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2020年4月30日 (木)

『武蔵野のいま 沼沢地 三枝登志夫随筆集 2』を紹介。

 「小越洋之助のページ」(国学院大学名誉教授) にUPしました。

 200430ogoshitop
 

 ◆目 次

 武蔵野のいま
 夏野菜・野菜づくり雑感
 山の教会の結婚式
 宮崎駿「風立ちぬ」を見てー「天空の城ラピュタ」との比較で
 川越を歩く
 あとがき

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/ogoshi/ogoshi-index.htm

 

 あとがき
 私は下町の御徒町の生まれで、育ちも下町である。浅草には徒歩30分かかったが、上野や神田は近く、少年時代には湯島天神や神田明神にはよく行った。
 上野の不忍池は、当時は川魚や川エビが豊富で、子ども同士でよく釣りにいった。
 池という池は興味本位でいろいろ行った。東京大学の構内に裏道から入りこみ、三四郎
 池に魚がいるのかを観察したり、電車で井之頭池にも行った。
 やがて中学生になり、国語の教科書から国木田独歩の文章に接した。
 爾来、文学散歩の類に興味を持ち、大竹新助『写真文学散歩』(上・下 現代教養文庫)などを愛読した。そんな青春時代に「武蔵野」への関心で自分の内面を染めてきた。
 いつか自分も大竹さんのよう文章を書いてみたい、と思ったが、なかなか時機を得なかつた。今回、随筆でこれを書くことは、独歩の時代の「武蔵野」の変化を見て、「雑木林」などの風景を期待することもあるが、失われたもの、「滅びの美」を感傷的に賛美する趣旨ではない。タイトルにあるように、武蔵野の「いま」を歩いて、観察して、いまの時代にこういう場所があることを再発見することにある。首都圏においてその面影を探ることができれば、この文章も何らかの意義があろう。ただし、思った場所にすべて行くことはできなかった。歩く場所の選択は当方の主観のままである。
 また、今回の随筆では、武蔵野と関係がない文章3本を挿入した。
なお、川越は武蔵野台地の北端になるが、ここでは武蔵野の一環というより、この地域が独自の歴史と文化がある観光地として、末尾におくこととした。
 さいごに付言すれば、この随筆集は前作『沼沢地』に続くものである。読者の感想を得たいと思う。
 二〇二〇年春
 著者

  ▽追記:2019727 ()『沼沢地 三枝登志夫随筆集』を紹介した

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-394727.html

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