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2015年10月

2015年10月31日 (土)

『風来記 青春の巻、雄飛の巻』(上下2冊、保坂正康著)を読む

保坂正康さんの「自伝、自分史」を見つけた。

 

  上巻は、『風来記』(わが昭和史(1)、青春の巻 2013527日)。

 

BOOK紹介――昭和史研究の泰斗による回想記。幼少期のかすかな戦争体験の記憶、旧制中学の教師だった父との相克、60年安保の時代……。日本の高度成長と軌を一にした戦後史の一断面。

 

上巻は、幼少の思い出から、高校・同志社大学卒業、電通PRセンター・朝日ソノラマ・TBSブリタニカ勤務を経て文筆業で独り立ちを決意するまでの半生をつづったもの。)


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下巻は、『風来記』(わが昭和史(2) 雄飛の巻、2015821日)を読んだ。


BOOK紹介――橘孝三郎、東條英機、瀬島龍三、後藤田正晴、田中角栄、秩父宮―。ノンフィクションを書き続ける中で出会った忘れ得ぬ人たち。昭和を見つめてきた作家は、いかにして時代と格闘したか。)

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 ▽昭和史講座HPを参照。(保坂さんの仕事が見られる)

 http://www.aya.or.jp/~hosaka-m/

 

 大昔(1970年代)、『死なう団事件』(軍国主義化の狂信と弾圧、れんが書房、1972年 、のち『追いつめられた信徒』講談社文庫、原題で角川文庫、2000年)が出版されたとき、戦前の「狂気」(当事者から見たら怒る表現だろうが)を「高度成長社会」に書くジャーナリストが今の世の中にいるのにびっくりしたことを憶えている。

 

時代は「あさま山荘事件」が起こった時だと思う。

〔(1971年から1972年にかけて活動した日本のテロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成された。山岳ベース事件、あさま山荘事件などを起こした。By Wikipedia)〕


  その前に「三島由紀夫」が市ヶ谷のバルコニーで自衛隊の決起を呼び掛けた、衝撃的な行動をしたことがあった。

1970年(昭和45年)1125日に、日本の作家、三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件(たてのかいじけん)とも呼ばれるBy Wikipedia。〕

 

三島事件を契機として(著者は執筆の大きな動機としている)、権力の抑圧と「宗教者の反乱」を書いた年上のジャーナリストがいた。まだ若かった編集子にとって、「れんが書房」という出版社を知らなかったので余計にびっくりだった。この編集者はえらい人ではないかと、個人的に感慨があった。

 

その後のジャーナリストの行動は、「4000人以上の人の取材をしたという」事実と100冊以上の単行本を書いている事実には敬服する。

国会図書館の検索では、1000の原稿が浮かび上がってくる。

こちらが読んだ本はそのうちの5冊ぐらいだと思う

 

本書の中に登場してくる「編集者」の姿は、さまざまな思いを著者に語り、情報(人の情を伝え)、歴史を読み解く友人の役割を果たすことが書かれている。

編集子もそのようになりたいと、思ったが…。

 

保坂さんは、本書の中で言い回しを変えながら自らのアイデンティティとして、「私は左翼とか右翼といった政治信念で現実を見ていない。社会を昂揚しているときは冷めた目で社会の内実を見て行きたいと思っている。それが信念である」という言葉を書いている。

私の周りにはいなかった人である。

 

60年安保をブンドととしてたたかいながら、子どもの時から「父からの自立」、「母の血筋」と格闘してきたことから実現してきたのではないかと思った次第。

 

『風来記』(わが昭和史(2) 雄飛の巻)のあとがきには、「人はその人生でどれだけの人と知り合うのか」というテーマの本を書きたいといま、望んでいる、と。

「四千人から六千人ぐらいはすぐに集まってくると思う」と記す。すごい「人名事典づくり」だ。

 

15年安保〉を担う読者のためにも、つづいて「たとえば二〇一五年の今、日本社会は大きく変容している」と3か条を上げ、「〈掟なき暴論の社会〉の到来」と著者は書く。

60年安保〉の当事者に戻ったのか、この部分も読んでほしい。

2015年10月23日 (金)

映画「ベトナムの風に吹かれて」を観てきた

昨日(2015.10.22)、有楽町スバル座で、映画「ベトナムの風に吹かれて」を観てきた。





 映画紹介の一部。

 

[映画.com ニュース] 2015年10月17日 13:45

 http://eiga.com/news/20151017/8/

 

女優・松坂慶子主演の日本・ベトナム合作映画「ベトナムの風に吹かれて」が1017日、東京・有楽町スバル座で封切られた。松坂は共演の草村礼子、奥田瑛二、「NMB48」の藤江れいならとともに初日舞台挨拶を行った。

 

初回上映から立ち見も出る好スタートとなり、ベトナム・ハノイでの上映に合わせ現地入りし前日に帰国したばかりの松坂は感無量の面持ち。「今日で私たちの手から離れると思うとメランコリックな気持ちになったけれど、皆さんの温かい拍手に迎えられ気持ちがオレンジ色になりました」と満面の笑みを浮かべた。

 

主演女優の感激ぶりに、共演者も賛辞を惜しまない。認知症の母親を演じた草村は、「松坂さんの温かさとおおらかさに寄り掛かろうと決めて演じました。最後のシーンではメークまでしてもらって、本当に甘えちゃいました」と感謝。1980年の映画「五番町夕霧楼」では松坂とラブシーンを演じ、2004年の監督作「るにん」では主演に起用するなど親交の深い奥田も、「まさに映画女優そのもの。多分、今の時点では松坂さんのことは生き字引のように知っている。僕の宝物です」と称えた。

 

藤江も、「松坂さんの娘さんが私と同い年なので、お母さんのような温かい空気感でリラックスして演じられました」と笑顔。原作のエッセーを執筆した小松みゆきさんも駆け付け、「本当に光栄。私とのギャップも含め、いろいろな意味で楽しんでください」と話し、満場の笑いを誘った。

 

褒め言葉のオンパレードに、松坂は照れることしきりで「胸がいっぱいです。日本とベトナムのスタッフ、キャストが力を合わせて家族的な温かい雰囲気で撮影できました。私も20代のつもりで演じました。皆さんも若返って元気な気持ちになってくれたらうれしい」としみじみ。主題歌「たまには仲間で」も担当しており、大森監督が「主演俳優が主題歌を歌うのが日本映画の伝統。クレジットが始まっても席を立たないで、最後まで聴きほれて」とアピールしていた。

 



  観客は7割ぐらい、やっぱり女性中心だったが、映画が終わった時に、拍手が起こっていた。感動の拍手なのであろう。これには、ちょっとびっくりした。

 

青年劇場周辺のベトナム人の生き様や、二人の高齢ベトナム女優の演技なども初めて見たが、ベトナムを表現した映像は、良かった。

「守衛のおかまさん」は、演技がうまいし、息抜きとして、良く演じていた。

 

但しバイク社会の映像が、ややおとなしすぎたのではないか。

 

映画の描き方では、「白黒シーン」の3カ所が「母娘の葛藤」(のちにベトナムで暮らす)を下敷きにした本映画のテーマを表現していたのかと、感心した。

 

 おばあちゃんの「 便所、行きてえ」という介護の場面がラストに迫力を持って映像化されているが、これをどう解決したのか、不明。

 もったいない。

 

しかし、「松坂慶子」さんは、きれいすぎ。

これから日本全国でも上映されるので、地元の上映情報をつかんで、映画館へ一歩踏み出してほしい。

まあ、小松みゆきさんの在ハノイ25年間の成果とはいえ、「えらいものができた」と思った次第。

 

2015年10月21日 (水)

わらじの会第38回大バザーの写真ルポ

  

 ▽追記(2017.10.17)山下浩志さんのブログ:街の幸・人の幸みなぎる秋雨のわらじ40周年記念大バザー

 

 http://yellow-room.at.webry.info/201710/article_3.html

  

 ▽追記(17.10.01)第40回わらじ大バザーは、1015日にせんげん台第4公園にて!

 

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 ▽以下が本文
 NPO障害者の職場参加をすすめる会(越谷市)の山下浩志さんのtwitterで以下のように報じている、「わらじの会38回大バザーの写真ルポ」をUPした。


  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/shigotookoshi/151020warajinobazaar.html

 

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  山下さんのtwitter @kiiroiheyan 

 https://twitter.com/kiiroiheyan

 


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18日の第38回わらじ大バザーとその前夜の情景を、ブログにアップしました。...  

  http://fb.me/4jnGqBdmr  

 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す: 少子高齢社会をカラフルに―第38回わらじ大バザーに集った人々

 http://yellow-room.at.webry.info/201510/article_4.html

 



 今回初めての参加だったが、みんなから「かんくん」(べしみの会沢さん)といわれている青年にもらったチラシを持って、東武スカイツリー線せんげん台駅を下車して、地図の通り歩いて行った。

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 武里団地内を土地勘がないまま歩き始めて、ほとんど人が歩いていない団地内を15分ほどたっても、なかなか着かない。スーパーのカスミがあるようだが、歩いている高齢者に聞くと「わからない」といわれ、団地案内図に「中央隣接公園」という表示がない。通りがかった自転車の男性に聞くと「私も探している」とのこと。    

そこで再度、別の人聞くと「もう少し先の信号を左へ」とのこと。



 やっと着くと、びっくりしたのは「売り子の多さ」だった。後で聞くと80人以上(もっと多いらしい?)とのこと。

お客さんは2000人以上といわれている。


 「前日から泊まり込んで準備した」と山下さんのブログに書かれている。


 「共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す――少子高齢社会をカラフルに―第38回わらじ大バザーに集った人々」

 http://yellow-room.at.webry.info/201510/article_4.html

 

昔、大阪よどがわ市民生協の「テントを張った50軒近い、全国から来た生産者の産直市」の写真を撮ったが、多様な市民の人間的存在では、あの時以来の経験だ。

 

 どのように始まったかは、以下の山下さんの文からよくわかる。


超「超高齢社会」を楽しく生きよう!わらじ大バザー2015

 http://yellow-room.at.webry.info/201510/article_1.html

 来年は、これを読んだ人はぜひご参加を!

 

ホームページの別のページにリンクする方法

 201411 5 ()に「ホームページのページ内リンク付け――遅い発見」を書いた。

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-83b3.html

 

その後、ある人のHPで、TOPページから別のページの論文リストに飛んでいくように設定することが、今ごろになってできた。

 

まずTOPページの「キーワード」(例えば「復刻113」に)の設定は、「ラベルへ」で「shimoyama113」のように設定。

 他のファイルはその論文があるページサイト。

 

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/simoyama/index.html

 

 

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飛んでいくべきページのリンクは「ラベルを付ける」に「shimoyama113」と設定。

 

        http://e-kyodo.sakura.ne.jp/simoyama/121115simoyama-ronkou1.html#shimoyama113

 

 

 

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やっと数年前からの疑問が解決して、他のサイトの作業も始めた。読みやすく発見できるので、読み手には便利になったはずだ。

 

  ▽追記 以上の説明は「ホームページビルダー」のバージョン17で行った。

 

2015年10月 9日 (金)

長崎造船社研・左翼少数派労働運動の軌跡

 以前、編集子は「左翼少数派労働運動」の歴史の一端を、サイトで紹介してきた。

 

 20121222日:少数派労働運動の歴史の御紹介、《下田平裕身(信州大学)「<書き散らかされたもの>が描く軌跡 : <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって 」 「氏原教室」あるいは「東大社研グループ」からのはぐれもの下田平裕身氏の回顧録。いろいろな意味で大変に貴重な証言である。》

  『少数派労働運動の軌跡――労働の現場に生き続ける人びと』(「少数派労働運動の軌跡」編集委員会編、金羊社、四六判、20079月、1990円)

 

それぞれの労働組合運動史・論

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/120225roudoukumiaiundousi.htm#syousuuha

 

 残念ながら労働組合運動の後退の中で、「左翼少数派労働運動」の代表的存在の一つであった、「長崎造船社研」についてキーワード検索する(Yahooで)と、三一書房から発刊された3冊の本が紹介されるだけだ。

 

 『新左翼労働運動10年 Ⅰ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著、三一書房、1970731日)、『新左翼労働運動10年 Ⅱ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著、三一書房、19701015日)、『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』(三菱長崎造船社研社会主義研究会著、三一書房、1973131日)

 

 検索したのは、ブログ:『名古屋発―私の日録“郷蔵21” 「長崎連帯長船労組の解散 一つの時代の終わりを実感する」[20131212 ()]』を偶然、発見したこと。

http://tomo-gongura.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-94f1.html

20131212 ()

 

 長崎連帯長船労組の解散

 一つの時代の終わりを実感する

 

 封書が1通届いた。手にしてみれば1枚の文書とわかる軽さ、そして差出名を見て胸騒ぎがした。“大先輩で師と仰いできたNさんにもしや・・・

 

 幸いそれは外れたが、趣旨は「全国一般長崎連帯支部三菱長船労組」の「組合解散の挨拶」文だった。

 

 それによれば、三菱重工長崎造船所に在籍する現役組合員が皆無となったので、解散を決議したとあった。たとえ少数組合であっても、在籍する組合員がいれば、団体交渉はもちろん、会社構内での創意と工夫を凝らした組合活動が展開できる。そしてそれがまた長船労組の持ち味だった。

 

 長船労組は、19709月に第1組合(全造船)と決別して、「第3組合」を結成し、「本工・下請け労働者との連帯」更に「市民運動との連携」を求めて、企業の壁を超えた地域労働運動、さらに全国の自立少数派組合、組織内活動家を鼓舞して、闘う労働組合、体制と向き合う労働運動をけん引した。

 

 1986年には、自主・自立の組合から「全国一般長崎連帯支部」に加入して、闘いの領域を広げていった。定年を迎えた組合員は、地域で一労働者、一市民として闘いの伝統を継承していると聞く。長船労組は解散しても、「長崎連帯支部」の一員として活動を続けていくことだろう。

 

 1970年代の「少数派労働運動」と「その後」を語るのは容易ではないが、その流れの中にあったと自覚する私は、この地域にあって1980年代~1990年代半ばにかけて「名古屋労組連」運動として体現した。そして2006年の「全トヨタ労働組合(ATU)」の結成をみて、そこに連綿と続く「少数派労働運動」の系譜を感じ、ATUのサポートに踏み切ったのだった。

 

 昨今の、規制緩和の名のもとで進められる労働法制の改悪は、連合も全労連も全労協も「ゼネスト」をもって対抗するに値する労働者、労働組合の危機的状況ではないかと思うのだが、現実は、グローバルな市場原理に支配され、労働諸条件は、団体交渉、争議(ストライキ)をもって勝ち取るものではなくなってしまっている。企業間、国際間の競争に勝ち抜くことが至上命題になって、労働者の権利、くらし、健康までもが“二次的”に扱われるようになったと言えないか。

 

 それを思うとき、少数派労働運動が跋扈した1970年代の潮流が、あたかも暗渠に消えていくがごとくである。まだまだ私の知らざる戦闘的少数組合が、どこかで奮闘しているのであろうけれども、私の中では「長崎連帯長船労組の解散」は、一つの時代の終わりを実感させるのである。

 

 

また『労働組合で社会を変える』(石川源嗣著、世界書院、201410月)を読んだからだ。

 

 石川さんの本の「はじめに」では、この解散をめぐって以下のような発信をしている。

 

1 「戦闘的労働組合」のゆくえ

 2013年の暮れに全国一般長崎連帯支部と同長船労組の連名で、「組合解散のご挨拶」との文書が送られてきた。

 その内容は概略次の通りであった。

 「当組合は去る124日、臨時大会にて組合解散の決議を行いました。連帯支部は1986620日の組合結成以来27年、長船労組は1970913日の組合結成以来43年に渡って、少数派組合の活動を続け、本工・下請労働者の連帯、市民運動との連携を求めて戦い続けてきましたが、今般、在籍の現役組合貞が皆無となった為、解散を決議いたしました。」

 「労働者・市民を取り巻く環境が厳しさを増している状況下で、このような結論を出さざるを得なくなった事を心苦しく思いますが、今後は組合員一人一人が一労働者一市民としての戦いを続けて参りますので、引き続きご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。」

 三菱長崎造船労働組合といえば、1977年以来の大阪集会(全国労働者討論集会)と雑誌『労働情報』発刊を牽引した労働組合の一つで、全国の闘う労働組合の輝ける星であった。

 当時、長船労組の西村卓司さんが共著者になっている『実践の手引き 労働基準法』(社会評論社19944月)から学んだことは多かった。

 また2000年に最高裁が初判断し、確定した「作業着への着替えも、労働時間」との長船労組提訴の判例は「労働者が始業時刻前及び終業時刻彼の作業服及び保護具の着脱等に要した時間が労働基準法上の労働時間に該当するとされた事例」として、いまでも実際に活用している。私たち以外でもこの判例による恩恵を受けている全国の労働者と労働組合は多いと思う。(中略)

 

 しかし労働組合をとりまく状況は、労働組合の形骸化・空洞化の度合いにおいて当時よりもさらにその深刻さを増している。

 労働組合の危機は構造的である。ちょっとやそっとの弥縫策(一時のがれにとりつくろって間に合わせるための方策)や改善策で再生するものではないことだけははっきりしている。

 長崎連帯支部と長船労組の解散は痛恨の極みであるが、長崎地方と三菱重工長崎造船所で働く労働者との連帯を求める長崎連帯支部と長船労組の闘いが、それを遮断しようとする資本の強固な防壁を突破できなかったことを示すものでもある。結果的には、職場の労働者に労働組合が通用しなかったということを認めざるを得ない。しかしこの現実から目をそらしてはならない。したがって、私たちの課題は、現場の労働者に通用する労働組合運動を職場にどう作っていくのか、ということになる。

 結論としては、労働組合の活路は、組織化と職場闘争の強化に求めるべきである。

 

 

 今は「戦闘的労働組合」と称されているが、高度成長社会のなかで。資本・企業側優位の下で、「左翼少数派」という孤高の旗を掲げて人がいた事実を少しでも伝えたく、サイトでフォローしてみた。

 

 それぞれの労働組合運動史・論

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/120225roudoukumiaiundousi.htm

 

 上記単行本の柱建てをPDFで、上記のページに見られるようにした。

 内容については、どなたか検証してほしい。

 

 1960年代から1980年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―3

  第1巻――「ある感傷を序にかえて」「編集にあたって」、目次、第2巻――目次、あとがき、第3巻――まえがき、目次、などをPDF版としてUP 。

 

 

 伝統の一つとして、「ブログ:シジフォス」では、その活動の歴史を以下のように残している。

 http://53317837.at.webry.info/201411/article_27.html

 

 “しかし、西村卓司さんを知らない人の方が多いかもしれない。いわゆる新左翼労働運動の世界では誰でも知っているが、個人名はメジャーではない。だが「三菱重工長崎造船所事件最高裁判決」の立役者と聞けば、業界関係者は理解できるはずだ。”(三菱長船の職場闘争があってこその「指揮命令下」判断、 作成日時 : 2014/11/27 07:20

 

どなたか日本のどこかで、この戦闘的「伝統」をしょってほしい。労働組合運動の担い手は、多様な人たちの参加があってこそ、それぞれの運動が広がる。

不可能かもしれないが、思想潮流を超えて(これが基本的なスタンス)、戦闘的な、先進的な、いきいきとした労働運動のルネッサンスを次の世代が担ってほしい。

 

 

 

 ▽追記(2016.12.01

 

歴史の事実を残すために記しておくが、本ブログで紹介してきた故中林賢二郎他著:『ドゴール体制下の労働運動と五月ゼネスト――国家独占資本主義下の政治闘争と経済闘争、フランス総同盟、19685月ゼネストの闘争記録』(中林賢二郎・井出洋・小森良夫・坂本満枝 編訳、労働旬報社、A5判、19693月)で書かれた論文に対して、以下のように批判をしている。

 

 「日本の企業別組合はフランスの産別労組が勝ち取った職場内活動権より前進している」という主旨の批判(『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』、三一書房、19731月、p391~p394)が書かれている。以下にUPした。

 

 

 

 《それぞれの労働組合運動史 1のページ》

 

 

 

どのように判断するか、実践家の一員として、考えてほしい。

 

▽追記(2018.06.02

編集子は日本の労働問題・労働運動史は「潮流別にある」という前提で見てはならないという立場にあるので、以下のような事実も紹介してきた。

総評・全国金属はなぜ変わっていったのか――青木慧著『ニッポン偽装労連』(1989年、青木書店)

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/sorezorenoroudou-4.htm#180530zenkokukinzoku

 

 「企業別組合は日本の『トロイの木馬』」(宮前忠夫著)をめぐって[20171118 ()

 

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-e777.html

 

 大企業・総評型労働組合はどうなったのか[20178 7 ()

 

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-5d5d.html

 

 『旬刊社会通信』の存在を知ってよかった[20161216 ()

 

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-cb95.html

 

 化学産業における労働組合の旗を守った人たち[20162 4 ()

 

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-834d.html

 

 大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織20131023 ()

 

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html

 

 どこに消えた『サスコミ』グループ――インフォーマル組織物語Ⅸ20121017 ()

 

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-d4b4.html

 

 

2015年10月 2日 (金)

現代庶民の労働と生活――生きづらさ、貧困、格差の実態を浮き彫りに=神奈川最賃裁判原告陳述

下山房雄さん(九州大学名葉教授、神奈川県海老名市)が、この数年、追いかけているテーマの一つが「神奈川最賃千円以上裁判」で、その傍聴記を書き続けてきた――「新自由主義の嵐によって深まり拡がる貧困、それに対する有効な政策の一つに法定最賃の大幅引き上げがあると考え、神奈川地域最賃を1000円以上にせよとの訴訟が神奈川労連のイニシアで昨年夏に横浜地裁で起こされました。被告の国側は、労働局長の最賃金額決定は立法行為に準ずるもので、訴訟で争える行政処分ではないから門前払いにせよと裁判所に要求してきました。しかし今年〔2012年〕26日に、国側が、そういう中間判決を請求することはしない、と裁判所に通告することで、実質的な審議に入る運びになりました」と。

  途中経過だが、以下のような合本を作った。


 

「神奈川最賃裁判傍聴記 第1回~第21回」+「神奈川最賃千円以上裁判でわかったこと」 PDF合本版

 

   (201112月~・20158月、途中報告)、下山房雄・岡本一・小越洋之助・牧野富夫+「神奈川最賃千円以上裁判でわかったこと」(下山房雄、金属労働研究所『金属労働研究』124号・20138月号掲載)

原告弁護団の訴訟弁論が整理されていて大変勉強になるし、被告国側、裁判所の対応もわかる。

傍聴記の中には、藤本武先生(労働科学研究所)の著述や自らの戦後、最低賃金制確立運動にかかわってきた思いも随所にちりばめられている。

 

編集子としては、読み続けているうちに「原告の陳述」をしっかり伝えていくことが、「現代の庶民・労働者がおかれている労働と生活――生きづらさ、貧困、格差の実態を浮き彫りにしている」状況を表現していると思ったので、以下にまとめてみた。

長いが、働きながら生活保護を受けている人、子育てをするシングルマザーの叫び、男子労働者の再チャレンジできない社会、年金生活の苦しさ、法律事務所時給1100円と焼肉屋900円のダブルワークの仕事をしなければ暮らしができない女性、40歳独身男性の苦悩などなど「現代庶民列伝」が描かれている。

 

 

〔第1回―神奈川最賃千円以上!裁判傍聴記、20119 26


  まず、原告
68名から二人の切実な陳述。「女手一つで3人の子を育てる」のに収入が少なくて「悔しくて、夜中、河原で一人、大声で叫んだ」鈴木さん、今年2月の手取りが14万円を切ってしまったタクシー運転手の平野さん。

 

〔第2回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 20111128日〕

今回はまず川崎のタクシー運転手渡邉さんが原告陳述を行った。今年1月から「働きながら生活保護を受けて」いる有り様を、手取り月10万円の中で、電話は固定も携帯も解約、新聞2紙購読取りやめ、散髪は自分で切るか見習理容師に無料でやってもらうなど具体的に述べた陳述である。昨年10-12月月平均174時間勤務で時給850円であり「働いても食えないという現状に疑問を抱き」原告となり、この日の陳述を「裁判官には、この苦しい状況をどうか十分に理解いただき、最低賃金を引き上げる判決を出して欲しい」の言葉で結んだわけである。

 

〔第3回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012123日〕


  森山さんは、学童保育を二ヶ所掛け持ち(川崎:時給
860円だったのが公契約条例で893111235時間就労、横浜:時給92063時間就労)で約10万円月収の苦しい生活ぶりを、食費切り詰め、洋服費ゼロ、国民年金保険料不払い、さらには通信教育「スクーリングの日は仕事ができず、別途交通費等もかかりますから、目先の収入をとるか、教員になるという夢を実現するために、スクーリングに行くべきか」を悩むなど具体的に述べた上で、国側に「訴訟要件がどうのこうのと形式的なことばかり言うのではなく、早く実質的な中身の話しに入って下さい」、裁判所に「最低賃金を引き上げる判決を出してください」と訴えて結んだ。傍聴席から思わず遠慮がちな拍手

 

〔第4回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 201236日〕(岡本一 記)


  前田裕幸さんという、国鉄を 2年休職して 59歳で早期退職した、年金暮らしの原告が意見陳述しました。年金だけではやっていけないので職探しをしたがなかなか見つからず、やっと湯河原にある高級リゾートマンションの清掃の仕事に就いた。時給850円、月 15日勤務で月収 9万円程度。三人で交代のため、勤務日数は増やせず、天然風呂の清掃など仕事はきつく、椎間板ヘルニヤの持病を抱えながらコルセットをして仕事をしている。自分の周りにも年金だけではやっていけない多くの高齢者が、安い賃金できつい仕事をしている。せめて時給を 1000円以上にしてほしいと訴えました。

 

〔第5回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012523日〕(牧野富夫 記)


  原告伊久間昇さんの意見陳述から開始。伊久間さんは17 歳~54 歳まで内装工として勤勉に働いていたが、バブル経済崩壊後仕事の減少、3 年前仕事を失い、廃業。典型的な日本経済の被害者である。その後職探しで数十社に断れ、ようやく再就職できた警備の仕事は過重労働で倒れ、その後梱包作業のアルバイトで働いている。時給900 円、労働組合の交渉で950 円となったものの、会社の都合で10 日程度の就労。賃金は月12 万円程度とのこと。生活は大変で奥さんの障害年金が6 万円程度支給されているが、2 人の医療費、通院の交通費だけで多いときは月10 万円以上、光熱費、電話代などの公共料金の支払いで(12 万円+6 万円)程度では残りの現金は3 万円を切る。最賃を時給1000 円以上に挙げてほしい、という窮状の訴えは傍聴者にはよく響いたが、当日9 人出席した国側にはどこまで届いただろうか。

 

〔第6回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 201288日〕

10年前に離婚し、元夫からの送金はないまま、2人の子供を育て私大理工学部、専門学校にあげているシングルマザーの淡々としたしかし内容的には極めて重い陳述。時給900円での病院手伝いの月1013万円の収入で生保受給せずでは自立した家族生活は営めず、年金生活の母親のところに転げこんでの寄食生活。子どもたちは年100万、150万円の奨学金を受けているが卒業時にはそれが膨大な借金になるという不安。優しかった母親とは電気を点けた、消し忘れたで言い争いになるなどギスギスした関係。

 

〔第7回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 20121015日〕


  さて今回裁判の内容であるが、まずは恒例の原告陳述がなされた。今回陳述を行ったのは、「今年の春に高校を卒業したばかりの
18歳」との自己紹介から始めて、緊張感一杯だがきちんと話し通した青年である。小学生時の親の離婚、母子世帯での母親の必死の勤労、水道停止にも至る苦しい家計、進学断念、懸命の高卒就職活動にもかかわらず正社員不採用の連続、最賃金額でのアルバイト就労継続の不安と切々と続けて「裁判所には、どうか僕たちのような時給労働者の現状を理解していただき、最低賃金を引き上げてほしいです」と結んだ陳述であった。この陳述を、離婚率増加(結婚件数対比の離婚件数は戦後1970年までの約1割が2000年以降は4割近くとなる推移)、高卒就職難(春の就職率は9割台だが、正社員採用とみなせる前年秋時点の内定率は0709年で約5割、10-12年では約4割が近年状況)の一般情勢を念頭に置いて聴けば、この事例は特殊例ではなくて現代日本の典型例の一つなのだ。

 

〔第8回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013121日〕

まず原告林美乃里さん(25歳女性)の意見陳述。一人暮らしを法律事務所時給1100円と焼肉屋900円のダブルワークで支えている。20万円を割る月収で、家賃6万円、奨学金返済2万円の大きい支出(国民年金保険料1.5万円は支払えず)。友人結婚式などはすべて不参加、食費、衣服費ギリギリの生活を具体的に陳述、「私のような生活をしている若者は、たくさんいます。自立して人並みの健康で文化的な生活をできるように、最低賃金の引き上げを実現して、若者の賃金の底上げがされることを願っています」と結んだ。

「最低限の生活水準とは先ずは衣食住について考慮すべき」だとして、我々が五つのインチキを含むと批判する最賃生保比較技法を選択した中賃公益委員の立場からすれば「家族や友人とのつきあいにお金や時間をかけたい」と願う林さんの気持は容れられない。しかし社会の中で生きたいと表明する林陳述は「健康で文化的な最低生活ができるよう」との憲法25条リンクの文言を漸く入れた07年最賃法改正の趣旨の実現を願うものに他ならない。この陳述に傍聴席から当然熱烈拍手。佐治裁判長が例によって制止するが、声は力無かった。

 

〔第9回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013422日〕


  今回新たに10?人目の原告となった36 歳の青年Sさんが原告陳述を行った。中卒後、蕎麦や、運送ドライバーを経て、大手ファーストフード店にこの15 年働いて現在に至っている。いずれも雇用形態はアルバイト。現職は、厨房高熱労働―冷凍室寒冷労働の交替、24 時間営業への対応でハードな労働。

しかし、時給はこの7 年、860 円のまま。会社の要員・シフト管理の規制下で、週5 日× 7 時間しか働けず、月収13 14 万円しか稼得できていない(860 円と月152 時間就業で13 万円余と計算される)。

他方、支出面では三つの病気が重なって月々の医療費支払が1 万3~4千円。健保加入という非正規労働ではラッキーな条件のもとでもこの支出である。他方、通勤費支給は無く、ガソリン代・保険料で月1 万3千円は自己負担。そんな次第で「結婚したい」「実家を離れて独立したい」との願望は満たせない。陳述の最後の言葉は「裁判所にもできるだけ私たちが置かれている現実を知ってほしい、私たちの気持ちに共感してほしい」であった。

高い壇上の裁判官たちが、Sさんの発言を、被告「準備書面(6)」における月173.8 時間の計算で「格別不合理な点があったとは認められない」の叙述や、生保基準との比較技法の争いでは、生保における医療扶助や通勤費はそもそも全く捨象されていることまで想起して聴いていたかどうか。

 

〔第10回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013626日〕

恒例の原告陳述は、49歳の女性。8年前に離婚、子供二人を育てるために、最初はスナックやパブのホステスの肉体的にも精神的にも負担の重い労働に従事時給1600から2000円で月収1820万円。てんかんの持病に、水商売の飲酒による肝臓悪化で、弁当屋に転職する。時給が当初850円、4年半で漸く950円、月収1416万円。だが突然の雇い止めで、時給850円の現職=近所のコンビニに転職。健康不調で週3~4日、一日4~5時間しか就労できず、月収7~8万円。「長く働けばそれだけ作業スピードや能率が上がっていきます。それにつれて新しい業務を命じられますが、結局実質的な賃金は下げられていきます」と懸命に働いても報われない非正規労働者の生活実態、今回もその一典型が述べられた。

 

〔第11回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013918日〕


  恒例にしている「原告陳述」の今回は、予定していた人が勤務の都合でダメになり急遽ピンチヒッターに立った
33歳の女性である。「このままではママ殺されちゃうよ」との小4・長女の言で、浪費癖と家庭内暴力の夫と別離を決意、現在、離婚調停中。

「子供5人を抱え、900/×4/×5/週=18,000/週(月収約8万)の賃金収入での苦しい生活を陳述した。「自分が5人を養っていく立場になって初めて、このような低い時給、最低賃金では生活していくことができないことに気付きました。裁判所におかれましては、私たちの生活実態を見て、最低賃金を引き上げる判断をしてほしいと思います」が彼女の堂々たる陳述の結びである。

因みに、今回陳述原告の事例で社会保障給付を計算すると約10万円/月となる(児童手当6.5万円、母子手当4万円余)。賃金と併せ18万円の月収では6人家族が自立して暮らすことは到底できない。

 

〔第12回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、20131127

今回陳述の原告は前職デイサービスセンターの正社員、現職社会福祉協議会の非常勤職員(1年契約更新で7年時給970円)で、60歳の母親と二人世帯の34歳女性。仕事の苛酷さ、労働条件の低劣さが切々と述べられる。前職の場合は、正社員といいながらボーナスは無く、人手不足で8時半始業の昼間は事務スタッフとして働き、夕方から夜10時半までは介護スタッフとして、つまり二人分しかも休憩も取れない過度労働で働きながら、残業代無しで月収14万円、それが遅配欠配にもなる。この状態10ヶ月の勤務で、ストレス過多からの極度の身体不調になり、さらにその3ヶ月後に甲状腺腫瘍が発見され、ショックで徹底落ち込んで退職に追い込まれた。現職は前々職と同じ職場だが、通算7年勤務の経過で仕事は変わっているのに時給は殆ど変わらずの状態だ。手取り月収11-12万円で「生活はとてもたいへん」ということに当然なるが、日々の生活が困難であることは人生の行路で新局面への展開が不可能で停滞した生涯に追い込まれてしまうことである。陳述では、そのことが「20万円の費用が工面できないため、未だ手術の目途はたっていません」、正社員への途が開ける社会福祉主事資格を取得すべく教育を受けるにも「お金がかかります」、「お金が無いと、新しい事にチャレンジする機会すら得られなくなる」といった叙述で表現された。

 

〔第13回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014212日〕

恒例の原告冒頭陳述が行われた。44歳男性の原告はスーツとネクタイを着けた整った姿で、A4用紙3.5枚の陳述をきちんと読み上げた。その内容は毎回の原告陳述と共通で、ディーセントでない労働と生活の実態、そこで度々打撃を受け挫けながらなお立って生き抜こうとする尽力、そして裁判原告になり法廷陳述を行う積極的意志、これらを聞かされ、私の胸が詰まり、怒りがこみあげる。幾つか引用しておこう。

「困窮していたため、40度の熱を出して倒れても、アパートで一人寝ているしかできず、布団にくるまりながら、不安と孤独におしつぶされそうになった」「「今月いっぱいでもう更新しないから」と言われたのが、その月が終わる4日前でした。低賃金で働かされ、使い捨てにされる、人間扱いされていないことを肌身で感じました」「出勤途中の駅で気を失って倒れてしまいました。診断名は『うつ病』でした。・・・思い詰めてしまった私は、絶望して、アパートで大量の酒と睡眠薬を飲んで自殺を図った・・・去年S状結腸憩室炎で人口肛門になるかもしれないと医者に言われたときに心から神に祈りました。・・・昨年末にキリスト教会で洗礼を受けました。・・・今はこの信仰が私の心の支えです」

 

〔第14回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014416日〕

今回陳述の原告は、時給900円のアルバイト。電子機器基盤組立工場で働く27歳の男性。ボーナス無し、一日労働時間は、実働8時間に昼休憩1時間、3時休息時間10分を挟んで拘束9時間10分労働で、週5日勤務制。私が1979年に行った休憩時間等の調査では(労研編『勤務時間制・交代制』所収)、tea-time的な「休息時間」は、休憩時間ではなくて労働時間扱いが通例だったが、現在では有給休息時間はかじり取られて無給になっているのか。アルバイトであっても、残業もあり、土曜出勤もある。それで月々の手取りは1213万円。母親との同居生活で何とかやりくりしているが、靴下、下着の更新もままならず、

友人との付き合いもできず、興味ある講演会にも交通費を気にして行かない、ましてや結婚家族形成はとても困難と言った生活である。こうした状態はこの青年に特別なことではなく、いまや広範な社会現象だろう。最賃引き上げの社会的意義の大きい事を改めて思わせる陳述だった。

 

〔第15回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 201469日〕(牧野富夫 記)


2)原告S さんの陳述の重さ

原告S さんの陳述には、いくつもの重大問題を含んでいる。S さんは、高校を卒業後、引き続き現在の仕事に就いている。半年の「期間従業員」(非正規雇用=試用期間?)を経て「正社員」になり、現在に至る。その間、いくつか変化があった。

まず、2005 年に親企業が変わり、それまで約400 万円だった年収が一挙に約300 万円に下がった。許されない暴挙である。同時に、上司の「恣意的な評価」で賃金を決める「成果主義賃金制度」が導入され、以降、春のベースアップ期にも賃金が上がらなくなった。さらに、08 年のリーマンショック後、大幅に賃金がカットされ、爾来、手取り13 万円という「食えない賃金」をおしつけられている。「食えない賃金」は賃金とは呼べぬ。

これではとうてい生活できないので、S さんがその旨会社に訴えたところ、「本務に影響が出ない程度に自分で稼げ」といわれ、以来ずっとコンビニでアルバイトをしている。ゆえに休日なし、だ。私はこういう経営者に殺意を覚えるが、S さんは我慢強くダブルワークを続けている。アルバイトの時給は870 円(神奈川県の地域別最賃868 円プラス2 円。深夜1200 円、早朝920 円)である。健康を犠牲に平日は正社員として、週末はアルバイトで深夜も働く、という「生活」(これは人間の「生活」ではない。奴隷制の末期には奴隷にも休日があった)だ。これでもS さんは「他の原告より私は恵まれている」という。

こう陳述したS さんは、現在40 歳の独身男性である。「自分のこともどうなるかわからないのに妻や子どもを養う自信なんてありません」と心情を披瀝し、「最低賃金を引き上げて賃金の底上げをするしかないと思います」と訴えた。この訴えは、重い。怒りを禁じえない。もし私自身がS さんのような境遇におかれたら、生きてゆけるだろうか。そんな想像をめぐらせながら、S さんの誠実な陳述を聴いた。

 

〔第16回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 201484日〕

弁護団の「更新弁論」が行われたため、原告の陳述はなし。

 

〔第17回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 20141022日〕


  38
歳男性現職タクシー運転手の以下概要の原告陳述があった。<パソコン関連会社正社員、商業派遣社員、発電機コンプレッサーのリース会社正社員、いずれも苦境に追い込まれてそこから転職、2007年に現職に就く。08年リーマンショック、11年東日本大震災の影響下、売上不振が著しく、売上30万未満で歩合45%がつかず基本給12.6万円のみ、夏冬のボーナスも無しの現状。最賃を割っているタクシー業界のこの状態に憤って、訴訟に参加。労働者が置かれている苦しい現実に目を背けずに、最低賃金を1000円以上とする判決を>

 

〔第18回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、20141215日〕


  恒例の原告陳述が10分余り、裁判官と両側弁護士―三者の多少のやりとりのパターン。陳述した原告は、老人ホームの調理補助パートとして時給950(手取り月賃金約13万円)で働く26歳女性で、4人体制で朝・昼・間・夕食110225食分を作る過酷な労働や同居の親がかりの非自立の生活、友人との交際場面での窮屈な有様などが、切々と述べられた。

 

〔第19回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2015422日〕

【原告陳述はなし】

9:3010:00の裁判所前の宣伝行動で、私は女性の結集に改めて注目した。集まった約50人の大部分が女性であり、原告アピールでマイクを持つのも女性が多数派だ(原告134名中の女性の数も70名で多数派)。現代日本の最賃制の在り方を批判する運動を支えているのが女性だと認識した次第。私は畏友伊藤セツさんの千頁余の大著『クラーラ・ツェトキーン』(御茶の水書房2013年刊)を読了したところなのだが、クラーラの没年1933年までの国際女性労働運動では「同一労働同一賃金」が課題として登場しているが、最賃制は現れていない。戦後60年代に私が藤本武先生(大著『最低賃金制度の研究』日本評論新社1962年刊 新書『最低賃金制』岩波書店67年刊の著者)の「代参」として、神奈川一般労組などで総評の法定一律最賃八千円要求の宣伝的解説を行っていたころ、藤本さんは女権拡大の労働運動の要は賃金闘争、とりわけ本格的な最賃闘争、なのに現実に女性労働運動ではお茶くみ反対などに終始し、女性団体も最賃制闘争に立ちあがることが無いとこぼされていた。しかし、いまの神奈川最賃裁判闘争では、その時代とはかなり違う状況になっているように思う。この風景が全国に広がることを改めて期待する。(422日)

 

〔第20回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、201568日〕

【原告陳述はなし】

 

〔第20回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2015820日〕

  今回証人原告の4人はいずれも30歳台で、内2人は親の援助で、あと2人は生活保護の補足で、低賃金下の窮乏生活を送っている。かつては親を扶養援助した中年世代がいまや親になお扶養される時代になったとの感想が報告集会で述べられもした所以である。また生保で低賃金を補充している二人は、いずれも原告自身が冒頭陳述を行ったかつての裁判期日以降に生保支給を受けるようになったのであるが、「やっと最低限の生活ができるようになった。以前に比べるとだいぶ精神的に余裕が持てるようになりました」「(住宅扶助や医療扶助もあり)日常の生活をおくることに関しては、ひとまず問題はありません」と述べている。

このようにひとまずは最低の生活を保障している生保基準であるが、これには問題が二つあると考えた。一つは、低賃金を生保で補充する行政実務は、厚労省が昨年の地域最賃改訂で「乖離は全国で解消した」としている「まやかしの計算式」ではなくて、神奈川労連が裁判で主張してきた公正な方式での生保基準からの賃金不足分の計算に拠っているということ。もう一つは、この傍聴記でも何度か問題にしてきた単身者モデルの限界だ。今回の4人のうち一人は世帯を形成できず、単身ではあるが親のもとで生活しているのだが、他の3人はいずれも家族を形成しており(夫婦+子二人が二組、それと子5人のシングルマザー)単身者賃金前提の最賃ではそもそも最低生活は維持できない。少なくとも単身者モデルと合わせて、子育てを考慮したモデル(例えば夫婦共働きで子供二人の生活費の半分=単身+子一人のモデル)に拠る政策論も必要ではないかと改めて考えた。因みに813日付の横浜弁護士会会長声明「最低賃金の大幅な引き上げを求める」では、厚労省の単身者前提での乖離解消議論を、中学生2人を養育している40歳女性のモデルの実例を挙げて「子どもの養育を行っている世帯との関係では、生活保護がきわめて低く算定されている」と批判している。



  151007saitinsaiban

 

http://www.kanagawa-rouren.jp/ebook/saichinsaiban_susume/index.html#target/page_no=1

 

 

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