《「はたらく」(1979年~1987年)、――「指名解雇された沖電気の仲間を支援する会 ニュース」》をUPした。
「沖電気争議の記録」のページ
http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/190708hataraku.html
現在は、SNS全盛期で労働弁護士や労働組合活動家の呼びかけで、facebookやtwitterの活用の学習会が行われているが、戦後、私が知っている1970年代からでも「機関紙活動」が労働組合運動のなかで重視されていた。
その代表的なものにニコヨンさん・日雇い労働者を対象に、有料制で現場で読み合わせをする「じかたび」(全日自労機関紙)が有名だった(「じかたび 1500号さらに輝け」全日自労・じかたびの研究――松澤常夫のページ参照)。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/jikatabi.html
この機関紙活動と匹敵する新聞として、「71名の若き労働者(平均年齢30歳)が沖電気における指名解雇攻撃撤回闘争を闘った争議」で毎月1回定期発行した《「はたらく」――縮刷版・準備号~第97号、(1979年~1987年)、――「指名解雇された沖電気の仲間を支援する会 ニュース」》は、歴史に残る発行物だった。
同書前書きで、日本機関紙協会東京都本部理事長矢野政昭・事務局長大淵俊之両名の《「はたらく」“不滅”です》には、以下のようにその意義が書かれている。
この「はたらく」で評価できることは次のような点にあります。
① 月一回の定期発行をきちんと守って、全国の読者に届けたことです。
②タブロイド四ページ建の紙面は、ともすれば“闘争ニュース”だけになりがちなところをグッとこらえて、記事の内容をかなり幅広くとりあげたことです。
ベトナム戦争のこと、三宅島闘争のこと、原発問題、国家秘密法――など“総合的” な企画で、しかも“足” をつかって記事を書いて仲間に訴えかけたことです。つまり沖電気の闘争は、全国的な政治、社会問題と深くかかわっていることが“事実” を通して報道されつづけたものです。
③クイズをのせたり、子どもの成長を中心に家族を登場させたり、マンガで綴ったり――と、だれにでも分り、理解され、支援を拡げる“大衆性”もこの「はたらく」はスペースをさいていることです。
④「はたらく」を中心としながら、ポスター、ビラ、リーフ、パンフなど、そのつど作成された沖電気闘争の宣伝物は、どれ一つみても洗練されたデザインや技術で、最高水準のものばかりであったと思います。機関紙と宣伝技術がいかに大切かも教えています。
1970年代末から1980年代半ばの沖電気争議は、全国を震撼させた「指名解雇」だったが、ニュース「はたらく」は、今読み返してみると、「闘う人間の宝庫」だ(全国各地に訴えた若き行商マン、争議中であっても結婚して子育てした女性・青年のがんばり、会社から排除された青年たちの人間的つながり、それぞれの個性が絡み合った力の発揮、親子で闘った子どもの力、沖電気争議を各職場で支えた人間集団、沖企業内で“いじめ”と闘った人たち、東京争議団をはじめ他企業の労働者との行動、電機産業における電機総行動づくりを担った人たち、福島原発推進を反対した人、平和を願って外国まで訴えに行った人などなど、まだまだ書ききれない)。
私個人としては、今回、連続的に「沖電気争議の記録」をWEB上にUPできたことは、「現代労働組合研究会のページ」を作り続けてきた、“こころのとげ”の一つを解決できたので、感謝したい。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/union-top.html
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