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2013年11月

2013年11月30日 (土)

『資本論』翻訳者の西方への旅たち――岡崎次郎

 先日(20131124()、午後900分~949分)、NHKで放映された番組――"認知症800万人"時代、"助けて"と言えない、孤立する認知症高齢者――を観て、「私たちにとって7年後のオリンピックは楽しみではないんです」と語る老夫婦の男性介護者の涙ながらの声をがまだ耳に残っている。

 

 何か書こうと思ったときに、ボクが参加している「市民のML(Civil mailing list。以下、CMLと略称します)」で“『資本論』(大月書店版)の翻訳者の岡崎次郎は、児戯のごとき学生運動をやっていた連中を厳しく批判しています。(『マルクスに凭れて六十年』)”という文章を読んだ(凭れて:「もたれて」)。

  http://list.jca.apc.org/manage/listinfo/cml

 

 

150926okazaki

 


  岡崎さんの『資本論』は学生のときにチャレンジしたが、完読できないうちの一人だった。

 向坂逸郎氏との岩波文庫版におけるやりとりは知っていたが(本当は岡崎さんが訳していたこと)、1984年に「死出の旅に」出て、現在までその行くへは不明とのこと。

 

 「ブログ:遠方からの手紙」は、Wikipediaより下記のように書き、その応答に知り合いの方が書かれている。

 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200710010000/

 

  Wikipedia には、彼について次のような記述がある。

 1983年に青土社から出版した 『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』 という自伝で向坂を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」 という言葉を残して、80歳となった翌198466日からクニ夫人とともに死出の旅に出た。

 全ての家財を整理し、東京・本郷の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、品川のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の大仁温泉・浜松・京都・岡山・萩・広島などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された。そして同年930日に大阪のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていない。

 

 暗澹たる思い:岡崎次郎の死出の旅 - {承}'山羊髭散人, - Yahoo!ブログ

 http://blogs.yahoo.co.jp/asamaz/60828183.html

 著者はその死を、自らの強い意志で生に決着をつけた<美しい死>と美化したいようですが、実情はだいぶ違うのではないでしょうか。

「収入は毎年減る一方だし蓄財は皆無」と嘆いているあたりが本音でしょう。

時代は1970年代から80年、「資本論」など読む人もいなくなり、印税収入も入らず、そこにもってきて蓄えゼロでは生きていけない。

知人のトロッキスト対馬忠行は老人ホームを抜け出し旅に出て、玄界灘に身投げして4ヵ月後に遺体発見。

「先を越された」岡崎次郎も、79歳で夫婦揃って西方への旅に出て、遺体が発見されないようにと、身体に錘でも付けて海中に飛び込んだのでしょうか。

 他人事ではない、これからの私の人生も何とか立て直さなければ、と新春早々暗澹たる思いに駆られました。

 

 北海道の友人・手島繁一さんから送られてきた、「エピローグとなった「序説」への研究序説――『スターリン問題研究序説』と七〇年代後期の思潮―加藤哲郎(早稲田大学大学院政治学研究科客員教授・一橋大学名誉教授[●聞き手● 岩間優希(中部大学講師) 影浦順子(中部大学講師) 小島 亮(本誌編集長)。雑誌『アリーナ2013 16号』発行: 中部大学  発売:風媒社2013年12月15日)に掲載の原稿]。

 

 その一文に、1970年代に入って、出版状況の一端が書かれていたので、余計だ。 

「『マルクス・エンゲルス全集』、『レーニン全集』が完結したところで、社会主義協会のほうはそれを学習してくれるんですが、共産党はそのころはもう経営的に依存できる状態ではありませんでした。」

 

 妻と手を携えて「西方へ」の道へ行きますか、「老人漂流」の流れに身を任せますか。

まずは国会図書館に行って、『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』を読んでこようと思ったしだい。

毎日、垂れ流しのように、「団塊の世代」向け大手新聞の海外旅行への広告を見ながら、つらいですね。理屈は、のちほど。

 

 

 

 

▽追記:2013.12.08

 

『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』(青土社)を国会図書館で読んできた。

 

たしかに『現代マルクス・レーニン主義辞典』(社会思想社、19801130日初版発行、 定価 20000円)が最後に編集した本だったようだ。

 

岡崎さんは「戦後すぐに黄土社で出版し、最後は青土社にお世話になって」という駄洒落的文章を書かれる人だ。

 

 いまでも大月書店の広告は社告のように出されている。

   

  ▽追記(14.04.27) 雪山慶正さんと川﨑忠文さんのこと 

 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-151a.html

 

 

 

2013年11月19日 (火)

「インフォーマル組織の過去・未来」をUP――現代労働組合研究会のHP

 この数年、「本ブログ」で書いてきた、「インフォーマル組織物語」を「日本の労働組合と企業社会の劣化をすすめたインフォーマル組織!」として別のページにUPした。

  インフォーマル組織の過去・未来

 また国会図書館に通って、「1980年代に追及したインフォーマル組織」として、過日にペンネームで書いたものと吉村さんの論文をここに収録した。

 インフォーマル組織――その過去・現在・将来、勝山善介・ジャーナリスト、賃金と社会保障 838号、1982年03月25日号
 インフォーマル組織と人間性回復闘争、勝山善介・ジャーナリスト、賃金と社会保障 849号、 1982年09月10日号
 『サスコミ』を追う――ある反共労働運動誌を斬る、吉村宗夫・雪印争議団、賃金と社会保障 838号、1982年03月25日号
 『サスコミ』を追う(PARTⅡ)――ある反共労働運動誌を斬る、吉村宗夫・雪印争議団、賃金と社会保障 849号、 1982年09月10日号
 金属労働戦線におけるインフォーマル組織――[原題:「ねらわれた組合」からの脱出――インフォーマル組織とたたかう、大木兼次郎・金属機械反合インフォーマル対策委員会、賃金と社会保障 879号 1983-12-10

 その上で、下記の三つの文献も次の世代に読んでいただきたく、紹介した。
 

 〔1〕アンドルー・ゴードン著、二村一夫訳 『日本労使関係史~1853-2010』(元法政大学大原社会問題研究所所長・法政大学名誉教授)の「第11章 日本型労使関係のヘゲモニー」(434p-437p)の部分を読んでほしい。(PDF版)

 インフォーマル組織は、「裏返しのレーニン主義」の母国であった、と書いてある。

 「インフォーマル・グループ」とは、共産党の組合内派閥集団である「細胞」をお手本にしてつくられた組合内組織であった。ただし経営側と対立する存在ではなく、会社に支援され会社と協調する集団であった。レーニン主義が政治的に目覚めた前衛分子によって大衆をリードし社会主義革命へと導く戦略であるなら、戦後日本は「鏡の国のアリス」ならぬ「鏡の国のレーニン主義」、 「裏返しのレーニン主義」の母国であった。インフォーマル・グループは、革命とは反対方向へ大衆を導くことを目指した前衛組織である。組合潰しだけがこのお話のすべてではない。インフォーマル・グループに属する者は、採用、昇進、昇給、あるいは仕事の配分、さらには作業長といった監督者への選抜に際し有利な扱いを受けたのである。他方で、戦闘的な活動家は差別的に処遇された。だが日本鋼管だけでなく他社でも、労使関係を安定させ生産性を向上させるには、こうした強硬路線だけでは不十分であった。 1950年代から70年代まで、企業経営者とその同盟者である協調的な労働組合内「会社派」は、従業員の支持獲得の上で大きな成果をあげた。そのための諸方策こそ、ある意味で「日本的労使関係」の核心をなしている。

 〔2〕第1章 60年安保闘争と労働者の運動、三宅明正――日本の社会・労働運動の史的研究、三宅明正 編、2011年、千葉大学大学院、人文社会科学研究科

 “インフォーマル・グループについて詳しくは、三宅明正「インフォーマル・グループ小史―横船「二八会」史料から―」(『市史研究よこはま』第14 号、2002 年)を参照されたい。なお全造船二八会や電機二九会、私鉄三〇日会、化労研、鉄鋼連絡会など総評や中立労連の単産に組織されたインフォーマル・グループは、みなこの60年安保闘争の時期に、「政治スト反対」を掲げて、民主社会党(民社党)結成と時を併せて発足した。ただし民社党との関係が公然と示されるのは1970年代半ば以降のことで、発足からしばらくの間、これらの組織は○○会として政党色をださずに活動した。”

 〔3〕レオ・ヒューバーマン、訳・雪山慶正、安田正美、『労働スパイ』、紀伊国屋書店。1959年4月、川﨑忠文さん推薦――アメリカ社会における戦前・戦後における労働現場における探偵社などの潜入スパイの実態を解明。日米共通する労働組合活動家排除・労働組合転覆策動は、あまりにも知られていない現状がある。訳者・雪山慶正さんの労働関係書はたくさんあり、一読を。

2013年11月 4日 (月)

藤岡惇 退職記念文集――このような出版を考えてみませんか

 京都にある『経済科学通信』(基礎経済科学研究所)のサイトを検索で調べていくうちに、『藤岡惇 退職記念文集◇私と世界とアッちゃん先生』(282ページ・4902KBpdf )が自主出版(電子書籍でも可)されているのを発見した。

  http://www.peaceful.biz/history.html

 

「私と世界とアッちゃん先生」は、藤岡惇退職記念文集として20134月に文理閣より自費出版として刊行されました。

ここにその全文を再掲します。ページ数は282pdf形式です。

第一部「21世紀のコペル君との育ちあいの人生 ―私はどう生きてきたか」(p.12p.63

第二部「私と世界とアッちゃん先生 ―107人の藤岡惇・論」(p.66p.270

 

 「平和なエコ・エコノミーへの転換を考えるサイトにようこそ――藤岡 惇(ふじおか あつし)」というサイトにUPしている。

  http://www.peaceful.biz/index.html

 

 私がすすめているサイト(「現代と協同」研究会や現代労働組合研究会のHPなど)のコンセプトである、「自立した個の集積としてのホームページ」と同趣旨のページ作りだ。


 同ページはもちろん以下のようなものが発表されている。

 1.業績一覧・退職記念論文集

◇藤岡惇教授 略歴 研究業績一覧 (20121231日現在)

◇『立命館経済学』藤岡惇教授退任記念論文集(『立命館経済学』615号、20131月)pdf

 

 

 論文の御案内はできないが、「記念文集」の長文のまえがきに書かれた以下の文章は、同世代の人間として、感慨深い。 

このような人々との多彩な交流のなかで、一九七〇年代には、一歩一歩、レーニン・毛沢東主義の影響圏から、私は離脱していきます。そして一九九〇年代になると、非暴力主義のガンジーの影響をうけた「社会派エコロジスト」へと変わっていったと自己規定しています。あえて強引に特徴づけをすると、「マルクス・レーニン主義」から「マルクス・レノン主義」へと移っていったと言えなくもありません。「レノン主義」とは、ジョン・レノン。マルクスとガンジーないしレノンとの融合こそが、「国家産業主義」への移行を正当化する教条の体系に堕した「マルクス・レーニン主義」から自らを解放するうえで、導きの糸となったように思います。(49p)

 

一編集者として「追悼文集」の編集にいままで3冊かかわってきたが、今の時代は、「現世における社会的人間的存在の証として、次世代に伝える」、このような出版物が多くつくられることを望みたい。

 

20年ほど前になるが、以下の文章を『協同の発見』に書いていただいて、故菅野正純さん(協同総合研究所主任研究員・当時)が喜んでいたのを思い出す。

 「京都・西陣で子育て協同組合に挑戦」『協同の発見』26号、910頁、協同総合研究所199405

 

  

  ▽追記 (2014.12.05

 

  ◆「ソ連の本質は『国家産業主義』だった」

        http://www.peaceful.biz/thesis.html

 

 

 

 

 

 

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