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2012年9月

2012年9月30日 (日)

石井まことさんの仕事アドレス(論文ご案内)

 私と下山房雄さんを30年ぶりにつないでいただき、このブログにたびたび検索している方々(学生さんかな?)に、大分大学教授・石井まことさんの仕事をリンクしました。

 

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/simoyama/index.html

 

 大分大学教授・石井まことさんの仕事 (2019.09.14)

http://oitauniv-soran.ad.oita-u.ac.jp/profile/ja.5f757ec409c4fe3f520e17560c007669.html

 

NPOひかりの森が開催する講演会と点字教室のお知らせ

 「越谷市の広報」(2012年10月号)が自宅に来て気がついた。

 ひかりの森の講演会案内を、告知することを忘れていた。

 

 「あなたの目、大丈夫ですか」は、昨年も80名ほどの参加者がありました。多くの参加を期待したい。

 

 

 

平成24年度「市民医療講演会」(しらこばと基金助成事業)

 

1 目的

 

  NPO法人視覚障がい者支援協会・ひかりの森では、NPO法人の性格上、目に関する様々な相談が、一般市民からまた他の支援センターからの紹介等多く寄せられている。

 

  そこで、今年度は、目に関する初期の症状から病気を早期発見・早期治療ができるよう、また、市民の人たちがロービジョンについての理解を深めるよう、広く市民の健康生活に寄与することを目的とする。

 

2 日時   平成24114日(日曜日) 午後130分~4時

 

        【開場:午後110分】

 

3 場所   越谷市中央市民会館 4F 第1416会議室

 

4 内容 

 

13:30 あいさつ

 

13:35~14:50(質疑含む)

 

講演「あなたの目、大丈夫ですか」― 初期症状から考えられる目の病気 ―

 

講師 にしかまた眼科  医学博士  梁島 謙次先生

 

  14:50~15:00 休憩

 

  15:00~16:00(質疑含む)

 

講演「視覚リハにおける相談支援の役割」講師 国立障害者リハビリテーションセンター病院 リハビリテーション部  ロービジョン訓練 ソーシャルワーカー 久保明夫先生

 

 

 

*「楽しい点字教室」も開催

 

と き 10月15日(月)、午後1時30分

 

ところ 市民活動支援センター(越谷駅東口下車すぐ前、ツインタワービル)

 

費用  無料

 

お申し込みは、NPOひかりの森へ

 

TEL 048-962-9888

 

HP  http://npo-hikarinomori.com/

 

 

 

『ニッポン丸はどこへ行く』が解明したこと――インフォーマル組織物語Ⅵ-2

 この本が出版されたのは、奥付には1982年12月とある。

その帯には“官民・労使が一体の国 「日本的経営」の実態を描き、戦線統一でゆれる労働運動内外の動きを深層からとらえる、戦慄のルポルタージュ。……。”(朝日新聞社)と記されていた。

 

 
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 以下に目次を掲載しておく。

 はじめに

第一章 政労使トリオで《産業平和》

 政府・自民党の労働組合運動は?/《自由にして民主的な》政党と労組/政労使《参加と合意》の非公式国会

第二章 非同調者を締め出す企業内暴力

 あいつとは口をきくな、挨拶するな/共産党員なんて人間じゃないんだ/背後から刃物、稀硫酸、有毒液/加害者は出世、置き土産のリンチ

第三章《労使双方の御相談役》労務屋

 三枚看板、四枚看板を使い分けて/秘密研修で秘密中核リーダー育成/組合内秘穂組織で執行部乗っ取り

第四章《クーデター》で偽装労組に

  雪印食品DEC組合の千人切り作戦/昭和電工労使の昭和高分子への攻略/鉄鋼連絡会議の日本ステンレス攻略

第五章復権する帝国日本丸の諸勢力

  《労資一体》産業報国会の組合移行/GHQの《日本労働組合反共計画》/職場警察組織と小集団自主管理運動/労組への《危険な反動グループ》の影響

第六章日米・官民・労使で《組合民主化》

  日米安保体制下の日本と労働界/生産性向上運動と労使協議制の普及/総評・中立労連内の《民主化》組織/JCと統一先行の《研究教育機関》

第七章政労使トリオの新権力と抵抗

  日本丸の権力構造と生産現場の権力/抵抗の組織と乗組員の《主体》性

おわりに

 

本書の一部分の情報提供に参加したが、いま私が追っかけている「インフォーマル組織」については、第2章、第3章、第4章に書かれている事実だ。

 『朝日ジャーナル』(1983年9月16日号)で下山房雄さんは、美化されてきた「日本的労使関係」のそのものには「深い暗黒の領域」ある(当時著名な経営学者の言葉)を引用して、本書を書評している。

  「下山房雄のページ」に掲載。

 青木慧の七冊めのルボとして昨年末に出てから話題を呼び、社会運動の複数の潮流のもとで評価されるに至った本書は民間大企業の労資関係に存する「暗黒の領域」を日産自動車・雪印食品・昭和電工・日本ステンレスなどでのおぞましい「集団主義」の実践の姿を通してズパリ描き、しかもこの「暗黒の領域」の育成・発展が個別企業をこえた一種の社会的な運動として、つまり「ニッポン丸」の舵取り的ポジションから行われてきたことを、豊富な事実と貴重な聞き取りによって描いている。

今崎暁巳や鎌田慧など青木と並んで日本の労資関係の暗部を対象としてきたルポライターの中での青木の特徴は、彼の前著『青い鳥はどこへ』(労働旬報杜)への私の以下のコメントで示されよう。

――ナチズムや日本軍国主義のもとで、多くの善良な父や夫たちが狂気の暴力行為に駆られていったのは半世紀も前のことではない。今日世界中の資本家のみならず中ソの為政者からも羨望の熱い目をそそがれている日本企業の高い生産力とそれを支える日本的労資関係がその種のファッショ的暴力行為によって維持されているありさまを鮮烈に描いたルボである。取材の対象を加害者の側にも求めその論理と生態を抵抗者のそれと交錯させ展開している点が出色である。

 

その前後は、下山さんが語る「ニッポン丸」の舵取り的ポジション――「自民党や生産性本部、全国的な人脈・ネットワーク、労働戦線統一を狙う労働界」の分析だ。

朝日新聞出版局の若き編集者の企画の狙い――「日本的経営」「企業社会ニッポン」の解明は、十分展開されていた。

 


 青木さんは、21世紀の現代を見通していたかのように、同書の中にこう書いている。

 現在の日本丸の権力と構造にみる新しい変化は、まさに労働界の新しい「権力」が、政府・自民党、官僚機構、財界といった、この国の本物の権力と結合しているところにある。本物の権力も、新しい「権力」をも自らの側に組み込むことでその権力を維持し、また新しい「権力」も、育ての《親》の《子》となって権力に組み込まれることによって、自らの「権力」を強化し、維持しようとしている(同署258ページ)。

 

  どうだろう。

 話は飛ぶが、今の政治・労働体制の一体化の姿は、連合会長の古賀伸明はナショナル労組のリーダー、主な労組幹部出身者では、▼直嶋正行(自動車総連)、▼平野博文(電機労連)松下電器産業(現パナソニック)労組、▼川端達夫(UIゼンセン)、▼輿石東(日教組)、▼城島光力(味の素労組委員長)などがいる。

そのうえ民主党の野田総理は松下政経塾出身だ。この松下政経塾プラス連合系出身幹部の合体が、現代のインフォーマル組織の「フォーマル組織」版だと思う。これはのちほど書いてみたい。

   

  ▽追記〔2012.11.18 ()

 

  野田首相の思想と行動――松下政経塾とは―Ⅰ

 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-3f19.html

 

  ▽追記〔2012.11.21 ()

 

  野田首相の思想と行動・その2――松下政経塾とは―Ⅱ

 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-4707.html

 

 

 

 

青木慧さんは、2008年8月12日、多数の本を書き、ジャーナリストの農民版・山猿塾をおこし、旅立っていった。

http://kyotofu-seikyoren.com/publicity/message/003374.php

 

 論敵・塩路一郎は最近、『日産自動車の盛衰―自動車労連会長の証言』(緑風出版、2012/8/22)を出している。こちらは未読だが、事実なので告知しておく。

 http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1214-1n.html

 

  

 

2012年9月29日 (土)

青木慧さんの『ニッポン丸はどこへ行く』――インフォーマル組織物語Ⅵ

 日産厚木工場で7人の労働者が日産労組から除名解雇を受けたのは、1979年10月。 

青木慧さんが『トヨタその実像』(汐文社、1978年)を出していたので、是非、日産についてこの問題から書いてほしいと手紙を書き申し込んだ(この時代にはまだメールなし)。

 

一度話し合いましょうということになり、船橋近くの公団に住む青木さん宅を訪問。 

 奥さんはそのころ農業関係図書の校正者で、出版事情をよく知っていた。 

 本に囲まれた青木さんは、「ここにも調査・尾行をするメンバーがウロチョロしているから、帰るとき気をつけて」といわれた。

 

  その上で書いてもらったのが『青い鳥はどこへ―日産厚木除名・解雇事件』 (1980年)だ。ただし出版するまでが大変だった。

まず社内事情(企画書を上司だった人に出していたので通ったと思っていたが、原稿が出たときに問題になり、社外の『東京争議団物語』を書いた東京地評の市毛良昌さん、音楽家ユニオンの佐藤一晴さんの推薦文をもらう、つぎに内容点検で『労働問題研究会』、『明るい厚木部品をつくる会』(明厚会)の位置づけ(青木さんと私は労働組合員の活動の一環として書いたものを、政党の思想運動論としか見えなかった上司)、そして営業からは「売れない本を何で出すんだ」という声。

 

 それをやっとくぐって出版できた本だった。

 この争議の経過は、JMIUの日産自動車支部労組のHPで紹介されているが、下記の通り(ダウン中:2022年8月1日)。 

 

 「日産直系の部品メーカーである厚木自動車部品㈱(後のアツギユニシア)の労働者たちは、労働条件の向上、労働組合の民主化をめざして活動していましたが、同社は活動家に対する差別攻撃を始めました。1975年神奈川地労委提訴、1979年中労委で勝利和解。しかし、自動車労連・日産労組幹部は会社の姿勢を非難し、活動家七名を組合から除名し、ユニオンショップ協定を盾に会社に解雇を要求し、197910月に7名が解雇され、有名な厚木自動車部品解雇争議が発生しました」

 

  この本づくりで青木さんの取材方法に感心した。まず当時の「7人へ暴力的いじめ」をした本人宅を直撃。40代の本人がびっくり出てきて、「家族には会社のことは何も話していないので」と近くの公園で、話を聞いた。

 30分ほどだったが、「7人は自分たちの大切な会社を破壊する人間だ」という話が記憶に残った。どうして分かったのかは取材源の丸秘で不明。

 

 この争議の解決は、10年後の1988年だった。この争議の前面でたたかった弁護士の一人、伊藤幹郎さんの下の文献が参考になる。

 「日産厚木除名解雇事件の権利闘争上の意義」 (33回東京労働争議研究会報告)、労働法律旬報 (1222), p21-25, 1989-08-25、労働旬報社。残念ながらインターネット上では読めない。

 

 この本出版後、青木慧さんは塩路一郎天皇を暴いた『偽装労連―日産S組織の秘密』(1981)を書いている。 
 その後、すぐに青木さんのところに声がかかったのが、朝日新聞社出版局の編集者からだった、私はアシスタントということで、そばで話しを聞いた。

 「社としてルポルタージュのシリーズ物」を企画している、と話すのは同時代の感覚をもった新聞記者。そのなかで「日本的経営の実情をルポで書いてほしい」ということだった。 

1970年代の「春闘敗北」が色濃く世間に広まっていたときだ。

 

 <以下につづく>
 2012年9月30日 (日)
『ニッポン丸はどこへ行く』が解明したこと――インフォーマル組織物語Ⅵ-2
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f924.html

▽現代労働組合研究会のHP

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111210roudou-index.htm

 

2012年9月27日 (木)

レイドロー報告の衝撃――「富沢賢治のページ」の更新

 富沢賢治のページ

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tomizawa/tomizawa-index.htm

 

 日本の労働問題研究者の多くが関心を寄せていなかった、世界の協同組合運動。その核となる組織がICA(国際協同組合同盟)。

 http://jccu.coop/international/ica/index.html

 

しかしグローバルな動きを、自らの世界観・人間観からとらえ始めた社会思想史・社会科学研究者の一人が一橋大学名誉教授で聖学院大学名誉教授の富沢賢治さんだ。

今回更新したのは[監訳:日本協同組合学会訳編『西暦2000年における協同組合――レイドロー報告』(日本経済評論社、198911)]。

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 レイドロー報告は、1980年に開催された国際協同組合同盟ICA)の第27モスクワ大会で「西暦2000年における協同組合」と題した基調報告だ。

 

 【“狂気の時代”にあって、協同組合こそが正気の島に】というフレーズを覚えて、感動したものだ。


 富沢さんは、「それは、世界の協同組合運動にワーカーズコープの重要性をはじめて理路整然と説き、その観点から世界の協同組合の運動方針を根本的に改めた。レイドローの問題提起は、消費協同組合が主流を占めていた当時の世界の協同組合運動に対して革命的な衝撃を与えたのである」と書いている(「レイドロー報告の衝撃」『協同の發見』、協同総合研究所、2000年9月号、100号、「富沢賢治のページ」でUP)

 http://jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2000/09/tomizawa.htm

 

 1980年代初頭には、まだ「日本における労働者協同組合」のイメージを持つ主体もないこともあり、協同組合といえば農協系の理論系譜と市民生協系の理論の出始めた時期で、ほとんど注目をされていなかった。

 

 別の視覚からみると、友人の手島繁一さんの文章があるので、一読してほしい(中川雄一郎編『生協は21世紀に生き残れるのか――コミュニティと福祉社会のために』野村秀和編著『生協への提言――難局にどう立ち向かうか』、大原社会問題研究所雑誌 No.5402003.11

 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/540/540-06.pdf

 

 最後に多面的に読んでいただくために、諸先輩・先学の士の人たちが、レイドロー報告をどうみたか、その文章も以下に紹介しておく。

 

日本協同組合学会第30 回大会とレイドロー報告/明治大学教授・中川 雄一郎(非営利・協同総合研究所いのちとくらし理事長)

 http://www.inhcc.org/jp/research/institutenews/data/20101031-institutenews-no032.pdf

 

『レイドロー報告』30 周年/明治大学教授・中川 雄一郎(非営利・協同総合研究所いのちとくらし理事長)

 http://www.inhcc.org/jp/research/institutenews/data/20100220-institutenews-no029.pdf

 

 あらためて「西暦2000 年における協同組合[レイドロー報告]」から学ぶ/協同総合研究所理事長・岡安喜三郎

 http://members2.jcom.home.ne.jp/okay_kisaburo/_sanko/Lrng_frm_Laidlaw.pdf

 

 レイドロー報告が生まれたICA大会の歴史的位置/山梨学院大学教授・堀越芳昭

 https://jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2000/09/horikoshi.htm

 

 

 ▽現代労働組合研究会のHP

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111210roudou-index.htm

 

2012年9月24日 (月)

Yさんへ――「インフォーマル組織の過去・未来」のページ・インフォーマル組織物語Ⅴ

 

 メールありがとう。その後の仕事は、どうですか。

 こちらは、労働関係と社会的経済の「先生方のホームページづくり」をしています。反応はまあまあです。

 TOPは五十嵐仁さんのページです。

 

 さて、塩路一郎が本を出しました。

『日産自動車の盛衰―自動車労連会長の証言』(緑風出版) 

   

http://www.amazon.co.jp/s?_encoding=UTF8&field-author=%E5%A1%A9%E8%B7%AF%20%E4%B8%80%E9%83%8E&search-alias=books-jp

 そのことに関して、Aさんからもメールが入ってきていて、「故青木慧さんが塩路一郎に本を買い取れとなどいう圧力があった、という情報」を吹聴しているようです。

 

 そこで憤然として、「インフォーマル組織物語」を「編集者のブログ」で書き始めました。

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/

 

 労働問題・労働組合、「現代と協同」 カテゴリーの記事一覧更新  2012924

 インフォーマル組織物語―その1(以下参照)

 http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-272e.html

 

 まだまだ続きます。

 「インフォーマル組織の過去・未来」のページを作って、いただいた原稿をPDFで読めるページ作りをします。待っててください。

 

2012年9月23日 (日)

慶應義塾大学最終講義をホームページにUP――黒川俊雄のページ更新

 黒川俊雄先生の「慶應義塾大学最終講義録」が『賃金と社会保障』(19899月下旬号)に掲載されている。当時、世の中は「バブル全盛」期で、東京都内で夜、飲み始めるとタクシーの奪い合いが、日夜、起こっていた。

その時代は、だれもが日本社会の転換を肌で感じていたが、黒川先生は自らの社会政策学からみた「産業構造転換に対応する現代社会政策の課題」を説いていた。誌面にその告示が、「三田第一校舎一三一番教室」と書かれ掲載されている。最終講義を聴いた人も思い出すだろう。

当時の編集長は永山誠さん(現昭和女子大学教授)のはずだ。

 

 黒川先生が代表理事を勤めていた「労働運動総合研究所」の事務局から、小越洋之助先生を通じて、何本かの寄稿文をいただいた。

 そのなかの「地域政策と労働運動」の冒頭で「痛烈な自己批判」という文章がある。この誠実な決断をぜひ読んでほしい。

  黒川俊雄のページ

  ▽2012.09.23更新

  慶應義塾大学最終講義「社会政策のこれからの課題」、黒川俊雄、『賃金と社会保障』(19899月下旬号)

◇労働総研への主な寄稿  

『労働総研ニュース』100号を記念して、黒川俊雄、労働運動総合研究所、労働総研ニュースNO.10019987月1日

地域政策と労働運動、黒川俊雄、労働運動総合研究所、労働総研ニュース20003月1日

労働総研設立――10年をふりかえって、黒川俊雄、労働運動総合研究所、労働総研クォータリー2000年秋号

解雇規制立法化と破産法制の抜本改正について、労働運動総合研究所、労働総研ニュース20023月1日

 世界各国で高次元の国民的共同行動を、黒川俊雄、労働運動総合研究所、労働総研ニュース200912(本ページ下段参照)

 

    

  慶應義塾大学最終講義をホームページにUP――黒川俊雄のページ更新

 

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-1540.html

 

  1980年代半ばごろの労働組合論の姿――黒川俊雄のページ更新

 

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/1980-0840.html

 

    

 

2012年9月19日 (水)

会社を破壊した雪印食品DEC――インフォーマル組織物語Ⅳ

 インターネットはすばらしい。時空を超える。

 

以下に紹介するのは、私が1980年代初頭の伊豆における「自由と民主主義の会議」(名称は?)で出会った青年たちから聞き出したDECのことを簡潔にまとめている[詳しくは『雪とふきのとう――雪印のDECを暴く』(門倉 訣著、労働旬報社、1981年)、その後、第一次争議を解決後出版した『自立する労働運動――知られざるインフォーマル組織』(吉村宗夫著、労働旬報社、1983年)。

 

その後、DECメンバーが管理職となり食肉偽装事件を引き起こし、会社をなくされ首切りとたたかった経過を書いた『会社がなくなるとき――雪印食品の企業破壊を許さず』、吉村宗夫著、シーアンドシー出版、2002年]参照。

雪印食品松崎人事部長が「労働委員会」で全容をしゃべったことは、今でも覚えている。

この人は今、どうしているのだろうか。

 

総評全金つぶしや食品・乳業関係、航空関係などのインフォーマル組織に係った人物の告白をしてもらう時期ではないか。

 

雪印資本の悪逆非道の労働組合つぶしの歴史から学ぶ

労働相談、労働組合スタッフの個人日記

2008/11/4() 午前 6:59

http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/46462157.html

 

まとめていただいた方は、長崎広さん(全国一般東京東部労組副委員長、当時)で、ほとんど引用ですが、「JC・同盟から連合へ」つながるテーマだと思っています。
(◇以前の文書では、お名前を間違えて書いていたことを、先ほど、教えていただきました。長崎さんとは、その後、NPO障害者の職場参加をすすめる会主催の「人間を取り戻せ!大久保製壜闘争の記録」――「共に働く街を拓くべんきょう会、第52回、2018年4月20日(金)」という勉強会で話していただきました)
     http://e-kyodo.sakura.ne.jp/syokubasanka/180317ookuboseibin.html

 

 

私たちがまともな労働組合を作り立ち上がった時、必ず(ひとつの例外もなく、必ずです)会社は巻き返し、労働組合つぶし攻撃をしてきます。

以下、その典型として雪印の例を、以前学習会用にまとめたものです。参考にしてください。

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(
)雪印が労働組合をつぶすために、会社秘密組織「DEC」を作り、組合内部に会社の手先となるグループを浸透させ、労組全役員を奪い、御用組合化へと転覆した後、このグループの主導のもと、10年かけて活動家や良心的組合員を暴力的に苛め抜き、1000名を退職強要させた暗黒の歴史。

71年、雪印食品労組(ユニオンショップ、組合員2000名。全国14支部、5工場)春闘1時限ストライキ。昇給20%獲得。
72年 総評,食品労連参加、組合内サークル活動(スキー・コーラス・山岳等活発)。
会社「DEC」結成。参謀長人事部長松崎
73年 DECメンバー2名労組役員に進出
74年 DEC労組副委員長取る.東京工場労組役員全てDECに取られる。
75年、労組大会(全役員DECメンバーに一気にのっとられる.無血クーデター )
    労働条件の改悪と活動家への攻撃開始
    RP(村八分)作戦、スライス(退職強要)作戦配転、差別、暴力。
三名の不当解雇撤回の闘い始まる(雪印第一次争議)
76年 DECの存在始めて、発覚。
77年 職場内攻撃つづく
78年 同上(退職者は1000名に及ぶ)
82年 DEC参謀長松崎元人事部長、埼玉地労委で全てを暴露証言。マスコミでも取り上げられる。争議全面勝利(地労委和解、三名完全職場復帰勝ち取る。賃金差別撤回等)

()DEC
表向きは、グループ活動としての「デイベロプメント、エドュケート、コミニィケーション」、実は「デイフェンス、エンタープライズ、コミュニストパーティ」

司令塔・・・日本政治経済研究所(三田村労研)研修会・反共・右翼思想団体・労務ゴロ提供機関
参謀長 松崎人事部長
参謀 各工場長・各支店の課長

①労働者「政治地図」作成。◎○□△×
◎ ・・・DECメンバー(出世の約束、いい仕事を与える.給料厚遇)
○ ・・・DECの候補者(DECの存在は教えない。関係つくり。考課は配慮)
□ ・・・中間(仕事を利用して、個人的関係作る。考課は配慮しない)
△ ・・・活動家に近い(完全に無視。働くだけ働かせる)
× ・・・活動家(RP村八分作戦、退職強要)
②目的
 労働組合の御用組合化(執行委員会・役員の会社側人間で乗っ取り)と活動家と良心的組合員の放逐・自己退職へ追い込む。
③秘密組織
縦関係だけ。親と子。子は互いに知らない。文書は渡さない、メモは取らせない。経費。何千万円全額会社持ち。会議は秘密アジトで。
④研修内容
 ⅰ、闘う労働運動批判
    労使協調主義労組へ

 ⅱ、活動家批判
・アカ、共産党、過激派キャンペーン
・会社乗っ取られる。会社つぶされる。
・政治闘争批判
・争議支援(動員)批判
・組合費批判(高すぎる、使用が不明だ)
・皆の声を聞かない
・なんでも反対の組合
・ストライキ批判

 ⅲ、会社の利益
・会社あっての社員
・まず会社がもうけてから、分け合おう(パイの分配論)
・労使協調

 ⅳ、争議・闘争記録映画を上映し怖がらせる
   成田闘争・ペトリカメラ第一次争議等

 ⅴ、団交方針
・社長は出席するな ・単なる時間稼ぎの場 ・協定取るな ・団交ルールを作れ
・団交拒否の正当性を言い立てろ

⑤手口その一 *思想攻撃
反組合のDECメンバーを密かに拡大させていき、まず、組合内部に執行部批判・不満を広げていく。次に、政治闘争批判、党派批判、総評批判と続けていく。
最初は代議員。そして執行委員、次に三役、最後は委員長を奪取する。

⑥手口その二 *同じ職場職制・労働者からの暴力
すさまじい暴力支配と非人間的いじめの退職強要の数々、集団暴力・結婚式当日!のいじめ。飲み会の場を利用しての暴力・・。

⑦手口その三 *仕事上を利用して
 異物混入事件のでっち上げ。仕事の取り上げ。 始末書の連発。配転。

⑧腐敗・荒廃・堕落の職場モラル
歩留まり200%運動(ハムに水と澱粉を加えて二倍の重さにする)

⑨偽装詐欺事件の犯人で役員もDECメンバー
広瀬営業本部長はDECメンバーで元雪印食品労組中央本部委員長(2002年5月広瀬以下5名の幹部は詐欺事件で逮捕)。岩瀬社長はDECの暴力的尖兵として、85年に東京工場支部の書記長になった男。伊藤人事部部長もDECメンバー。

()会社の腐敗は全て、労働組合つぶしからはじまった
反人権・反労働者・反法律・反社会的行為・暴力・裏切り・自己中心・自己出世・金もうけのみの職場の雪印の資本、経営陣共にとっては、食中毒事件・詐欺事件は必然。
事件の首謀者はDECメンバーであり、会社そのものだ。会社をつぶしたのは、会社である。会社の労働組合つぶしこそが全ての原因である。
2000年6月 雪印乳業 食中毒事件(15000人、一人死亡)
     9月 1000名希望退職
        21製造工場を12に削減
2002年1月 雪印食品 偽装詐欺事件(1億9千万詐欺)
     2月 雪印食品解散決定(社員945名・パート981名解雇)

()雪印だけではない
70・80年代の資本の秘密組織を作っての労働組合の乗っ取り、分裂攻撃
明治乳業(至宝会)
共同印刷(新生会)
プリマハム(PMC)
武田薬品(職防会議)
日産・新日本製鉄・北辰電機・東京計器・住友化学・石川島播磨・エールフランス等、全国に及んでいる。
 
ネッスル日本労組(2000名、82)

「ネッスル日本良くする会」・・・・家庭訪問・署名運動・投票工作・組合脱退強要・退職強要

* 労務屋導入

* 「もう我慢できない本部の独裁と圧制!」のビラ

*分裂組合結成1700(300名は残る)

 

AGS労組(2800名日航の整備等、75)

「親睦団体」・・・・二組結成2000(800名残る)
会社が三年かけて、組合つぶし攻撃。

  会社の秘密文書 「体質改善が不可能な場合は、徹底的に壊滅作戦を講ずべし」「脱退工作を協力に進め、組合の収入を減少させ、活動を停滞ならしめる」

 

サンスイ労組(230名、74)

覚せい剤謀略犯罪

  三年前からの秘密裏の組合つぶし攻撃

 

東部労組大久保製壜支部(87年)覚せい剤謀略事件

 全国一般東京東部労働組合(略称:東部労組)の書記長。東部労組は1968年に結成された個人加盟型の地域合同労組。NPO法人労働相談センター副理事長。ジャパンユニオン副執行委員長。 労働相談はこちらへ電話 03-3604-1294  メール consult@rodosodan.org

  東京都葛飾区     http://blog.goo.ne.jp/19681226_001

 

 ▽現代労働組合研究会のHP

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/111210roudou-index.htm

  「インフォーマル組織の過去・未来」をUP――現代労働組合研究会のHP 

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-82a1.html

 

2012年9月18日 (火)

ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2

 戦後の日本労働問題におけるインフォーマル組織の分析をした研究者のお一人、山本潔さん(東大名誉教授)は(東芝の扇会を研究、「大企業の労資関係──“フォーマル”機構・“インフォーマル”組織──」、山本潔『論文集「労資関係・生産構造」』2000年,ノンブル社所収)、下記の書評で、インフォーマル組織についていくつかのタイプを紹介している。

 書評と紹介:金杉秀信著『金杉秀信オーラルヒストリー』評者:山本 潔(大原社会問題研究所雑誌 No.6272011.1

 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-05.pdf

 

ネッスル日本の場合、そのうちの一つ、[会社の人事担当セクションと社外の職業的労務対策機関との協働のもとにつくられたもので,その代表的事例は東芝の「扇会」であり,似而非「自発的」な非公開丸秘(○の中に秘)の労務対策のための“インフォーマル”組織である。]――これに近い労務屋さんが関与したことを示す判決文がある。

 

 この判決で書かれている事実は、アメリカ海軍極東輸送司令部で人事・労務と日本コカコーラ株式会社で人事を担当していた人物→総評全国金属のNCR労組(当時は、ナショナル金銭登録機といったはず)の乗っ取りの人物などの外資系労務ネットワーク(人脈)が登場していることがわかる。

 

 いつか書いたが、労働問題は「企業小説社会」の表面なのだ。

 

  ネッスル電気主任技術者解任等
 昭和57()650 昭和630607日 静岡地方裁判所

 http://hanrei.biz/h71315

 

 (3) 被告会社の組合敵視の政策について

  ① 被告は、ネッスル日本労働組合が設立された昭和四〇年一一月から数年間は、いわゆる外資系の企業として職場の労働条件を整備するために、右労働組合ともある程度妥協してきた。しかしながら、右労働組合が、昭和四六年五月の労働協約獲得後、昭和四七年四月以降春闘でストライキを行ったり、昭和四九年秋以降秋闘を組織したりして、また頚肩腕障害問題に組合が本格的に取り組むようになって、組織が強化され、運動が前進してくるとともに、被告は組合を敵視するようになった。被告は、昭和四八年に労務専門部として労務部を設立した。昭和五〇年には、人事部にaを入れた。同人は、アメリカ海軍極東輸送司令部で人事・労務を、日本コカコーラ株式会社で人事を担当していた人物であった。そして、昭和五一年四月には、やはり外資系の企業である日本NCR大磯工場で人事・労務等を行う総務部長をしていたbを労務部長代理として入社させた。さらに、昭和五二年三月には、やはり日本NCRにおいて労働組合の書記長をしていたcを労務部に入れた。同人は、全国金属労働組合NCR支部の書記長をしていたが、同組合の右翼的分裂に積極的に加わり、自らも第二組合に走った者であった。このように、被告は、人事・労務に、外資系の企業の人事・労務部門を専門的に渡り歩く者や、労働組合内部にあって組合を使用者に従属させるように変質させてきた者を配置してきた。そして、昭和五二年には、労務部を社長直轄とした。これらは、昭和五六年以降顕在化したインフォーマルの動き、組合分裂策動の布石であった。こうした中で、労働組合と会社との労使関係は、緊張化を増した。昭和五三年三月には、右aが社員研修会において、組合の頚肩腕障害に対する取り組みを弱くするため、また組合不信を社員につのらせることを意図して、不当な組合攻撃発言を行った(以下「a事件」という。)。このa事件については、昭和五三年四月、兵庫県地方労働委員会に不当労働行為の申立がなされた。その後、労使関係は極度に緊張し、裁判所・地方労働委員会に係属する事件が急増した。

 

  ② 被告労務部は、昭和五七年六月一八日以前から、キースタッフ(課長以上の管理職)に宛て、秘密文書「CONFIDENTIAL」を作成し、その内容を会社に周知させた。それは、ネッスル日本労働組合の本部批判であり、本部執行委員会が共産党系であるとか、弁護団が共産党系であるとするもので、徹底した「アカ攻撃」をしている。被告が、ネッスル日本労働組合のたたかう姿勢を敵視していたことは明白である。これらの攻撃は、右キースタッフを経由して、文書そのもの、あるいは会社教育等を通じて下級職制にまで徹底されていた。

 

 ③ 被告は、昭和五六年になって、管理職が中心となり労働組合の転覆を目的として、下級職制を結集して、インフォーマル(非公然)組織を作った。右のインフォーマルの動きとして、昭和五六年の春闘のスト権確立投票において、×印(ストに反対の意)をうつよう組合員に工作してきた。また、昭和五六年の第一六回全国大会の組合本部役員選挙に当って、インフォーマルのグループは、はじめて定数一杯の対立候補者を立てた。これらのインフォーマル派の主張は、「組合の本部は闘争至上主義だ。」とか、「本部提案の公認会計士は共産党系だから変更しろ。」とか、労働戦線の統一問題については、「本部の方針は、統一労組懇の主張と同じだ。」などというもので、くしくも、前記秘密文書の論調と全く符号するものであった。被告は、右インフォーマル組織を使って、昭和五七年八月には、第一七回全国大会の役員選挙に介入し、各種の選挙干渉をさせた。また、同年一一月には組合本部を分裂させ、同年一二月以降は、全国各地の組合支部を分裂させた。島田支部は、一二月一九日に事実上分裂したが、被告は、この選挙に当って第二組合づくりのために支配介入を行った。

 

  ▽ネッスル日本労組の情報

   ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ
   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html

   ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-bf1d.html

   ネッスル日本労組の争議和解 (13.10.05)

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d993.html 

 

2012年9月17日 (月)

ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ

   華麗なるテレビCMの裏側で

 今回は、インスタントコーヒーの製造・販売会社で、1960~70年代の高度成長社会で、テレビをはじめ斬新なCMで一躍、日本の消費者の心と嗜好をつかんだ外資系のネッスル日本。

 この会社にも、日本人の昇進昇格的人生で躍らせて、インフォーマル組織が暗躍していた。

私たちは、『雪とふきのとう――雪印の陰謀を追って』(門倉 訣著、労働旬報社、1981年、その後、第一次争議を解決後出版した『自立する労働運動: 知られざるインフォーマル組織』、吉村宗夫著、労働旬報社、1983年の2冊)を出版し、社会的に警鐘を鳴らし続けていたときに、ネッスル日本労組東京のSさんが訪ねてきた。

「どうもうちの会社もインフォーマル組織が暗躍し始めたようだ」という相談だった。

その後、今日までネッスル日本の労働者のたたかいが始まっている。以下にWEB上に読めるものを書いておく。

 国連人権委へのレポート――「国連人権委員会へのカウンターレポート」(2004630日付)の全文です。 

  多国籍企業に国際労働基準を守らせるたたかい  ネッスル日本労働組合

  http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page100.html

ネッスル電気主任技術者解任等
昭和57()650 昭和630607日 静岡地方裁判所

http://hanrei.biz/h71315

 四半世紀に及ぶ最悪の労働争議(2008年の「週刊金曜日」10/13日号)より

ネスレ日本は八〇年代初頭、当時二〇〇〇人以上の組合員を擁し、賃金・権利闘争に底力を発揮したネッスル日本労組を嫌い、会社派による乗っ取りを画策、これに失敗すると八三年、御用組合(第二組合)を旗揚げさせた。組合の分裂以降、会社は、利益誘導や脅迫などありとあらゆる手段を使って第一組合員への脱退工作を仕掛ける一方、脱退を拒んだ労働者には職場八分や暴力、賃金・仕事差別などさまざまな人権侵害を繰り返し、第一組合を一〇〇人未満の少数派に追い込んだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/40534669.html

 

【保存版】いま島田工場で
2006年4月)

島田工場の不当労働行為をリアルタイムでお伝えします

http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page158.html

ブログ「薔薇、または陽だまりの猫」で2000年代の最高裁判決までの経過参照。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/s/%A5%CD%A5%C3%A5%B9%A5%EB

 

Sさんは、当時、東京争議団運動の中核になった沖電気争議をよく知っていて、70年代の東京・北区での日本製紙争議を家族が直面した経験がある誠実の人だった。何回か話していると、どうしても労働組合を残したいという強い思いを持っていた。

Sさんの話を総合的に読み取ると、すでに東京、神戸、霞ヶ浦工場、島田工場、日高工場で争奪戦が始まっていた。

どのように対応するか、東京レベルの組合執行委員会で、「インフォーマル組織のつくられ方、なぜ秘密労務組織といわれているのか、外部の労務屋のビジネス戦略、企業内部の不安材料、外資における企業戦略」などを、自由に話し合った。

そのとき、「ネッスル日本のモノカルチャ・ビジネス戦略をどう思うか」と聞いてきた執行委員がいた。その中身は、インスタント・コーヒーの単品ビジネスへの不安だった。華麗なるテレビコマーシャルの影に、日本人社員には未来への不安が沈殿していた。

当時、多国籍企業という概念が労働組合運動の中では希薄で、その実態についても不明な人が多かった。私は、教育社の新書版で『多国籍企業』(1978年)を書いていた評論家・水沢透さんを訪問し、その実態について、特に日本に進出しているネッスルなどの総合的企業戦略のレクチャーを受けて、その場に臨んでいた。

「わが亡き後に洪水はきたれ」の精神を地で行く、ヨーロッパ独占・多国籍資本の企業ビヘイビア(軍需産業・薬品産業などが著名だった)のすごさと強引さを日本で展開するために、いまインフォーマル組織が登場している、と話した。

Sさんに代わってN副書記長が、「東京レベルで相談できる労働組合運動のリーダーを紹介してほしい」という相談があり、ネッスル日本東京本社(?)がある中央区労協のSさんやニチモウキグナス労組のAさん、同ニチモウキグナス労組の顧問弁護士をやっているBさんをなどの名前を挙げ、会ってみたらどうかと話した。「第一組合」を残す戦略は、実践家に担ってもらった。

その後、N副書記長といっしょに茨城の霞ヶ浦工場を訪問したが、私よりも若い無垢な青年労働者たちの元気さと反比例するように、その後の彼らへの攻撃のすごさを予感し、「身震い」をしたことがある。彼らへの攻撃の事実は、上記の「週刊金曜日」を読んでほしい。

 

ここからは危ない話。企業への不安を語っていた執行委員数名が、会合のあと私を酒席に誘ってくれた。飲むのも取材のうちと思っていたが、その席にはSさんがおらず、「変だな」という思いがあった。

執行委員たちは、口こもごも職場の変化や見通しを語り、やっぱり「労務屋さんに誘われて学校に行っているものがいる」「見通したとおりだ」と話しかけてきた。

「2軒目に行きましょう」という調子のよいお誘いに、ついつい誘惑されて連れて行かれた場所が新宿歌舞伎町の中の「ゲイのジュータンバーだった」。

「みんなずいぶんお金があるんだな、ネッスルはそんなに金を貰っているのか」、とふとよぎったのは事実で、酒が進むと、ゲイのショーが始まり、パンツにおひねりを差し込んで喜んでいた。しまいには、執行委員代表格のメンバーの一人が「どうですかお一人」という暗示をかけてきた。

「ハッ、とさせられた」。これはやばいぞ、という声だった。

ある先輩から教えられて読んでいた小説家・黒岩重吾の世界に足を踏み込んでいたわけだ。彼の本を読んでいなければ、「危ない世界」へ陥落していた。

その後の話だが、彼らは自らのインフォーマル組織をフォーマル化して組合乗っ取り戦略を発動した。やっぱり金があったのだ。

 

  ▽ネッスル日本労組の情報

   ネッスル日本の経験――インフォーマル組織物語 Ⅲ

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fa49.html

   ネッスル日本の労務屋さん――インフォーマル組織物語Ⅲ―2

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-bf1d.html

   ネッスル日本労組の争議和解 (13.10.05)

   http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d993.html 

 

 

 

2012年9月16日 (日)

富沢賢治さんのHPをオープン

   ▽追記(2015.09.17

   スマホ向け「富澤賢治のページ」

   http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tomizawa/sp/smartphone.html



 社会的経済、非営利・協同のテーマを追求している数少ない研究者・富沢賢治さんのHPを正式にオープンした。

 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/tomizawa/tomizawa-index.htm

 

  Tomizawakenji

 

富沢さんは「国連の2012国際協同組合年」にあたり、「協同組合憲章の制定」に尽力している。

 さきほど、家の光協会から『協同組合憲章[草案]がめざすもの』(編著者 2012国際協同組合年全国実行委員会、富沢賢治他著、2012年4月、定価:本体600円+税)を執筆している。

 

 富沢さんの最初の出会いは(こちらがあったのは)、1970年代の「夏の労働学校」(新日本出版社の『労働・農民運動』誌主催)で法政大学の私の恩師・中林賢二郎さんに質問をしている人だった。内容は覚えていないが…。

 中賢さんに原稿を貰いに言ったとき、「分かっているのに質問して」とやや後学の富沢さんを僕に紹介するように、ニコニコして話していたことを記憶している。

 そのため「紀要」(大学・研究所・博物館などの研究機関が発行する研究論文・報告等を掲載した定期刊行物)を調べたら、「一橋論叢」に「レーニンのイギリス労働運動論」や「レーニンの「労働貴族」論」などを書いている人だということが分かった。

 これらの論文を編んで出版した『唯物史観と労働運動―マルクス・レーニンの「労働の社会化」論』(富沢賢治、ミネルヴァ書房、1974/10)の前の夏ではないかと思う。

 「へー、中賢さんとは違っても同じテーマの研究をしている人が、世の中にいるんだ」と記憶しているので。

 

ある時代――1980年代に労働旬報社主催の「現代研究会」(代表は哲学者・山科三郎さん他)が毎月、社内で開かれたときに参加してきて、常連執筆者の一員となった。

 

 その時代に書いていただいものは、以下のようなテーマだった。

 

労働者協同組合運動とは何か(労働者協同組合と現代<特集>)―― (海外の労働者協同組合)、富沢 賢治、賃金と社会保障(934)、 p2732 19860325

労働者協同組合国際博覧会からの報告、富沢賢治、賃金と社会保障 (923)、 p2325 19851010

国民春闘再構築の基本戦略――人づくり理念をもった国民運動の強化(85年版春闘読本)、富沢賢治、賃金と社会保障 (905)、 p3945 19850110

労働組合運動の新しい理念――「高賃金」から「人づくり」へ、富沢賢治、(黒川俊雄編、現代労働の支配と変革、シリーズ現代の労働と生活Ⅰ、労働旬報社、198411

現代技術革新と国民生活の展望(技術革新と婦人労働者(婦人労働問題研究―6―)<特集>)、富沢賢治、賃金と社会保障 (893)、 p48 19840710

"サラ金時代"の賃上げ闘争 (84年春闘読本 ― 私の発言―人間と"原点"をふまえた労働組合運動を期待して)、富沢賢治、賃金と社会保障(879)、 p2022 19831210

 

 その後、1990年代初頭にヨーロッパの労働者協同組合実態調査のために、菅野正純さんと一緒にベルギーのブリュッセルのEU本部やスイス・ジュネーブのILO調査に同行し、勉強したことがある。

 

 ここでも記憶で書くが、欧州自由労連・ETUC――《 European Trade Union Confederation 》欧州労働組合連合。欧州労連。1973年、ICFTU(国際自由労連)の欧州の加盟組合が結成した地域組織。のち、WCL(国際労連)・WFTU(世界労連)の加盟組合も参加。本部はブリュッセル――での取材を横で聞いていて、芳しくない評価をその役員がしていた。

 その当時の日本における「ワーカーズコープ(労働者協同組合)」の評価と同じ印象を与えた。

 

その後の富沢さんのご活躍は、ホームページでご覧いただきたい。

本ページづくりを、「現代と協同」研究会の第一弾として出発したい。そして大きな意味で「現代労働問題・労働組合研究会の一環として」、編集していきたい

 

 ▽追記(2015.08.15

  戦後70年と私! 戦争しない社会をつくる――富澤賢治さんの思い

  http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/70-ce30.html

 

2012年9月10日 (月)

インフォーマル組織物語―その2

 

  ある電機産業大手組合リーダーの決断(下)

 

 組合は品川駅近くの一流ホテル内対策会議で全国からの情報を集め、組合三役を中心に整理して、1カ月ほど話し合いをすすめていた。その間、こちらは週1回ほど傍聴者として参加していたが、どうみても背後に組織を持っている人たちではなく、企業内従業員組織で、「意識的に労働組合役員になっている」としか見えなかった。

 学生時代、全共闘系のデモに出ていたという三役の一人も、話していると「山手の都立高校出身者」で「私の友人たちレベル」の社会認識だった。

1980年代の本社サラリーマン・SEの技術者・運送関係の労働者を中心にしていた組合執行部だった。いまでいえば「無党派サラリーマン労組」だ。

 

 前回のこちらの質問を補う意味で、1970年代からの大企業における企業別組合の連続する敗北を、別個にY委員長とじっくり話し合った。

 1 日産厚木で「7人の組合員の除名解雇」をフォーマル組織になった「日産労組・塩路天皇」の指揮の下で起こっている事件(『青い鳥はどこへ――日産厚木除名解雇事件』、青木慧著)。 

 

2 沖電気争議団(情報化社会に突入するため血の入換え戦略を容赦なく追求する会社側と新左翼活動家も含めた統一争議団ができた経過)の現状と解決後の展望。

 

3 千代田総行動(千代田区労協を中心に報知新聞・印刷労働組合などが核にたたかかっている東京争議団の運動)の下で解決した「三菱樹脂・高野事件」(『石流れこの葉沈む日々』、労働旬報社刊)のみんなとその後。

 

4 総評の中の戦闘的労働組合・全国金属が70年代から集中的に狙われた経過を暴露した『狙われた労働組合』(金属反合理化闘争委員会)を編集しているケース。

 

5 新潟県上越市にある日本ステンレス労組(社会党系)の組合乗っ取り攻撃に、現職の鉄鋼労連幹部が陣頭指揮に当たっている現実。

 

6 雪印食品・雪印乳業・明治乳業・ネッスル日本の組合壊滅・乗っ取り戦略の現場を見て、消費者サイドに近い食品企業でも、インフォーマル組織の猛威が押し寄せている現状。

 

7 全造船における三菱造船長崎や石川島分会の敗北による「代々木系のもぐりこみ戦略」について。 

 

8 統一労組懇系の活動は、ほとんど大企業に影響を及ぼしていない現状について。

 

以上の様な大企業社会における労働組合の現状を解決する労働組合リーダーは、残念ながら日本にはいない、と私が思っていることを話した。

 

最後に、質問として、「あなた方の現状を会社側はかいかぶっているのではないか」と率直に聞いてみた。そしていまではなく、時間をかけてまた話し合いましょうということになった。

 

企業内従業員組織だったこともあり、1カ月もすぎたころ組合が重要な情報をつかんだようだ。その会議では、以下のことが書記長さんから報告された。

1 ○月○日、箱根・宮下の富士屋ホテルで彼らの集会が行われる。

2 陣頭指揮にあたっているのは、会社の「番頭」といわれる人だ。

3 参加者のメンバーは、全部は分からないが10名以上、分かった。

4 労務屋の資料はここにある。

5 行動として、全員の写真を撮る配置をする、とその作戦を話した。

 

私はその労務屋さんの資料を見て。全金八重洲無線(いまもJMIU加盟労組が残っているはずだが)を攻撃した部隊と同じだった。

 

組合の方は燃え上がってきたが、こちらは不安でしょうがない。

Y委員長から会議後、新橋駅まで一緒に行き、彼なりの考えが明かされた。


 
 「自分たちは組織を持っていません。いたとしても沖電気型争議団になってもたたかうという人はいないと思う。30代の組合執行部メンバーは、サラリーマンです。無理はさせられない」「番頭は、見誤っているというアドバイスは正確です」

「自分は、争議を起こさないたたかいで、会社側に反省を求めたい。賢人と言われている社長に直談判をして、この攻撃をやめさせたいんです。そのときは労使対等原則の宣言をして、委員長を交代する覚悟です」と胸のうちを話した。

 

私の方は、その前に「“情報化社会に突入する○○○○”という講演をNEC社長の関本忠弘(当時)さんに依頼して、自分たちのスタンスが、労務屋さんの分析と違うぞ、という反撃を考えたらどうか」とだけアドバイスした。

組合は早速、NEC社長の講演を組合員向けに企画し、その報告紙面で、「情報化社会」への急速な変化とグロバリージェーションに立ち向かう、自分たちの労働組合の役割を訴えた、

 

その後、彼らはアメリカ帰りの賢人社長を空港で対面し、自宅で話し合いをもった。

1 会社の行く末は、労働争議が起こる会社にしてはいけない、

2 「情報化社会」は労使対等原則でのりきること。

3 番頭の指揮をしている現在の「秘密労務組織・インフォーマル組織づくり」は、社員の意識分裂を起こし、活性化につながらない。

 

この経過は、執行部の高感度マイクで外に待つグループメンバーのもとで録音されていた。

賢人社長はその場で「番頭」に連絡し、やめさせた。

 

このように、私が知っている100に近い敗北の歴史のなかで、インフォーマル組織(秘密労務組織)に反撃したケースは、ほとんどないのではないかと思う。

このような「自己の良心にかけて団結を守る」労働組合づくりネットワークをめざす組織(総評にもそのような部署がなかった)がないことも不思議だった。

 

 

(注)上記の『狙われた労働組合』(金属反合理化闘争委員会)について、タイトルが不正確で申し訳ないですが、実物を探しています。

 当時、医療機器製造系の企業労働組合の幹部が相談にきて、データや取材事実を提供して、IBM日本本社の広報雑誌(きれいなテーマもいい)の編集長が執筆してくれた冊子です。

これを読んで覚えがある方は、下記にメールをください。

 sin_ryo11731あっとまーくyahoo.co.jp(あっとまーくを@に)

2012年9月 9日 (日)

小越洋之助さんのHPをオープン――現代労働組合研究会ⅩⅢ

 この20年間の日本における賃金問題は、賃金水準、最低賃金制から年功賃金、女性賃金(性差別賃金論)、非家族賃金論、非正規賃金論など、さまざまの問題が生起している。その割には、研究者や労働組合運動家の側は、反撃のイニシャチブを取れていない状況は、目に見えている。

本サイトに収録した小越洋之助さんの「年功賃金と性差別賃金」、「雇用壊し・賃金壊しー市場原理主義者の論理とその問題点」、「成果主義人事の理念と現実」などを読んで、資本の意図、労働側の対応、研究者側の見解、本来のとらえ方(小越さんの考え)を学びあってほしい。

「小越洋之助のページ」の柱は、「小越洋之助の仕事(単行本)」「小越洋之助のProfile」「小越洋之助の論文・書評」「小越洋之助・私の趣味」だ。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/ogoshi/ogoshi-index.htm

 

   Ogoshi

しかし問題がやや複雑なのは、春闘の敗北(1970年代末から)以後、会社側の一方的な賃金管理が進行したもとでの賃金問題として、「労働者間の内部配分」的議論が出ていることだ。

 

また、地方公務員の賃金水準が、地場労働者のそれとの比較で、「大阪の橋下市長閣下」などから「バス労働者が700万以上もとっている」という声の大きさに市民が共鳴している「引き下げ民主主義」の時代にある。


 「連合」主導の労働組合運動の下、労働組合の役割の低下がどの人から見ても歴然としているのに、対抗する人たちの声がまだつながっていない。選挙の前に労働組合活動家の養成を! と願わずにはいられない。

 

 


▽主なサイト収録論文・書評

【書評と紹介】『国民的最低限(ナショナル・ミニマム)保障』(黒川俊雄・小越洋之助・真嶋良孝・増田正人/大月書店2010年)――湯川順子、総合社会福祉研究、第39号、201112

【書評と紹介】『終身雇用と年功賃金の転換』(小越洋之助著)、片岡洋子、大原社会問題研究所雑誌、第578号、20071

 

公契約法・条例制定の意義・現状・課題――公正なグローバル化へ向けての対抗戦略 (特集 いまこそ!  公契約)、小越 洋之助、賃金と社会保障 、第1502号、200911

「年功賃金と性差別賃金」『研究機構インフォーメーションサービス』第73号、自治労連・地方自治問題研究機構、20071

【書評と紹介】 遠藤公嗣著『賃金の決め方――賃金形態と労働研究』、小越 洋之助、大原社会問題研究所雑誌 第568号、20063

「成果主義人事の理念と現実」、労働法律旬報、第15911592号、20051月上・下旬号

「不安定雇用・労働条件格差拡大と労働組合の役割」、賃金と社会保障、第1384号、200412月下旬号

特集 社会制度の「世帯単位から個人単位へ」とは 賃金・税制・社会保障 「世帯単位」から「個人単位」への大潮流をどう読むか、小越 洋之助、賃金と社会保障、 第1327号、 20028

貧困ライン・最低賃金制・リビングウエッジ――アメリカ・イギリスの動向と日本の読み方 (特集 最低賃金制の考察――米・英・日本 所得保障のナショナル・ミニマム 試論的問題整理(2))、小越 洋之助、賃金と社会保障 第1311号、 200112

「雇用壊し・賃金壊しー市場原理主義者の論理とその問題点」、賃金と社会保障、第1267号、20002月上旬号

「オランダにおける就労インセンティブ政策と社会保障」、国立社会保障・人口問題研究所、海外社会保障研究、Winter,1998

「労働市場の弾力性(フレキシビリティ)について」、國學院経済学、第3734号、1990

2012年9月 5日 (水)

InDesign・DTP初心者のために――DTP・InDesign5において-0 

 2年前に書いた文章だが、本ブログの「InDesignCS5」検索で以下の項目に、たびたび初心者のDTP・WEBデザイナー、編集者が立ち寄ってくるので、ここに再録しておく。

 

 

 いい情報提供になることを期待して。 

 

脚注(数字)の付け方の発見――DTP・InDesign5において-1

「句読点の半角モノ」・禁則処理――DTP・InDesign5において-2

くの字点(くの2字分)の発見――DTP・InDesign5において-3

背幅と表紙づくりの寸法のとり方――DTP・InDesign5において-4

クエスチョンマーク(?)とビックリマーク(!)の合体記号(!?)の読み方――DTP・InDesignCS5において―5

○(まる)の中に文字をどう入れたらいいのか――DTP・InDesignCS5において―6

脚注・ルビ(数字)をショートカットで――DTP・InDesign5において-

 

 

 

 ◇InDesignと格闘

 

 これまで、DTP(本や雑誌、タブロイド判の新聞などの編集に際して、割付などの作業をコンピュータ上で行う)は、MACで行ってきた。私だけでなくほとんどみんなはそうだったのではないか。

 

 それも10年前のMAC(OS9.2)でQuarkXPress(クォーク・エクスプレス)のバージョン4.2だ。

 

 私は事務所を手放してから、逆に本格的にDTPの勉強をしてきた。

 

 DTPはQuarkXPressとPhotoshop、Illustrator9.0の3つのアプリケーションを使いこなさないとできないので、解説本を図書館から借り出し、学び、これまでいくつかの仕事をすすめてきた。

 

 とにかく90年代から、デザイナーの仕事は、この「3種の神器」が主流で、ほかのソフトは見向きもされていなかった。

 

 ビールの世界は、「キリンビール」から「アサヒビール」にTOPメーカーが移ったが、デザイナーの仕事に、WINDOWS版登場するなど、ありえないことだった。 

 

 数年前からDTPの主流がINDESIGN(MAC版もあるが、WINDOWS版が主流)、に移ってきたのは、DTPに関するインターネット上での議論からは分かっていたが、「ノーマネーの状態ではいかんともしがたいなー」と、思っていた。

 

 ところが、『さいたま高齢協』の印刷をやっている双信舎印刷(さいたま市)のT女史から、「WINDOWS版のINDESIGN」に替えてほしいという、強い申し出があり、やむなく大枚○万円をはたいて、買った(後に、さいたま高齢協のTさんが「高齢協の仕事のため」ということで払っていただいた)。

 

 とくに5月末(2010年)にINDESIGN CS5が発売されるのが分かっていたので。

 

   ◇ぜんぜんわからなかった

 

 このINDESIGNは、「QuarkXPressを使っていればすぐにわかりますよ」(T女史)という甘い言葉に誘われて、チャレンジしたが、さっぱりわからない。

 

 とにかく使う言葉がぜんぜん違い、なにがなんなのかわからないまま出発した。

 

 購入した解説本・『InDesign CS4 速習デザイン レッスン&レッツトラい形式で基本が身につく』(技術評論社)を読んで前学習に励んだが、やってないから覚えた端からすぐに分からなくなっていった。

 

 「歳にはかてないな」とため息をつく。

 

 実際、インストロールを終えて、すこし触ってみた。最初は全然ダメだった。

 

 あきらめかけたときに、Indesign/インデザイン使い方講座や「InDesignの勉強部屋」を発見して、再チャレンジした。

 

 文字入力はわかったが、どのようにつづけるのかわからない。

 

 文字を次の囲みにおくる(リンクする)→Ctrlを押さえて、画面上の本文末の赤いカコミをクリック→マウスの先に本文が浮かぶので次の段に持っていき、クリックすると一段分できる。

 

 「画像」の挿入は、どうやるなか?(本を読んでいたので、ファイルはPDFやEPSでよい)→フレーム(グラフィックフレームでもブレーンテキストフレームでも長方形フレームのどれでもよい)を作る→ファイルから→「配置」(変なネーミングだ)

 

 「配置」したらサイズが大幅に大きい→バーの3つ目。「100%」(上段を25%縮小する)→まだ大きい場合は、同じ作業をする。

 

 「画像の配置」を終えたら、本文が下に入ったまま(これは困ったが)ツールバーの「境界線ボックスで周りをかこむ」をクリック(本文に画像が入った)。

 

 ツールボックスはどこに?→(再起動したら消えてしまった)。→ ウインドウにあった。

 

 ページの拡大→これはMACのときと同じでツールの中の「手マーク」をクリックして本ページ上で当該箇所へ。→ツールの中の拡大鏡マークをクリック→本文の当該箇所でクリック→拡大。

 

 さてこのページを縮小する(これがなかなか分からなかった)→拡大鏡をクリックして、本文中でAltを押しながらクリック→縮小。

 

   ◇フォントがちがう!

 

 これまでつくってきたMACのファイルをINDESIGNで開く→フォントがないこと、リンクが切れていることの警告→Windows内のフォントで置き換え→いつも小塚フォントが指示される(これはなんなのだろう、という疑問があった。これは後述)。

 

 双信舎さんも面倒だから「やっぱり替えてよ」と言ったんだなとしばし納得。

 

 だいぶ分かってきたので、印刷所の双信舎へ出向いて、入稿の仕方を質問。

 

 1 小塚フォントとはなにか→それは印刷ではつかえない→モリサワ書体か ダイナフォントを使ってほしい(え!)

 

 「こちらからダイナフォント集を貸すのでこれを使用してほしい」、とDVDを渡された。

 

 帰ってインターネットで調べたらモリサワ書体を使う場合、年間使用契約・5万円もする。

 

 そのほかに、「モリサワ基本7書体」というパッケージが売られているのを発見。→定価4万8000円→インターネット上で検索して2万5000円で購入。

 

 しかしMACのとき、本文で使っていた「リュウーミンM―KL」がない。

 

 再度、調べたら「Select Pack」(モリサワフォントのラインナップ の中からライセンス数に応じて使いたい書体が自由にセレクトできる)があり、これで購入(2万1500円)。

 

 2 PDFで入稿する(PDFで書き出しプリセット→クイックすると[PDF/x-1a.2001(日本)]から[PDF/x-4.2008(日本)]。→前者で入稿。

 

 3 MACの本体レイアウトを使って入稿→OK。

 

  ▽参考になりましたか。

   下記サイトに「InDesign・DTP早わかり」を一挙にUP。

    現代労働組合研究会のページ

 

 

 

2012年9月 2日 (日)

久米郁男:「日本型労使関係」賛美論を批判する――五十嵐仁のページの更新

 編集者がその研究者・作家・ライターさんの出版物をつくるとき、まず「なぜ今出すのか」「売れるかどうか」という社の企画会議をクリアしなければならないが、最低限、著者の研究レベル、類似の出版物の動向、レジュメ(コンテンツ)検討、などの作業をしなければならない。

原稿が上がってきたときには、書かれている内容の吟味、間違い、他の著者の主張点との関係などを勉強して、OKを出すように出版社の編集者ならばする。

私が五十嵐先生に「久米さんたちの本づくりに編集者がかかわっていないのですかね。めちゃくちゃですね」とメールしたら、怒ったように“「めちゃくちゃ」なのは、編集者ではなく、久米さん自身の主張でしょう。編集者もお手上げなのではないでしょうか。久米さんの本に対して、私以
外、組合活動家を含めてほとんど批判の声が上がらなかったのは大変意外であり、ガッカリしたものです。”と書かれてきた。

その本が、久米郁男『日本型労使関係の成功』(有斐閣、1998年)、水口憲人・北原鉄也・久米郁男編著『変化をどう説明するか:政治編』だ。


 昔、「五十嵐仁の転成仁語」に10回分に分けて連載し、「表題は次のようになっています。①日本の労働者の賃金について、②1990年代における日本の労働者の賃金について、③日本の労働者の労働時間について、④失業率と雇用保障について、⑤デュアリズム論の検証、⑥時期区分の問題性―「新自由主義的攻勢」への無視、⑦「権力資源」論と「政治的機会構造」論、⑧残されたいくつかの疑問点、⑨「日本型労使関係」は「成功」しなかった、⑩何故このような研究が生まれたのか。」と書かれている。

 

 「日本型労使関係」賛美論を批判する――久米郁男『日本型労使関係の成功』についての批判的論評[政治経済研究所『政経研究』第73号(1999年11月)]

  http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/igarashi/120830kumeikuoron.pdf

 

 五十嵐仁先生から「この論文については、すっかり忘れていました。これは、日本労務理論学会の第10回全国大会での共通論題「メガコンペティション下の雇用・労働問題の変容(1)競争と管理」での報告です。その後、『労務理論学会研究年報』第10号(20001210日)に掲載されました」と連絡があり、UPした、

 

 「五十嵐仁のページ」(論攷編)には、もう2本、下記の書評と学会報告もある。

  http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/igarashi/ronkou.html

 久米郁男『労働政治』『大原社会問題研究所雑誌』No.5625632005年9・10月号)  

  https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/562-07.pdf

 「学会報告:労働政治の構造変化と労働組合の対応――政治的側面からみた労使関係の変容」(『大原社会問題研究所雑誌『No.580/2007.3)

  https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/580-05.pdf

はじめに

1 久米郁男『労働政治』の問題点

2 90年代以降における「労働政治」の主体の変化

3 90年代以降における構造とパフォーマンスの変化

4 分析と暫定的結論

むすび―最近の変化と今後の展望

http://www.e-kyodo.sakura.ne.jp/igarashi/120830kumeikuoron.pdf

 

 

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