雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと
数年前、編集者としての先輩だった川﨑忠文さん(元労働旬報社編集部、大原社会問題研究所嘱託研究員、中央大学法学部講師を歴任、1934年7月21日~2009年12月14日)の追悼文集に小文を書いた(『回想の川﨑忠文』、回想の川﨑忠文刊行委員会編、2011年12月14日、非売品)。
川﨑さんは青年期(1960年代末ごろ)の私の「教養学部的ゼミの講師」だったが、労働問題・労働組合運動史の歴史のテキストとして、アメリカの社会主義者として著名だったレオ・ヒューバーマンが書いた一連の本――『資本主義経済の歩み』(上・下、岩波新書、1953年)、『アメリカ人民の歴史』(上・下、岩波新書1958年)、『労働組合入門』(青木新書、 全日本損害保険労働組合大阪地方協議会青年婦人部、1956)――の紹介とレクチャーを受けた。
日本における翻訳者は雪山慶正(専修大学教授、1912年10月6日~1974年5月6日)さんだ。
当時、すべてを理解したわけではないが、アメリカにおける労働問題の発生、メーデーの起源、産業別ユニオンの歴史、そしてアメリカ社会の現状など新鮮な目で勉強をした記憶がある。
そのほぼ10年後(1980年代)、「インフォーマル組織」(資本の秘密労務組織)の分析・紹介した単行本などを編集していたとき、さらに川崎さんから1冊の本の推薦を受けた。その本は『労働スパイ』(紀伊国屋書店、1959年)で、その翻訳者も雪山慶正さんだった。
以下の「インフォーマル組織――その過去と未来」に紹介している。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm
最近、偶然、『悲劇の目撃者――雪山慶正・その人間と時代』(遺稿集刊行会編、国書刊行会、1975年6月)を読んだ。
小島亮さんの『ハンガリー事件と日本―1956年・思想史的考察』(中公新書、1987年)を読んだ記憶があるが、雪山さん追悼文集ではハンガリー事件のショックがかかれており、本書に収集されている文章――「日本知識人の「奴隷解放宣言」前文」(1956年9月・『経想』)、「現代史=悲劇の目撃者――スターリン主義の支配とその復活」(1972年10月・『月刊百科』)には、圧倒された。
また雪山慶正さんは、『光る声』(真継 伸彦、河出書房新社、1966年)の主人公とのこと。
▽追記 一読した。ハンガリー事件に真正面から対応できなかったインテリゲンチャーの追想から、自らの思想と生き方を語る、稀有の書だった。 (2014.05.21)
以前書いた岡崎次郎さん――『資本論』翻訳者の西方への旅たち――のことといい、日本の良心的インテリゲンチャーの足跡を、WEB上に残していく役割が、編集子にもあるという、強い思いが起こってきている。
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