1980年代から「当たり前の労働組合の闘いと共鳴した本づくり」をしてきた。
編集子の所属した出版社(労働旬報社)は、産別会議法対部の人たちがつくり、その後は「総評弁護団づくり」を担った先輩たちが創建した出版社だった。三池闘争(三鉱連)を編集した『英雄なき113日の闘い』や三池炭鉱労働組合編『みいけ20年』、「近江絹糸人権争議」の本、『幹部闘争から職場闘争へ』(内山光雄著)などの出版物や労働(組合)運動史といわれた分野で多数の本を編集していた。
その後も東京争議団運動にかかわって多数の出版・編集を行い「運動の中の出版社」とメッセージを発信していた。
『斗う労働者のど根性』、『東京争議団物語』から学ぶ《PART Ⅰ》
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-ba4198.html
「団塊の世代」が社会の多数を占め始めてきた1980年代に編集子は、出版社として子育て・教育書が多数の読者をつかんでいた時期に関わらず、ほとんどタッチすることがなかった(この分野はY社長さんがほとんど編集していた)。Y社長 は、 その時期にも「大企業労働問題」に関する以下のような本も編集・出版をしていたのも事実({関西電力」は除いて)。
一方、1960年代から続く大企業(鉄鋼、造船など)における闘う労働組合の後退だけではなく、1970年代後半から1980年代は「当たり前の労働組合運動が亡くなっていく過程」に直面していた。総評の国民春闘は後退して、民間大手組合におけるJC路線が台頭し、闘う労働者と労働組合運動つぶしが、日本の大企業労働者、全金や食品労働者へ、そして国労へと全産業に広がっていく。編集子は角度を変えて、労働問題の出版物にチャレンジしていた。
「国民春闘をめざして『春闘読本』を編集していた」
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ed2a35.html
「シーアンドシー出版のページ」へ
沖電争議に参加した労働者の多くは、「ポスト団塊の世代」といわれた青年たちであった。
「沖電気争議の記録 次世代に伝えておきたいこの闘い(1978年~1987年)」(沖電気の職場を明るくする会)
http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html
丸一日「雑草刈り」などのイジメを命じたインフォーマル組織・DECに壊滅的破壊攻撃を受けた雪印食品労組の仲間も年若い人たちだった。
「日本の労働組合と企業社会の劣化をすすめたインフォーマル組織!」
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm
一冊一冊を企画したメモは、いま手元にないが、よく出版社経営陣は、がまんして出版させてくれたもんだ。
この攻撃の中で、財界の危機管理・労働対策部・政府などの攻撃を超える闘いの一つが、現在の闘いにつながる連帯・関西生コン支部の実践だと思う。
「関西生コン労働組合運動の歴史と到達点――業種別支部型労働組合運動が切り開いたもの 」(新しい労働組合運動の模索―2―他人の痛みはわが痛み)、武 建一、「賃金と社会保障」 847号、 1982年08月。
「関西生コンの研究」(「業種別職種別ユニオン運動」研究会)
http://e-union.sakura.ne.jp/kansainamakon/index.html
しかし2020年の現在も、「闘う労働者」への共鳴はつづいている。
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