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2017年9月 3日 (日)

第1回「業種別職種別ユニオン運動」研究会が開かれた

  ▽追記(2017.09.07 

 ・労働界の名物ブログ・シジフォスで紹介されています――「業種別職種別ユニオン運動」研究会は面白かった(作成日時 : 2017/09/05 06:37  

   http://53317837.at.webry.info/201709/article_3.html

 

 1回例会「業種別職種別ユニオン運動」研究会の報告者・コメンターの登壇写真・報告レジュメ・資料等を一挙にUPしました。 

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/170902dai1kaireikai.html

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「弁護士ドットコムニュース」20170911 1643分)

    https://www.bengo4.com/c_5/n_6651/

 

 

青木耕太郎さんのtwitter

   https://twitter.com/kotaro_aoki

 

 

第1回「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページにUP。

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/170902dai1kaireikai.html#tbc






  ▽ここより本文。
  第1回「業種別職種別ユニオン運動」研究会が、港区麻布台の大阪経済法科大学アジア太平洋センターで

30人が参加し、開催されました――詳細は編集中。

http://www.gyousyubetu-syokusyubetu-union.com/

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 「業種別職種別ユニオン運動」研究会代表の木下武男氏

 

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 NPO法人クリーニングカスタマーズサポート代表理事:鈴木和幸

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 指宿昭一弁護士

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 総合サポートユニオン・エステユニオンの青木耕太郎氏

 

研究会に参加している間、若い世代のエステ・ユニオンによる労働組合組織化の話を聞きながら、昔、東京労働争議研究会の事務局の一端にいて、報告をまとめる編集に参加した経験があるが、東京争議団が「秘密裡」に結成された事実を思い起こしていた。

 

 『上を向いて歩こう』(本の泉社、20087月)を書いた小林雅之さんの引用から。

『東京争議団物語』(1965年8月)で描かれた、争議団共闘会議発足の状況を書いた「フレンチ・パラドクス」でも引用している――あのとき、非常勤警備員の組合結成の場にいた私は、ふと東京争議団が結成された当時の話を思い出していた。

  “「倒産した新宿自動車教習所の狭い畳部屋。ぼんやり光を放つ裸電球の下で、数人の労働者たちが、争議団共闘会議の結成をひっそりと宣言したのである。総評や産別組織の誰にも知られないように、密かに『非正規部隊』東京争議団は生まれた」

  悲壮な彼らの決意は見事に結実する。七〇年代に入ってからの労働運動は、いわゆる「総行動方式」をうみ出し、独占企業や官庁を社会的に包囲しながら攻略していくという、戦後の労働運動の一大画期をなす高揚期を切り開いていった。その先導部隊に何時もいたのが争議団であった。こうして争議運動は「非正規」という一部分から労働運動全体の存在となったのだ。”

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-3.htm#kobayashi

 

 「総評や産別組織の誰にも知られないように」と書かれているが、それよりも「左翼政党の先党思想グループに察知されてつぶされないように」という警戒心をもって、組織化を進めたと、後年、知った。

 

社会党・新左翼グループの人たちは、「地区労」に依拠して行動をしていた。

 

 いま青年たちは、戦前以来の風習をひき継いだ「悪しき思考」を、民主主義の深化によって、変えているのだ。

  

 上記のページに書いた文章を以下に転載しておく。


 なんと私の疑問を、30年たった現在、総合サポートユニオンのエステ・ユニオン、介護・保育ユニオン、個別指導塾ユニオン、ブラックバイト・ユニオンや首都圏青年ユニオンなどの青年たちが乗りこえて、自主的に組織化をしている。

 

  「東京労働争議研究会」は、10人近い人たちが運営委員会を弁護士事務所や全造船会館などで開き、毎月に近い例会報告を組織していた。編集子はその速記録を『労働法律旬報』に掲載するため、当番みたいな編集をになわされていた。その後、K編集長のもとで引き継がれ、2002年の研究会報告は52回を重ねている(いつまで掲載されているのか未取材)。

 

 その時代、一番不思議だったのは、争議解決から労働組合組織化へ発展したのは、音楽家ユニオン、電算労、コンピュータ・ユニオンなど少数の経験(職能労働組合・ユニオン)しか生まれてこなかった(それ自体貴重な成果だと思っているが)。

  若い時代だったので、「争議を起こさせない労働者の組織化をテーマにしないのか」と大先輩の労働組合運動家に聞いて回っていたが、応えてくれたのは佐藤一晴さんの「フランス風ニュアンス」での会話だけだった。

  フランス風から日本風の実践で生かされ、21世紀を前にした1990年代の東京に生まれたのが「東京公務公共一般労働組合」だ。

  この経過は「佐藤一晴さんのホームページがオープンされています」を参照。

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-a806.html

 

 

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