国労闘争団1407名、そして首を切られなかった組合員・家族にはそれぞれに限りない人生としての苦渋、喜びがあるはずだ。
「すいごごcafé」(越谷市・NPO障害者の職場参加をすすめる会)に登場した松尾さんも「国鉄分割・民営化を国労組合員」として迎えて、人生のかじを切った。
以下のレポートはその一端だ。
「すいごごcafé」のページにUP――▽2018年8月01日(水)、「オートバイひとり旅・松尾清晴さん(元JR社員)」。NPO障害者の職場参加をすすめる会HP。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/suigogo-1.html
編集子はいま「国労敗北の歴史」を考えるために、『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(元日本経済新聞記者の牧久著、講談社、2017年03月16日)、『語られなかった敗者の国鉄改革』(元国労企画部長・秋山謙祐著、情報センター出版局、2008年12月)を読んでいる。
1 【参考】牧久氏 国鉄分割・民営化を描いた作品語る(週刊ポスト2017年4月21日号、■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光2017年04月13日、16:00)
https://www.news-postseven.com/archives/20170413_508881.html?PAGE=1#container
2 ◆本の紹介:『語られなかった敗者の国鉄改革』、Loser_kokutetsu(October 27, 2015)
http://pata.air-nifty.com/pata/2015/10/post-459e.html
3 早川 行雄さん(元連合総研)の分析的視点
2018年6月14日
著者は当事者の自伝的著作や追加的聞き取りなどを基に「事実」を淡々と書き連ねているのだが、葛西ら三人組を中心とした国鉄当局の、さながら不当労働行為自白調書の様相であり、土光・中曽根の第二臨調行革路線の内実を赤裸々に暴く結果となっている。そうした観点から読めば何故負けたのかもそれなりに明らかになろう。勝ちすぎた?マル生反対闘争の成果として実現した現場協議制度は国労など組合の大きな闘争力の基盤となった。国鉄分割民営化の背景には、新自由主義化の民営化政策一般に加えて、職場生産点を握った組合からの主導権奪還の狙いも明らかにあっただろう。現場協議制に対してはフレームアップ的な職場規律の乱れ批判がメディアなどを通して大々的にキャンペーンされたが、当時の国電などの極めて正確なダイヤ通りの運行は今では想像できないほどであり、規律の乱れた職場では到底実現できないものであった。電車区、車掌区を中心に生産点を握った労働組合による生産管理闘争的な実態も萌芽的にではあれ存在したと思われる。資本と当局はまさにここにこそ恐怖して反国労の弾圧を仕掛けたのではなかったか。このような視点からの「国鉄分割民営化30年」の史的総括も必要ではないか。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2008332445897440&set=a.183463795050990&type=3&theater
それとは別に、久下格さん(元国労組合員)のHPに「国にたてついた一労働者の想い出」――「今でも国鉄の分割民営に反対したことは正しいと信じています」と書く元国労宮崎闘争団員・馬場園孝次さんの手記、が載っている。関心のある方はどうぞ。
http://aoisora.org/roudou/2018/20180227babazono.html
久下格さんのHP
http://aoisora.org/index.html
▽追記(2018.09.26)
『What Was 国鉄闘争~そして次へ~』を読んだ――国労「敗北」の歴史 その2
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/whatwas2-1c1c.html