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2011年7月

2011年7月30日 (土)

甦る菅野正純さん(元協同総合研究所主任研究員)の思い

   私が出会ったなかでも数少ない異端の友(私と同系という意味ですが)だった菅野正純さん。最後は、日本労働者協同組合連合会理事長の任にあったが、数年前に夭折して、かえすがえすも残念至極のことだった。

 しかし、今回私が書き始めようと思った「変わる高齢協・進むふくし生協」(「福祉生協さいたま―生活協同組合 さいたま高齢協」のニュース)の中身を検討し始めて、レジュメを立てたとき、ハタと思いだしたのは、彼のことば――「高齢者が元気に生きられるまちは、障がい者がすごしやすく生きられるまち」という複合的・ネットワーク的問題提起だった。

 彼と一緒に編集した1990年代の『仕事の発見』(隔月刊、日本労協連発行、B5判・48~64P)は、彼の理念――人間再生・地域再生・地域コミュニティーの再生、そして地域の協同・福祉社会の創造・協同労働論から始まった。

 当時、まだ日本にはなかった「労働者協同組合」と「地域福祉社会をになう高齢者協同組合」を車の両輪のようにつくりだし、前者が後者を引っ張ることを目的にした雑誌だった。

 彼の理念の現実化が、この10年間で、それもなんと高齢者協同組合自身の中から、内発的に始まっていることが、日本高齢者生協連合会の分厚い報告集にあった。

 「コミュニティケアの推進」「小規模・多機能なデイサービスプラス宅老所を」「ケアホーム(共同生活介護)をつくりだす」「入居しやすい高齢者専用住宅づくり」「就労支援のための事業」「高齢者と障がい者を支えるモデル地域にしよう」「子育て安心サポートづくり」などである。 

 生きていてくれれば、その実証を見られたのに、という思いが強い。

 もちろんこの雑誌の企画は故・中田宗一郎日本労協連専務理事の熱意がなかったら、あの時代に発行していなかったはずだ。

 

 

 

 

2011年7月23日 (土)

鬼気迫る柴野徹夫さんの講演行脚

 東日本大震災・福島原発事故以来、大先輩のジャーナリスト。柴野徹夫さんが大奮闘していることが、インターネットからうかがえる。
 安齋育郎先生(安齋科学・平和事務所)と須田稔先生(立命館大学名誉教授)が共同代表を務め、事務局長格の柴野さんがすすめている「憲法9条・メッセージ・プロジェクト(略称「K9MP」)」のブログが7月1日から再開されている。
 それは、柴野さんの2冊の本(大月書店から『まんが 原発列島』、未来社から『明日なき原発 原発のある風景』)が再配本されたからである。
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 また2011年6月26日には、「東京平和映画祭」(国立オリンピック記念青少年総合センター)で講演を行った写真が手元にある。この日、参加した知人から、「柴野さんは元気だった」とのメールが来た。
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 鬼気せまる人生を歩み始めている。
 柴野さんは、自宅から外出するときは、車椅子が必要な身体になっている。
 それでも「K9MP」のブログによると、「得難い学び体験を 柴野さんと同行しませんか」と下記のようによびかけている。

 “『まんが原発列島』『明日啼き原発』の著者・柴野徹夫さんへの講演依頼が相次いでいます。
 今月17日(日)~21日(木)まで福島県の各地を訪問し、お話しをします。予定の講演以外はスケージュールを組まず、行けるところまで足を伸ばして被災地の現状を見聞し、人と出会い、できる限り多くのことを吸収してきたいと考えています。
 柴野さんの車で出かけますので、交通費はいりません。宿泊も場合によっては、車か野宿になることを覚悟で。得難い学びと体験になり、今後の活動にも有効に生かせる機会になると思います。ぜひ、ご同行を。
 柴野さんをよく知らない方でも大丈夫! 遠慮なく、ご一報ください。ご連絡は、090・6123・1097(柴野) または、090・8207・8642(いずぶち)へ” 

 機会をつくって私も参加してみよう、と思っている。

2011年7月20日 (水)

NPOひかりの森(越谷市)の賛助会員募集

 東武伊勢崎線・越谷駅東口から歩いて5分ほどのところに、視覚障がい者を中心に、自立訓練・社会参加のための地域活動支援センターを運営しているNPO視覚障がい者支援協会・ひかりの森がある。
 埼玉県のなかでは数少ない施設で、当事者本人の望む活動プログラム(音声パソコン、歩行訓練、調理実習などの日常生活訓練、ロービジョン交流)を行い、また当事者・家族、身近な人からの電話、来所相談も行っている。

 いま、ひかりの森は、賛助会員の会費、寄付金などで運営している。
 このたび、下記のような賛助会員募集リーフレットができたので、ぜひ、ダウンロード(画像をクイックして)してほしい。
 

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 あなたの志を、お待ちしています。
 (〒343-0816 越谷市弥生町1-9 山﨑ビル2F TEL048-962-9888
  NPO視覚障がい者支援協会・ひかりの森事務局)

2011年7月12日 (火)

川柳川柳―落語家の本は、「絆」をもとめる人にマッチ!

 2011年1月15日にさいたま高齢協(福祉生協さいたま 生協法人さいたま高齢協)のみなさんと寄席・上野鈴本に行ったが、それ以後、地元の越谷市立図書館を活用して、落語本ざんまいを果たしている。

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 落語家の中に「川柳川柳」という名前で「ガーコン」といわれる軍歌を歌いながら観客を圧倒する奇妙な落語家がいる。

 その川柳さんの『天下御免の極落語』(彩流社、2004年6月)の後半に掲載されている「【下席】絶対放送禁止! 自作艶笑落語集」は、これまで読んだ中で異色異端な落語本を象徴している。読んでもらうしかない。

 川柳師匠のもとにはせ参じた川柳つくし著の『女落語家の「二つ目」修業』(双葉社、2010年6月刊、1,365円)も読んだ。「世はおんなの時代」とはいえども、女落語家として研鑽するつくしさんはどんな人なのか興味があったので(実はこちらの本から川柳川柳師匠の本というのが流れだが)。

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 ウクレレ漫談などもやりながら新作に挑戦している女落語家ということがわかったので、そのうちに一度観に行きたい。
 本は「いま明かされる二つ目の真実…その修業の日々をつくしが紹介。春風亭昇太、立川志の輔、柳家喬太郎、三遊亭円丈ら8人の師匠へも『二つ目時代』についてインタビュー」をしているのでこれはこれでおもしろい。

 落語家の本は、古典としての落語の世界が醸し出すなんともいえない「江戸」に接近できるが、バラバラに生きざるを得ないいまの私たちに、「なかま」「絆」を考えさせる温かい本のような気がする。

2011年7月 9日 (土)

今崎暁巳さんのルポ論が残したもの――プロレタリア文学のルポ論を継承するために

 2011年7月8日(金)、「今崎暁巳さんを偲ぶ会」を準備したメンバーのご苦労さん会があり、日フィルや沖電気争議団、雪印乳業、商社9条の会、元生協マン、元出版社、元共同映画、元衆議院議員、そして元労働旬報社社長の柳澤明朗さんなどが参集してその思いと思い出を語り合った。
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 その場で、私は「今崎暁巳さんは1980年代に現代ルポ論と戦前のプロレタリア文学のルポ論をそれぞれ2本、計4本の原稿を書いていた。ぜひ、次の世代に読んで欲しい」と話した。
 ルポルタージュ・ノート、「民主文学」、p142―150、1980年6月
 ルポルタージュ集1 解説・今崎暁巳、「日本プロレタリア文学集33」(新日本出版社、1988年9月)
 ルポルタージュ集2 解説・今崎暁巳、「日本プロレタリア文学集34」(新日本出版社、1988年10月)
 ルポルタージュの今日的課題―取材現場に思うこと、「民主文学」、p172―181、1988年10月

 

 その思いは、2008年に、小説『蟹工船』が文庫版・マンガ版などの総計で80万部に迫るベストセラーになり、ブームを起こした。
 その背景に、フリーター、日雇派遣、ネットカフェ難民など非正規労働者・契約社員など不安定な青年労働者の大量に生みだされ、社会の底辺からあっという間に、大企業社会、公務職場、医療などの職場にまん延し、多くの青年たちは貧困と不安定化し、そして社会事件の多発化があった。
 しかし、最近、インターネット上の投稿に“ちょっと前にプロレタリア文学というか『蟹工船』ブームが起きたとき、あれって結局『蟹工船』しか流行らなかったのかな?”という疑問が上がっている。
 作家雨宮処凛さんなどの奮闘もあるが、どうも事実である。
 今崎さんの「プロレタリア文学・ルポ論」は、「女工哀史」などの労働問題の発生や戦前の社会・労働論、闘争史をまとめて解説してある。なかには、東京下町の風景、託児所づくりもフォローしている。

 ならば、急がば回れではないが、やっぱり大学生や労働者(これが一番難しいか)に、「労働経済学」ではなく、明治時代からの「労働問題」「社会政策」「労働運動史」を教授する、ルネッサンス(再生)がもとめられているのではないか。いま、大学が問われている!
 その一環として、今崎さんの「戦前のルポ論」を読んでほしいと思った次第。

 
 そのうえで「戦後史の中のルポ論」を書く研究者・実践家が出てこないと、「WINDOWS95」以前の労働社会・民衆社会は、歴史的にも拡散・終焉するのではないか(電子図書づくりの進展もあり、民衆の側にツールはできてきており、大学の紀要などに少しずつ、若手研究者の努力が始まっているが、まだまだ少ない。これらの動向の一端もいつかレポートしたい)。

  「今崎暁巳さんを偲ぶ会」事務局・飯島信吾

▽追記:2013.12.08

今崎暁巳さんが書いていたルポ論のメッセージ

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-dbf0.html

 

2011年7月 1日 (金)

NPOひかりの森(越谷市)主催の「市民向け・眼に関する講演会」開催される

 NPOひかりの森は、2011年6月26日(日曜日)、越谷市中央市民会館で「市民向け・眼に関する講演会」を開いた。これは東日本大震災の直後の3月13日(日)に予定していたもので、この日にやっと開催できた。
 当日は、松田和子・NPOひかりの森理事長の開会のあいさつから始まった。
 講演会は、独協医科大学越谷病院眼科医師・江口万祐子先生から緑内障・白内障・加齢黄斑症・網膜色素変性症・糖尿病性網膜症の症状・対策と処置の説明、そして参加者からの質問とその答えがあった。

 また独協医科大学越谷病院眼科・ロービジョン外来・視覚障害相談担当 杉谷邦子先生(視能訓練士)から「独協医科大学眼科の患者さんの状況と、地域活動支援センター・ひかりの森との連携」が進んでいることが話された。
 
 参加した宮田新一(草加市)さんは「80人ぐらいの人が参加していましたが、高齢者が多い感じで、視覚に不安のあるような方が多くいるなと感じました。
 杉谷先生からは、ひかりの森との連係プレー、係わり合いを深めることへの期待が話されましたが、そのことによって、当事者の生き方が前向きになることがあり、大変いいですね」と話していた。


 (NPO視覚障がい者支援協会・ひかりの森事務局)

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