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2018年9月26日 (水)

『What Was 国鉄闘争~そして次へ~』を読んだ――国労「敗北」の歴史 その2

 この本は、20135月に出版された本(発行:ぶなの木出版)だが、「国鉄闘争」を分析した貴重な本だ。

 

 ▽目 次:

刊行にあたって

24年間の闘いを終えて

第一部 総論 

座談会 国労闘争団はなぜ24年間も闘い続けられたのか(中村宗一、神宮義秋、小島忠夫氏、山下俊幸、平賀健一郎, 小野寺忠昭)

争議としての国鉄闘争(小野寺忠昭)

国鉄闘争と東京総行動(平賀健一郎)

自立する国労闘争団(荒木健次)

第二部 第二次国鉄闘争

国鉄闘争解決までの苦闘(原田亘)

当事者の一人としてみた国鉄闘争(清野隆)

国鉄闘争から新たな運動へ(関口広行)

我々は闘う闘争団の側に立つ(星野良明)

戦術論から見た第二次国鉄闘争(川副詔三)

あとがき

 

 本の紹介は、「レイバーネット日本のWEB」で、以下のように出ている。

「紹介にかえて:闘争団には人間の誇りがあった 杜 海樹」

http://www.labornetjp.org/news/2013/0527hon

 

編集子のまず「はじめの感想」は、BOOKデザインと本の中身の乖離はどうしてなのだろうか。どうしても違和感を感じざるを得ない。もっとデザイナーに注文してもよかったのではないか(通常、ゲラを読んでもらって2案のプレゼンを受けるはず)。

180926kokuroutousou011

 

感想の第一は国労闘争団の出発期に、知人・友人たちが貴重な助言・アドバイスを行っていたことが分かった。

市毛さん(東京地評)、渡辺清次郎さん(東京争議団)、中山さん(沖電気争議団)、石井さん(パラマウント製靴)、東芝アンペックス、山下さん(「社会通信」を知った人)、菅野さん・永戸さん(労働者協同組合)の名前があがっている。



『旬刊社会通信』の存在を知ってよかった[20161216 () 

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-cb95.html

 

第二に、国労争議団というネーミングは、「国労本部側」から受け入れられなく、国労闘争団となったこと。

 

三に、「国鉄労働組合は職場組合の典型」だと書く。

私の編集者・大先輩の木檜哲夫さんが、『国鉄労働組合の現場交渉権―その理論と闘い(労旬新書)』(1968年)、『組合活動の権利―不当労働行為との闘い (国労読本〈権利編〉』(1970年)、『国鉄労働者の権利―労働基本権確立とたたかい (国労読本〈1 権利編〉』(1976年)、『国労読本 組織編』(1978年)、そして『国鉄マル生闘争資料集』(国鉄労働組合、1979年)、『国労権利闘争史』(1981年)、などを編集していた(労働旬報社刊)。

職場を基礎とする戦後権利闘争の一大到達点として、編集したのだ。

 

私も、単産研究の一環として、早川征一郎さん、高木郁朗さん、永山利和さんらと「国労の研究」(単産研究会聞き取り「国鉄労組・細井宗一氏、武藤久氏より」(『賃金と社会保障』5下、No.7341977年)を企画し、レジュメの確認などで通っている中で、細井さんから「国労のための企画プラン」を作るのが編集者の役割だと諭され、『一人ひとりがつくる労働組合を―国鉄マル生と国労運動の発展 』(1980年、国鉄労働組合編)を編集・出版した。

思いは「幹部闘争から一人ひとりが闘う労働組合へ」バージョンUPすることを願って。

 

その国労は「学校別」に、「国有化鉄道主眼論」で「民主的規制・自主規律」か「反合理化・職場抵抗」の論争が主だったことは、先に紹介した、『語られなかった敗者の国鉄改革』(元国労企画部長・秋山謙祐著、情報センター出版局、200812月)に書かれている。

国家的不当労働行為への「対抗」をつくり出す人材は、「国労企業内組合では生まれなかった」わけだ。

 

その職場組合とは別に、東京争議団の「四つの基本、三つの条件」(1974年)が闘争団運動の基本に座って(その原初的運動をまとめた『東京争議団物語』[1965年]を編集したのも先の木檜さんだ)、東京総行動などの大運動の歴史を引き継ぎ、争議が展開されたことは、歴史の皮肉だ。

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第四に、国鉄闘争の経過で「国労企業内組合」の面々を別として、国労闘争団切り捨て局面(鉄建公団訴訟による闘い)から「44団体」路線(建交労の坂田さんなどとの共闘模索からその実現など)がつくられた経過(1970年代沖電気争議団の、思想を超えた初めての統一争議団の歴史があったが)は、本書のピークをなす行動だったことがよく分かった。


  第五に、闘争団支援を一貫して敢行した東京清掃労組などの様相は「2割動員」を貫くなど、並大抵の運動ではなかったわけだ。


  第六に、闘争団運動のその後を模索する「交通ユニオン」「国労ユニオン」も書かれているが、東京圏にも数千名といわれる「下請け労働者」「派遣労働者」をだれが主体として作っていけるか、いまだ未開発のようだ。

この夏に闘われ、東京駅構内で展開されたサントリー子会社の「ジャパンビバレッジの青年たちの順法闘争・ストライキ闘争」に無関心でいては進まないであろう。

 

それにしても24年にわたる闘争団のご本人・ご家族のご苦労は、争議運動のすべてに通じるが、困難を突破して、よく闘ったと、感動した一人として、書いておきたい。

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