『北大1969―あのころ私たちが求めていたもの』を紹介。
『北大1969― あのころ私たちが求めていたもの』、(2020年12月25日、「北大1969」編集委員会編、代表 手島 繁一、発行 メディアデザイン事務所マツモト)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/index.html
【追記 2102.02.18】 ▼本書の申し込み先(Media Design Office Matsumoto:発売元のご案内)
『北大1969― あのころ私たちが求めていたもの―』価格: 1,800円(消費税含む)
https://media-design.work/wp/?p=1838
はじめに
編集委員会を代表して 手島 繁一
われながら大仰な書名をつけたものだと思う。とはいえ、これ以外に表現しようがない、との思いも一方ではある。
一九六九(昭和四四)年は、大学紛争が全国を席巻した年であった。年明けからして、東京大学のシンボルでもある安田講堂に立て籠もった学生たちと警官隊との派手な攻防戦が繰り広げられ、その模様を報じたテレビの視聴率は過去最高を更新した。東大と東京教育大の入試は中止となり受験戦線は恐慌をきたしたが各大学の入学試験は滞りなく実施された。
と思う間もなく、四月に入って大学の入学式は、当時新左翼系といわれた暴力学生集団の乱入などによって荒れに荒れた。
またたく間に、紛争は全国の大学に広がり、所によっては高校にまでも広がって学園紛争と呼称された。政府も手を拱いているわけにはいかず、紛争の鎮静化のために権力的介入を可能にする大学臨時措置法を国会に上程したが、これがまた火に油を注ぐことになった。
北大では、紛争は六九年四月十日の入学式の混乱に始まり、翌七〇年一月の機動隊による教養部封鎖解除と学内駐留で終結した、と公式文書にある。 本書は半世紀前、一九六九(昭和四四)年に、北海道大学の学生であった者たちが、北大紛争あるいは北大闘争といわれる事態のなかで、なにを思い、なにを求めて闘争に参加したり、あるいは紛争に巻き込まれたりしたのかを、それぞれに思い起こし書かれたものである。
本書の企画の起点となったのは、紛争当時、北大経済学部の自治会組織であるゼミナール協議会で活動していたOBOGが呼びかけて開催された「北大闘争五〇年の年に語り合う夕べ」という同窓会(二〇一九年十一月四、五日、定山渓温泉)であった。紛争当時、経済学部の新任の助教授であった荒又重雄先生の講演を伺い、それぞれの来し方や近況などを交流し合った集まりの報告集を出版しようと、編集委員会が発足した。さらに経済学部の枠にとどまらず全学に呼びかけて寄稿を募ろうと準備が進められた。コロナ禍に見舞われたという事情もあったが、学部学年を広く網羅するには至らなかったことは編集委員会の力不足であり、お詫びするよりほかはない。本書の公刊が契機となって、北大闘争あるいは紛争についてのさらなる探求と対話が広がることを願うものである。
ところで、本書の編集委員会や寄稿者の多くは、大学と学問が負っている社会的使命を果たすべく、「全構成員の自治」という新しい理念による民主化闘争を担った学生たちであった。これまで、大学紛争は全共闘系学生の封鎖や暴力、警官隊との衝突といったセンセーショナルな場面がことさらに強調された報道の影響もあって、その本質ともいうべき民主化闘争の位相が正当に評価されてこなかったように思う。本書は当事者の回顧や証言、歴史資料などをもとに北大闘争あるいは紛争を検証し、その歴史像を更新する試みでもある。
それにしても、わたしたちの編集作業は五〇年という歳月の重さをあらためて実感させられるものであった。忘却、記憶違い、記憶の選択性などの限界ないしは難点は、常にわたしたちの前に立ち塞がった。だが、五〇年の歳月が育んだ豊饒さは、それらの難点をはるかに凌駕するものであった、とわたしたちは自信をもって言うことができる。それぞれの執筆者が当事者としてアイデンティティ・ヒストリーを語りながら、他方、五〇年の人生経験を経て得られた視点から自らを再審するという行為は、はからずも紛争あるいは闘争の多面性を、そしてそれゆえの複雑さと豊饒さを示すことになったのではないだろうか。闘争や紛争への関わりの如何にかかわらず、すべての人に公平に開かれた言論空間を提供することは、わたしたちがめざしたことのひとつであった。
さて本書は、目次が示すとおり、一部・二部と資料編の構成になっている。第一「北大闘争とはなんだったんだろうか」は、報告集の起点となった荒又重雄先生の講演、当時の北大学連委員長であった手島繁一の論稿、六九年の日録風ドキュメントが収められており、いわば導入部になっている。
第二部は本書の白眉とも言える部分で、三十九人の方が寄稿した回顧、証言論稿である。それぞれが担った北大闘争の諸断面を自分史と重ねながら綴った貴重な証言・記録の集積であり、これからも続くであろう歴史の掘り起こしや再検証に役立つと確信する。読者の便宜を考えて、所属した学部、サークル毎に整理して配置した。
資料編は、本書の出版の基礎ともなった歴史資料のリスト、および年表である。歴史資料は「伊佐田・伊藤・岡旧蔵資料」(約三二〇点)と、「神田健策旧蔵資料」(約五〇点)の二つで、いずれも北大闘争の理解には欠かせない一次資料、ビラ、パンフレット、討論資料などをリスト化したものである。この二つの資料群は北大文書館に寄贈する予定であり、今後の歴史研究へのまたとない置き土産となろう。
本書の構成について一言お断りしておかなければならない。本書は、本編ともいうべき第一および第二部と資料編という、本来別の本となるべきものを一冊の本としてまとめたため、本編部分は通常通り頁が前から後ろへと進むのに対し、資料編は本書の最後から前へと頁が逆に進むという、変則的な構成となっている。それがゆえに読者の利用に不便が生じることもあろうかと危惧するものであるが、歴史資料を大切にしたいという編集委員会の意図に免じてご寛容を願うものである。
『北大1969―あのころ私たちが求めていたもの』
はじめに 編集委員会を代表して 手島 繁一
第一部 北大闘争とはなんだったんだろうか
第一章 《記念講演》 そこから何を学んで、私たちは生きてきたのか… … 荒又 重雄(北大名誉教授)
第二章 私 論「北大紛争」 手島 繁一
第三章 1969北大ドキュメント
第二部 回想 わたしたちの一九六九
第四章 教養部
私の踏み出した第一歩と、今につながる二歩、三歩、四歩、ゴホッ 吉田 万三
教養時代随想 君嶋 義英
激動の一九六九年―封鎖と封鎖解除の中でのクラス・自治会活動 山口 博教
第五章 農学部・工学部
たかき希望は 時代を照らす光なり 佐々木 忠
苦い思い出 ジェンダー不平等時代 伊藤(増田)光枝
学問へのあこがれと自主ゼミ活動 守友 裕一
「七二年北大事件」と私 山下 悟
一九六九年当時の北大工学部の動向 編集委員会
第六章 理学部
一九七〇年前後の北大理学部の動きと私のあゆみ 岡 孝雄
『大学変革』の裏方としての思い出 北口 久雄
北大闘争の思い出 宮下 純夫
故二ツ川健二君・故卯田強君 そして理学部地鉱教室の日々(一九六七年十月~一九七〇年三月) 大我 晴敏
北大闘争五〇年に寄せて(一九六六年~一九七三年) 山本 尊仁
一九六九年北大闘争に身をおいたときを振り返って 江見清次郎
大学のなかで、労組専従として 佐々木 章
一九七一年頃の北大闘争を省みて 重本 直利
「北大闘争五〇年」― もう一つの世界 小室 正範
第七章 法学部
わが青春の楡法会(ゆほうかい) 山本 長春
「茫洋の海、峻険の峰を求めて」自治会・サークル運動で培ったもの 吉野 正敏
私の北大時代と今へのつながり 小田 耕平
第八章 経済学部
一九六八年~一九六九年の経済ゼミ協と私 越野 誠一
私にとっての北大闘争 ― 今も残る「二つの謎」 上野 雅樹
資本主義の貧困と未来 菊池 卓哉
「自己変革」を迫られた「北大闘争」 紺井 博則
求めた我々とは何者だったのか 山本 隆夫
私の北大時代と今 石河 庄一
五十年前のいくつかの場面、そして現在 君嶋(田辺)千佳子
六九~七二年北大闘争を担った私達 ― 経済学部を中心に当時を振り返りながら ― 木村 和広
北大闘争と教育改革のゆくえ 小坂 直人
第九章 薬学部、医学部附属看護学校、医学部附属診療放射線技師学校
北大闘争(紛争)の中での薬学部そして私 山下純一
看護学生として関わった大学紛争とその後の人生を振り返って 小川けい子
北大一九六九―我が人生のターニングポイント 吉岡 恒雄
第十章 寮、生協、サークル、セツルメント、平和委員会
不法入居者であった寮生 皆川 吉郎
北大生協学部学生組織学科で学ぶ 佐藤 静男
激動の一九六九年を民研わだちはどのように乗り越えて活動したのか 大塚 勲
私たちがもとめていたもの あらぐさセツルメント 濵田 三郎
あの日、あの頃 ― 平和運動づけの学生生活 福原 正和
第十一章 院生協議会、教職員組合
大学の自治と学問の自由を守る北大院生協議会の闘い 平田 文男
北大教職員組合のたたかいの実相 本郷 得治
おわりに 「五十年後の卒業文集」 上野 雅樹
資料編
資料一 北大闘争略年表 3
資料二 伊佐田・伊藤・岡 旧蔵資料
資料三 神田健策旧蔵資料
『北大1969 ― あのころ私たちが求めていたもの ―』
「北大1969」編集委員会
編集委員長 手島 繁一
編集委員 上野 雅樹
岡 孝雄
菊池 卓哉
小坂 直人
佐々木 忠
山口 博教
山本 隆夫
【追記 21.04.29】
『北大1969―あのころ私たちが求めていたものー』 「北大1969」編集委員会編 北大改革50年 紛争の中でもがき成長した若者の生きざま
発行元:メディアデザイン事務所マツモト
――「ほっかい新報」3月7日号より――
頒価 1800円+税。ポプラ書房でも扱っています。
50年という年月は誰しもがその来し方を振り返る節目かもしれない。ましてや、その50年前が人生の岐路ともいえる出会いや事象に満ちているとすれば、なおさらその思いが強くなるであろう。
本書は、二十歳前後の学生が1960年代後半に全国で吹き荒れた、いわゆる「大学紛争」に直面した時、何を思い、何を求めて紛争の渦中に身を投じたのか、とりわけ北大紛争のクライマックスともいえる1969年に焦点を当てる形で振り返ってみた記録であり、回想である。
手島繁一によると、50年前ともなると、その記憶は誤謬を含む極めて選択的なものとなり、総じて曖昧なものになっていることが多く、編集者の間で記憶を突き合わせることによって再確認される事実が多々あったという。既に記録された「大学年史」等に照らし合わせる作業が必要であったし、何よりも当時のビラ、パンフなどの資料と新聞記事などを探し出し、自分たちの記憶を検証しなければならなかった。あたかも、列車時刻表を前に推理小説のなぞ解きをするかのような作業もあった。そして、この作業を最終的に保障したものが、伊佐田・伊藤・岡旧蔵資料と神田健策旧蔵資料であったことになる。本書に収められた北大1969ドキュメントと巻末年表はこれら資料の集約的表現でもある。
本書は、紛争当時、若い教員であった荒又重雄教授の講演録から始まる。教員の立場で紛争にどうかかわったか、自身の体験を基礎に振り返るとともに、戦後史的な位置づけから将来を見つめる目が示唆に富んでいる。何よりも、学生に対するまなざしがどこまでも温かい。そして、手島による総論的私論とドキュメントへと続く。
39人の回想記
本書の核心が第2部の回想である。39本の個人回想記を軸に、それぞれの学部やサークル、そして職場等における北大1969紛争論となっている。北大紛争がどれほど深く、そして強く各人の心を揺さぶり、今なお影響を与え続けているのかが鮮やかに読み取れる。その影響は、各人のその後の人生にとって糧となっている場合が多いようであるが、逆に痛みとなって胸に突き刺さり続けている場合もある。どちらにせよ、紛争の中でもがき成長した若者の生きざまが凝縮されているといえる。
回想記の寄稿に応じてくれたのは基本的には紛争に積極的に参加したメンバーであるが、紛争から距離を置いていたものを含めて紛争当事者であるとすると、北大1969の描き方もまた違ったものになるのかもしれない。本書はそこまでカバーすることはできなかったし、それは別の課題であるようである。可能かどうかは分からないが、小杉亮子のような生活史的手法が必要となるのであろう。
北大は、学長解任問題など、現在は現在で大きな問題を抱えている。これに心を痛めている卒業生も多いであろう。半世紀前にも全学を挙げて大学改革に取り組んだ歴史があり、その一翼を担った学生の思いが「50年後の卒業文集」の形となったものが本書である。かつて、多くの青年が「わだつみの声」に耳を傾けたように、今の若者がこの思いに気付く機会を与えてくれる書である。(敬称略)
(小坂直人)
――「ほっかい新報」3月7日号より(日本共産党北海道委員会)――