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2021年2月

2021年2月27日 (土)

「子産みの歴史」を収録した1冊の自分史をいただいた。

     【追記】2023.10.10
   「あたり前の労働組合を―婦人労働から女性労働へ」のページで、全文が読めます。
    http://e-union.sakura.ne.jp/union/union-jyosei.html#231015gendairupoken

   古い知人の上田裕子さんから1冊の本を送っていただいた。すべて読んでいたわけではないが、「子産みの歴史」は記憶がある。

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 とにかく1970年代中葉に中央労働学院で出会った学生が中心となった「現代ルポルタージュ研究会」の歴史をベースとした本づくり。それも娘さんたちが企画・制作したようだ。喜寿のプレゼントとしては、「自分史ブーム」の中でも、最先端の企画だと思う。よかったですね。

 2021年2月4日
 現代ルポ研のみなさま
 コロナ感染症の拡大で、ご不自由な毎日をお過ごしのことと存じます。
二人の娘が、私の喜寿を祝して私が「たたかいのポルタージュ」に掲載し
た過去の作品を1冊にまとめてくれましたので、送らせていただきます。
 1979年(36歳)から2011年(68歳)までの間に書いた15本の作品ですが、働いていた総合商社での小さな、ある意味でほ、大きなたたかいの記録です。とくに「子産みの歴史」は私自身も子育てをし、保育運動にも参加しながら書いた作品ですので、拙いながらも愛着のあるものです。
 また「ソーゴーショウシヤ」と「高度経済成長を駆け抜けて、いま」は、それまでは女性労働者に目を向けていましたが、過労死をする同期の人がでたりするなかで、男性労働者にも目を向けたものです。

 私は1943年3月28日生まれですから、昨年の3月に喜寿を迎えたのですが、共働きの二人の娘は多忙を極めており、完成が年を越してしまいました。2020年という私の喜寿の年は悲しいことが続いて、いったい、喜寿とは何なのかと思っていましたが、最後に嬉しい贈り物が届きました。それが、この本です。

 すでに一度はお読み戴いたものをまとめただけですが、眠る前の睡眠薬代わりにお読みいただければ嬉しいです。

 コロナに負けず、お元気な日々でありますよう、祈念しております。

                             上田裕子

2021年2月25日 (木)

「こしがや宿のお弁当~江戸時代のもてなし料理から~」を新発売!

 今日(2021年2月24日)は、急遽、「キッチンとまと」(ワーカーズコレクティブ、越谷市)が新開発した「こしがや宿のお弁当~江戸時代のもてなし料理から~」をみなさんへのお弁当として届けるから、写真を撮ってほしいと要請され、蒲生の調理場に行ってきた。
   http://www.kitchentomato-workers.com/index.html

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 10年ほど前に「協同まつり in こしがや―ささやかな「寄る辺」崩れる地域で」を行ったところだ。
   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/shigotookoshi/hinode.html


 このお弁当は、駒崎美佐子さん代表の「こしがや地域ネットワーク13」が開発し、「キッチンとまと」が再現した弁当だそうだ。
 現場の写真には、丁寧に煮込んだ小松菜、ゴボウ、越谷産のネギでつくったお惣菜やうなぎ(宮崎産)などでつくられ、彩りもさまざまで食欲がそそられる出来栄えだった。

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 代表の須長コウさんによると「昨日に仕込みをやり、今日は朝6時半から出てきて調理した」というがんばりだ。日常的な弁当量より倍近い注文があり(写真の作業工程も2往復、行ない)、9時半には売れ切れて、電話で「もう品切れなの」とうれしい悲鳴を何回も上げながら、その後の注文を断った現場があった。
「江戸時代のもてなし料理」の弁当の表紙には「しらこばと」が描かれ、中身は 以下の通りの説明があった。
 赤飯    良質のもち米が収穫される
 ネギごつた 郷土料理。越谷ネギは甘くて荷崩れしない良質の高級ブランドとして知られる。
 鴨     宮内庁のご猟場がある
 うなぎ   かつてはうなぎ・鯉・ナマズ等川魚が名物
 玉みそ田楽 昔農家は自家製味噌を作ったことから味喝たまりをつかう料理があり、たまりはかば焼きのたれ等にも活用。
 膾(なます〉 魚の生ものと野菜を酢で和えたもの。もてなし料理には欠かせなかつた。
 小松菜の山吹和え かつては養鶏が盛んだったことから卵と地場産の青物を組み合わせた。
 キスの天ぶら キスは「鱚」(喜魚)と書くところから、大名の食卓に欠かせない縁起のいい魚とされていた。
 次回以降は、10食ほどで1食700円で制作していくとのこと。コロナ禍の下で「 みなさんの集いがあった場合、ご注文をお待ちします」と須長代表から一言。
 ◆キッチンとまと
 〒343-0841
 越谷市蒲生東町18-13
 日の出商店街
 TEL O48-987-8088
 FAX O48-987-8088
 日替わり弁当のご注文は、当日午前10時まで。

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 駒崎さんがデザインしていただいたお弁当の表紙の左下にある写真は、「越谷かるた」だ。越谷市内の小学生がこぞって、総合体育館などで「勝負」している姿が報道されていて、市内にお孫さんやお子さんを持つ人たちには、人気があるもの。ここでも「地元密着型」弁当になっている。

2021年2月21日 (日)

『知られざる拓北農兵隊の記録』、新刊書を送っていただいた。

 『知られざる拓北農兵隊の記録』(高文研、2021年2月17日)が刊行されました、と新刊書を送っていただいた。

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 本書の執筆者の石井さんは「旬報社の元社長」で先に『拓北農兵隊――戦災集団疎開者が辿った苦闘の記録』(旬報社、2019年)を書いている。
 ▽2019年7月 3日 (水)に紹介していおいた 。
  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-842de9.html

 ▽石井さんから

 世界中コロナ蔓延で騒がしいなか、お変わりなくお過ごしのことと推察いたします。

 この度、作家・早乙女勝元さんらのご協力により『知られざる拓北農兵隊の記録』が刊行されましたので、ご覧頂こうとお贈りいたします。
 この本は新聞への投稿が契機となつて出版されたものです。
 編者の鵜沢希伊子さんは敗戦直後に拓北農兵隊として帯広近郊に入植し、その後、僻地の教育に携わつた方です。鵜澤さんは、私の『拓北農兵隊戦災集団疎開者が辿った苦闘の記録』をお読みになり、「歴史の闇」 に沈んだ棄民政策があつたことを心に刻んで欲しいと願い、自らの体験記をふくめ二〇名の手記を集めて纏めた労作です。
 お読みいただけますれば幸甚です。

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 ▽以下、AmazonのBook紹介。
 出版社からのコメント
 空襲被災者に「罹災者よ、特攻隊に続け」と、特別列車で北海道に入植した拓北農兵隊。開拓地に着いたものの、約束の家も農地も電気も水道もなし。
牛小屋だった小屋は隙間だらけで、朝起きると布団に雪が積もっていまた。
農業経験のない都市生活者の隊員の多くが、いつの間にか姿を消しました。
生活苦はまさに残酷物語、「棄民政策」でした。正直、知りませんでした。
体験者20名の貴重な証言記録をお届けします。心にとどめてください。
 著者について
 1930年11月、東京都世田谷区で誕生。1945年4月13日、山の手大空襲で牛込区(現新宿区)揚場町で罹災、都内を転々として何度も罹災、家族はばらばら、無一物となる。
 父が拓北農兵隊に応募、北海道河西郡川西村に入植。学業のため一時帰京したが、母の死で北海道に戻り家業を助ける。
 その後小学校助教諭に。通信教育や講習を受けて小学校教諭資格を取る。1963年3月、父とともに帰京。
 その後小学校教師として主に障碍児学級を担当する。88年3月、57歳で退職。
 88年9月にフィンランドへ単身渡航。「日本紹介」をしながらフィンランド語と文化を学ぶ。
 97年1月、父の介護のため帰国。帰国後は父の介護をしつつ、全日本年金者組合都本部調布支部で、年金引き下げ違憲訴訟の原告の一員として活動。
 ほかに調布飛行場問題を考える会、戦争は嫌だ調布市民の会などの市民運動に参加する。著書『原野の子らと』(福村出版)など。

2021年2月18日 (木)

木下武男さんが執念の「関西生コン・産業別労働組合論」を展開!

 「関生支部の闘いとユニオン運動」(木下武男:文、第1回~第11回、関西生コン・連帯広報委員会)を「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページにUPしました。

 http://gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/

 

 【追記 2022.02.05】

 産業別労働組合とは――「関生支部の闘いとユニオン運動」
  
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kinoshita/220205sangyoubetu-1.pdf

 

 第1回 武建一委員長と私の出会い

 第2回 「業種別・職種別運動を大阪の地で展開」

 第3回 「苦難の闘いで見えた真の『敵』」

 第4回 「産業別統一闘争の合い言葉『他人の痛みはわが痛み』」

 第5回 「暴力に屈しない-「嘆くな。組織せよ!」

 第6回  「第一次高揚期」における組織の飛躍-「箱根の山を越えて」

 第7回  「関東における生コン労働者の闘い-『関生型労働運動』を迎え入れる生コン労組」

 第8回 「労働運動の歴史における関西地区生コン支部の位置-産業別労働組合の定着」

 第9回 「関生支部への共産党の分裂・脱退攻撃-政党の労働組合への組織介入」

 第10回 「政党による労働組合介入の思想-赤色労働組合主義」

 第11回 「戦後労働運動における『82年問題』-共産党による関生分裂攻撃の意味」

http://e-union.sakura.ne.jp/kansainamakon/index.html#210217kinosita-3

 

▽編集子が若い時代に注目したインタビューを《第3回》に掲載。

 「関西生コン労働組合運動の歴史と到達点――業種別支部型労働組合運動が切り開いたもの」(新しい労働組合運動の模索―2―他人の痛みはわが痛み、武 建一、「賃金と社会保障」 847号、 p8―23、 1982年08月10日)

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/181008tinginto-takeiintyou.pdf

 

 故・今崎暁巳(ドキュメンタリー作家)が『めしと団結』(労働旬報社、1970年)の続きで「関西生コン労働組合運動物語」(仮題)として1970年代末に取材を始めていたテーマ。

『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(今崎暁巳著、労働旬報社、1970年6月15日刊)。

http://e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html#201008mesitodanketu

2021年2月13日 (土)

 暫くぶりに『協同組合で働くこと』(芝田進午編著、1987年)を読み直した。

(労働旬報社、1987年5月30日、現代社会を考えるシリーズ:10、芝田進午編 西村一郎・永戸祐三・富沢賢治他)
  http://e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html#210209sibata

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 芝田進午先生(1930年3月26日 - 2001年3月14日)との出会いは、1970年~80年代において先生が「社会科学セミナー」を開いて、下記のような出版物を編集していた時期だ。
 水道橋駅近くの神田三崎町にあった「労音会館」で開かれたセミナーに行った記憶があり、その時のテーマが何かは覚えていないが、本多勝一さんが紹介され、このような人も参加しているのだ、と思った。誰と行ったのか。
 私の友人では松澤常夫さんが2本の原稿を執筆しているし、ルポ研などで会っていたので誘われたのだと思う。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/index.html


 「売血」、松沢常夫、「生命(いのち)ひしめける、マルクス主義研究セミナー、第2期Aコース記念文集」、文集発行友の会、1976年7月14日(古在由重 序文)
 「全日自労の「民主的改革闘争」の意義」(松沢常夫、「マルクス主義研究研究年報」、1980年版、NO.4、マルクス主義研究セミナー、芝田進午責任編集、合同出版、1981年1月25日)

 芝田進午編『マルクス主義研究年報』1-4 合同出版 1977年-1980年。
 芝田進午編『社会科学研究年報』と改題、5-9 1981年-1986年

 このセミナーの歴史は長いし、いい意味での「芝田」さんを理論の師とした「団塊の世代」前後10年の人は多かったのではないだろうか。

 芝田さんは30代の早い時期に『人間性と人格の理論』(青木書店 1961年)、『現代の精神的労働』(三一書房 1962年 増補版 1966年)を書き、私たちは学生になったときに読まなければいけない本を書いていた先人だった。

 本書の企画者は西村一郎さん(「ルポ研の仲間)だ。当時の肩書きは「全国大学生協連合会食堂部長」(のちに生協総合研究所研究員)という名前になっている。
  https://www.facebook.com/nishimuraichirou

    
 本書あとがきで、芝田さんは「本書の主題について、問題を提起したのは、二六年前のことであり、また著者の一人である西村一郎と共同研究をはじめたのは、七年前のことであった」と書いている。先行して書いた二著に続けて企画プランがあったようだ。
 序章の参考文献に、私が初めて取り組んだ(ドキュメンタリー作家・今崎暁巳さんと一緒に日本生協連を訪問し)、「市民生協の興隆に驚いた」取材後に書いてもらった西村修一「飛躍的に成長する“秘密”」(『賃金と社会保障』1984年4月下旬号)がとりあげられ、1986年に出版した大島茂男さんの『生協の挑戦』(労働旬報社)も参照している。
 加えて、私たちがすすめていた「文化協同研究会」のリードオフマンの是永幹夫さん(月刊「わらび」編集長)も書いてもらっている。

 一番困難だったのが、当時の「事業団運動の総括的論文」を書いた人の論文が「水準に行ってなく」、芝田さんから「このテーマは歴史的に残るものだから、これではだめだ。本書は出せない」、ときつい注文が付いた。
 「現在の運動リーダーは誰ですか」と聞かれたのでは、「永戸祐三さんです」と答えたら、「その人に書いてもらってください。あとは私が責任を取りますから」と自宅(早稲田付近)を訪問した時に、注文をいただいた。
 さてことの経過を知らない「永戸さんがウン」と言うか、疑問だったが、すぐにアタックして(お酒を飲んで)、「よし、やる」と決断をしてもらって1か月後に「初稿」の原稿がUPした。早速、自宅に持って行き、目を通していただき、数日後、赤字が入った原稿をいただいた。「運動家だから“てにをは“も、初歩的だけど、運動の水準を描いているので、ゲラでもう1回手を入れるのでゲラにしてよい」といただき、印刷屋さんに回した。
 初校が出て、著者の永戸さん以上に気を使わざる得なかった、芝田さんの手直しの流れを見て判断していかないといけないが、中身を変えることはほとんどなかった。永戸さん特有のいいまわしと他者(歴史)への配慮、未来展望における現在の位置をきちっとする判断をしてまとめていた。
 永戸さんには「他の本でも、編者が書き加えていくのが、出版物のやり方で、ほかの本でもあるので、ご容赦を」と話したことを覚えている。今読み返しても、芝田さんの発意のとおりだと、30数年後の現在から、思っている。
 
 芝田さんを理論の師と自任している方々からみると、なんで「協同組合・労働」なのかと思っている人が現在もいるかと思うが、再読してほしい。

 芝田さんに編集者として申し訳のないことをしたなー、と思っていたのでこのような文章を書けなかったのは、先生が期待した「労働者職業訓練の現代的意義」と「私たちの平和の教育」という本の原稿(前者は総評や単産の雑誌に書いたもの)があったのだが、出版できなかったことだ。後者は『戦争と平和の理論』勁草書房 1992年で実現したのか。
 「第6章 協同組合労働の現実と展望」、芝田進午――これは別の機会に。

  ▽▽ルポ研:「たたかいのルポルタージュ 16号」の案内
  
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/yanagisawa/yanagisawa-index.htm

 

【追記:2022年2月14日】

 故芝田進午先生に関してWEBでいろいろ読んでいたら、なんとご子息が出版編集者で、梁石日のベストセラー『血と骨』の担当編集者でもあったことを知った。また『共犯者 編集者のたくらみ』(芝田暁著、駒草出版、2018年11月)を書いていたので読んでみた。

 芝田暁さんは、大月書店、徳間書店、幻冬舎編集長を経て出版ベンチャースパイスを立ち上げ、失敗して、その後ポプラ社、朝日新聞出版社で活躍した出版界の人だった。

   この本によると、徳間書店では10億円の売り上げを上げた本づくりをしていたり、西村寿行や浅田次郎、花村萬月、荒巻義雄など著名な方々の本を編集し、その冊数はなんと215冊!

 https://ddnavi.com/column/503610/a/

 しかし、ある人のブログを次に読んでびっくりした――2019年12月23日、「編集者で作家の芝田暁さんが亡くなった。54歳だった。」と書かれている。 

 https://ameblo.jp/takarashigeru/entry-12561661724.html

 『共犯者 編集者のたくらみ』の目次を書いておく。 合掌

  第一章  梁石日と出会う

  第二章 『血と骨』誕生

  第三章 『夜を賭けて』映画化

  第四章 『血と骨』映画化

  第五章  写真俳句の発見

  終 章  退場

 

2021年2月 9日 (火)

「労働者協同組合の研究」のページを作成・UPした。

 1980年代からの哲学・社会政策・協同組合研究と実践をふまえて、「日本における労働者協同組合研究の先駆者たち」を紹介してみた。

   http://e-union.sakura.ne.jp/workes-law/index.html

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 ◇全政党の共同提案で、2020年末の国会で「労働者協同組合法」が成立した。編集子が1980年代から追いかけてきたテーマの一つだが、当初は「それは無理かも」知れないと思っていたのも事実だ。
 しかし「労働者協同組合の実現」に奔走しながら泉下に入った著者の方々の思いも込めて、私がかかわった範囲で以下のようにまとめてみた。
 ▽労働者協同組合法
第一条 この法律は、各人が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就労する機会が必ずしも十分に確保されていない現状等を踏まえ、組合員が出資し、それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ、及び組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織に関し、設立、管理その他必要な事項を定めること等により、多様な就労の機会を創出することを促進するとともに、当該組織を通じて地域における多様な需要に応じた事業が行われることを促進し、もって持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とする。

 日本における労働者協同組合研究の先駆者たち
◆1980年代に再登場した「労働者協同組合」研究
◆レイドロー報告の衝撃――「西暦2000年における協同組合」、1980年のICA第27回モスクワ大会報告。◇『協同の發見』(協同総合研究所、2000年9月号、 No.100)◇[レイドロー報告]をめぐっての論評
◆『いまなぜ労働者協同組合なのか』(黒川俊雄 著、大月書店、1993年04月)。
◆『労働組合のロマン――苦悩する労働組合運動からのレポート』(中西五洲著、労働旬報社、1986年2月)。
◆労働者協同組合と現代、「賃金と社会保障」特集号、No.934(1986年3月下旬号)――中西五洲/黒川俊雄/富沢賢治/菅野正純/都筑健ほか。
◆協同組合労働の現実と展望、芝田進午――『協同組合で働くこと』(労働旬報社、1987年5月30日)、現代社会を考えるシリーズ:10、芝田進午編 西村一郎・永戸祐三・富沢賢治他。
1990年代における「労働者協同組合」情報の国際的視野を持った旺盛な発信
◆全日自労・事業団から労働者協同組合へ――菅野正純さんの活動軌跡(協同総合研究所主任研究員・日本労協連理事長)。
◆1990年代の協同総合研究所関係の出版物。
◆1990年代の労働者協同組合研究の出版(抄) 。
●学び・つながり・伝え合う――●『仕事おこしのすすめ』(池上惇著、シーアンドシー出版・協同総合研究所、1995年3月)(PDF完全復刻版)。
◆労働者協同組合研究者のみなさん (敬称略)――●富澤賢治のページ、●角瀬保雄のページ、●中川雄一郎のページ、●石見 尚のページ、●岡安喜三郎のページ、●木下武男のページ、●石塚秀雄のページ、●田中夏子のページ、●柳沢敏勝のページ、●手島繁一のページ、●堀越芳昭のページ、●津田直則のページ、●山田定市のページ、●大高研道のページ、●内山哲朗のページ。

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