談志狂時代――談志一門の奥深さ
『談志狂時代』(Ⅰ・2008、Ⅱ・2009年、うなぎ書房)を読んだ。
なるほど、志の輔、志らく、談春という「三羽烏」と並行して、談幸さんがいることがよくわかった。
それも本の袖には、「談志門下で唯一の内弟子修業経験する」と書かれているほど、談志大先生の趣味・怒り・食など全身(志らくさんの「全身落語家」とは別の視点でという読者の側の読み)を知っている。
著者も“「清潔」「親切」という、師匠の生き方の二本の柱から描いてみました“と「はじめに」で書いているほどだ。
談幸さんはなぜ談志一門のメンバーが多様な本を出版しているか、その理由を明確にした。
その『Ⅱ』で、談志師匠の「こいつらは本すら出しやがらねえ」というお叱り・叱咤激励を次のように書く。
“師匠談志が弟子たちを前にして吠えたのは、立川流を設立して間もないころだった。
昭和五十八年、師匠は、落語立川流を設立したものの、弟子たちの行動力のなさを嘆いていた。むしろそのことが腹立たしかったようである。
弟子たちは常に受け身であった。主体性に欠けていた。向上心ホルモンも欠けていた。「好きな落語をやってさえいられれば病」であった“(同書p181)
その結果、“立川流には、本を出す弟子が多くなってきた。/わが一門には、立川流設立以来作家としてデビューを果たし、小説、エッセイなどを書く立川談四楼がいるが、左談次、談之助、志の輔、志らく、談春とこのところ本を出す弟子が次々と出てきた。私も遅まきながら、師匠のふんどしで、本を出すことができた“。
近々、談幸さんの落語を聞きに行きたいと願っている。
別な時に読んだ春風亭柳昇さん(2003年、82歳没)の『寄席は毎日休みなし』(1999年、改訂版2008年)に“この本が「うなぎ書房」創立第一号の出版物”と書かれているが、落語家の本を出し続ける「うなぎ書房」さんにも敬意を称す。
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