ネッスル日本労組の争議和解
労働関係の名物ブログ「シジフォス」を読んでいたら、ネッスル日本労組の争議の和解を知った(ダウン中:2020.09.16)。
http://53317837.at.webry.info/201310/article_4.html
内容は、全労連のHPに告知されている。
■【声明】ネスレ争議和解にあたって(声明)(2013/10/01)
http://www.zenroren.gr.jp/jp/opinion/2013/opinion131001_01.html
本日、「OECD・多国籍企業ガイドライン」(「ガイドライン」)が目的とする「多国籍企業とこれらの企業が事業展開する地域社会との間の紛争防止と信頼向上を実現させる」観点から、スイスのネスレ本社と全労連の確認のもとに、兵庫労連並びにネッスル日本労働組合とネスレ日本(株)とが合意書を交わし、31年の長期にわたるネッスル争議は和解しました。
声明にあるように、「31年の長期にわたる」争議だった。本当にお疲れ様でした。
「ブログ・シジフォス」には、争議にかかわる経過・特徴・問題点など以下のように引用してある。
>ブログ・シジフォス「組合員がいなくなっても団交応諾命令②」( 2010/11/05)
http://53317837.at.webry.info/201011/article_5.html
3年前は、実に真面目に法律と向き合っていた自分を見るので過去ログは赤面の至りだが、争議の詳細をここに記しても悩みがつのる一方なので、いくつかの記事を掲げておくこととする。興味ある方はご参照頂きたい。
>当該HP「ネスレが組合つぶし、人権侵害 1980年代から20年間のあらまし 」
http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page030.html
>ブログ・薔薇、または陽だまりの猫より「世界で最も倫理性が疑問視されている企業ネスレ/ネッスル日本労働組合」(2006-03-26)
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/c422f62b7aea81a546efaa05fdd3f7ba
>OECD指針に違反 ネスレの人権侵害ただす 笠井議員(赤旗 2007.6.7)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-06-07/2007060705_02_0.html
>東京東部労組HP・労働相談・労働組合日記( 2008年2月5日)より煮えたぎる怒り」及び『週刊金曜日』(10/13日号)より「ネスレで闊歩する法令無視-最高裁も断罪した労組攻撃」
http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/40534669.html
>ある編集者のブログ「ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ」(2012年9月17日)
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html
HPの元がなくなっていたので心配していたが、「ネスレ日本争議の概要」のページに上記[ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ」(2012年9月17日)]で書いたSさんがいた。
http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page028.html
当時、お会いした方々は、すでに定年で自己の人生を歩んでいると思うが、次の世代は、少数だがまだまだ「まっとうな労働組合」をになっている。
なんらかの知恵を提案することが、編集子の責任だと思っている。
▽追加(13.10.07)
神戸新聞のWEB版で以下のように報道された(2013/10/7 07:04)。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201310/0006399872.shtml
ネスレ日本と労組 30年の労使紛争終結
約30年にわたり労使紛争が続いていたネスレ日本(神戸市)と、同社の少数派組合「ネッスル日本労働組合10+ 件」が6日までに、紛争終結で合意した。労組によると、組合員の遠隔地異動や解雇などで訴訟や労働局への申し立てに至った紛争は、計100件以上に上った。
関係者によると、1982年から83年にかけ、会社介入でネッスル日本労働組合10+ 件が分裂。多数が新組合に流れ、同労組は少数派に転じた。それでも当時、組合員は300~400人いたが、長引く紛争で6人に減った。
裁判では会社の敗訴が相次ぎ、2005年には労組側が、経済協力開発機構(OECD)の多国籍企業行動指針に違反すると主張し、OECD日本国連絡窓口に申し立てていた。
合意は今月1日付。「ネスレ日本は過去の裁判所、労働委員会の判決、決定内容を真摯に受け止め、順守することを表明する」とし、「人権侵害、いじめなどの疑いが持たれる可能性のある行為がないように努める」などとした合意書が、同社と同労組、同労組の上部団体である兵庫県労働組合総連合(兵庫労連)の間で交わされた。また、過去の紛争について、双方が金銭の請求をしないことなどを約束した。
同社は「OECDなどのグローバルガイドラインを全面的に支持する。各国の法律を順守し、事業活動全般で人権を守り、労働慣行の模範となるよう努めたい」とコメント。同労組の播戸夏樹委員長(60)は「わずか6人の組合と会社が和解したことは評価できる。組合のあり方を若い人に示すことができた」と話していた。(中部 剛)
▽追加(03.10.09)
「きっと勝つ」 争議31年――ネスレ労働者 和解への道程
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-10-08/2013100805_01_1.html
ネッスル日本労働組合と兵庫労連は、世界最大の総合食品メーカー、ネスレ(本社・スイス)の日本法人ネスレ日本(神戸市)に対し、対等の立場で労使関係を正常化させました。31年の争議をふりかえりました。 (田代正則)
「長い争議だったが、負けなかった。つぶされなかった」とかみしめたネッスル日本労組の播戸夏樹委員長。1日、日本語と英語の合意書にサインしました。
今年7月に60歳の定年を迎え、1年更新の契約で雇用継続しているところでした。「職場にいるうちに解決できた」
解決を心待ちにしながら、31年のあいだに職場を去っていった労働者もたくさんいました。
組合分裂の攻撃
「ネスカフェ」「キットカット」などで日本に定着しているネスレ。日本で営業を始めて、今年で100年です。
ネッスル日本労組は1965年に結成され、頸肩腕症の問題を取り上げたり、労働者が健康に働き続けられる職場づくりのために要求をとりあげていました。それを嫌悪した会社は、組合を破壊するためのインフォーマル組織をつくりました。
82年~83年に、組合分裂の攻撃が仕掛けられ、ネッスル日本労組は職場の少数派に追い込まれました。
組合は、裁判闘争で、会社を断罪する命令・判決・決定等を100件以上勝ち取っても、会社の攻撃が続きました。
転機は2005年、経済協力開発機構(OECD)が多国籍企業に責任ある行動を求めた「OECD多国籍企業行動指針」に沿って、組合側が、労働者の権利侵害を申し立てたことでした。
申し立ての当初は、日本政府に設置されたOECD連絡窓口で手続きが停滞しました。日本共産党の笠井亮衆院議員が、07年6月に国会質問で取り上げたことで進展しました。
指針の枠組みでは、法的拘束力のある決定を出しません。代わりに紛争が解決するまで年次総会に報告され続けます。早く解決しないと、企業の信頼が低下します。
本社が姿勢転換
多国籍企業であるネスレは、世界各地で指針違反の申し立てを受け、近年、スイス本社は姿勢を転換し、現地法人に対し「どのような少数組合とも話し合いの場を設定すること」を奨励していました。
和解内容の履行の確認書には、ネスレのスイス本社役員と、全労連の大黒作治議長が名前を連ねました。全労連に結集し、ネッスル日本労組と連帯する日本のすべての労働者が見届け人となったのです。
「これで、職場で気軽に話ができる」と前海明(ぜんかい・あきら)書記長は、しみじみ話します。
これまで、会社の圧力で、ネッスル日本労組の組合員とは、あいさつもできない雰囲気がつくられていました。職場の人間関係が深く傷つけられてきました。
播戸委員長は、「きっと、少しずつ慣れていきます」と職場の仲間へ信頼を込めています。「これまでなかなかできなかった、職場の要求を集め、合理化とのたたかいや、労働条件の向上に取り組んでいきたい」[「しんぶん赤旗」、2013年10月8日(火)]
▽追加(13.10.10)
明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
http://shosuke765.livedoor.blog/(いまはこのページへ)
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
ネスレ日本の長期争議解決を喜ぶ
スイスに本社のある多国籍企業「ネスレ日本」の労働争議が、31ぶりに和解協議でで解決した。7日付『赤旗』によると、「多国籍企業に対して責任ある行動を求めた、経済協力開発機構(OECD)の『多国籍企業行動指針』にそった手続きで解決した日本初の事例です」ということだ。
ネスレ(当時の社名は「ネッスル」)の労使紛争が都労委に不当労働行為事件として申し立てられたのは1983年6月1日だった(昭和58年不56号事件)。この事件は団交応諾を求めるものだったが、組合員1人の降格配転事件(58不57)、チェックオフ分返還請求事件(58不66)と続いて申し立てられた。
担当委員は、公益・高田、使用者・兵頭、労働者・戸塚で、代理人は組合側古川弁護士、会社側青山弁護士とそうそうたるメンバー。おれは労働者委員6年目で46歳。自分でいうのもなんだが「脂の乗り切った」時期で、百戦錬磨の兵頭さんや青山弁護士と丁々発止やり合って一歩も退かなかったものだ。
組合は、会社が申立組合の存在を認めず①団交を拒否し②チェックオフした組合費を別組合に交付していると主張。会社は、お互いに本家争いをしており明確に組合分裂とは言えないので団交応諾を保留しているだけだと弁明していた。結局、56号、66号事件を併合して、84年7月30日付で組合主張をほぼ認めた救済命令を発した(①団交応諾、②チェックオフの禁止と別組合に交付した組合費の返還)。
その後、茨城工場での組合員解雇事件も起こり、中労委、地裁、高裁、最高裁から会社断罪の命令・判決・決定が100件を超える長期のたたかいになった。今回、①団交応諾、②人権侵害・いじめなどを行わない、③人事異動の事前協議、④命令・判決の順守、の内容で和解に達するまで31年を要した。
和解確認書の調印は1日、スイス本社人事労務管理責任者エンリケ・エルダー氏と全労連大黒作冶議長の間で行われた。この調印式の写真が7日付『赤旗』1面に載っている。大黒、エルダ―両氏が握手している後ろに、最初からこの争議をたたかってきた斎藤勝一さんの姿が写っている。感無量だろう。
これでおれが関わった長期争議は「明治乳業」を残すのみになった。明乳争議の未解決の原因はあげて都労委にある。限りなく愛着のある都労委だが、明乳に関しては憎しみを禁じ得ない。
▽追加(13.10.13)
解決してもメディアは報じないネスレ争議の意義、シジフォス、 2013年10月10日(ちょいと長いので失礼します。下記のアドレスをクリックして下さい)
http://53317837.at.webry.info/201310/article_10.html
▽追記(2014.01.06)
全労連のツイッターを読み直したら、下記の集会報告がYouTubeにUPされていた。
弁護士のHさんからきついメッセージが発せられていた。
ネッスル争議和解報告集会-2013年11月29日
公開日: 2013/12/11
2013年10月1日。31年の労働争議をたたかってきたネッスル日本労組が、会社と和解しました。11月29日に全労連会館で行われた和解報告集会の模様です。
http://www.youtube.com/watch?v=rmYgVoQSxnc&feature=youtu.be
▽以下のページも。
ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html
ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-bf1d.html
▽参考(現代労働組合研究会のHP)
« 『現代労働組合組織論』(中林賢二郎著、1979年刊)の今日的意味 | トップページ | NPOひかりの森が安藤伸朗医師の講演会開催 »
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