本ブログで化学労働戦線における労働組合運動の歴史を「化学産業における労働組合の旗を守った人たち」(2016年2月 4日 (木))として、紹介してきた。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-834d.html
少なくない人たちが、検索等でアクセスしてきている。
検索キーワードの一つに「全昭和電工 千葉 山下俊幸」で本ブログに到達した人の「逆検索」でWEB上、登場してきたのが『旬刊社会通信』だった。
編集子には、未知の情報誌だった。
http://shakaitsuushin.cool.coocan.jp/mokuji/mokuji.html
社会主義協会(向坂派)『社会主義』と社会主義協会(太田派)『社会主義』は、出版社時代から資料交換で常に棚に入っていたので、読み続けていたが、本誌は、なかった。編集子は担当したことがなかったが、『日本労働年鑑』(大原社研、労働旬報社)には、参考資料として、(8)社会通信社『旬刊社会通信』がある。
編集・発行人の滝野忠さんが書かれた、文章があるので以下にUPしてみた。
■巻頭言■
「社会通信」の三十九年とこれから
http://shakaitsuushin.cool.coocan.jp/mokuji/1227-20161101.pdf
『社会通信』は「社会正義上許すべからざることに筆評を加えることをむねとしたい」「社会のゆくえを曲げて報じて己を利するものを嫌う」との創刊の辞で出発した。創刊は一九七七年十一月一日である。今号(二〇一六年十一月一日付)で満三十九歳通巻一二二七号となった。本誌は今号をもって「紙」誌を閉じ、インターネット時代のホームページへ移行する。「通信」の三十九年は〝サンザンクロウ〟した時代となったけれど、編集子にとっては楽しく豊かな年月であった。向坂逸郎、岩井章、灰原茂雄氏等、戦後日本の社会主義、労働運動の巨人から権勢に媚(こび)偏狭に傾く風潮への批判的精神、さらに社会的正義とは労働者階級の精神的、文化的教養を高め、労働者が自覚して次の新しい社会創造に資する活動であることを、勉強会、日々の生活と会話から学び、己の糧とできた。
私は丈夫な身体をもって生まれなかったらしい。母は「子どもの頃は本当に苦労した」とよく語っていた。その私が、編集者、物書きとして不規則、不摂生な四十年余、大きな病もなく「通信」を一つの欠号、遅れもなしに発行できたことは、なによりの喜び、誇り、自慢である。「紙」誌からホームページへの移行を伝えてから、読者からのおたよりに一部掲載したが、「ぼくは創刊以来、私は『進路』の時代からの読者、さびしいけれどホームページでさらに励まして」のおたよりを数多くちょうだいしたことも望外の喜びである。月刊誌は重く大きく深い理論や情勢をとりあつかう、「旬刊誌」は月刊誌、日刊紙との間にあって、大きな問題であれ本質を損ねず簡潔、明快、かつやさしい記述が求められる。こうした読者の要望に寄りそう執筆者、投稿者の努力が私を助けてくださった。
四十年余、全国を旅した。行ってないのは沖縄だけだ。時代は厳しく揺れ動き、己の世界観、価値観を揺さぶられることも少なくなかった。向坂、岩井、灰原氏が存命時の社会党攻撃(一九七七年~二〇〇三年)、中曽根臨調行革〈一九七九年~一九八七年)、国鉄分割民営化攻撃と国家的不当労働行為による国鉄労働者の首切りと解雇撤回闘争〈一九八三年~二〇一一年)、労働運動再編成(一九七九~一九八七年)、社会党解党と新社会党結成(一九九三年~九六年)等は、三人に指示を仰げばすんだ。困難は増した。一九九〇年を前後した社会主義諸国の崩壊、世界的な反革命の時代の到来である。一人ひとりが己の考え方、世界観を問われた。これら大きな出来事、事件、活動を取材、さらに渦中の労働組合員と目的を共通する活動をつうじ、歴史のダイナミズムを直接体験したこともそうである。これら諸体験の総合として現在の権力(安倍自民党政権)がある。歴史は、権力者はその権力を維持し、己の願望を果たすためには、何でもすることを示す。
反動政策は、生活の不安定性をいや増し、反動を正そうとする作用を国民の間にもたらさずにはいない。それは『資本論』が説くところである。この立場をさらに鮮明にし、ホームページで継続したい。当面は、『通信』の三十九年をともに考えたい。
読者諸氏の生活体験とこれからへの活動の投稿をお願いしたい。(滝野忠)
『旬刊社会通信』は、発行(1977年11月1日)以来の誌面をWEB上で読めるようになっている。すごいことだ。
すべて読むのは大変だが、最初の2年分、途中の年、最近の1年分を読んだ。
中身も、国労のたたかい、自治労の人、元全逓(いまJP労組の人)、民間企業の労働者など、全国各地からの読者通信など、インターネット上にはなかなか登場してこなかった、人々の実像がある。
特に「総評・社会党時代」を担った人たちの現在が、少しわかる。
社会党については、素人だが、1980年代のインフォーマル組織に関して編集していたとき、新潟の日本ステンレスの青年たちから、首都圏の社会党関係の争議指導部を紹介してほしい、と頼まれたことがあるが、「争議は東京地評や本社のある地区労を訪問したら」と答えたのを覚えているが、どうだったのか。
検索のきっかけだった「全昭和電工千葉工場闘争」について、まとめている山下俊幸さんの文章は、次の世代が「職場の労働運動」をつくりだすとき、参考になる経験をまとめている。
全昭和電工千葉工場闘争と今―すさまじい「合理化」攻撃の中で―
http://shakaitsuushin.cool.coocan.jp/mokuji/1217-20160601.pdf
この文章を読んだとき、「下山房雄のページ」にUPした【書評】石河康国著『労農派マルクス主義
――理論・ひと・歴史』(大原社会問題研究所雑誌) №642/2012.4)を思い出したが、少し複眼的に読まないといけないのでは、と思った。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/642/642-06.pdf
◇発行所=社会通信社発行人=滝野忠 ホームページ
http://shakaitsuushin.cool.coocan.jp/
e-mail: shakaitsuushin@nifty.com
東京都渋谷区本町6丁目28―2―904 電話・FAX(03)3299ー5367
▽(追記)編集子は日本の労働問題・労働運動史は「潮流別にある」という前提で見てはならないという立場にあるので、以下のような事実も紹介してきた。
「企業別組合は日本の『トロイの木馬』」(宮前忠夫著)をめぐって[2017年11月18日 (土)]
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-e777.html
大企業・総評型労働組合はどうなったのか[2017年8月 7日 (月) ]
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-5d5d.html
化学産業における労働組合の旗を守った人たち[2016年2月 4日 (木) ]
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-834d.html
長崎造船社研・左翼少数派労働運動の軌跡 [2015年10月 9日 (金)]
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-3925.html
大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織[2013年10月23日 (水)]
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html
どこに消えた『サスコミ』グループ――インフォーマル組織物語Ⅸ[2012年10月17日 (水)]
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-d4b4.html