映画「名寄岩 涙の敢斗賞」を観てきた――神保町シアター
子ども時代の栃錦・若乃花全盛時代に、近所の床屋の鏡に映る大相撲(逆に見えるテレビ)を見るのが楽しみだった。
「栃若」については、触れないが、その時代、大関から陥落した三根山というお相撲さんがいた。いつも「栃若」には負けていた[栃錦清隆には最後に14連敗(通算10勝19敗)、若乃花幹士には10連敗(通算11勝15敗)を喫しているなど、この2人には歯が立たなかったfrom Wikipedia - ウィキペディア]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A0%B9%E5%B1%B1%E9%9A%86%E5%8F%B8
大関から陥落しても相撲を取っていることに不思議な感じを憶えている。顔だちも何か記憶させる顔つきだった。
三根山の前に「大関陥落」後も前頭で相撲を取っている前例として「名寄岩」というお相撲さんがいたことを何かで読んで記憶していた。
その「名寄岩」というしこ名を久方ぶりに思い出させたのは、旭天鵬が「2014年9月場所7日目に更新されるまで、戦後の最高齢幕内出場記録」保持者が「名寄岩」だったことが報道されたことだった。
神保町シアターで上映されるということをtwitterで知り、子ども時代(心)の疑問を解くために今日(2015年11月09日)観てきた。
「名寄岩」は、日大板橋病院で糖尿病の治療をして40歳と6日まで相撲を取ったこと、のちに春日山親方として関取を育てたことなど初めて知った。なつかしい両国国技館や蔵前国技館の姿が見られたのもよかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AF%84%E5%B2%A9%E9%9D%99%E7%94%B7
その間一度、大関に復帰した。
昭和20年11月場所後に大関に復帰した名寄岩。「大関復帰は、明治の西ノ海、大正の千葉ヶ崎、昭和6年の能代潟につづく史上4人目」
http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/index.html
映画評は、Twitterで「神保町シアターのひとさんがリツイート」をされている方の声を拾ってみた。
https://twitter.com/jinbocho123
たかぎ @_takagi_ ·11月8日
「名寄岩 涙の敢斗賞」本人が演ずる伝記映画ってレアさ。台詞回しの危うさも愛おしいしもう理由なく名寄岩がスキになっちゃう。当時どんだけファンがいたかも映画から伝わる。菅井一郎、滝沢修、織田政雄など名優が脇を固める安心感も。名寄岩夫婦が入院する病院は建物からしてたぶん浴風会病院だね。
せんきち@senkichi2918 @senkichi2918 ·11月8日
『名寄岩 涙の敢斗賞』、あの身体でよく関脇まで番付を戻したなあと思うわ。そして敢闘賞を受賞した場所の千秋楽取組、あの組み手(上手は一枚まわし、下手は取れず)で水入りの大相撲にまで持ち込んだ、それこそが奇跡のような気がした。
おしるこ @osashimii_mm ·21時間前
「名寄岩 涙の敢闘賞」 友人たちに「弱虫」となじられた息子が川辺にたたずむ場面、門限に遅れた名寄岩が雪の中四股をふむ場面、水面に映る名寄岩と弟子…どれもすごくいい画。そして妻役の山根寿子がやたら美しい。
BIZZARKELEY @BIZZARKELEY ·8時間前
『名寄岩・涙の敢闘賞』「弦楽三重奏のための二つのレジェンド」を一部使った音楽を聴いて…大切にしたい作品の一つだったんだなと、、
せんきち@senkichi2918 @senkichi2918 ·11月8日
神保町シアターで『名寄岩 涙の敢斗賞』。懐かしい蔵前国技館の支度部屋や売店から花道に続く通路が出てきて感激(一部セットもあったようだが)。支度部屋入口で子供たちがたむろっていたが、私もあんな子供だった。昭和○十年代の話だけどね。
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