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2014年8月23日 (土)

“かっぱのげんさん”に会ってきた

 高知1周の旅の続き。

 

8月19日(火)朝、10時半に高知県梼原町を出発したとき知っていた情報は、海がめの来る町の日和佐にいく。高知で渡された「ほたる村だより」という、ニュース。

 「何やっている人?」と道中聞くと、「旅館をやっている」という柴田光郎さん(元全自運関扇運輸争議団員・元大阪よどがわ市民生協専務理事)。

 途中(須崎あたり)で携帯に電話が入り、運転中で出られないので、こちらが出て話したが、浮かび上がった名前が「かっぱのげんさん」と出てきた。

 それから高速道路に入り、高知市内を走り、室戸方面を抜けて夕方4時半ごろ現地に着いた。

 国道を突然、道幅の小さな田舎道に入ったが、最初の入り口には、案内標識はなにもなし。小さな水田の道をくねくね走ると「ほたる村」という小さな看板があり、少しいくと小川の右側に5~6棟の建物のそばに到着。

 

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 「向こうから、オーよく来たな」みたいな手を上げた人が立っていた。その人が「かっぱのげんさん」だ。

 建物に入ると10人ほど食事ができるテーブルが3つほどあり、その周りは、ガラス付スライド本棚。まず目に付いたのは、げんさんの書いたきれいなデザインの本が10冊ほど、絵本もあった。

 

 その下のほうに勤労者通信大学の教科書群その他。何百冊と入った書棚の中に、私が編集した『手記 じかたびの詩―失業と貧乏をのりこえて』(全日自労・建設一般/早船ちよ編、
19808月)、『雪とふきのとう』(門倉 訣著、198111月)の2冊があった。読者に会うのは編集者として最上の喜びだ。

 

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夜、その日はたまたま誰もいない日のようで、「げんさんの一代記」を聞いた。

 その場でタブレットを出して、Googleに“かっぱのげ”と入力したら、候補名として“かっぱのげんさん”と出てくる。多くの人が検索していることがわかる。

 そのなかから、話の中に出てきたエポック的紹介を、以下のようにいくつか探してみた。

 1 「不登校 サポーター情報MAP in とくしま」のページの紹介文

 http://homepage2.nifty.com/supporters-net/page3.html

【2】ほたる村 自然体験できる宿泊施設系癒し

  海部郡日和佐町北河内本村233

国道55号の山河内トンネルの南を東に入り、線路を超えて、白沢川沿いに登っていくと右にある。国道より800mぐらい。(看板あり)

自炊をしながらの長期滞在も可能です。頭の中であれこれ考え込んで、行き詰まってしまったら、一度、頭の中を空っぽにしてみることも、時にはとても大切なことと思います。自然に恵まれた環境のなかで、生活を通して、体験を通して、体で感じること、体でわかることのものの中にも、大切なものはたくさんあります。

  空気も水もおいしいので、食べ物もおいしく感じます。6月~7月上旬には、たくさんのほたるが飛びかいます。棚田の水田では米をつくっています。かっぱのげんさんはコマまわしの達人。

ごとまつさんという大きなカエル。かんたろうさんというレインボーに光る大きなミミズ。げんさんは自分はカッパなんだというが、ほたる村では、様々な生き物たちに出会うので、自然とカッパかもと受け入れてしまう。

 

世話人 山内満豊(かっぱのげんさん)

1泊素泊まり 小学生以上こども・1700円、中学生以上おとな・3400円(宿泊費よいうよりは施設維持協力金)

申し込み方法 電話にてあらかじめ予約してください。

0884-77-0899 (ファックス同番)

農作業などで出ている場合が多いので、なかなかつかまらない。留守電にメッセージを残す方法で、連絡を待とう。ほたる村とげんさんの活動のエピソードをまとめた本

 『心よみがえれ~ほたる村のげんさんと子どもたち~』あります。

 

 2 いしがき教育の日制定記念

 http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/400000/20090201.htm

 平成2121日(日)、午後130分、石垣市民会館大ホール  

「いしがき教育の日」(2月第1日曜日)は、「生きる力」を備えた「心豊かな人材」育成を目指し、家庭、地域、学校及び行政が連携・協働して、本市の将来を担う子どもたちの心身ともに健やかな成長を願い、市民全体による教育の向上に取り組む。

【講 演 会】

テーマ:心の豊かさを求めて~真の生きる力とは
~ 講師 かっぱのげんさん(山内満豊 やまうち みつとよ ) 

(主な講師紹介)

16歳で運転免許取得、以来36年間のトラック運転手。過労から脳梗塞となり倒れ、余命を告げられた。しかし、幼い頃に親しんだコマ遊びで身体の機能を回復。

やがて農業に転じ無農薬米作りに挑戦。ホタルが乱舞する田んぼは「蛍村」と呼ばれ、全国から自然体験や心の病に苦しむ人が集うようになった。苦しむ人の声を代弁した『かっぱのげんさん』(清風堂書店)等出版。後に大学の推薦図書に採用された。

健康を取り戻したあと、奥様と一緒に、全国内やインドネシア、カンボジア、ベトナム等の小学校を訪問し、講演やコマまわし・南京玉すだれ等伝統演芸を紹介している。

その目的は唯ひとつ“子どもの心の中に花を咲かそう”

●主な著書『海亀のくる町』(清風堂書店)、『かっぱのげんさん』(清風堂書店)、『ひびけ心太鼓』(清風堂書店)、『心よみがえれ
ほたる村のげんさんと子どもたち』(かもがわ出版)外。

 

 3 かっぱのげんさん一座&野田淳子コンサート

 http://hujii5150.wordpress.com/2010/12/13/

20101213 by hujii5150、かっぱのげんさん一座&野田淳子コンサートに行ってきました。

12日、日和佐コミュニティーホールで「ほたる村だより100号」記念をしたコンサートがありました。ほたる村は、1991年自然体験施設として出発。2002年9月より発行をはじめた「ほたる村だより」が12月で100号になったそうです。

 げんさんは、外資系の子会社・運送会社の労働組合リーダーだったとき、『めしと団結』で書かれた関扇運輸と同じような「組合分裂攻撃」へ反撃し、兵庫で全自運という労働組合に加盟し日夜奮闘した人(のちに運輸一般兵庫地方本部副委員長)。

 奥方は「あの頃はうちに帰ってこなかった」というほど「労働運動に熱中」したが、50歳過ぎに、「脳梗塞の人になり、2年ほど寝たりおきたり力が入らなかった」生活を送ったようだ。

 そのとき愛媛出身だが、自然と空気と水がきれいな美波郡(うみがめの来る町)に行ったことがあり、いまの「ほたるが乱舞する」現在地を発見したようだ。

 

 4 かっぱのげんさんのいわれもきちんとか書かれているページがある。

 http://www.soratoumi.com/river/hiwasa/creator.htm

山内満豊さんがなぜカッパのげんさんと呼ばれているかといえば、空き缶やゴミを拾うため黒のウエットスーツで川に潜る姿がかっぱに似ていたこと。そして友人の絵本作家、梅田俊作氏の絵本の主人公げんさんが仕事もせずに毎日ブラブラ、太鼓たたいておにぎりをもらって生きるところがそっくりだと、子どもたちが呼び始めたのだとか。

 

 5 「ほたる村 - 日和佐life」より。

 http://www.hiwasa-life.jp/hiwasa_hotarumura.html

 “かっぱのげんさん”と“かっぱ子さん”が作った「ほたる村」。「看板もない。自動販売機もない。なーんもない(←げんさんの売り文句)」というほたる村。

 ここを拠点にまずは、子どもたちが近くの小川で釣りをしたり、農作業を手伝ったり、太鼓などの伝統文化を体験するなど楽しいことを伝えている。

また「子どもたちの笑顔発見と、喜びづくりのために」、神楽の独楽回しや皿回し、南京玉簾をもって、地元はもちろん、日本中、よばれるところはどこまでも行き、いまではベトナム、カンボジア、インドネシアまで出向いている。

 写真を見せてくれたが、ベトナムのサパの校長さんとコンタクトを取り、数百名の子どもたちに独楽回しを見せている。

 「アポイントをとっていったのですか」と聞くと「現地交渉だった」という。

 
 話がすすみ「青年時代よく見たイタリア映画やイタリア歌曲のアモーレをはじめ、石垣で作詞した歌、地元の子どもたちへの歌、ハーモニカ吹奏―― 1曲は、なつかしき映画「シェーン」のテーマソング」なども披露していただき感謝、感謝!

 

 作家・住井すゑさんが、昔「地球の一角」(牛久沼)に住みながら、すべての地域が見えてくると言い放ったが、げんさんは今を生きる「その一人」だと思った。

 


 

ほたる村だより

 

1行所:ほたる村 かっぱのげんさん

 

7792302海部郡美波町 0884770899

 

 

 

ほたる村をみなさんと一に、たのしい遊び場にするためサポート員を募集しています。

 

員のみなさまには月ほたる村だよりをお送りさせていただきます。

 

ほたる村サポート員 2500

 

 

 

 

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  (クリックすると拡大します。リュックサックに入れてしわくちゃで申し訳ないです)

 

▼柴田光郎さんは2017年初頭から闘病中でしたが、2017年8月28日(月)、午前2時にお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 

 170828sibata   

 

   『しんぶん赤旗』(2017年8月29日付)

 

  「柴田光郎のページ」

   (上記をクリックして下さい。ページに飛びます)

 

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