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2019年2月

2019年2月26日 (火)

沖電気・浅利さんのたたかいへの「柳(やな)さん」のコメント

 以下の文章は、「現代労働組合研究会のページ」《13/11/25+12/02》に書いたものだが、昨日書いた「たたかいのルポルタージュ 第16号」の紹介した続きで読んでほしい。

   

    http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/16-b577.html

 

 

 

 ◇電気、日本航空、日立における人間の尊厳のたたかい 

――1970年代から1980年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―2]、PDF版としてUP

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#okidenki

 

 このサイト(「現代労働組合研究会のページ」)では東京争議団、千代田総行動(のちに東京総行動)、総評全金の北辰電機などにかかわった人たちと労働組合を紹介してきた。

 今回は社会の矛盾を肌身で感じて社会運動としての労働組合運動をになった人たちの本を3冊、ご案内する。

 

 1冊目は『たたかいと愛と、これからも――短編小説とルポでつづるふたりの五十年』(浅利勝美・浅利正著、一粒書房、20134月)

 

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 197811月、沖電気で起こった会社側の「企業競争に勝ち残れない」と、従業員の一割にあたる1500名の首切り合理化とつづく指名解雇事件があった。

 当時の状況を今崎暁巳さんは『何をみつめて跳ぶのか――沖電気指名解雇をこえて』(労働旬報社、1980年)で、「血の入れ替えを行おうとする会社の姿とその若き労働者への指名解雇の姿」を描いた。

 浅利正さん(1959年秋田県角館高校定時制卒)は職場の中から、争議を支援したことから仕事を干され、「仕事を取りもどす訴え」を東京都労働委員会に起こし、3年余にわたるたたかいで仕事を取り戻した。

 みずからもルポとして「小さな背中で見つづけたもの」などを書いている(初出は下記のルポ同人誌、本書所収)。

 

 さらに浅利さんは“1978年秋、中央労働学院の「ルポルタージュ教室」に学んだ。その時の主任講師が今崎暁巳先生だった。その年の11月、私が勤める沖電気が大量の指名解雇を強行した。今崎教室の受講生で沖電気争議団の事務所を訪問取材し、教室終了後も勉強を続けようと「現代ルポルタージュ研究会」を設立。機関誌創刊号で「特集沖電気争議」を”発行し、同人メンバーと現在『たたかいのルポルタージュ』を15号(2011年)まで発行し続けている。

 

 同誌の13号に浅利さんは「定年退職の日」(同書所収)を書き、そのあとがきに、私の大先輩の文が掲載されている。

 

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 筆者の「柳さん」は、先に紹介した『たたかいのルポルタージュ』編集長として尽力し、高度情報社会・大量消費社会・企業社会に振り回されない生き方を創造するために、文化・コミュニティ・人間としての絆づくりの視点から、一人ひとりに分け隔てなく、さまざまな編集プラン・企画・構成を語りつづけていた。

 

人間を人間らしく扱え・まともな労働を

柳沢 明朗

 

 いわゆる「一人争議」として、このことを主張して差別され続けた浅利さんが、節を曲げずに誇り高い労働者の働き方を掲げきって定年退職を迎えた。人間の尊厳、人格の尊重を根底にすえた近代社会の人間関係、働き方、職場や労使関係を提起した労働人生の完結だった。

 二〇世紀の価値観を時代と企業社会に打ちつづけた技術者・労働者魂を尊敬せざるを得ない。

 退職の日に出会う元同志。仲人もしたという同志が〝裏切り″代価として得た出世。その管理者との出会いを淡々と描く退職の日に「ご苦労さん」と涙が滲んだ。なんという人生の違いだろうか。小倉さん〔小倉寛太郎=「沈まぬ太陽」のモデル〕の場合も、働き手を分断していく資本の悪しき衝動の手先が登場するが、酷似した事実に怒りが湧く。

 共通した点をもう一つみた。狂気のような異常な外地たらい回しの先々で、人の絆を作りサバンナクラブなどで、仕事を起こしていく小倉さん。同じく流罪先の職場での「仕事をしないことが仕事」の仕打ちのなかで、技術者魂を発揮して、独学で身につけたパソコンを駆使して基板設計実績データの整備をする浅利さん。その五年が誇りだという。次の担当者に引き継ぐときの「浅利さんは天才だ」という継承者のコトバが、自己の技術・労働の主人公となって創造した働き方の評価を示す場面でうれしい。

 小倉、浅利、松謙さん〔沖電気争議団事務局次長〕の三人の姿は、人生丸ごとをかけて、企業社会の論理に人間の論理を打ち込み、対峠したものだといえよう。これこそ、西ルポがいうように「近代の普遍的価値である人間の尊厳」の実現への挑戦にほかならない。

 もともと「おれたちは奴隷ではない。人間だ」という権利主張が団結の土台だ、労働運動だと、いわれ信じてきていた。英国で「組合を裏切ったことがあるか」と問われた、破廉恥な犯罪者が「オレはそれほどの悪人じゃねえ」といったという話を授業のなかで聞かされた。

 この燃えるような権利感情に打たれて生涯を労働法を商売にして食ってきた。だから三人の生涯、価値観に感動し、励まされる。

 仲間とともに生きる三人の人生・存在がなかったら、これらの問題提起や考え方、価値観が観念論、卓上の空想、願望になってしまうところだった。幸いなことに私は、夢のように描いていた労働法、労働運動が持つ役割、機能を手にしたり、見たりできた。しかも、誇るべき友人として、わが人生の価値の証として持つことができた。その継承のための価値の発見・確認と表現が今回の特集号の質ではないか。

 沖電気争議の特集で出発し、ともにルポし記録し続けたこの雑誌だからこそできることだと思うし、何よりの浅利さんへの記念号だと思う次第だ。(元労働旬報社社長・「現代ルポルタージュ研究会」顧問)

(『たたかいのルポルタージュ』一三号「あとがき」 二〇〇〇年三月)

 

 ▽追加(2013.12.06

  柳澤明朗のページ

 

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/yanagisawa/yanagisawa-index.htm

 

 

 

 

 特筆すべきことに『たたかいと愛と、これからも』は、前半が浅利勝美さん自身の生活リアリズムにもとづく、「短編小説集」だ。

 あるページに「職場のなかでのたたかい、裁判、そして経済的苦労とさまざまあったが、子育てのうえでの苦労があまりなかったのは幸せなことだった」と書いてあった。

 イクメンと呼ばれる時代には、まったく不向きな男たちの姿も描かれている。

 私が書いておきたいと思った、「1960年代から社会変革をめざした、一人の生活者の人間として女性としての姿」も随所に描かれている。ぜひ御一読を

2019年2月23日 (土)

柳澤明朗さんの追悼を含む「たたかいのルポルタージュ」第16号を編集中。

1週間ほどかかって、A5版・128ページ(本文14Qの2段組み)の会報(「たたかいのルポルタージュ」第16号、現代ルポルタージュ研究会編)のDTP作業を行った。

 私が1970年前後から20数年ほど所属した出版社時代の社長さん、「柳澤明朗・労働旬報社社長」の追悼文(201945日逝去)を含んだ号になっている。

 「柳(やな)さん」は1934(昭和9)年生まれで、早稲田大学大学院労働法ゼミを終了して、のちにベストセラーの『どぶ川学級』『教育は死なず』『日フィル3部作』を企画した編集者であり、60歳定年後は「ぞうれっしゃの合唱団づくり」などで全国を回っていた。

 その足跡を残しておきたいと「現代ルポルタージュ研究会」のメンバーが企画して、発行することになった。

 4月上旬までには、出版できるのではないか。その時が来たら、お知らせします。

 

 

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  ◇たたかいのルポルタージュ 第16号/目次

 

《1部》 編集者として、家族として
    ・追悼 柳澤明朗さん 
 
 同行二人~これからも柳澤明朗さんと共に~ 西村一郎   八
 自らの「生」を生ききった父と母   柳澤史樹  二一
  ◇柳澤明朗さんのアルバム           二九
 柳澤明朗さん ありがとうございました
                   藤村記一郎 三七
 われらの先輩・柳さんを偲んで    石井次雄  三九
 孫からのお礼            柳澤清香  四二
 子どもたちに「平和を!」の人生   横田 静  四六
 灯のこころを大切に         平野好英  四七
 柳澤さんの想い出          加茂和子  四九
 柳澤さん、ありがとうございます   上田裕子  五一

 柳さんが書き残したメッセージ    飯島信吾  五三
  ◇柳澤明朗さんの主な編集・企画した出版物   五九 

 

《2部》 いま・ここに――「ルポの力」 

 だれもが人として尊重され、人として生き、
 人として働きたい=非正規社員との歩み=   相原幸雄   六四        
 被災地・南相馬で共に生きる         西村一郎       七七
 「住み慣れた地域で最期まで自分らしく」の試み小川 緑 九二
 書き残すことの大切さ  私とベトナム物語    小松みゆき 一〇三
 「お墓にひなんします」~続く原発関連自殺~ 西村一郎  一一四
 「反骨の島」と風力発電            西 正和  一二四

 

2019年2月 2日 (土)

「障害者就労移行支援事業所・世一緒」に行ってきた。

今日[2019年2月1日(金)]は、「せんげん台」(東武スカイツリーラインの駅)から徒歩7分ほどにある「障害者就労移行支援事業所・世一緒」に行って、パソコンの「Wi-Fi及びメール設定」と「office2016」のインストール、「せんげん台世一緒のページ」がすぐに見られる作業を行ってきた。

 スタッフ以外の利用者の人もPCに触れるように、TOP画面の「フォルダ」と「ファイル」の設定の仕方を、事務局の人に説明したりして、使い方も伝授。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/sengendai-yoisho.html

 

利用者の人たちは、テーブルで何か加工をしている人、表の通りに向かって小物などを販売している人(暖かい日は外で採れたての野菜を販売している)、PCの入力をしている人(19日のすいごごカフェのゲスト・野村康晴さん)、作業室に併設している小部屋で横になっている人など、多様に《こなして》いた。

 

排除する社会で転学・転職経て「共に」を探る野村康晴さんトーク――20190109日(水)の模様]。

 

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/suigogo-2.html#nomura190109

 

もうすでにここで一定の業務をこなし「市役所」で働き始めた人もいるという、報告も山下浩志さん(NPO障害者の職場参加をすすめる会事務局長)からある。

https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/1967033510031946

 

この場所は、せんげん台駅から埼玉県立大学へ向かう、イオンをはじめ多数の商店もある通りに沿ってあり、周りには一軒家も多く、日中でも学生さんを始め、通行人が頻繁に行き来するところで、後背地には駅通りにあるUR団地やマンション群も所在する。

 

あなたの家族で「行ってみようと思う人がいれば」どうぞ。

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  松島 篤志さん

  農業への道(農へライフシフト) 自然栽培に挑戦し、広めるために

  http://sweetpotato.chips.jp/2018/05/21/

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