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2021年4月

2021年4月28日 (水)

映画『狼をさがして』を観て、「松下竜一 その仕事」を読んだ。

  韓国の女性監督(キム・ミレ監督)が描いた『狼をさがして』(1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した)を渋谷駅近くで4月上旬に観てから、松下竜一(ドキュメント作家、1937年2月15日 - 2004年6月17日)が書いた本を4冊読み続けた。

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    http://eaajaf.com/

 最初は、『狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線“狼"部隊』(河出書房新社、1987年1月)、『怒りていう、逃亡にあらず』(河出書房新社、1993年12月)の2冊を読んだ。同時代に生きたものとして、「なぜ」という気持ちからだった。
 本を読んだあと、それぞれの当事者、映画の主人公:大道寺将司は2017年5月に、泉水博は2020年3月に、作家の松下竜一は2004年6月、それぞれ亡くなっていることを知った。なんと歴史に挑んだ人生の終焉を知らない自分だった。

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 その後、「松下竜一 その仕事」(全巻解説 山口泉、河出書房新社)、全30冊が出版されており、そのうちの2冊:『ルイズ 父に貰いし名は』(講談社、 1982年1月)、『久さん伝 あるアナキストの生涯 』(講談社、 1983年7月)を読んだ。
 前者はアナキスト・大杉栄と伊藤野枝の残した子どもの人生体験、後者は大正時代の「アナ・ボル論争」に登場した大杉の同行者だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E8%AB%96%E4%BA%89

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 松下竜一の最初の本・『豆腐屋の四季』(講談社、1969年4月)は、出版社のアルバイト中に出たことを知って、“無名の人も本になるんだ”と記憶して、後年、ドキュメント・ルポの本とは何かを学ぶために読んでいたが、その後、30冊もの本を書いていた作家だと、今知った(追加で『巻末の記』、河出書房新社、2002年3月)。

 しかし、松下竜一が作家として、「アナキズムに生きた人生」を描いた真意はわかるような気がする。
 出版業界では、「総合書」「文芸書」「人文・社会科学」「医学書」「実用書」「教科書」「児童書」と別れて、それぞれ仕事をしているが、多くの「隠れアナキスト人」の宝庫なのではないかと思う。
 1960年代から出会った業界だが、「自己決定の世界」をそれぞれの分野で突き進んだ著者・編集者が多かった。
 私の先輩の一人も、労働法・労働問題の編集者だったが、1960年代末ごろ、浅草・田原町駅近くに住んでいて「梁山泊」のような労働運動家集団が住むアパートでまじって、生活していた。そこに連れられて行って、アルコールをコップ酒で飲んだシーンを今でも思い出す。(以上、敬称略。出版年は、初版発行を探した)

 

 

2021年4月21日 (水)

SNSを使った双方向の労働運動を――“プラットフォーム”型の新しいユニオン(労働組合)運動づくり

 編集子は、以下のようなページをつくって現代版「日本労働組合期成会」をつくることを夢見ている人間の一人。

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 その先駆けが始まっている。それは川村雅則さん(北海学園大学教授)たちが始めた「プラットフォーム」のページで「労働情報の交流・発信のプロジェクト」は、一つの情報発信の見本です。
 http://roudou-navi.org/

 2019年末に「業種別職種別ユニオン運動」研究会の運営委員会で提案したもの(一部訂正)は以下の通り。やれるところからやり始めてもらいたい。
 ▽但し、このコンセプトを完成する「スキル」は、私にはありません。また動画などの編集は、できません。
 よって「できる人」を配置する必要になります。
 そのファンドも問われます。


SNSを使った双方向の労働運動を。――“プラットフォーム”型の新しいユニオン(労働組合)運動づくり
  あなたが入れる業種別・職種別(産業別)ユニオンへ 

◆基本的コンセプト
 1 情報集積型・複合型・地域型の労働世界の構築。
  
 2 そのツールは、SNSが基本的になる。

 3 名称は:デジタル・ユニオン・ジャパン(DUJ)(仮称)

 4 「TOPページのイメージ」はNHKの「特設サイト バス」だ。
  https://www3.nhk.or.jp/news/special/bus/index.html
 5 基本的な担い手は、青年たちで、女性たちだ。

◆どのようなページをつくるのか
 1 TOPのキャッチコピーは
  「デジタル・ユニオン・ジャパン(DUJ:仮称)に入ろう」

 2 SNSを使った、双方向ツールとして、オープン。

 3 NPO的活用としての「業界分析・仕事の分析」(今野晴貴さんの手法、ベンダー・保育など)
  
   ▽今野晴貴の記事一覧 - 個人 - Yahoo!ニュース

   https://news.yahoo.co.jp/byline/konnoharuki/

 4 青年・女性たちの「ナマの声」、発信、対談、ルポ的表現。

 5 日本全国の「労働」の発信。

 6 木下先生の「勉強のべーじ」(労働講座でのレジュメ、各種資料、媒体提供)

 7 「労働世界の歴史――読んでみよう労働の文献」


◆具体的には、

 1 SNS(twitter、Facebook、Instagram)のユニオン側の発信を見られるようにする。

 2 SNS(twitter、Facebook、Instagram)で働く現場・暮らし・お悩みを表現できる、ようにする。

 3 動画を使って、編集し発信する(藤田さんがやり始めたが)

 4 NEWをつくり出す(若い人向けに――コロナ禍の労働、保育労働、公務行政におけるワーキング・プア、バス労働における現状、建設現場、アニメ現場など)

 5 海外情報での比較(ドイツ、フィンランド、パリの年金スト)。

 

2021年4月14日 (水)

『中小企業労働運動に生きて――個人加盟労組と協同と』(永瀬博忠著)を思い出して

 私としては、編集者として忘れられぬ人がいる。その人は「全国金属労働組合の個人加盟・地域型労働組合活動家でリーダーだった」。その記録(一部だが)を再現したい。名前は「永瀬博忠さん(1941年生まれ)」。二つの論文を書いていただき、1冊の単行本[『中小企業労働運動に生きて――個人加盟労組と協同と』(シーアンドシー出版、 1996年)]を編集している。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#210415nagase

 永瀬さんは1960年半ばに「全国金属板橋地域支部」に加盟し、育て上げ、一時期には750人余までの組合になったこと。
 【個人加盟労働組合運動の事実は、『たたかう個人加盟労働組合 : ルポルタージュ』(山岸一章著、太郎書店、1967年)で描かれている】
  http://e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html#tatakaukojinkamei191130

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 その後、《「反独占中小企業擁護論」を主張した後(全国金属板橋地域支部と豊島地域支部が合併し城北地域労組協をつくり)》、労働者協同組合運動に「傾斜していく」(浅見和彦さんによる)ことになった、稀有な体験をした労働組合運動家だ。
 以下の文章は、その研究所:「協同総合研究所」の『協同の発見』誌と組合系パンフレットで書かれたもの。この当時は、高田馬場駅近くにあった研究所事務所では、私も毎週のように立ち寄り、情報交換とそのあとの交流会を楽しんでいた時期だ。
 
 最近、古いHDD(PCの)を整理している中で発見し、3つの文章が今でも読めるのでUPした。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#210415nagase


 「加入に際しての決意と問題意識」(永瀬博忠、『協同の発見』、1993年9月、No.18、東埼中小労組書記長、城北地域労協事務局長) 

   「地域労組運動の理論と実践の人・永瀬さんの死を悼む――地域労組からの労働者協同組合の探求」(木下武男、『協同の発見』、1995年10月、No.43)
 「城北地域労組協の運動と永瀬博忠さん」(外谷富二男、1995年10月、No.43)
 永瀬 博忠「二つの山を越えて 大腸・肝臓ガン克服記」(東埼中小労組、城北地域労組「豊島25・板橋30周年合同記念式典報告」(1991年11月)

 研究所以前に私にとっては既知の人物で、2回ほどの原稿を書いていただいている。
 テーマは「個人加盟労働組合の実情はどうなっているのか」「これからどうなるのか」だったが。
 下山房雄さん(九州大学名誉教授)との論争もあったが(中身は忘れましたが)、手元のHDDには残っていないので、国会図書館に行って、フォーローしていきたい。
 「個人加盟産業別地域労組運動の意義」(永瀬 博忠、『賃金と社会保障』、1982-10-25、852号)
 「中小企業の"谷間"からの提案――84年春闘読本 ; 現場から立て直しを考える」(永瀬 博忠『賃金と社会保障』、1983-12-10、879号)

 浅見和彦さん(専修大学教授)の以下の論文でも、以下のようにコメントが付されている。

 「戦後日本の労働組合の組織化戦略と活動――その経過と論点」(浅見和彦、専修経済学論集、42―3、2008年 03月、A5判35p)
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/asamikazuhiko/index.htm#sengonihonososhikika

 《しかしながら、 1968年には、この組織化運動に対して、 「個人加盟および産業別結集」を「機械的に絶対化する画一主義」になる傾向や、 「企業別組合の弱点だけを強調」する「セクト的傾向」があるとする共産党指導部の批判(注29ーー編集子) がおこなわれた。このため、左派潮流の活動家たちに戸惑いを生み出した。例えば、全国金属東京地本板橋地域支部の永瀬博忠は、 「この運動の推進力の1つである、この党が60年代前半の評価を微妙にながら変化させていることがうかがわれ」(注30ーー編集子)ると指摘した。 「階級的民主的強化」論にもとづいた企業別組合の評価の揺り戻しが生じたと見ることができる。
永瀬博忠「個人加盟産業別地域労組運動の意義」 『貸金と社会保障』第852号、 1982年10月下旬号。同『中小企業労働運動に生きて一個人加盟労組と協同と』シーアンドシー出版、 1996年に所収。

《永瀬博忠は、 「反独占中小企業擁護論」を主張した後、労働者協同組合運動-傾斜していく。同「加入に際しての決意と問題意識」 『協同の発見』第18号、 1993年9月号。前掲『中小企業労働運動に生きて』に所収。》

 また友人の長崎紘明論文では「石川啄木試論―郷里の意義と影響」(「山梨医科大学紀要」1995年、第12巻、1-9)
 https://yamanashi.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=776&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

 本稿を畏友永瀬博忠氏に捧げる。永瀬は病室で今年の秋韷(しゅうらく――編集子)を聞いただろうか? 学問を愛し、明治の思想家を尊び、貧しく辛い人達の絶対的な理解者であった。永瀬は人生のモラル、経済のモラルを体現している学者であった。偉大なかくも偉大な現代の思想家を失った事が、日本の貧しく辛い人達の健全な労働意欲を落胆させ荒廃させることにならぬよう祈るぽかりである。頑強な岩盤のような理解者として、崩れゆくモラルを支えていた永瀬の姿は、啄木の姿と同じように極貧に耐えながら時代の要請にこたえている懸命な姿であった。落涙を禁じえない。

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