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2017年9月

2017年9月29日 (金)

鹿教湯温泉から松本城に登城してきた

 10数年前に行った鹿教湯温泉(今回は国民宿舎「鹿月荘」を予約して)、2017924日(日)に11:30発(大宮)のJR北陸新幹線あさま607号の長野行に乗って12:36着、上田駅へ。

 そこからは上田駅発、1312のバスで鹿教湯温泉へ、1424着。


 前回は、別所温泉に行ってみたく、温泉街をめぐってタクシーで鹿教湯温泉に行った。女性ライターから「無言館」になぜ行かなかったのかと「詰問」された記憶があるが、今回、上田市も「真田十勇士」の宣伝がいっぱいだったが、無視。

 

 鹿教湯温泉には「長野厚生連病院の鹿教湯病院」があり、同病院元院長で前の日本高齢者生活協同組合連合会会長理事・故市川英彦医師に「お線香」を上げられないが顔を出したいと思ったのも事実だ。

 

 ◆参考:「続・非営利セクターとしての農村コミュニティの可能性―長野県上田市の事例に即して―田渕直子」

 http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170929161219.pdf?id=ART0008778476

 

 鹿教湯温泉街は、「大江戸温泉物語」の大きな看板を出している旅館もあるが、街中の旅館は「閉鎖」されて寂れた雰囲気を醸し出している。残念なことだ。

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 今回のもう一つの目的は、カラス城ともいわれている「松本城」を見てみようと思った次第。

 WEBで調べたら鹿教湯発のバスは「114分」しかなく、26日に列車で行こうと上田駅から篠ノ井まわりをして松本駅まで行った。

 松本駅からはバスで松本市役所口まで行き、松本城へ。

 ここは20年以上前に来ていたが、天守閣まで登っていなかったので、今回は入ってみた。

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 詳しく調べないで登ったのだが、階段が急で(61度もあるところあり)、狭い階段、一段ずつ高さが違う階段など、高齢者にはしんどいものだ。

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 帰って調べてみたら、「有名な階段話」がいっぱいUPされていた。

  ◆参考「松本観光 : 松本城を100倍楽しむために知っておきたいこと」

 http://dekakeru.jp/lab/matome/matsumoto_002/

 

 「松本城の階段の角度」(写真編)

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E3%81%AE%E9%9A%8E%E6%AE%B5%E3%81%AE%E8%A7%92%E5%BA%A6

 

 

 

 

2017年9月24日 (日)

映画「ドレイ工場」完成50周年記念上映会のご案内

映画「ドレイ工場」が完成して、来年2018年で50年が経ちます。これを記念して、下記のとおり、記念上映会を行います。多くのみなさんのご来場をお待ちしております。

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日時 20171118日(土)

     ①1030、②1345

     *あいだに主催者、出演者等のごあいさつを予定

会場 四谷区民ホール(東京メトロ新宿御苑前駅下車5分)

入場料 1000円

予約 メールをください(折り返し、予約番号をご連絡します)

 

 呼びかけ人:

        小田川義和(全労連議長)

        森田稔(東京地評議長)

        三木陵一(JMITU委員長)

        川田泰志(JMITU日本ロール支部委員長)

        生熊茂実(金属機械反合闘争委員会委員長)

        藤野戸護(共同映画株式会社代表取締役)

 

要 宏輝さんのfacebookへ。

 

この映画のシナリオ編は共同映画社と全金・労働旬報社の先輩たちが作っていました。

その後、『どぶ川学級』を書いてベストセラーになった須長茂夫さんも頑張りました。

 

映画製作責任者の佐竹五三九さん (全国金属書記長・当時)はキップのいい労働組合指導者で、1970年代の春闘高揚期に渋谷の駅から歩いて取材にいき、インタビューをしたり、原稿をいただきました。

戦後の総同盟左派・高野実さんの指導方針について、歴史的に教わった思いがあります。

 

また、単産研究会聞き取り『全国金属の研究――平沢栄一氏、山下芳男氏より』(『賃金と社会保障』19791月上旬号、No.761)で、高木郁朗・早川征一郎・永山利和さんたちの協力でつくりました。

 

以下にご連絡を。手配できると思います.

 

共同映画株式会社

所在地 〒150-0002東京都渋谷区渋谷2丁目5番12号青山アジアマンション505号

03-5466-2311 Fax03-5466-2312

 info@kyodo-eiga.co.jp

 

 ▽追記:(2017.09.30):映画「ドレイ工場」とは
 労働旬報社の原作「東京争議団物語」を、「にっぽん泥棒物語」の武田敦と、PR映画畑の小島義史、それに監督新人協会砧支部が協力してシナリオ化し、「座頭市牢破り」の山本薩夫が総監督となり、武田敦が監督した実話。撮影は劇映画初の義江道夫と、「証人の椅子」の上村竜一。この映画の製作費は資金カンパにより労働組合、民主団体、個人で構成されたドレイ工場製作上映委員会によって作られた。

 

 ◆野原さんへ(2017.11.16)

 ここは紹介のブログです。すいませんが、共同映画へ、ご連絡を。

  noharafamily@icom.home.ne.jp

 上にメールしましたが、リターンしてきました。

 

 

 

2017年9月21日 (木)

ある青年からの激励のメール――ありがとうございます

先日、「現代労働組合研究会のページ」の読者の方から、温かい励ましのメールをいただいた。

 大昔、書籍編集をしていた時代、口伝えのように「1冊の本づくりで大切なことは、人目の読者をつかむことだ」と大先輩から教えられたことがある。著者にとっての一人目の読者は「妻」(「恋人」)、二人目の読者は編集者、そして市場の中で三人目の読者をつかまないと「商品」とならない、ということだ。

 

 単行本企画でもっとも議論されることは「売れるか・売れる本になるか」、「読者は誰だ」という議論だった。企画したものの側からいうと「わからない」とひとこと言いたかったが、人文・社会科学書の当時の現状の中で、「なんとか」「その」などと、もぐもぐ言っていたらけられてしまう。

 とにかく人目の読者の発見がだいじなことだし、「読者の声」は一番ありがたいことだった。

 

さて、連日ある話ではないので、以下のような激励メールは、ビジネスではないが、本当にありがたい。

 

「はじめまして。私は○○の私立学校で組合の役員をしている○○○○と申します。私たちの学校も非常にブラックな職場です。2年前から組合活動を本格的に行い、現在、組合員は6倍化しました。その際に、こちらで紹介されている本のいくつかを参考にさせていただきました。本当にありがとうございます。

○○さんがやっている仕事は私にとってとても価値がある仕事です。

これからも頑張ってください。」

 

 さっそく「紹介した本」などについて、メールでお尋ねしたら、すぐに「父が持っていた『労働組合のロマン』(中西五洲著、19862月、私が編集した)」ともう1つは河西さんの、「路面電車を守った労働組合」、そして「組合がダメになっているのは職場活動の弱体化によるものだと思い」、「私鉄の内山光雄さんの本を勉強している」、という。

 

 「私は今、35ですが、エステ・ユニオンの青木さんは私と同じくらいの方でしょうか。こういう方がいると、励まされます」と返信が来た。

 

 ますます青年・女性の力で「労働組合運動のルネッサンス」をというよびかけを、「現代労働組合研究会の諸ページ」や「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページなどで一つずつ発信していかなければならないと思った。

 

 

 ▽参考ページ

  ●中西五洲さんに関して

  20170816君は知っていますか「全日自労」という労働組合――中西五洲の思い出+「機関紙じかたび」(PDF版)――現代労働組合研究会・飯島信吾編

  ●河西宏祐さんに関して

  150720日: 河西宏祐著『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』(平原社、定価:2000円+税、20095月)

  ●「内山光雄さんを偲ぶ」を寄贈されて(2013年8月 7日 (水))

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-8a3c.html

  130807日:『追悼文集 内山光雄さんを偲ぶ』20121119日、「内山光雄さんを偲ぶ」編集委員会、総評退職者会気付、03-3251-0311)(PDF版) 

  ●[事例]エステ・ユニオンによる労使関係の展開、報告:総合サポートユニオン執行委員:青木耕太郎

  http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/170902dai1kaireikai.html

 

2017年9月 3日 (日)

第1回「業種別職種別ユニオン運動」研究会が開かれた

  ▽追記(2017.09.07 

 ・労働界の名物ブログ・シジフォスで紹介されています――「業種別職種別ユニオン運動」研究会は面白かった(作成日時 : 2017/09/05 06:37  

   http://53317837.at.webry.info/201709/article_3.html

 

 1回例会「業種別職種別ユニオン運動」研究会の報告者・コメンターの登壇写真・報告レジュメ・資料等を一挙にUPしました。 

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/170902dai1kaireikai.html

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「弁護士ドットコムニュース」20170911 1643分)

    https://www.bengo4.com/c_5/n_6651/

 

 

青木耕太郎さんのtwitter

   https://twitter.com/kotaro_aoki

 

 

第1回「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページにUP。

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/170902dai1kaireikai.html#tbc






  ▽ここより本文。
  第1回「業種別職種別ユニオン運動」研究会が、港区麻布台の大阪経済法科大学アジア太平洋センターで

30人が参加し、開催されました――詳細は編集中。

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/

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 「業種別職種別ユニオン運動」研究会代表の木下武男氏

 

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 NPO法人クリーニングカスタマーズサポート代表理事:鈴木和幸

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 指宿昭一弁護士

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 総合サポートユニオン・エステユニオンの青木耕太郎氏

 

研究会に参加している間、若い世代のエステ・ユニオンによる労働組合組織化の話を聞きながら、昔、東京労働争議研究会の事務局の一端にいて、報告をまとめる編集に参加した経験があるが、東京争議団が「秘密裡」に結成された事実を思い起こしていた。

 

 『上を向いて歩こう』(本の泉社、20087月)を書いた小林雅之さんの引用から。

『東京争議団物語』(1965年8月)で描かれた、争議団共闘会議発足の状況を書いた「フレンチ・パラドクス」でも引用している――あのとき、非常勤警備員の組合結成の場にいた私は、ふと東京争議団が結成された当時の話を思い出していた。

  “「倒産した新宿自動車教習所の狭い畳部屋。ぼんやり光を放つ裸電球の下で、数人の労働者たちが、争議団共闘会議の結成をひっそりと宣言したのである。総評や産別組織の誰にも知られないように、密かに『非正規部隊』東京争議団は生まれた」

  悲壮な彼らの決意は見事に結実する。七〇年代に入ってからの労働運動は、いわゆる「総行動方式」をうみ出し、独占企業や官庁を社会的に包囲しながら攻略していくという、戦後の労働運動の一大画期をなす高揚期を切り開いていった。その先導部隊に何時もいたのが争議団であった。こうして争議運動は「非正規」という一部分から労働運動全体の存在となったのだ。”

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#kobayashi

 

 「総評や産別組織の誰にも知られないように」と書かれているが、それよりも「左翼政党の先党思想グループに察知されてつぶされないように」という警戒心をもって、組織化を進めたと、後年、知った。

 

社会党・新左翼グループの人たちは、「地区労」に依拠して行動をしていた。

 

 いま青年たちは、戦前以来の風習をひき継いだ「悪しき思考」を、民主主義の深化によって、変えているのだ。

  

 上記のページに書いた文章を以下に転載しておく。


 なんと私の疑問を、30年たった現在、総合サポートユニオンのエステ・ユニオン、介護・保育ユニオン、個別指導塾ユニオン、ブラックバイト・ユニオンや首都圏青年ユニオンなどの青年たちが乗りこえて、自主的に組織化をしている。

 

  「東京労働争議研究会」は、10人近い人たちが運営委員会を弁護士事務所や全造船会館などで開き、毎月に近い例会報告を組織していた。編集子はその速記録を『労働法律旬報』に掲載するため、当番みたいな編集をになわされていた。その後、K編集長のもとで引き継がれ、2002年の研究会報告は52回を重ねている(いつまで掲載されているのか未取材)。

 

 その時代、一番不思議だったのは、争議解決から労働組合組織化へ発展したのは、音楽家ユニオン、電算労、コンピュータ・ユニオンなど少数の経験(職能労働組合・ユニオン)しか生まれてこなかった(それ自体貴重な成果だと思っているが)。

  若い時代だったので、「争議を起こさせない労働者の組織化をテーマにしないのか」と大先輩の労働組合運動家に聞いて回っていたが、応えてくれたのは佐藤一晴さんの「フランス風ニュアンス」での会話だけだった。

  フランス風から日本風の実践で生かされ、21世紀を前にした1990年代の東京に生まれたのが「東京公務公共一般労働組合」だ。

  この経過は「佐藤一晴さんのホームページがオープンされています」を参照。

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-a806.html

 

 

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