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6月8日(土)、渋谷勤労福祉会館にて開かれた「業種別職種別ユニオン運動」研究会第6回例会は、練馬区立図書館専門員労働組合の掲げたストライキの社会的反響を中心に報告・討論が行われた。編集子は、以下のような柱で、HPにUPした。
http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/190608tosyokan-strike.html
◆[報告]:「練馬区立図書館専門員労働組合のあゆみ」をUP。
◆[資料]:「“図書館司書のストライキ”を掲げて」をUP。
◆[資料]:「公立図書館が大好きだから 練馬区の非正規司書がストを構え」をUP。
◆[報告]:「東京図書館ユニオンの闘いと各区の報酬等資料 一人ストライキで闘った経験報告――学校図書館ユニオン」をUP。
◆[報告]:「公立図書館・公立学校図書館の職員の専門性の維持、進展の問題」をUP。
同ページには、以下のような文章を書いておいた。
◆ 今回は、ストライキをSNS上で発信し、即時に多数の共感のメッセージが寄せられた「練馬区立図書館専門員労働組合」の闘いへの道筋(歴史的背景)と現場組合員から報告を受けた。
研究会代表の木下武男から「専門的職能の向上と自らの職域を確保する闘いであり、全国の非正規図書館司書に大きな激励の闘い」を示したこと、などが指摘された。
つづけて「公共一般 東京図書館ユニオンの闘いの報告」と一人ストライキで自らへのパワハラ、いやがらせとたたかった学校図書館司書の報告を受けた。
また図書館司書が広範に非正規化された「公務員施策の歴史的過程」を分析した日本図書館協会元事務局長さんからの貴重なレポートも学んだ。
討論では、「練馬区立図書館専門員労働組合」への親組合の練馬区職労・自治労都本部の激励・支援のスタイル、練馬区の指定管理職制度の下にいる図書館従事者の関係づくり、「東京図書館ユニオン」の資料集約の方法、労働相談や一人ひとりの民間労働者とのつながり、学校図書館分会の組合員拡大の方法などが、交流された。
練馬区立図書館専門員労働組合の女性組合員の「私は19万円なんです」と低く言われた非正規司書さんへの待遇の劣位の現実、そして図書館ユニオン委員長が示した「各区の俸給時間給表で“対前年より3円下げた区”がある」という非情さについては、高給を食む行政マンの非社会連帯的人生観の無情を、もっと明らかにして、社会的公正な「図書館司書の待遇改善」を、「公共図書館を愛する一人ひとりの市民」に、明らかにしなければならないと強く思った。
「公共図書館は無料」という法的根拠が、図書館民営化の最後の砦になっているのではないかと、教えられた。
「沖電気争議の記録」のページ
http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html
連合ができる前の時代、三池炭鉱争議以来の「指名解雇」が、沖電気工業の職場に襲い掛かった。
「沖電気は 指名解雇を撤回せよ!」と闘いに立ち上がった70人を超える労働者は、当時20代から30代を中心にした青年・女性たちで、リーダー層も、「団塊の世代」より少し上の世代だった。
なんとか「たたかいの記録」として編集したいと企画し、会社経営陣と交渉した記憶がある。
当時は、今崎暁巳さん(ドキュメント作家)が「油に乗り切っていたので」、社の合意を得て、出版したものが『なにをみつめて翔ぶのか 沖電気・指名解雇をこえて』(著者・今崎暁巳、発行者・柳沢明朗、発行所・労働旬報社、1980年3月28 日初版第1刷発行)だ。
争議終結当時(1980年代半ば)の社は、すでに「子育て・教育出版」「大型本出版」時代に入っていて、編集子も「売れる労働関係出版企画づくり」があまりできず、「現代社会シリーズ」・「女性向け企画担当」となっていたので、なかなか難しかったが、営業部長さんから「沖電気争議が終わったので企画しろ!」、と厳命されて編集・出版したのが、『ドキュメント沖電気争議 企業社会の扉をひらけ』(著者 中山森夫・矢吹紀人、発行所 労働旬報社、1987年12月15日 発行)だ。
WEB上には、「沖電気争議」で検索すると、まったく少ない情報しかない。なんとか一石を投じたい、次の世代に「伝えておきたいこの闘い」という編集コンセプトですすめた。
▽(追記:2020年9月19日)WEBに新ページをつくったおかげで、「沖電気争議」を検索すると、以下のように項目と画像が検索ページに登場しています。
▽画像のページ
▽WEBページをつくったとき。
現代ルポルタージュ研究会で再会した、松謙さん、相原さんと相談できたので、以下のように当時出版された「パンフレット」「単行本」「写真集」その他をPDFで読めるようにした。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d823.html
編集子は、1980年代末から1990年代の難しい時代の「労働組合運動の行方」について、少し心に引っかかるものをもっていたが、今回の編集・制作作業をすすめることですこし氷解した気分になっている。
次の世代へ、「闘い、それが生きる希望を切り拓く」というメッセージとして発信したい。
沖電気の職場を明るくする会
http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/index.html
◆まえがき(松本謙司)
◆PART《Ⅰ》指名解雇を許さない闘いへ――『無情 沖電気は 指名解雇を撤回せよ! 闘いの記録 争議団結成に至るまで』(沖電気の不当解雇を撤回させる会、1979年2月5日 第2刷)を発刊し、闘いに立ち上がりました。
闘いの全国化のなかで、『なにをみつめて翔ぶのか 沖電気・指名解雇をこえて』(著者・今崎暁巳、発行者・柳沢明朗、発行所・労働旬報社、1980年3月28 日初版第1刷発行)が出版され、電機産業を中心に全国各地の市民・労働者に広がりました。
もうけるための指名解雇、職場の専制支配をねらう! 『陽はまた上(のぼ)る 沖電気は指名解雇を撤回せよ』(1983年10月10日初版発行)
「ほうり出されて なるもんか――働く全ての仲間に贈る、たたかいと連帯のうたごえ」(レコード版、企画制作・東部合唱団 中島修一 作品、1979年2月12日発行)(未UP)
「ビデオ りんごの樹は育つ」(沖電気争議支援中央共闘会議・日本電波ニュース社
沖電気争議団、1985年11月製作)(未UP)
「こぶしくん 漫画集」(八嶋崇好・沖電気争議団〉、発行・沖電気争議団、1994年。沖電気は指名解雇を撤回せよ! と書き続けた「八島漫画集」。http://e-union.sakura.ne.jp/okidenkisougi/190622yasima-manga.html
◆PART《Ⅱ》 指名解雇の沖電気で職場からたたかいへ
『嵐に抗して』(指名解雇裁判を傍聴して仕事差別された浅利・中山さんを守る会
発行 1981年11月21日)
『この手のぬくもりを』(発行 指名解雇された仲間と浅利・中山さんを支援する沖電気の会発行 1985年2月1日)
◆PART《Ⅲ》 指名解雇を撤回させ 沖電機争議勝利!
『ドキュメント 赤いゼッケン 勝利報告号』(沖電気指名解雇撤回闘争 3033日 1978.11/21~1987.3/31,1987年3月31日 発行・沖電気争議支援中央共闘会議・沖電機争議団)
『たたかってよかった』(藤田庄市・森住卓写真集、編集 中村悟郎、装本 粉川道博、
発行所・日本電波ニュース社、1987年8月20日)
『ドキュメント沖電気争議 企業社会の扉をひらけ』(著者 中山森夫・矢吹紀人、発行所 労働旬報社、1987年12月15日 発行)
『陽はまた昇る 沖電気指名解雇撤回闘争の記録』(編者 沖電気争議支援中央共闘会議、発行者 生活ジャーナル、1992年1月25日発行)