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2015年10月 9日 (金)

長崎造船社研・左翼少数派労働運動の軌跡

 以前、編集子は「左翼少数派労働運動」の歴史の一端を、サイトで紹介してきた。

 20121222日:少数派労働運動の歴史の御紹介、《下田平裕身(信州大学)「<書き散らかされたもの>が描く軌跡 : <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって」「氏原教室」あるいは「東大社研グループ」からのはぐれもの下田平裕身氏の回顧録。いろいろな意味で大変に貴重な証言である。》

  『少数派労働運動の軌跡――労働の現場に生き続ける人びと』(「少数派労働運動の軌跡」編集委員会編、金羊社、四六判、20079月、1990円)

 

それぞれの労働組合運動史・論

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/120225roudoukumiaiundousi.htm#syousuuha

 

 残念ながら労働組合運動の後退の中で、「左翼少数派労働運動」の代表的存在の一つであった、「長崎造船社研」についてキーワード検索する(Yahooで)と、三一書房から発刊された3冊の本が紹介されるだけだ。

 『新左翼労働運動10年 Ⅰ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著、三一書房、1970731日)、『新左翼労働運動10年 Ⅱ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著、三一書房、19701015日)、『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』(三菱長崎造船社研社会主義研究会著、三一書房、1973131日)

 

 検索したのは、ブログ:『名古屋発―私の日録“郷蔵21” 「長崎連帯長船労組の解散 一つの時代の終わりを実感する」[20131212 ()]』を偶然、発見したこと。

http://tomo-gongura.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-94f1.html

 

 20131212 ()

 長崎連帯長船労組の解散

 

 一つの時代の終わりを実感する

 封書が1通届いた。手にしてみれば1枚の文書とわかる軽さ、そして差出名を見て胸騒ぎがした。“大先輩で師と仰いできたNさんにもしや・・・

 幸いそれは外れたが、趣旨は「全国一般長崎連帯支部三菱長船労組」の「組合解散の挨拶」文だった。

 それによれば、三菱重工長崎造船所に在籍する現役組合員が皆無となったので、解散を決議したとあった。たとえ少数組合であっても、在籍する組合員がいれば、団体交渉はもちろん、会社構内での創意と工夫を凝らした組合活動が展開できる。そしてそれがまた長船労組の持ち味だった。

 長船労組は、19709月に第1組合(全造船)と決別して、「第3組合」を結成し、「本工・下請け労働者との連帯」更に「市民運動との連携」を求めて、企業の壁を超えた地域労働運動、さらに全国の自立少数派組合、組織内活動家を鼓舞して、闘う労働組合、体制と向き合う労働運動をけん引した。

 1986年には、自主・自立の組合から「全国一般長崎連帯支部」に加入して、闘いの領域を広げていった。定年を迎えた組合員は、地域で一労働者、一市民として闘いの伝統を継承していると聞く。長船労組は解散しても、「長崎連帯支部」の一員として活動を続けていくことだろう。

 1970年代の「少数派労働運動」と「その後」を語るのは容易ではないが、その流れの中にあったと自覚する私は、この地域にあって1980年代~1990年代半ばにかけて「名古屋労組連」運動として体現した。そして2006年の「全トヨタ労働組合(ATU)」の結成をみて、そこに連綿と続く「少数派労働運動」の系譜を感じ、ATUのサポートに踏み切ったのだった。

 昨今の、規制緩和の名のもとで進められる労働法制の改悪は、連合も全労連も全労協も「ゼネスト」をもって対抗するに値する労働者、労働組合の危機的状況ではないかと思うのだが、現実は、グローバルな市場原理に支配され、労働諸条件は、団体交渉、争議(ストライキ)をもって勝ち取るものではなくなってしまっている。企業間、国際間の競争に勝ち抜くことが至上命題になって、労働者の権利、くらし、健康までもが“二次的”に扱われるようになったと言えないか。

 それを思うとき、少数派労働運動が跋扈した1970年代の潮流が、あたかも暗渠に消えていくがごとくである。まだまだ私の知らざる戦闘的少数組合が、どこかで奮闘しているのであろうけれども、私の中では「長崎連帯長船労組の解散」は、一つの時代の終わりを実感させるのである。 

 

また『労働組合で社会を変える』(石川源嗣著、世界書院、201410月)を読んだからだ。

 石川さんの本の「はじめに」では、この解散をめぐって以下のような発信をしている。

 

1 「戦闘的労働組合」のゆくえ

 2013年の暮れに全国一般長崎連帯支部と同長船労組の連名で、「組合解散のご挨拶」との文書が送られてきた。

 その内容は概略次の通りであった。

 「当組合は去る124日、臨時大会にて組合解散の決議を行いました。連帯支部は1986620日の組合結成以来27年、長船労組は1970913日の組合結成以来43年に渡って、少数派組合の活動を続け、本工・下請労働者の連帯、市民運動との連携を求めて戦い続けてきましたが、今般、在籍の現役組合貞が皆無となった為、解散を決議いたしました。」

 「労働者・市民を取り巻く環境が厳しさを増している状況下で、このような結論を出さざるを得なくなった事を心苦しく思いますが、今後は組合員一人一人が一労働者一市民としての戦いを続けて参りますので、引き続きご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。

 三菱長崎造船労働組合といえば、1977年以来の大阪集会(全国労働者討論集会)と雑誌『労働情報』発刊を牽引した労働組合の一つで、全国の闘う労働組合の輝ける星であった。

 当時、長船労組の西村卓司さんが共著者になっている『実践の手引き 労働基準法』(社会評論社19944月)から学んだことは多かった。

 また2000年に最高裁が初判断し、確定した「作業着への着替えも、労働時間」との長船労組提訴の判例は「労働者が始業時刻前及び終業時刻彼の作業服及び保護具の着脱等に要した時間が労働基準法上の労働時間に該当するとされた事例」として、いまでも実際に活用している。私たち以外でもこの判例による恩恵を受けている全国の労働者と労働組合は多いと思う。(中略)

 しかし労働組合をとりまく状況は、労働組合の形骸化・空洞化の度合いにおいて当時よりもさらにその深刻さを増している。

 労働組合の危機は構造的である。ちょっとやそっとの弥縫策(一時のがれにとりつくろって間に合わせるための方策)や改善策で再生するものではないことだけははっきりしている。

 長崎連帯支部と長船労組の解散は痛恨の極みであるが、長崎地方と三菱重工長崎造船所で働く労働者との連帯を求める長崎連帯支部と長船労組の闘いが、それを遮断しようとする資本の強固な防壁を突破できなかったことを示すものでもある。結果的には、職場の労働者に労働組合が通用しなかったということを認めざるを得ない。しかしこの現実から目をそらしてはならない。したがって、私たちの課題は、現場の労働者に通用する労働組合運動を職場にどう作っていくのか、ということになる。

 結論としては、労働組合の活路は、組織化と職場闘争の強化に求めるべきである。

 

 今は「戦闘的労働組合」と称されているが、高度成長社会のなかで。資本・企業側優位の下で、「左翼少数派」という孤高の旗を掲げて人がいた事実を少しでも伝えたく、サイトでフォローしてみた。

 

 

 それぞれの労働組合運動史・論

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/120225roudoukumiaiundousi.htm

 上記単行本の柱建てをPDFで、上記のページに見られるようにした。

 内容については、どなたか検証してほしい。

 1960年代から1980年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―3

  第1巻――「ある感傷を序にかえて」「編集にあたって」、目次、第2巻――目次、あとがき、第3巻――まえがき、目次、などをPDF版としてUP

 

 伝統の一つとして、「ブログ:シジフォス」では、その活動の歴史を以下のように残している(今はダウン中、21.09.27)。

 http://53317837.at.webry.info/201411/article_27.html

 “しかし、西村卓司さんを知らない人の方が多いかもしれない。いわゆる新左翼労働運動の世界では誰でも知っているが、個人名はメジャーではない。だが「三菱重工長崎造船所事件最高裁判決」の立役者と聞けば、業界関係者は理解できるはずだ。”(三菱長船の職場闘争があってこその「指揮命令下」判断、作成日時 : 2014/11/27 07:20

 

どなたか日本のどこかで、この戦闘的「伝統」をしょってほしい。労働組合運動の担い手は、多様な人たちの参加があってこそ、それぞれの運動が広がる。

不可能かもしれないが、思想潮流を超えて(これが基本的なスタンス)、戦闘的な、先進的な、いきいきとした労働運動のルネッサンスを次の世代が担ってほしい。

 

 ▽追記(2016.12.01

歴史の事実を残すために記しておくが、本ブログで紹介してきた故中林賢二郎他著:『ドゴール体制下の労働運動と五月ゼネスト――国家独占資本主義下の政治闘争と経済闘争、フランス総同盟、19685月ゼネストの闘争記録』(中林賢二郎・井出洋・小森良夫・坂本満枝 編訳、労働旬報社、A5判、19693月)で書かれた論文に対して、以下のように批判をしている。

 「日本の企業別組合はフランスの産別労組が勝ち取った職場内活動権より前進している」という主旨の批判(『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』、三一書房、19731月、p391~p394)が書かれている。以下にUPした。

 

 《それぞれの労働組合運動史 1のページ》

どのように判断するか、実践家の一員として、考えてほしい。

 

▽追記(2018.06.02

編集子は日本の労働問題・労働運動史は「潮流別にある」という前提で見てはならないという立場にあるので、以下のような事実も紹介してきた。


 総評・全国金属はなぜ変わっていったのか――青木慧著『ニッポン偽装労連』(1989年、青木書店)

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#180530zenkokukinzoku

 

 「企業別組合は日本の『トロイの木馬』」(宮前忠夫著)をめぐって[20171118 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-e777.html

 

 大企業・総評型労働組合はどうなったのか[20178 7 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-5d5d.html

 

 『旬刊社会通信』の存在を知ってよかった[20161216 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-cb95.html

 

 化学産業における労働組合の旗を守った人たち[20162 4 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-834d.html

 

 大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織20131023 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html

 

 どこに消えた『サスコミ』グループ――インフォーマル組織物語Ⅸ20121017 ()

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-d4b4.html

 

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