ◇銀座七福神へ
 ◇草加七福神へ
 ▽目の不自由な方へ。
 「草加市内の視覚障がいをお持ちの皆様へ」への呼びかけや「眼の病気とロービジョン」の医療講演会を開催し、「目が見えない人と一緒に歩くときの基本的な方法やポイント」を解説している動画も紹介。
 ▽学びながら行動へ。
 虹の会のメンバーからそれぞれの体験・思いを話していただき、宮城武久さん(つばき教育研究所・草加市)の講演や眼の不自由な人への「サポート塾」を開催し、「眼の病気とロービジョン」の講演会も実現。
 ▽私という生き方。
 ルポライターの月崎時央さんの取材文で(カメラ・多田裕美子さん)、視力を失ったから気付けた、誰かの役に立てる喜び。“生かされた人生”、そして妻に心の底から「ありがとう」と語る宮田新一さん。
 ▽料理教室など開く。
 子どもを交えて夏休みボランティア体験・「料理教室」、卓球・STT、そしてカヌー体験会などを開き交流しました。また大人の「お豆腐作り体験試食会」も行ってきました。
 ▽NPOとも連携。
 『目の不自由な方に声かけを』と「NPO障害者の職場参加をすすめる会(世一緒)」主催の「すいごごカフェ」に参加して、視覚障害者だけではなく、目が見えない、見えにくい高齢者へのサポートをと呼びかけ。
 ▽2201.01.11
 ◇[これまでのポスター群]
 ◇[噂のアリス飲んべー会]
 ◇[リンク先]越谷エリアの「視覚障がい者のサークル」と施設。各地の施策と施設から学びたい。

 ▽2201.01.11
 [前書き]視覚に障がいを持ったとき一番ほしいのは「情報」です。

 人生の途中で眼に障がいを受け不安になっている人やその周りにいる人にとっての少しでも安心な思いをして頂きたく「患者会」として仲間同士交流の場を作りました。視覚に障がいを持ったとき一番ほしいのは「情報」です。
 それらの情報を共有して当事者の窓口になれれば、と言う思いで外に向けての情報発信が出来れば嬉しいと思いました。そんな思いで「会」を運営してきました。それがこの記録です。

 私は2021年12月31日をもって「視覚障がい者 虹の会の代表」の座から降りさせていただきました。
 2006年1月から5名で立ち上げた会が、2007年6月からは虹の会として14年半、通算16年間、代表としてたずさわらせて頂いた事、有難うございました。
 これからは無名の一会員として、生きたいと思います。
                  宮田新一

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