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2014年10月20日 (月)

「ベトナム反戦のページ」をオープン

 明日(20141021日)は、1966年に総評(労働組合のナショナルセンター・当時)が提唱した「1021国際反戦デー」だ。

 

 インターネット上のウィキペディアでは、以下のように書いてある。

 「19661021日 ―総評が秋期闘争の第3次統一行動として、ベトナム反戦を中心とするストライキを実施。48単産(産業別単一労働組合)約211万人がスト参加。91単産308万人が職場大会に参加。総評の内外への呼びかけに国内から350人近い各界知識人の支持声明が発表され、世界労働組合連盟をはじめ世界各国の労働組合からも連帯のメッセージがよせられ、以後この日は1021国際反戦デーとなった。」

 


 年表では、1960年代後半の反戦意識の高揚が見てとることができる。

 


 この事実を伝えるために「1960年代後半、世界を席巻した“ベトナム反戦”を知っていますか? “ベトコン”は? 南ベトナム解放民族戦線は? ホー・チ・ミンは? 歴史上、世界の盟主・アメリカを唯一敗北させたベトナム人民。日本でも多くの青年・女性たちは、ベトナム人民をさまざまな形で支援した。その原点・事実を描いた3点の写真集・本をUPした。(編集子)」として、ページを制作した。


 

  

  
ベトナム反戦のページ

 



 1960年代の後半に出版された『ベトナム黒書』はベトナム反戦を呼び起こした1冊だ。当時、数万部売れたといわれ、それにつづく『歴史の告発書』でのホー・チ・ミンの言葉、同書に寄せた沼田稲次郎さん(後に都立大学総長)の文章も含め、ベトナムからヨーロッパ(パートランド・ラッセル)、日本と連綿とつながる反戦の息吹きが伝わってくる。

「ベトナムに平和を」という人間的連帯の動きが、世界中に響き渡っていたことが今でも実感できる。

 『CUCHI』は、1997年に縁があって、旧サイゴン(ホーチミン市)を訪問したときに、現地CUCHI(ホーチミン市から西北70kmへで購入した。サイゴンから車で2時間ほどの近距離に“ベトコン”の基地(カンボジアとの国境付近までトンネルが張り巡らされていた)があったことも驚きだったし、“ゲリラ戦”のすごさを実感した。

 



 反戦の動きで、日本的特徴のひとつは「ベ平連」の取り組みがあることも紹介しておきたい。スウェーデンにアメリカ兵を脱出させた事実などは、「グローバルな反戦活動が起こった」と心が躍ったことも記憶している。

 


 現在時点で(2014.10.20)収録した情報では、私が石井次雄さん(後の旬報社社長)の編集アシスタントとしてかかわった『資料ベトナム解放史』の意義もアジア・アフリカ研究所所長の藤田さんの文章を引用した。

編集作業中、翻訳者の一人、吉澤南さんが「中国の文化大革命」の時に遭遇した「ベートーベンを聞く人狩り」を行う紅衛兵たちの話は、記憶が鮮明だ。

 吉澤さんの怒りは、当時の「社会主義」に対する認識を深めることとして教わった。

 吉澤南さんの夭折(2001年没)は、なんといっても残念だった。

 

 その吉澤さんの「はじめに――戦場の記憶」( 『ベトナム戦争―民衆にとっての戦場』〔吉澤南著〕、吉川弘文館、199951日)を読めるようにUPした。


 この本の編集者・永滝稔さんの思いを書いた、ブログ(有志舎の日々)も同ページに紹介した。大門正克さんが「大原社会問題研究所雑誌」書かれた「オーラル・ヒストリーの実践と同時代史研究への挑戦――吉沢南の仕事を手がかりに」、と一緒にお読みください。

 

 

「ベトナム反戦の原点」の3冊のPDF復刻版――『ベトナム黒書』、『歴史の告発書』、『CUCHI』。

 現代の罪と罰、(ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会編『歴史の告発書』、1967年)「沼田稲次郎著作目録――人と学問の歩み」、沼田稲次郎・書に序す――団結と平和と人間の尊厳と》より。

ベ平連のベトナム反戦、「ベ平連関連参考文献・資料―最近の文献に出ている「ベ平連」評価 ・「ベ平連」についての記述」をUP。

戦場の記憶、『ベトナム戦争―民衆にとっての戦場』(吉澤南著)、吉川弘文館、199951日。

オーラル・ヒストリーの実践と同時代史研究への挑戦――吉沢南の仕事を手がかりに、【特集】社会科学研究とオーラル・ヒストリー(3)大門正克、大原社会問題研究所雑誌 No.5892007.12

ベトナム戦争の頃:『資料ベトナム解放史』(全3巻)の刊行。19709月~19713月刊行。労働旬報社 . 20141010 1021国際反戦デーの紹介。


 このページづくりは、「知っておきたい現代政治・戦後史」のサイトづくりの出発点として、行きたい。

 

 ▽別のページに、その後の「ベトナム訪問記事」を紹介している〔09/11/1909/11/26追加)〕

 

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/candc/091116essay-13.htm

   ベトナムへの現代的支援・異見

 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-13dc.html

 

 

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