職能別ユニオンの現代的課題を追求――佐藤一晴さんの想い
▽追記(2010.10.10)
「佐藤一晴さんのHP」(日本音楽家ユニオン、東京争議団事務局長、正路喜社労組、東京労働争議研究会、1932~2002年)をフォローした(2020年8月18日)。
追悼文集も、以下のページにある(個人の文章を除いて)。
『一晴の夢・歩んだ世界――佐藤一晴 追悼・遺稿集』(2002年11月16日刊)
http://e-union.sakura.ne.jp/satou-issei/index.htm
▽以下が本文。
音楽家ユニオンを創出した佐藤一晴さん(前日本音楽家ユニオン事務局長、1933―2002)が追求した「職能別ユニオンの現代的課題」をUP。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#satou2017-11-24
佐藤さんが書き残した以下の文章は、今でも重い。
「しかし、この分野でも妥協せず、個人加盟原則を貫きました。企業内組合の場合でもそこへの加盟は基本的に個人単位ですし、先輩であるヨーロッパのユニオンを見てもこの原則は貫かれています。
音楽ユニオン(音楽家ユニオンの前身の組織)が結成されたのは一九七二年です。その前にいくつかのオーケストラでは、企業別単組が組織されていました。当時の、つまり一九六〇年代後半の個人加盟労組運動の停滞と既成企業内労組批判のいささかのゆきすぎの反動として、企業内組合の階級的強化論が力を得てきていた頃ですが、主流的見解は、そのまま企業別単組の連合体をつくる方向をとるべきだ、ということでした。
しかし、私たちは断固として、企業内労働組合の解散と各個人のユニオンヘの再登録という道をとりました。この過程で非組合員が増えたところも一、二ありましたが、その後何年かの経過のなかで、結局は吸収されました。またその後続々誕生したオーケストラの組織は、いずれも楽団員個々が個人加盟ユニオンの一員となり、各オーケストラ単位の職場組織をつくるのが当然ということになっています。
日本の労働組合の「常識」の影響を受けて、企業単位のものの考え方が根強く残っていますが、ユニオン全体の決定や統一的政策を優先させることは自ら当然という態度が習慣となっており、この組織原則を貫いたことは全く正しかったと考えています。」
▽2017.11.25
職能的結集を見直しつつ――私たちの組織的課題《現代労働組合における組織的課題》、「労働法律旬報」、旬報社、1185号、1988年2月10日号。 2017.11.06
「職能ユニオンの可能性――開かれた労働市場と「企業社会」の乗り超え」、佐藤一晴、初出:「賃金と社会保障」(労働旬報社、1996年11月上旬号)。追悼・遺稿集刊行委員会編『一晴の夢、歩んだ世界』(2002年11月16日発行)所収。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#satou2017-11-24
▽13/08/26
佐藤一晴さんのHPと「統一」論
日本的風土に『統一』の思想をどう実らせるか、「佐藤一晴さんのHP」(日本音楽家ユニオン、東京争議団事務局長、正路喜社労組、東京労働争議研究会、1932~2002年)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#satou
『一晴の夢・歩んだ世界 佐藤一晴 追悼・遺稿集』(目次)
▽佐藤一晴さんのHPがオープンされています
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-a806.html
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