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2012年10月10日 (水)

八幡製鉄所のインフォーマルグループ――インフォーマル組織物語Ⅷ

 現代労働組合研究会のサイトをオープンして10カ月になるが、本サイト内で紹介した「1960年代後半期の八幡製鉄所におけるインフォーマルグループ育成策に関する総括的文書」(芹澤寿良のページ)を再度、このブログで紹介しておく。

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/serizawa/index.htm

 本論文の経緯は、製鉄労働者新聞社のサイトで、次のように書かれている。

  http://blogs.yahoo.co.jp/sttroshin/3579193.html

 

1960年代後半の八幡製鉄所の青年対策   資料 2010.1.102010.4.10 10回連載

  この資料は昭和40年代日本共産党製鉄委員会の代表的人物の一人宛てに匿名で送られてきた手書きの青焼き資料です。明らかに八幡製鉄所労働部で作成されたものと推測されます。昭和30代年後半から40年代前半の会社の青年層における対策が詳細に記録された貴重な資料です。青焼き原稿をワープロで編集整書して、「製鉄労働者」新聞に2010年1月10日から2010年4月10日号(1395)10回に分割して掲載しました。

 高知短大芹澤教授は、この資料の背景について、前文で解説をしています。

 参考文献『1960年代後半期の八幡製鉄所におけるインフォーマルグループ育成策に関する総括的文書』

(高知短期大学名誉教授 芹澤壽良 著201111月 高知短期大学 社会科学論集第99号抜粋)

 

 

 八幡製鉄所について、特別の感慨があるのは、学生時代に学んだ「労働問題・社会政策」の根本を占めた日本の企業だったからだが、編集子は学生が終わる時期その姿を見てみたくて、東京から夜行汽車に乗って、労働者の入門風景(朝8時位ごろだったか)を見に行ったことがある。

 『溶鉱炉の火は消えたり』(浅原健三著)で八幡製鉄所の劣悪な条件下で働いていた工場労働者たちを大いに鼓舞した本があるが、冬まだ寒いなか白い息を吐きながら黙々と働きに行くその後ろ姿は、少し違和感を感じたものだ。

 

 その後、佐木隆三の『ジャンケンポン協定』(1963年、晶文社→講談社文庫― 新日本文学賞受賞)を読みながら、“巨大企業とその人間模様の虚業的雰囲気”も学んだ。

 

鉄鋼労働組合運動史専門家の芹澤寿良さんは、畏友・下山房雄著 『現代世界と労働運動――日本とフランス』(御茶の水書房 、1997/2/1)の書評〈『大原社会問題研究所雑誌』第481号(199812月)〉 の中で以下のように、下山説(65年画期説)に触れ、その役割を担った組織が「インフォーマルグループ」であることを明示していた

“一章は、戦後日本の企業別組合の変化に関する学説を検討し、そこから産別の時代、総評の時代、同盟・JCの時代に分けて企業別組合の機能、組織の変化が組合主導路線の交代(イデオロギー)と不可欠に結合していたことを明らかにしている。

 著者が前編各章や「あとがきに代えて」の戦後日本の労働組合運動論に関わる部分において、繰り返し主張している論点(「65年画期説」)は、1960年代の半ばに基幹的な民間重化学工業部門の大企業において、労働組合の企業への抵抗組織から企業への協力組織への交代、転換(「日本的労使関係」の成立)が、強力な労務管理の誘導、左派活動家へのあらゆる差別、職場の自主的な諸活動の抑圧、組合執行部の会社派による制圧、インフォーマルグループの全国的結集など、こうしたなかで労働者多数の同意をとりつけながら行われ、その結果積極的な意義をもっていた春闘も「社会運動から管理された制度」へその性格が変化し、単産は企業別組合の連合体に変わり、雇用と生活を犠牲にしても企業を守るのが労働組合の課題とする路線が春闘をも貫いていったということである。“

 

 さらに、芹澤さんは、“「組合執行部の会社派による制圧」について指摘しておきたいことは、その主要な手段として会社派による組合役員選挙制度の相次ぐ改悪と運用、それを利用した会社側の大がかりな干渉、介入がおこなわれたことであり、評者は、これを抜きにして、「日本的労使関係」の成立もその後の安定的な展開、維持もきわめて困難であったと思っている。この状況は、今日に至るまで続いており、労働組合の役員を民主的に構成するという組合民主主義の初歩的かつ根本的な改革はかなり長期にわたって実現されていないのである。 ”と指摘していた。

 

 その役員選挙の前段に、会社側の労働部が率先してグループ育成を行う過程が書かれたものが、本文書である。

 解説文(〈高知短期大学社会科学論集99号〉投稿原稿)で、「宮田義二氏が松下政経塾の塾頭として、今日に民主党の何人かの幹部の育成に関係してきたことも、見流せない事実だ」と指摘している点だ。

 「政労使の統合社会」が生まれているのだろうと思うが、そのプロセスも知りたいものだ。

 

 本文書の時代的舞台は1960年代。いま60代から70代の人たちが現場をになっていた。昭和歴では41年、42年と明示されているが、この時代に生きていた人たちのそれぞれの思いが、インターネット上でかき消されないためにも、本文書は歴史を背負っているのだ。

 

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