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2019年12月

2019年12月30日 (月)

浅草・木馬亭の「♪年忘れ演芸音楽会♪」に行ってきた。

   年末恒例(20191229日[日])になった「ロービジョン友の会アリス」(草加、越谷、春日部など)有志が浅草・木馬亭に参上して観る「♪年忘れ演芸音楽会♪」に行ってきた。今回の参加者は16名で、満員・立ち見になった会場のど真ん中に座って、鑑賞した。

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 この鑑賞会は、もう4回目になるはずだ。当日の演目・出演者の顔触れは、チラシの通り。なかでも鑑賞者のおひとり・樋上秀さん(わらじの会・越谷市)はオオタスセリさんの大ファンのようだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%82%BB%E3%83%AA

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 代表曲の楽曲「ストーカーと呼ばないで」では、会場が割れんばかりの拍手喝さい。今回は「やかまし娘」として3人で歌とコントで楽しませてくれた。しかし今回で解散を宣言していたが、もったいない。

 他の出演者にもそれぞれ根付いたファンがいることが、会場との応答で分かったので、こちらは黙っていることにしたい。

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 帰りは、木馬亭近くの「水口」にみんなで寄って、小さな忘年会を開いて帰宅した。浅草は「何かバブル状況のような飲んべー街」になっていた。

 

2019年12月25日 (水)

広がる「大人食堂」

   [1] twitterで12月31日の状況が発信された(2019年12月31日)。

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  [2]twitterで2020年1月4日の状況が発信された(2020年1月4日)。

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   11月に勉強会に参加した沖電気OAKの会(本庄地域)では、毎月、地元の野菜を定年した仲間たちに呼び掛けて持ってきてもらい、非正規労働者や派遣労働者たちを囲んだ「鍋の会」を開いている。#沖電気

  http://oakhp02.chottu.net/

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 文京区労協からは、つぎのような発信がある。

 12月19日(木)付「しんぶん赤旗」日刊紙・首都圏版に今月14日(土)に行われました、個人加盟労働組合のコミュニティユニオン(CU)東京文京支部主催の第2回目「わかもの食堂」について素晴らしい内容での取材記事が掲載されております。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=516782189184943&set=a.107039666825866&type=3&theater

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 宮城では「大人食堂」が開かれている。

 反貧困みやぎネットワーク @hanhinkonmiyagi

https://twitter.com/hanhinkonmiyagi

 仙台で始まった大人食堂の取り組みが広がり、東京で「年越し大人食堂」が開催されることになりました! 無料で食事が食べられ、労働相談や生活相談も受けられるようです。お近くの方は、ぜひご参加ください! #年越し大人食堂

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 そして反貧困運動のネットワークからは、「年越し版大人食堂」が発信されている。

 稲葉剛 @inabatsuyoshi

https://twitter.com/inabatsuyoshi

 

 【拡散希望】「無事に年が越せる」安心をすべての人に〜「年越し大人食堂」開催へ - 稲葉剛|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

https://webronza.asahi.com/national/articles/2019122200002.html

 #アンブレラ年越し2020 #年越し大人食堂

 この年末年始はさらに一歩進めた取り組みを行います。ぜひご注目ください!

 

 この動きの特徴は「新しいユニオン運動」」と既存の労働組合運動が「地域を基軸」に力を発揮しはじめている事実だ。こどもの社会的疎外を克服する一助としての「子ども食堂」とともに広がることを願う。やっと労働組合運動や生協運動に、ボトムアップ型運動が出てきたのでは。

  「年越し大人食堂」では、パルコープさんが食材などで協同しています。

 

 

 

2019年12月23日 (月)

『ひたすら生きて――佐方信一 ある日ある時』のDTP作業中!

 [追記:20201003日]追悼文集『ひたすら生きて 佐方信一 ある日ある時』が読めます。佐方三千枝編(発行:2020315日)

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/index-6#201001-rogo

 

 2019315日にお亡くなりになった私の大先輩=「編集者・佐方信一さん」[元労働旬報社(現・旬報社)編集部 ]の追悼文集発刊のために、DTP作業(四六判、ほぼ250ページ)をしている。

 ただいま現在、55名の方から執筆をしていただいている。

 執筆者は法政大学大原社会問題研究所関係の先生方、早稲田大学時代の鹿児島獎学会同学舎(鹿児島県人のための学生宿舎)で出会った友人や鹿児島県立甲南高校時代の友人、久志中学時代の友人、親戚関係者、そして50年を超えて編集者として、校正者として仕事を一緒にした労働旬報社(現・旬報社)の仲間たち。

 佐方さんは、1938(昭和13)年1011日、鹿児島県生まれ。19573月、鹿児島県立甲南高等学校卒業(第八期)。1年間の受験準備をして19584月に上京し 、早稲田大学第一文学部国文学科入学。

 1966年3月、労働旬報社に入社。この8年の間は、今回のDTP作業中に初めて知った「佐方版・青春の門」が友人たちから綴られている(乞う、ご期待)。

 その後の編集者人生は、大きく言えば1960年代末からの『日本労働年鑑』の編集・『社会・労働運動大年表』(Ⅰ~Ⅲ)を刊行』(1986年)と三池炭鉱労働組合編『みいけ二〇年』・国鉄労働組合編『国鉄労働組合の二〇年』など多数の労働組合史をまとめた編集者だった。

 並行して労働旬報社((現・旬報社)が発刊した様々なテーマの大型本――青木宗也他編『労働判例大系』全二〇巻、法政大学大原社会問題研究所編『日本の労働組合一〇〇年』、環境教育事典編集委員会編『環境教育事典』など40シリーズ(各3点から10点を超える本づくり)――のほとんどに関わった特異な編集者だった。

 本文集では、3000m級の山登りから奥多摩縦断山歩きの記録をはじめ、地域生活がないといわれている「男の大人」ではなく、学童保育や生活相談、交通安全のための地域づくりで市民としての活動を担った言葉が出会った方々から書かれている。

 

 以下に、大項目としての「目 次」を掲げておく。

 Ⅰ 編集者時代

 Ⅱ ある日ある時――学生時代

 Ⅲ ある日ある時――地域から

 Ⅳ ある日ある時――うからの一言

 Ⅴ 遺稿・書簡・その他

 Ⅵ 主な仕事

 Ⅶ 年譜と病歴 

   あとがき 佐方三千枝

  発刊の予定は、2020315日、出来上がり次第、報告したい。

 

2019年12月18日 (水)

私たちの行動を監視しているGoogleシステム

  「Gmail」をメーラー(電子メールの作成や送受信、受信したメールの保存・管理を行うソフトウェアのこと)としてはほとんど使っていないが、最近、「Google Maps Timeline」というメールが来ていた。Googleのアカウントを持っていて、なおかつGoogleマップを使ってロケーション履歴機能をオンにしているかららしい。

(下の図版は情報を削除した後のモノ)

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 中身を見てたら、「11 月のハイライトをお届けします」(Google Maps Timeline <noreply-maps-timeline@google.com> と表示され、1年間に及ぶ(もっと多いのか?)自分の行動(研究会や会議で出かけた場所、とどまった施設、飲み屋・食事の場所、温泉で行った旅館など)がすべて見られるシステムの紹介だった。

 日付を入れてみると(上の図版の左肩に日付を入れる) 、10月に行った「乳頭温泉・鶴の湯」が出てきたり、先月、沖電気OAKの勉強会で泊まった浦和の「別所沼会館」が出てきた。

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 池袋の飲み屋さんや「アリスの飲んべー会」の日にアクセスすると越谷駅前の所定の場所が出てきた。

 せんげん台にある「障害者就労移行支援事業所・世一緒」の事務所にパソコンの設定に行った日などもわかる。

 なんという情報筒抜けの生活をしていたか、唖然とした。 

 Googleとして申し訳程度に、「このデータは本人だけが閲覧できます。Google はユーザーのプライバシーとセキュリティを保護しています。 詳細」「現在地はモバイルデバイスから送信され、閲覧できるのは本人のみです。」と書かれているだけだ。

 個人情報の保護などと謡いあげている時代に、なんというシステムを開発しているのか。

 

 Google Maps Timelineの中身を詳細に読んでみると、発信源は「タブレットとスマホ」ということがわかり、何とか遮断した。

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 WEBで検索してみると、「2018年を振り返って、訪れた場所と年、国が地図と共に表示されていて、結構面白いなと思いました」と書く人もいるが、いかがなものか。

 https://trinity.jp/168766/

 足跡を残すライフログって面白い

 https://japanese.engadget.com/2018/08/05/google-2-google-tips/

 

 ジョージオーエルの「1984年の世界」が、超監視社会として現代中国に登場しているように、人権保障がない社会になってしまう。

 本を紹介するWikipediaには「作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。」

 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 

 Google Maps Timelineの削除の方法を引用しておく。

 

 Google マップ アプリの場合

 ロケーション履歴をすべて削除する

 1.Android デバイスで Google マップ アプリ Google マップ を開きます。

 2.右上の個人アイコン メニューをクリック⇔ 次の操作 [タイムライン] タイムライン をタップします。(各種設定がオフになっていなければ)

 3.右上のその他アイコン その他 次の操作 [設定とプライバシー] をタップします。

 4.[現在地設定] [ロケーション履歴をすべて削除] をタップします。

 5.画面の指示に沿って操作します。

 

 ウェブブラウザの場合

 1.ウェブブラウザで Google マップのタイムラインを開きます。

 https://www.google.com/maps/timeline?pb#spf=1576635216884

 2.右下の設定アイコン Settings icon 次の操作 [ロケーション履歴を自動で削除できます] をクリックします。

 3.画面の指示に沿って操作します。

  https://support.google.com/accounts/answer/3118687?visit_id=637122314431183991-1386883980&p=location_history&hl=ja&rd=1

 

 

2019年12月 7日 (土)

「新井英一 清河への道」を20数年ぶりに聞く

   この夏に1台、仕事用のHDDが突然、朝起きたら起動せず、いろいろ試したが駄目だったことがあった。予備用にもう1台、バックアップしていたものがあったので、いまはそれを使っている。HDDは5年ぐらいで寿命(もっと使っている人も多い)が来るといわれているが、そのHDDは8年前から使っていた。

 それより前の前の1990年代に使っていた古いHDDを点検していたら、新井英一さん「清河への道」が出てきたので、全部聞いてみた(50分ほど)。

 「清河への道」は、1995年に《TBS-TV「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマ曲に選ばれ、テレビ、雑誌、新聞等で取り上げられ話題となる。そのアルバムは第37回日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞。》と書かれていて、こちらもその影響で聞いたのだと思う。

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 書店に行くと「嫌韓ブーム」に乗った「嫌韓本」が多く並んでいるが、1990年代は少なかった。

 新井さんの「生きざま」と家族との葛藤、岩国へ、アメリカへ、韓国へと綴った詩は、重厚に生きた人の感性を謡いあげている。

 興味がある方のために、Profileは、別のページに会ったのでそれを引用しておく。

 「新井英一

 あらいえいいち。19503月福岡生まれ。15歳で家を出て岩国の米軍キャンプなどで働き、ブルースに魅せられる。21歳で渡米し、放浪生活の中で歌手を志し独学で歌作りを始める。日本で生まれ育ち、朝鮮半島の血を引く自らを「コリアンジャパニーズ」と呼ぶ。

 帰国後、内田裕也氏に見い出され、アルバム『馬耳東風』(1979年)でデビュー。 1986年、様々な葛藤と不安を抱き、亡くなった父親の故郷である韓国・清河(チョンハー)を初めて訪れる。数年後、その旅の思い出と共に自らのルーツと半生をストレートに歌い上げた『清河への道~48番』を作り、1995年に一枚のアルバムとして発表。TBS-TV「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマ曲に選ばれ、テレビ、雑誌、新聞等で取り上げられ話題となる。そのアルバムは第37回日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞。韓国KBS-TVでドキュメント特別番組が放映され、日本でもNHK「わが心の旅」、テレビ朝日「報道特別番組21世紀への伝言」等多数の番組に出演。またライブにおいては国内はもとより、N.Y.カーネギーホールなどでのアメリカ公演に加え2000年はパリでもライブを開催、そして2002年には韓国ツアーが実現。念願であった「清河村」でのライブを成功させている。2004年アルバム『生きる』をリリース。2009年「ライブイズベスト』3枚組リリース。2012年オリジナルアルバム「唄魂」をリリース。

 今もなお、、、、、、、、。

http://www.e-arai.com/prof.html

 

 YouTubeには、10分弱の歌曲が聞ける。

https://www.youtube.com/watch?v=a5MufByel7s

 

 『新井英一ドキュメンタリー 韓国初ライブ全記録』(2004/カラー/90分)があるという。

 「語り 黒田福美/監督 澄田憲親/製作 ワイズプロジェクト プロデューサー 吉田豪(フジテレビ) ・寺戸美香子・岩男浩司/企画制作 堀内雄一郎」

 アボジー 新井のしぼり出すような歌声が 清河の夜空にこだました・・・

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 <STORY>

 全身から絞り出す、太くしわがれた歌声、スポットライトに照らされ汗まみれになってかき鳴らすギター、野獣の遠吠えを思わせる、その歌声にふるえる空気―――決して美しい歌声ではない、無骨な彼のブルースは、どこか優しく暖かく聞く者の魂をわしづかみにする。

 

 新井英一 1950生まれ

 在日韓国人一世の父と、日朝ハーフの母をもつ

 自称「コリアン・ジャパニーズ」のブルースシンガー

 

 九州・福岡の下町、吉塚で洗いは三人兄弟の末っ子として育った。

 父は、彼が生まれてすぐ結核に冒されて入院、離ればなれに暮らしていた。

 そのため、新井は父の記憶がうすい。

 廃品回収業を営む母親の手ひとつで育てられた英一少年。

 差別、貧困、いじめ―

 15歳で家出した新井は、荒んだ放浪生活の中で父の訃報を耳にする。

 しかし、「不思議と涙は出なかった」・・・・

 

 29歳で念願の歌手デビュー。

 その後、結婚して自らも父親となった新井は、おりにふれ、早くして亡くなった父親の無念さを深く感じるようになったという。

 「病院に入っていたけど、家族の事は気になるし、女房の事は気になるし、自分の体は思うようにいかないし・・・そう思うと、何かもう、親父もかわいそうやなぁって・・・」

 

 36歳のある日、新井はさまざまな葛藤と不安を胸に、父の故郷、清河行きを決断する。

 

 新井はこの清河訪問をきっかけに、亡き父の故郷と自らの半生を綴った歌で48番までつづく「清河への道」を制作。

 この歌を父の故郷、清河で歌うこと。

 それが新井の悲願となった。

 日本の歌が禁止されていた韓国での度重なるチャレンジ。そして挫折。

 

 2002年5月、52歳になった新井の夢がようやく実現した。

 ツアーの最終日。

 夕日がゆっくりと清河の山に沈み、新井のライブが始まった。

 舞台は清河にある中学校のグランド。

 ステージと客席を隔てるものはない。

 今、その声は海を渡り、近くて遠い亡き父の祖国、そして自らのルーツである念願の地、「清河」の山河に響き渡る。

 ルーツ探しの旅から16年のことだった。

 

 これは新井英一の悲願、初の韓国ライブの全記録である。

 

2019年12月 1日 (日)

『斗う労働者のど根性』、『東京争議団物語』から学ぶ《PART Ⅰ》

  「東京争議団物語」、そしてその後

   東京争議団共闘会議が生まれて50年余。『斗う労働者のど根性』(労働旬報社)、『東京争議団物語』(東京地方争議団共闘会議編、労働旬報社)の両者が発刊されたのは、1960年代半ば。「東京争議団共闘の15年一ほんものの労働組合をつくるたたかい」(市毛良昌・佐藤一晴, 労働旬報社)は1970年代半ば。

  http://e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html#sougidan15nen

 この論文は、中林賢二郎先生(法政大学社会学部教授)が編集していた『危機における労働運動、労働運動史研究58号』(1976年 労働旬報社)に所収したもの。

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http://e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html

 

 当時を担った実践家、編集者はすでに多くが鬼籍に入っている。

 私は、労働旬報社で1960年代末から数年アルバイトをしていたが(その後編集部へ)、港区芝西久保巴町にあった社屋の中で、編集アシスタントをやりながら、本棚の『斗う労働者のど根性』、と3号雑誌と言われた『労働世界』(A5判、60pぐらい。別の機会に後述)を発見し、机にもっていって、読んで感動した思い出がある。

 その当時、法政大学を中心とした「どうどうめぐり研究会」で「労働組合運動史研究の分析視角の研究・指導」をしていただいたのが中賢さん(愛称)だ。そのメソッドを応用して「東京争議団運動の意義とその課題」をまとめたのが、「東京争議団共闘の15年一ほんものの労働組合をつくるたたかい」だった。

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 そのなかの「東京争議団共闘会議の結成」の場面では、どんなに労働者の運動・争議が低迷しても、必要に応じた組織運動が必ずおこる、とまとめている。

 「一九六二(昭三七)年五月十七日の夕暮、東京新宿小滝橋の新宿自動車教習所に、東京の長期争議組合の代表が三々五々、集まってきた。ここも、企業閉鎖、全員解雇の争議現場で、暴力団の乱入があったために、二階建の古い建物は組合の張った有刺鉄線で守られている。部屋の中には、すりきれた毛布が積み込まれや裸電球がプラさがっていて、頼りない光を投げかけていた。 

 定刻の六時をすこしすぎて会議がはじまり、自己紹介、簡単な規約の承認、共闘強化、交流の活発化など箇条書きの方針の採択、役員の確認で議事を終わり、畳の上に起ち上がってガンバローを三唱した。ひっそりとした、明るさも活気もない集会だったが、お互いに、もうあとにはひけないと決意していることを信じあっている連帯感が、ひしひしと感じられた。当日の出席は三○組合。役員には、金融共闘の日本信託、化学のエスエス、全印総連自立経済、全自交新宿自動車教習所、全国一般の正路喜社、東京信用金庫の各労組、及び日電栗橋守る会、地下鉄松尾守る会等が選出された。」

 その注で、執筆者の佐藤一晴さんは、「(2)こうして、本来の労働組合運動が、組織的にも運動的にも正常な機能を果たしていれば不必要な組織、歴史的にも国際的にも前代未聞の組織が生まれた。『本来は』不必要な、従って好ましくない組織でも、労働者の闘争が必要とすれば、 労働者の闘争の必要が既存の組織で満たされなければ、あらたに誕生するしかない。労働組合運動では、いつでも、最初に闘争ありき、つづいて組織が、である」とまとめている。

 21世紀に入った現代でも、労働運動史の弁証法はうまずたゆまず、その萌芽を育んでいる。

 そこで、編集子として、いま残しておかなければいけない諸文献を以下のようにPDFで読めるように整理・UPした(全部ではないが)。《このページはつづく》

   http://e-union.sakura.ne.jp/tokyo-sougidan/index.html

 ◆『東京争議団共闘の15年一ほんものの労働組合をつくるたたかい』(市毛良昌・佐藤一晴、労働旬報社,1976年)。最初、中林賢二郎先生が編集していた『危機における労働運動, 労働運動史研究58号』(1976年労働旬報社)に所収したもの。1970年代から80年代にかけて、東京争議団運動の進路を激励した論文。

 ◆1960年代から始まった東京争議団――「闘う労働者のど根性」

 ◆『たたかう個人加盟労働組合 : ルポルタージュ』――(山岸一章著、太郎書店、1967年)――この本が高度成長期の日本において「産業別個人加盟労働組合組織化」を描いた初めての本。うずもれている歴史から新たな光を!

 ◆『砦にひるがえる 勝利の旗 正路喜社闘争九年の総括』――(正路喜社労働組合支援共闘会議編、19672)――のちの『東京争議団物語』を書いた佐藤一晴さんたちの奮闘記。

 ◆『東京争議団物語』(東京地方争議団共闘会議編、労働旬報社、1965年)――「闘う労働者のど根性」以後の経験を総括し、あらたな前進の武器にすることをめざして、全争議団で組合員の手記を書く運動を進め、一年ごの一九六五年夏、『東京争議団物語』が出版された。このルポルタージュも、けっして理論的に整備されているとは言えないし、混迷の跡も多く残っている。しかし、大討論集会からの一年の歳月とその間の情勢の変化、大衆的総括運動の健康な反映、執筆過程で徹底した。

 ◆「ドレイ工場 たたかう労働者の長編劇映画」で全国へ――「ドレイ工場シナリオ」(山本薩夫・武田敦監督、1968年、労働旬報社)。「ドレイ工場東京争議団物語より 戦う労働者の長編劇映画シナリオ」、(19661版、労働旬報社)

 ◆1970年代向かって、新たな青年たちの闘い――『コブだらけの勝利』(全国一般神奈川地本油研分会、今崎 暁巳著、労働旬報社、1969年)。『良心の歴史をつくりたい』(報知新聞労働組合、報知印刷労働組合、報知印刷大阪労働組合編、労働旬報社、1970年)。

 ◆1970年代~80年代へ、主な東京争議団運動関連の出版物――『争議組合物語 828日の日本製紙闘争』、『早く高く勝利を 報知闘争の記録』、『石流れ木の葉沈む日々――三菱樹脂・高野事件の記録』、『大映 ふたたび不死鳥は翔ぶ経営再建・映画復興への挑戦』、『めしと団結 大阪生コン労働者の闘争』など。

 ◆ベストセラー『どぶ川学級』(須永茂夫著)の誕生――全金日本ロールの闘いの中で。映画「どぶ川学級」で日本全国へ 。

 ◆感動を呼んだ、『友よ! 未来をうたえ 日本フィルハーモニー物語』など日本フィル闘争3部作!(今崎 暁巳著)と映画化.

 ◆争議団運動めぐる図書と研究者・運動家の発信

 「労働者の闘いの記録――神奈川の事例を中心として」(光岡博美、駒沢大学教授、駒沢大学経済学論集、第11巻第3・4号)/ 「ニチモウキグナス労資紛争史 1 :  70年代における企業合理化と労働組合運動」→23、4へ(山本興治 下関市立大学、下関市立大学論集、公開日 2010-03-03)/ 「大映研究序説 ――映画臨戦体制と大映の創設」(井上雅夫、立教経済学研究第64巻第3号、2011年)/ 造船産業合理化から地場産業を守る闘い 元全日本造船機械労働組合中央本部書記長 大河内俊雄、静岡社会文化協会 

 

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