柴野徹夫さん(ジャーナリスト)が「朝日新聞」(夕刊)に登場
朝日新聞の夕刊を断っていたので、以下の記事を見逃していた。
10月10日(水)に先輩たちとの飲み会があり、話題として提供された。そこで「柴野徹夫 朝日新聞」とYahooで検索すると、以下の記事があった。
全文は、ID登録しないと読めないが、簡単なのでおすすめ。
(2012年9月29日03時00分)
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201209280366.html
顔写真の下のコピーには、“各地の原発のルポを書いてきた柴野徹夫さんは「(原発が立地する地域には)住民を管理監視するネットワークがありました」と語る”元気な顔が見られる。
監視網「TCIA」〈原発とメディア:245〉
原発問題を追及してきたジャーナリストや原発反対派からは「電力業界に監視されてきた」との声が上がる。ジャーナリスト柴野徹夫(75)は日本共産党の機関紙記者だった1974年から、原発のルポ記事を書いてきた。記事をまとめた「原発のある風景」の増補新版を昨年、出版。その中…
編集委員・小森敦司さんが追っかけている「TCIA」については、以下のように話しを紹介している。
TCIAについて柴野は「その部課のコンピューターには、地域住民の戸別リストが詳細にデータ化され、購読紙、学歴、病歴、犯罪歴、支持政党、思想傾向……克明に記録されている。そんな『社外極秘』コピーの一部を垣間見た」と記した。柴野に当時のことを聞くと「電力会社や警察の車にいつも尾行されていた」。柴野はいま、こう考える。「それらが何がなんでも原発を進めるという『国策』を表していた」
福島や敦賀での市民の「政治地図」づくりにまい進したのは、私が追及している「労務屋グループ」が、1970年代から転進して、各地の原発地帯で活動していたのだ。
当時、労務屋さんとの飲み会で、その証言を得た。
« 八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ | トップページ | 「目が見えない 見えにくい 弱視の方への 相談支援」のポスター・NPOひかりの森(越谷市) »
「ジャーナリスト・柴野徹夫さん」カテゴリの記事
- 柴野徹夫さんがyoutubeで命の呼びかけ5本(2013.03.06)
- 柴野徹夫さん(ジャーナリスト)が「朝日新聞」(夕刊)に登場(2012.10.12)
- 柴野徹夫さんの講演行脚レポートが読める(2012.01.15)
- 柴野徹夫さんの本がTV画面にくっきり――鶴瓶の家族に乾杯(2011.09.06)
- 鬼気迫る柴野徹夫さんの講演行脚(2011.07.23)
« 八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ | トップページ | 「目が見えない 見えにくい 弱視の方への 相談支援」のポスター・NPOひかりの森(越谷市) »
コメント