『労働組合をつくりかえる』(1988年刊、労働旬報社)を一部復刻しました。
私は1980年代末まで、労働関係の編集者だったが、これが労働組合運動に関しては、最後の単行本だ。
木下武男さんが『労働組合とは何か (岩波新書)』を発刊したので、当時の思いを含めて書いておく。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/index.html#210318uniontowa
とにかく「子育て・教育○○社」とみんなから言われる状況の中で、ナショナルセンターの「連合」が総評の負け戦をしないまま、結成されようとしていた状況の下での、「あたりまえの労働組合」ネットワークを創っていこうというメッセージと組織化を願って編集した本だ。
木下さんがあとがきで“ 五十嵐と木下にとって大学院時代の先生だった中林賢二郎氏は、労働組合組織論の重要性をつねに強調されていた。中林氏は、日本の労働組合運動が後退局面をむかえた七○年代後半、「職場の組合員、労働者をいかに思想的に強化するか、という観点のみが重視され」、「労働者の組織化の形態の問題や、既存の労働組合の・・・企業別組織の問題について、十分に考慮しない傾向があった」(『現代労働組合組織論』労働旬報社)と、みずから「自己批判」という言葉をつかいながらそれまでの労働問題研究の反省をされた。
労働組合の運動論・組織論の発展がもとめられているこの時期に、一九八六年一月、中林先生は亡くなられた。先生の考えをどれだけ受け継ぐことができたか、まったく心もとないが、本書が、研究も立ち遅れ、実践家の関心もあまり高くない運動論・組織論の分野の議論の参考になれば幸いである”と書いているが編集子も同世代で同じ思いだった。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/nakabayasi/nakabayasi-index.html
目次と「PARTⅢ 労働組合をつくりかえる 木下武男稿」は下記で読めるようにした。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/index.html#tukurikaru1988
その後、木下さんや手島繁一さん、浅見和彦さんなどが編集に参加した『労働問題実践シリーズ 1から8巻』(大月書店、1990年)もその後、発刊されている。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/index.html#210329hajimeni-mokuji
しかし、「団塊の世代」の労働組合運動への参加は、ほとんどメジャーな影響を発揮したとは言えない状況だった(『北大1969――あのころ私たちが求めていたもの』、2020年12月25日、「北大1969」編集委員会編――参照。ここで読む限り、民主主義的で良心的な人たちの多くは、労働組合運動の陣地形成の側に参加した人は少数だ)。
これは日本型「企業社会」の進展と「豊かな社会」の幻影のもとでの「団結からの疎遠」があったと思う。また「ソ連社会主義社会」の幻滅、「大学紛争疲れ」「連合赤軍事件」などの影響があったと言わざるを得ない。
はてさて、「現代労働組合」はどうなっていくのか、木下さんには「あだ花」と称された企業別組合の未来はどうなるのか、あと少しは見つめていきたい。
▽追記:21.04.03 ◆PARTⅣ「労働者=人間の顔をした労働組合づくり 高橋祐吉稿」をめぐって、学習協の辻岡靖仁氏(故人だが)がUI戦略をめぐって「民主勢力と自称する一部の学者・知識人のあいだで、企業のCI戦略から学び、労働組合のUIを提起する必要性を強調」することを批判している(『季刊・労働者教育』64号、1988年8月)。以下の下山さんのPDFを読んでほしい。
今言えることは、どうして「審問官的発言」をできるのか。「民主勢力と自称する」とは、いつもの手法だが。
▽(2013.07.12)
私家版:書評『企業社会と労働組合』(高橋祐吉著、労働科学研究所出版部、1989年3月)、下山房雄
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/simoyama/130710takahasibook.pdf
▽『労働組合をつくりかえる――労働組合の選択』――「連合」に行かないあたりまえの労働組合を(木下武男・黒川俊雄・永山利和・高橋祐吉・五十嵐仁ほか。労働旬報社、1988年3月)。