下山房雄さん(九州大学名葉教授、神奈川県海老名市)が、この数年、追いかけているテーマの一つが「神奈川最賃千円以上裁判」で、その傍聴記を書き続けてきた――「新自由主義の嵐によって深まり拡がる貧困、それに対する有効な政策の一つに法定最賃の大幅引き上げがあると考え、神奈川地域最賃を1000円以上にせよとの訴訟が神奈川労連のイニシアで昨年夏に横浜地裁で起こされました。被告の国側は、労働局長の最賃金額決定は立法行為に準ずるもので、訴訟で争える行政処分ではないから門前払いにせよと裁判所に要求してきました。しかし今年〔2012年〕2月6日に、国側が、そういう中間判決を請求することはしない、と裁判所に通告することで、実質的な審議に入る運びになりました」と。
途中経過だが、以下のような合本を作った。
「神奈川最賃裁判傍聴記 第1回~第21回」+「神奈川最賃千円以上裁判でわかったこと」 PDF合本版
(2011年12月~・2015年8月、途中報告)、下山房雄・岡本一・小越洋之助・牧野富夫+「神奈川最賃千円以上裁判でわかったこと」(下山房雄、金属労働研究所『金属労働研究』124号・2013年8月号掲載)
原告弁護団の訴訟弁論が整理されていて大変勉強になるし、被告国側、裁判所の対応もわかる。
傍聴記の中には、藤本武先生(労働科学研究所)の著述や自らの戦後、最低賃金制確立運動にかかわってきた思いも随所にちりばめられている。
編集子としては、読み続けているうちに「原告の陳述」をしっかり伝えていくことが、「現代の庶民・労働者がおかれている労働と生活――生きづらさ、貧困、格差の実態を浮き彫りにしている」状況を表現していると思ったので、以下にまとめてみた。
長いが、働きながら生活保護を受けている人、子育てをするシングルマザーの叫び、男子労働者の再チャレンジできない社会、年金生活の苦しさ、法律事務所時給1100円と焼肉屋900円のダブルワークの仕事をしなければ暮らしができない女性、40歳独身男性の苦悩などなど「現代庶民列伝」が描かれている。
〔第1回―神奈川最賃千円以上!裁判傍聴記、2011年9 月26 日〕
まず、原告68名から二人の切実な陳述。「女手一つで3人の子を育てる」のに収入が少なくて「悔しくて、夜中、河原で一人、大声で叫んだ」鈴木さん、今年2月の手取りが14万円を切ってしまったタクシー運転手の平野さん。
〔第2回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2011年11月28日〕
今回はまず川崎のタクシー運転手渡邉さんが原告陳述を行った。今年1月から「働きながら生活保護を受けて」いる有り様を、手取り月10万円の中で、電話は固定も携帯も解約、新聞2紙購読取りやめ、散髪は自分で切るか見習理容師に無料でやってもらうなど具体的に述べた陳述である。昨年10-12月月平均174時間勤務で時給850円であり「働いても食えないという現状に疑問を抱き」原告となり、この日の陳述を「裁判官には、この苦しい状況をどうか十分に理解いただき、最低賃金を引き上げる判決を出して欲しい」の言葉で結んだわけである。
〔第3回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012年1月23日〕
森山さんは、学童保育を二ヶ所掛け持ち(川崎:時給860円だったのが公契約条例で893円11年12月35時間就労、横浜:時給920円63時間就労)で約10万円月収の苦しい生活ぶりを、食費切り詰め、洋服費ゼロ、国民年金保険料不払い、さらには通信教育「スクーリングの日は仕事ができず、別途交通費等もかかりますから、目先の収入をとるか、教員になるという夢を実現するために、スクーリングに行くべきか」を悩むなど具体的に述べた上で、国側に「訴訟要件がどうのこうのと形式的なことばかり言うのではなく、早く実質的な中身の話しに入って下さい」、裁判所に「最低賃金を引き上げる判決を出してください」と訴えて結んだ。傍聴席から思わず遠慮がちな拍手
〔第4回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012年3月6日〕(岡本一 記)
前田裕幸さんという、国鉄を 2年休職して 59歳で早期退職した、年金暮らしの原告が意見陳述しました。年金だけではやっていけないので職探しをしたがなかなか見つからず、やっと湯河原にある高級リゾートマンションの清掃の仕事に就いた。時給850円、月 15日勤務で月収 9万円程度。三人で交代のため、勤務日数は増やせず、天然風呂の清掃など仕事はきつく、椎間板ヘルニヤの持病を抱えながらコルセットをして仕事をしている。自分の周りにも年金だけではやっていけない多くの高齢者が、安い賃金できつい仕事をしている。せめて時給を 1000円以上にしてほしいと訴えました。
〔第5回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012年5月23日〕(牧野富夫 記)
原告伊久間昇さんの意見陳述から開始。伊久間さんは17 歳~54 歳まで内装工として勤勉に働いていたが、バブル経済崩壊後仕事の減少、3 年前仕事を失い、廃業。典型的な日本経済の被害者である。その後職探しで数十社に断れ、ようやく再就職できた警備の仕事は過重労働で倒れ、その後梱包作業のアルバイトで働いている。時給900 円、労働組合の交渉で950 円となったものの、会社の都合で10 日程度の就労。賃金は月12 万円程度とのこと。生活は大変で奥さんの障害年金が6 万円程度支給されているが、2 人の医療費、通院の交通費だけで多いときは月10 万円以上、光熱費、電話代などの公共料金の支払いで(12 万円+6 万円)程度では残りの現金は3 万円を切る。最賃を時給1000 円以上に挙げてほしい、という窮状の訴えは傍聴者にはよく響いたが、当日9 人出席した国側にはどこまで届いただろうか。
〔第6回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012年8月8日〕
10年前に離婚し、元夫からの送金はないまま、2人の子供を育て私大理工学部、専門学校にあげているシングルマザーの淡々としたしかし内容的には極めて重い陳述。時給900円での病院手伝いの月10―13万円の収入で生保受給せずでは自立した家族生活は営めず、年金生活の母親のところに転げこんでの寄食生活。子どもたちは年100万、150万円の奨学金を受けているが卒業時にはそれが膨大な借金になるという不安。優しかった母親とは電気を点けた、消し忘れたで言い争いになるなどギスギスした関係。
〔第7回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2012年10月15日〕
さて今回裁判の内容であるが、まずは恒例の原告陳述がなされた。今回陳述を行ったのは、「今年の春に高校を卒業したばかりの18歳」との自己紹介から始めて、緊張感一杯だがきちんと話し通した青年である。小学生時の親の離婚、母子世帯での母親の必死の勤労、水道停止にも至る苦しい家計、進学断念、懸命の高卒就職活動にもかかわらず正社員不採用の連続、最賃金額でのアルバイト就労継続の不安―と切々と続けて「裁判所には、どうか僕たちのような時給労働者の現状を理解していただき、最低賃金を引き上げてほしいです」と結んだ陳述であった。この陳述を、離婚率増加(結婚件数対比の離婚件数は戦後1970年までの約1割が2000年以降は4割近くとなる推移)、高卒就職難(春の就職率は9割台だが、正社員採用とみなせる前年秋時点の内定率は07‐09年で約5割、10-12年では約4割が近年状況)の一般情勢を念頭に置いて聴けば、この事例は特殊例ではなくて現代日本の典型例の一つなのだ。
〔第8回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013年1月21日〕
まず原告林美乃里さん(25歳女性)の意見陳述。一人暮らしを法律事務所時給1100円と焼肉屋900円のダブルワークで支えている。20万円を割る月収で、家賃6万円、奨学金返済2万円の大きい支出(国民年金保険料1.5万円は支払えず)。友人結婚式などはすべて不参加、食費、衣服費ギリギリの生活を具体的に陳述、「私のような生活をしている若者は、たくさんいます。自立して人並みの健康で文化的な生活をできるように、最低賃金の引き上げを実現して、若者の賃金の底上げがされることを願っています」と結んだ。
「最低限の生活水準とは先ずは衣食住について考慮すべき」だとして、我々が五つのインチキを含むと批判する最賃生保比較技法を選択した中賃公益委員の立場からすれば「家族や友人とのつきあいにお金や時間をかけたい」と願う林さんの気持は容れられない。しかし社会の中で生きたいと表明する林陳述は「健康で文化的な最低生活ができるよう」との憲法25条リンクの文言を漸く入れた07年最賃法改正の趣旨の実現を願うものに他ならない。この陳述に傍聴席から当然熱烈拍手。佐治裁判長が例によって制止するが、声は力無かった。
〔第9回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013年4月22日〕
今回新たに10?人目の原告となった36 歳の青年Sさんが原告陳述を行った。中卒後、蕎麦や、運送ドライバーを経て、大手ファーストフード店にこの15 年働いて現在に至っている。いずれも雇用形態はアルバイト。現職は、厨房高熱労働―冷凍室寒冷労働の交替、24 時間営業への対応でハードな労働。
しかし、時給はこの7 年、860 円のまま。会社の要員・シフト管理の規制下で、週5 日× 7 時間しか働けず、月収13 ~ 14 万円しか稼得できていない(860 円と月152 時間就業で13 万円余と計算される)。
他方、支出面では三つの病気が重なって月々の医療費支払が1 万3~4千円。健保加入という非正規労働ではラッキーな条件のもとでもこの支出である。他方、通勤費支給は無く、ガソリン代・保険料で月1 万3千円は自己負担。そんな次第で「結婚したい」「実家を離れて独立したい」との願望は満たせない。陳述の最後の言葉は「裁判所にもできるだけ私たちが置かれている現実を知ってほしい、私たちの気持ちに共感してほしい」であった。
高い壇上の裁判官たちが、Sさんの発言を、被告「準備書面(6)」における月173.8 時間の計算で「格別不合理な点があったとは認められない」の叙述や、生保基準との比較技法の争いでは、生保における医療扶助や通勤費はそもそも全く捨象されていることまで想起して聴いていたかどうか。
〔第10回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013年6月26日〕
恒例の原告陳述は、49歳の女性。8年前に離婚、子供二人を育てるために、最初はスナックやパブのホステスの肉体的にも精神的にも負担の重い労働に従事―時給1600から2000円で月収18~20万円。てんかんの持病に、水商売の飲酒による肝臓悪化で、弁当屋に転職する。時給が当初850円、4年半で漸く950円、月収14~16万円。だが突然の雇い止めで、時給850円の現職=近所のコンビニに転職。健康不調で週3~4日、一日4~5時間しか就労できず、月収7~8万円。「長く働けばそれだけ作業スピードや能率が上がっていきます。それにつれて新しい業務を命じられますが、結局実質的な賃金は下げられていきます」と懸命に働いても報われない非正規労働者の生活実態、今回もその一典型が述べられた。
〔第11回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2013年9月18日〕
恒例にしている「原告陳述」の今回は、予定していた人が勤務の都合でダメになり急遽ピンチヒッターに立った33歳の女性である。「このままではママ殺されちゃうよ」との小4・長女の言で、浪費癖と家庭内暴力の夫と別離を決意、現在、離婚調停中。
「子供5人を抱え、900円/時×4時/日×5日/週=18,000円/週(月収約8万)の賃金収入での苦しい生活を陳述した。「自分が5人を養っていく立場になって初めて、このような低い時給、最低賃金では生活していくことができないことに気付きました。裁判所におかれましては、私たちの生活実態を見て、最低賃金を引き上げる判断をしてほしいと思います」が彼女の堂々たる陳述の結びである。
因みに、今回陳述原告の事例で社会保障給付を計算すると約10万円/月となる(児童手当6.5万円、母子手当4万円余)。賃金と併せ18万円の月収では6人家族が自立して暮らすことは到底できない。
〔第12回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2013年11月27日〕
今回陳述の原告は前職―デイサービスセンターの正社員、現職―社会福祉協議会の非常勤職員(1年契約更新で7年時給970円)で、60歳の母親と二人世帯の34歳女性。仕事の苛酷さ、労働条件の低劣さが切々と述べられる。前職の場合は、正社員といいながらボーナスは無く、人手不足で8時半始業の昼間は事務スタッフとして働き、夕方から夜10時半までは介護スタッフとして、つまり二人分しかも休憩も取れない過度労働で働きながら、残業代無しで月収14万円、それが遅配欠配にもなる。この状態10ヶ月の勤務で、ストレス過多からの極度の身体不調になり、さらにその3ヶ月後に甲状腺腫瘍が発見され、ショックで徹底落ち込んで退職に追い込まれた。現職は前々職と同じ職場だが、通算7年勤務の経過で仕事は変わっているのに時給は殆ど変わらずの状態だ。手取り月収11-12万円で「生活はとてもたいへん」ということに当然なるが、日々の生活が困難であることは人生の行路で新局面への展開が不可能で停滞した生涯に追い込まれてしまうことである。陳述では、そのことが「20万円の費用が工面できないため、未だ手術の目途はたっていません」、正社員への途が開ける社会福祉主事資格を取得すべく教育を受けるにも「お金がかかります」、「お金が無いと、新しい事にチャレンジする機会すら得られなくなる」といった叙述で表現された。
〔第13回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014年2月12日〕
恒例の原告冒頭陳述が行われた。44歳男性の原告はスーツとネクタイを着けた整った姿で、A4用紙3.5枚の陳述をきちんと読み上げた。その内容は毎回の原告陳述と共通で、ディーセントでない労働と生活の実態、そこで度々打撃を受け挫けながらなお立って生き抜こうとする尽力、そして裁判原告になり法廷陳述を行う積極的意志、これらを聞かされ、私の胸が詰まり、怒りがこみあげる。幾つか引用しておこう。
「困窮していたため、40度の熱を出して倒れても、アパートで一人寝ているしかできず、布団にくるまりながら、不安と孤独におしつぶされそうになった」「「今月いっぱいでもう更新しないから」と言われたのが、その月が終わる4日前でした。低賃金で働かされ、使い捨てにされる、人間扱いされていないことを肌身で感じました」「出勤途中の駅で気を失って倒れてしまいました。診断名は『うつ病』でした。・・・思い詰めてしまった私は、絶望して、アパートで大量の酒と睡眠薬を飲んで自殺を図った・・・去年S状結腸憩室炎で人口肛門になるかもしれないと医者に言われたときに心から神に祈りました。・・・昨年末にキリスト教会で洗礼を受けました。・・・今はこの信仰が私の心の支えです」
〔第14回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014年4月16日〕
今回陳述の原告は、時給900円のアルバイト。電子機器基盤組立工場で働く27歳の男性。ボーナス無し、一日労働時間は、実働8時間に昼休憩1時間、3時休息時間10分を挟んで拘束9時間10分労働で、週5日勤務制。私が1979年に行った休憩時間等の調査では(労研編『勤務時間制・交代制』所収)、tea-time的な「休息時間」は、休憩時間ではなくて労働時間扱いが通例だったが、現在では有給休息時間はかじり取られて無給になっているのか。アルバイトであっても、残業もあり、土曜出勤もある。それで月々の手取りは12~13万円。母親との同居生活で何とかやりくりしているが、靴下、下着の更新もままならず、
友人との付き合いもできず、興味ある講演会にも交通費を気にして行かない、ましてや結婚―家族形成はとても困難と言った生活である。こうした状態はこの青年に特別なことではなく、いまや広範な社会現象だろう。最賃引き上げの社会的意義の大きい事を改めて思わせる陳述だった。
〔第15回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014年6月9日〕(牧野富夫 記)
(2)原告S さんの陳述の重さ
原告S さんの陳述には、いくつもの重大問題を含んでいる。S さんは、高校を卒業後、引き続き現在の仕事に就いている。半年の「期間従業員」(非正規雇用=試用期間?)を経て「正社員」になり、現在に至る。その間、いくつか変化があった。
まず、2005 年に親企業が変わり、それまで約400 万円だった年収が一挙に約300 万円に下がった。許されない暴挙である。同時に、上司の「恣意的な評価」で賃金を決める「成果主義賃金制度」が導入され、以降、春のベースアップ期にも賃金が上がらなくなった。さらに、08 年のリーマンショック後、大幅に賃金がカットされ、爾来、手取り13 万円という「食えない賃金」をおしつけられている。「食えない賃金」は賃金とは呼べぬ。
これではとうてい生活できないので、S さんがその旨会社に訴えたところ、「本務に影響が出ない程度に自分で稼げ」といわれ、以来ずっとコンビニでアルバイトをしている。ゆえに休日なし、だ。私はこういう経営者に殺意を覚えるが、S さんは我慢強くダブルワークを続けている。アルバイトの時給は870 円(神奈川県の地域別最賃868 円プラス2 円。深夜1200 円、早朝920 円)である。健康を犠牲に平日は正社員として、週末はアルバイトで深夜も働く、という「生活」(これは人間の「生活」ではない。奴隷制の末期には奴隷にも休日があった)だ。これでもS さんは「他の原告より私は恵まれている」という。
こう陳述したS さんは、現在40 歳の独身男性である。「自分のこともどうなるかわからないのに妻や子どもを養う自信なんてありません」と心情を披瀝し、「最低賃金を引き上げて賃金の底上げをするしかないと思います」と訴えた。この訴えは、重い。怒りを禁じえない。もし私自身がS さんのような境遇におかれたら、生きてゆけるだろうか。そんな想像をめぐらせながら、S さんの誠実な陳述を聴いた。
〔第16回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014年8月4日〕
弁護団の「更新弁論」が行われたため、原告の陳述はなし。
〔第17回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、 2014年10月22日〕
38歳男性現職タクシー運転手の以下概要の原告陳述があった。<パソコン関連会社正社員、商業派遣社員、発電機コンプレッサーのリース会社正社員、いずれも苦境に追い込まれてそこから転職、2007年に現職に就く。08年リーマンショック、11年東日本大震災の影響下、売上不振が著しく、売上30万未満で歩合45%がつかず基本給12.6万円のみ、夏冬のボーナスも無しの現状。最賃を割っているタクシー業界のこの状態に憤って、訴訟に参加。労働者が置かれている苦しい現実に目を背けずに、最低賃金を1000円以上とする判決を>
〔第18回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2014年12月15日〕
恒例の原告陳述が10分余り、裁判官と両側弁護士―三者の多少のやりとりのパターン。陳述した原告は、老人ホームの調理補助パートとして時給950円(手取り月賃金約13万円)で働く26歳女性で、4人体制で朝・昼・間・夕食110~225食分を作る過酷な労働や同居の親がかりの非自立の生活、友人との交際場面での窮屈な有様などが、切々と述べられた。
〔第19回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2015年4月22日〕
【原告陳述はなし】
9:30~10:00の裁判所前の宣伝行動で、私は女性の結集に改めて注目した。集まった約50人の大部分が女性であり、原告アピールでマイクを持つのも女性が多数派だ(原告134名中の女性の数も70名で多数派)。現代日本の最賃制の在り方を批判する運動を支えているのが女性だと認識した次第。私は畏友伊藤セツさんの千頁余の大著『クラーラ・ツェトキーン』(御茶の水書房2013年刊)を読了したところなのだが、クラーラの没年1933年までの国際女性労働運動では「同一労働同一賃金」が課題として登場しているが、最賃制は現れていない。戦後60年代に私が藤本武先生(大著『最低賃金制度の研究』日本評論新社1962年刊 新書『最低賃金制』岩波書店67年刊の著者)の「代参」として、神奈川一般労組などで総評の法定一律最賃八千円要求の宣伝的解説を行っていたころ、藤本さんは女権拡大の労働運動の要は賃金闘争、とりわけ本格的な最賃闘争、なのに現実に女性労働運動ではお茶くみ反対などに終始し、女性団体も最賃制闘争に立ちあがることが無いとこぼされていた。しかし、いまの神奈川最賃裁判闘争では、その時代とはかなり違う状況になっているように思う。この風景が全国に広がることを改めて期待する。(4月22日)
〔第20回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2015年6月8日〕
【原告陳述はなし】
〔第20回―神奈川最賃千円以上! 裁判傍聴記、2015年8月20日〕
今回証人原告の4人はいずれも30歳台で、内2人は親の援助で、あと2人は生活保護の補足で、低賃金下の窮乏生活を送っている。かつては親を扶養援助した中年世代がいまや親になお扶養される時代になったとの感想が報告集会で述べられもした所以である。また生保で低賃金を補充している二人は、いずれも原告自身が冒頭陳述を行ったかつての裁判期日以降に生保支給を受けるようになったのであるが、「やっと最低限の生活ができるようになった。以前に比べるとだいぶ精神的に余裕が持てるようになりました」「(住宅扶助や医療扶助もあり)日常の生活をおくることに関しては、ひとまず問題はありません」と述べている。
このようにひとまずは最低の生活を保障している生保基準であるが、これには問題が二つあると考えた。一つは、低賃金を生保で補充する行政実務は、厚労省が昨年の地域最賃改訂で「乖離は全国で解消した」としている「まやかしの計算式」ではなくて、神奈川労連が裁判で主張してきた公正な方式での生保基準からの賃金不足分の計算に拠っているということ。もう一つは、この傍聴記でも何度か問題にしてきた単身者モデルの限界だ。今回の4人のうち一人は世帯を形成できず、単身ではあるが親のもとで生活しているのだが、他の3人はいずれも家族を形成しており(夫婦+子二人が二組、それと子5人のシングルマザー)単身者賃金前提の最賃ではそもそも最低生活は維持できない。少なくとも単身者モデルと合わせて、子育てを考慮したモデル(例えば夫婦共働きで子供二人の生活費の半分=単身+子一人のモデル)に拠る政策論も必要ではないかと改めて考えた。因みに8月13日付の横浜弁護士会会長声明「最低賃金の大幅な引き上げを求める」では、厚労省の単身者前提での乖離解消議論を、中学生2人を養育している40歳女性のモデルの実例を挙げて「子どもの養育を行っている世帯との関係では、生活保護がきわめて低く算定されている」と批判している。
http://www.kanagawa-rouren.jp/ebook/saichinsaiban_susume/index.html#target/page_no=1