インフォーマル組織物語―その1
1970年代から80年代にかけて、造船・電機・金属・食品などの日本の大・中小企業に組織された企業別組合の乗っ取り攻撃が猛威をふるっていた。
東京の下町・石川島工場では全造船石川島分会が、大田の金属工業地帯では全国金属北辰電機が、当時の労働界では有名であった。前者は「あたりまえの労働組合へ」と訴え全造船分会を残し、後者では企業内暴力が猛威をふるい「企業ファシズム」という名称まで生まれた。
労働組合の敗北については、戦後直後説(産別会議の崩壊)、1960年代説(下山房雄さん)などあるようだが、春闘の高揚、国民春闘による国民的関心が増した1970年代から80年代初頭も分岐点ではないか。その敗北をしかけ、その先兵役を果たしたのは、財界・労働界が育成した「インフォーマル組織」だ、と私は思っている。
一部の研究者からは、「労働界の陰謀史観」ともいわれたが。
電機産業大手組合リーダーの葛藤(上)
1980年代の半ば、どこの事務所にも必ずあった事務機メーカー。今も大手企業として存在している電機関係企業の組合グループから、相談を受けた。もう時効なので少し記録しておきたい。
彼らは、私が編集した雪印食品の『雪とふきのとう 雪印の陰謀を追って』(門倉さとし著、1981年11月)を読んでいた。またある小さな雑誌に「インフォーマル組織――その過去・現在・未来」という文章を持って社に訪ねてきた。
社が神保町にあったので近くの喫茶店に行き、内容を聞いた。まったく、私たちが書いた中身そのものがその会社内で進行していた。
その当時、私は100カ所近くの企業内組合の人たちと出会っていたので、たくさんの事例・ケースを知っていた。
組合は対策本部を品川駅近くのホテルに置いた。大手企業の労組なのでお金が余っていたようで、3部屋もある部屋だった。そこに、常駐体制がつくられた。全国から執行委員が集まって会議をやることにあまり賛成をしなかったが、会議は別のとことでやるようにアドバイスをして、彼らはその通りやった。
まず私から、インフォーマル組織の歴史的背景、そして、いまなぜ企業はこの組織を活用しようとしているのか分析的提言をした(「情報化社会」、モノカルチャー産業の危機感、アメリカ企業などの日本進出)。
具体論として、下記のような点を話した。
1 インフォーマル組織とはなにか
企業内秘密労務組織――単純な反共組織ではなく、多国籍企業に展開したい企業の欲求を実現するための組織
代表例は、サスコミグループが有名だが、その雑誌はメンバー以外、手に入らない。表向きには富士政治大学などにも参加。
2 企業内労組のっとりの組織論
労務屋さんは「組合員一人当たり2万円から5万円」で引き受ける――この大手企業労組は「億単位ではないか」
2:4:2:2の理論――労働組合側につくのは2割、4割は無関心層、インフォーマル側・5%+15%(共鳴層)、その他2割→いわゆる「政治地図づくり」
「51%」論――「レーニン主義で教育を受けているので、絶対、別組合はつくらないので、51%を確保する」
排除の理論――「情報の共有化」がキーワード。社内情報・人事情報・職縁情報からの排除(村八分)
自己実現の理論――「マズローの5原則」の理論とその担い手なること→それがメンバーの使命(ミッション)という。
執行委員メンバーは、30歳代が中心で、委員長さんが40歳代だった。この人が前の職場で運輸一般(全自運)の企業で労働組合を知っていた。
他のメンバーは、アルコールが入っている時に聞いたが、早稲田大学・明治大学、地方の国立などの大学時代に「全共闘」の末端にいて、デモなどに参加していたようだ。
同世代の書記長さんは、私に会っていぶかった様子だが、当時、沖電気で「大量指名解雇事件」が起こり、電機産業にいたので彼らも知っていた。電機労連には参加していなかったが、労働組合の歴史についても、学ぶ様子が見えてきた。電機労連の指導者が、インフォーマル組織のリーダーの一人だと話したこともショックだったようだ。
このような勉強会の後、宿題を提起して、2回目の会議で、彼らに「カードに書いて、情報の集積・集合」をやってもらった。この手法は、企業内教育で使われていたので、スーッと入って行った。1時間後、一人ひとりが書いた情報がボードに貼られていった。
1 「Y一派」(委員長さんの名前)「S派」(書記長さんの名前)などのことばが出る。
2 各地で、不自然な集まりがある。
3 「富士山に行ってきた」という隠語が出る。
4 仕事以外のメモがある。
5 ○月○日に、箱根に行く。
6 人事課が動いている。
7 「あなたのことを聞かれた」と職場の同僚から言われた。
8 組合への対抗馬に出ないか、といわれた。
9 「Yはアカだ。会社をつぶす男だ」
10 企業内教育で、はずされている人のリストはぼくたちだ。
その上で、彼らに、ポイントとして、2点聞いてみた。
1 少数派になっても労働組合をやりますか?
2 それとも、「会社側に事実を突き付けて、止めさせますか?」
こちらは電機労連の石垣辰男さんや東京争議団を指導していた東京地評・市毛良昌さん、総評の清水明さんとも相談しながら、議論に加わった。
つづきは、次回に書いてみたい。
▽参考
インフォーマル組織物語―その2
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-db50.html
インフォーマル組織―その過去・未来
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm
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