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2012年10月 3日 (水)

明治乳業のインフォーマル組織がフォーマル組織のTOPへ―インフォーマル組織物語Ⅶ

 20120628日(木)の明治HD株主総会で一人の株主が訴えた様子が発信されている。

 http://kotayan.seesaa.net/

 以下の文章は、明治乳業争議を支援する会のサイトから引用した。

「大企業の労働争議で解決していないのは明治HDだけです。国際社会の中で、賃金差別や人権侵害をしている企業は通用しません。だから、日立は6件の争議をまとめて話し合いで解決しています。

 労働争議を抱えていたのでは、社内の人心は乱れ、モチベーションはあがらず、全社一丸となって働くことができません。

食の安心と安全を守るべき食品産業でこれだけの不正・不祥事を多発させている企業は明治HDだけです。

 企業不祥事の影響はステークホルダー(利害関係者)である消費者、酪農家、取引先、小売店、従業員、地域社会、社会、政府・行政・国民、投資家、債権者に深刻な打撃を与えています。

 その結果、明治HDに対するステークホルダーの信頼感は低下し減収減益につながり、従業員の解雇やリストラに向かい、株価下落の悪循環に入ります。

 株主のみなさん

 企業不祥事の根絶、長引く労働争議の解決なくして、明治HDの発展はあり得ないのではないでしょうか。

 明治HDの浅野茂太郎社長(就任予定)はじめ経営人に、その決断を株主総会で求めようではありませんか。

 株主総会で明治HDのオーナーとして声をあげていただくことを心から呼びかけます」と。

 

 その明治乳業では、現在もインフォーマル組織のメンバーが会社役員のフォーマル組織になって、実権が握られている。

“労働争議は10件、現在も3件が係争中で浅野茂太郎社長が賃金差別やパワハラで訴えられています。なぜ、このように明治は暴走し、反社会的企業になったのでしょうか。その原点は明治乳業市川工場(千葉)にあります。

 浅野茂太郎氏は会社の意を受けて秘密組織(明朋会)のインフォーマルの代表として、明治乳業労働組合市川支部に支配介入し、支部長選挙に立候補し、対立候補の小関守氏を破り労組を乗っ取りました。

 この行為は労組法で禁じている不当労働行為、労組に対する支配介入、すなわち犯罪行為です。

 浅野茂太郎社長が労組乗っ取り後にやったことは、食の安心・安全守れ!社員の賃金・労働条件や権利を守れ!と主張する小関守氏などの活動家集団を徹底的にイジメ、人権侵害と賃金差別を行ったことです。

 そして、労働者を「紅組」「白組」「雑草組」に差別・分断して支配しました。

「紅組」には、職制らを先頭に「赤い水虫」「赤いゴキブリ」「生産疎外者」「職場秩序破壊者」などの罵倒を浴びせ、人権蹂躙と差別の限りをつくしました。

 また、「紅組」は、「青空部隊」と蔑視し、敷地内のゴミ拾い、草取り、ドブ掃除、ペンキ剥がし等の、嫌がらせを徹底的に強いました“

 

「明治乳業争議を支援する会」のサイトでは以上のような経過を書いている。

 その文書を読むと「すでに争議団64人中10人が早死にするなど、これ以上の争議引き延ばしは人道上も許されません」と書かれた箇所があった。

 実は、1980年代のあるとき、「雪印食品と同じインフォーマル組織にやられたという」訴えがあり、千葉の元八幡駅の近くの会場で、後の明治乳業争議団の皆さんと会ったことがある。

 「赤い工場・市川明治乳業」という、労務屋さんの文書が手元にあった。

どこから回ってきたがもう忘れたが、「『学習の友』500部入っている工場」という見出しが踊っていた。

みなさん、自分よりずーっと年上の人たちだった。

 なにか、こちらが話していいのか戸惑いながら、「インフォーマル組織の構造、背景、担い手」を話した。

 しかし、みなさんは「東京争議団運動」をほとんど知らなかった。「政党の枠組み」の気分が強かった印象を持った。

 前回紹介した、「日産厚木を明るくする会」の活動を話したが、どうもピーンと来なかったようだ。

 こういう集団には、日本鋼管京浜製鉄所の取材に行ったときも出会った。まだ「労働組合運動をするより、議会に出て社会が変えられる」と思っているようだ。

 

 その後、東京争議団運動に加わり、活動を活発に展開しているのは、知っていた。

 『今崎暁巳さんと私』(2011年6月刊)には、作家の山形暁子さんの寄稿文がある。

  ある思い出●山形暁子

 十五~六年前、『住民と自治』という月刊誌に「松の見える町から」と題するルポ風エッセイを連載させていただいた。

 私が36年間働いた都市銀行を退職して間もなくのころだ。今崎さんがかねがねおっしゃっていた「地域に入ると、企業の中だけでは見えなかった、別のものが見えてくる」という言葉を、改めて実感したものだ。

 地域に根ざしたさまざまな運動との出会いのなかで、とりわけ印象深いのは、賃金・昇格差別とたたかう明治乳業争議団市川工場32人の男性たちの存在だ。裁判所の勧告に108も応じない卑劣な企業とのたたかいは、今もなお続いているが、1991年に発行された冊子『俺たちは負けない―人間らしく生きるために』には、連帯ある生活を創り始めた青年たちを、熱い眼差しで捉えた今崎さんのルポ「雪の下で準備する春」が載っていた。あっ、ここにも。思いがけない巡り会いだった。(日本民主主義文学会会員)

 何もできないが、「インフォーマル組織のフォーマル組織化」の典型例として紹介したい。昔の言葉で言えば「御用組合幹部の会社乗っ取り」の事例だ。

 その上で、会社の不祥事体質を持った役員ということが、上記ページで告発している。雪印食品の二の舞になる前に、社会的説明が必要だ。

 

  ▽2016.02.28戸塚章夫さんの【検証・都労委「明治乳業事件」】読み終えて

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-1b16.html

   ▽参考(13.11.01)

   大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html

   『金杉秀信 オーラルヒストリー』、金杉秀信著、評者:山本 潔、大原社会問題研究所雑誌 No.627/2011年1月  http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-05.pdf

  八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ芹澤寿良のページ)

     http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-0d95.html

   『ニッポン丸はどこへ行く』が解明したこと――インフォーマル組織物語Ⅵ-2
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f924.html

  ▽「労働組合運動のガン=インフォーマル組織とどうたたかうか――その支配構造と克服の展望」、高橋祐吉、『日本の労働組合運動 5 労働組合組織論』大月書店刊 1985年(PDFにできていませんがぜひ読んでください――編集子)。 

 ▽それぞれの労働組合運動史・3

 アドルー・ゴードン著、二村一夫訳 『日本労使関係史~1853-2010』(元大原社会問題研究所所長・法政大学名誉教授)の「第11章 日本型労使関係のヘゲモニー」の部分を読んでほしい。
 インフォーマル組織は、「裏返しのレーニン主義」の母国であった、書いてある。

  追記(2014.12.27 ) 「インフォーマル組織の過去・未来」を更新

 (32〕必見! 倉内節子弁護士講演「不当労働行為と闘った30年――明治乳業事件から最近の労働問題まで」、労働相談センター・スタッフ日記、NPO労働相談センター(03-3604-1294)、全国一般東京東部労働組合、20141219日(ビデオを見てください。1時間6分ほど)

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コメント

はじめまして。

記事を読ませていただきました。

「明治乳業争議を支援する会」のブログを発行している松本です。

私は、明治乳業争議支援共闘会議の議長をしています。

「明治乳業争議を支援する会」の記事を紹介していただき、感謝しています。

貴方の記事は、大変わかりやすく書かれています。

その記事を「明治乳業争議を支援する会」のブログに紹介させてもらっていいでしょうか。

よろしくお願いします。


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