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2012年9月18日 (火)

ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2

 戦後の日本労働問題におけるインフォーマル組織の分析をした研究者のお一人、山本潔さん(東大名誉教授)は(東芝の扇会を研究、「大企業の労資関係──“フォーマル”機構・“インフォーマル”組織──」、山本潔『論文集「労資関係・生産構造」』2000年,ノンブル社所収)、下記の書評で、インフォーマル組織についていくつかのタイプを紹介している。

 書評と紹介:金杉秀信著『金杉秀信オーラルヒストリー』評者:山本 潔(大原社会問題研究所雑誌 No.6272011.1

 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-05.pdf

 

ネッスル日本の場合、そのうちの一つ、[会社の人事担当セクションと社外の職業的労務対策機関との協働のもとにつくられたもので,その代表的事例は東芝の「扇会」であり,似而非「自発的」な非公開丸秘(○の中に秘)の労務対策のための“インフォーマル”組織である。]――これに近い労務屋さんが関与したことを示す判決文がある。

 

 この判決で書かれている事実は、アメリカ海軍極東輸送司令部で人事・労務と日本コカコーラ株式会社で人事を担当していた人物→総評全国金属のNCR労組(当時は、ナショナル金銭登録機といったはず)の乗っ取りの人物などの外資系労務ネットワーク(人脈)が登場していることがわかる。

 

 いつか書いたが、労働問題は「企業小説社会」の表面なのだ。

 

  ネッスル電気主任技術者解任等
 昭和57()650 昭和630607日 静岡地方裁判所

 http://hanrei.biz/h71315

 

 (3) 被告会社の組合敵視の政策について

  ① 被告は、ネッスル日本労働組合が設立された昭和四〇年一一月から数年間は、いわゆる外資系の企業として職場の労働条件を整備するために、右労働組合ともある程度妥協してきた。しかしながら、右労働組合が、昭和四六年五月の労働協約獲得後、昭和四七年四月以降春闘でストライキを行ったり、昭和四九年秋以降秋闘を組織したりして、また頚肩腕障害問題に組合が本格的に取り組むようになって、組織が強化され、運動が前進してくるとともに、被告は組合を敵視するようになった。被告は、昭和四八年に労務専門部として労務部を設立した。昭和五〇年には、人事部にaを入れた。同人は、アメリカ海軍極東輸送司令部で人事・労務を、日本コカコーラ株式会社で人事を担当していた人物であった。そして、昭和五一年四月には、やはり外資系の企業である日本NCR大磯工場で人事・労務等を行う総務部長をしていたbを労務部長代理として入社させた。さらに、昭和五二年三月には、やはり日本NCRにおいて労働組合の書記長をしていたcを労務部に入れた。同人は、全国金属労働組合NCR支部の書記長をしていたが、同組合の右翼的分裂に積極的に加わり、自らも第二組合に走った者であった。このように、被告は、人事・労務に、外資系の企業の人事・労務部門を専門的に渡り歩く者や、労働組合内部にあって組合を使用者に従属させるように変質させてきた者を配置してきた。そして、昭和五二年には、労務部を社長直轄とした。これらは、昭和五六年以降顕在化したインフォーマルの動き、組合分裂策動の布石であった。こうした中で、労働組合と会社との労使関係は、緊張化を増した。昭和五三年三月には、右aが社員研修会において、組合の頚肩腕障害に対する取り組みを弱くするため、また組合不信を社員につのらせることを意図して、不当な組合攻撃発言を行った(以下「a事件」という。)。このa事件については、昭和五三年四月、兵庫県地方労働委員会に不当労働行為の申立がなされた。その後、労使関係は極度に緊張し、裁判所・地方労働委員会に係属する事件が急増した。

 

  ② 被告労務部は、昭和五七年六月一八日以前から、キースタッフ(課長以上の管理職)に宛て、秘密文書「CONFIDENTIAL」を作成し、その内容を会社に周知させた。それは、ネッスル日本労働組合の本部批判であり、本部執行委員会が共産党系であるとか、弁護団が共産党系であるとするもので、徹底した「アカ攻撃」をしている。被告が、ネッスル日本労働組合のたたかう姿勢を敵視していたことは明白である。これらの攻撃は、右キースタッフを経由して、文書そのもの、あるいは会社教育等を通じて下級職制にまで徹底されていた。

 

 ③ 被告は、昭和五六年になって、管理職が中心となり労働組合の転覆を目的として、下級職制を結集して、インフォーマル(非公然)組織を作った。右のインフォーマルの動きとして、昭和五六年の春闘のスト権確立投票において、×印(ストに反対の意)をうつよう組合員に工作してきた。また、昭和五六年の第一六回全国大会の組合本部役員選挙に当って、インフォーマルのグループは、はじめて定数一杯の対立候補者を立てた。これらのインフォーマル派の主張は、「組合の本部は闘争至上主義だ。」とか、「本部提案の公認会計士は共産党系だから変更しろ。」とか、労働戦線の統一問題については、「本部の方針は、統一労組懇の主張と同じだ。」などというもので、くしくも、前記秘密文書の論調と全く符号するものであった。被告は、右インフォーマル組織を使って、昭和五七年八月には、第一七回全国大会の役員選挙に介入し、各種の選挙干渉をさせた。また、同年一一月には組合本部を分裂させ、同年一二月以降は、全国各地の組合支部を分裂させた。島田支部は、一二月一九日に事実上分裂したが、被告は、この選挙に当って第二組合づくりのために支配介入を行った。

 

  ▽ネッスル日本労組の情報

   ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html

   ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-bf1d.html

   ネッスル日本労組の争議和解 (13.10.05)

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d993.html 

 

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