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2021年2月13日 (土)

 暫くぶりに『協同組合で働くこと』(芝田進午編著、1987年)を読み直した。

(労働旬報社、1987年5月30日、現代社会を考えるシリーズ:10、芝田進午編 西村一郎・永戸祐三・富沢賢治他)
  http://e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html#210209sibata

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 芝田進午先生(1930年3月26日 - 2001年3月14日)との出会いは、1970年~80年代において先生が「社会科学セミナー」を開いて、下記のような出版物を編集していた時期だ。
 水道橋駅近くの神田三崎町にあった「労音会館」で開かれたセミナーに行った記憶があり、その時のテーマが何かは覚えていないが、本多勝一さんが紹介され、このような人も参加しているのだ、と思った。誰と行ったのか。
 私の友人では松澤常夫さんが2本の原稿を執筆しているし、ルポ研などで会っていたので誘われたのだと思う。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/index.html


 「売血」、松沢常夫、「生命(いのち)ひしめける、マルクス主義研究セミナー、第2期Aコース記念文集」、文集発行友の会、1976年7月14日(古在由重 序文)
 「全日自労の「民主的改革闘争」の意義」(松沢常夫、「マルクス主義研究研究年報」、1980年版、NO.4、マルクス主義研究セミナー、芝田進午責任編集、合同出版、1981年1月25日)

 芝田進午編『マルクス主義研究年報』1-4 合同出版 1977年-1980年。
 芝田進午編『社会科学研究年報』と改題、5-9 1981年-1986年

 このセミナーの歴史は長いし、いい意味での「芝田」さんを理論の師とした「団塊の世代」前後10年の人は多かったのではないだろうか。

 芝田さんは30代の早い時期に『人間性と人格の理論』(青木書店 1961年)、『現代の精神的労働』(三一書房 1962年 増補版 1966年)を書き、私たちは学生になったときに読まなければいけない本を書いていた先人だった。

 本書の企画者は西村一郎さん(「ルポ研の仲間)だ。当時の肩書きは「全国大学生協連合会食堂部長」(のちに生協総合研究所研究員)という名前になっている。
  https://www.facebook.com/nishimuraichirou

    
 本書あとがきで、芝田さんは「本書の主題について、問題を提起したのは、二六年前のことであり、また著者の一人である西村一郎と共同研究をはじめたのは、七年前のことであった」と書いている。先行して書いた二著に続けて企画プランがあったようだ。
 序章の参考文献に、私が初めて取り組んだ(ドキュメンタリー作家・今崎暁巳さんと一緒に日本生協連を訪問し)、「市民生協の興隆に驚いた」取材後に書いてもらった西村修一「飛躍的に成長する“秘密”」(『賃金と社会保障』1984年4月下旬号)がとりあげられ、1986年に出版した大島茂男さんの『生協の挑戦』(労働旬報社)も参照している。
 加えて、私たちがすすめていた「文化協同研究会」のリードオフマンの是永幹夫さん(月刊「わらび」編集長)も書いてもらっている。

 一番困難だったのが、当時の「事業団運動の総括的論文」を書いた人の論文が「水準に行ってなく」、芝田さんから「このテーマは歴史的に残るものだから、これではだめだ。本書は出せない」、ときつい注文が付いた。
 「現在の運動リーダーは誰ですか」と聞かれたのでは、「永戸祐三さんです」と答えたら、「その人に書いてもらってください。あとは私が責任を取りますから」と自宅(早稲田付近)を訪問した時に、注文をいただいた。
 さてことの経過を知らない「永戸さんがウン」と言うか、疑問だったが、すぐにアタックして(お酒を飲んで)、「よし、やる」と決断をしてもらって1か月後に「初稿」の原稿がUPした。早速、自宅に持って行き、目を通していただき、数日後、赤字が入った原稿をいただいた。「運動家だから“てにをは“も、初歩的だけど、運動の水準を描いているので、ゲラでもう1回手を入れるのでゲラにしてよい」といただき、印刷屋さんに回した。
 初校が出て、著者の永戸さん以上に気を使わざる得なかった、芝田さんの手直しの流れを見て判断していかないといけないが、中身を変えることはほとんどなかった。永戸さん特有のいいまわしと他者(歴史)への配慮、未来展望における現在の位置をきちっとする判断をしてまとめていた。
 永戸さんには「他の本でも、編者が書き加えていくのが、出版物のやり方で、ほかの本でもあるので、ご容赦を」と話したことを覚えている。今読み返しても、芝田さんの発意のとおりだと、30数年後の現在から、思っている。
 
 芝田さんを理論の師と自任している方々からみると、なんで「協同組合・労働」なのかと思っている人が現在もいるかと思うが、再読してほしい。

 芝田さんに編集者として申し訳のないことをしたなー、と思っていたのでこのような文章を書けなかったのは、先生が期待した「労働者職業訓練の現代的意義」と「私たちの平和の教育」という本の原稿(前者は総評や単産の雑誌に書いたもの)があったのだが、出版できなかったことだ。後者は『戦争と平和の理論』勁草書房 1992年で実現したのか。
 「第6章 協同組合労働の現実と展望」、芝田進午――これは別の機会に。

  ▽▽ルポ研:「たたかいのルポルタージュ 16号」の案内
  
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/yanagisawa/yanagisawa-index.htm

 

【追記:2022年2月14日】

 故芝田進午先生に関してWEBでいろいろ読んでいたら、なんとご子息が出版編集者で、梁石日のベストセラー『血と骨』の担当編集者でもあったことを知った。また『共犯者 編集者のたくらみ』(芝田暁著、駒草出版、2018年11月)を書いていたので読んでみた。

 芝田暁さんは、大月書店、徳間書店、幻冬舎編集長を経て出版ベンチャースパイスを立ち上げ、失敗して、その後ポプラ社、朝日新聞出版社で活躍した出版界の人だった。

   この本によると、徳間書店では10億円の売り上げを上げた本づくりをしていたり、西村寿行や浅田次郎、花村萬月、荒巻義雄など著名な方々の本を編集し、その冊数はなんと215冊!

 https://ddnavi.com/column/503610/a/

 しかし、ある人のブログを次に読んでびっくりした――2019年12月23日、「編集者で作家の芝田暁さんが亡くなった。54歳だった。」と書かれている。 

 https://ameblo.jp/takarashigeru/entry-12561661724.html

 『共犯者 編集者のたくらみ』の目次を書いておく。 合掌

  第一章  梁石日と出会う

  第二章 『血と骨』誕生

  第三章 『夜を賭けて』映画化

  第四章 『血と骨』映画化

  第五章  写真俳句の発見

  終 章  退場

 

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