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2011年5月24日 (火)

深夜特急・沢木耕太郎を発掘した編集者・太田欣三

 本屋で立ち読みした『旅する力――深夜特急ノート』(新潮文庫版)の最初に開いたページ(p58)に、なんと身近な人だった(故人)、「太田欣三」という名前が書かれていた。

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 ウィキペディアによると(よらなくても)、『深夜特急』は、“作家・沢木耕太郎による紀行小説である。産経新聞に途中まで連載された後、1986年5月に1巻・2巻(第1便・第2便と称す)が、1992年10月に最終巻(第3便)が新潮社から刊行された。また、新潮文庫からは6冊に分冊化されるかたちで単行本として出版されている”。
 これまで多くの読者に読まれている沢木さん。作家としての「揺籃期」に「ボクサーとトレーナーのような関係にあると見えていたかもしれない」と書かれている編集者、それが太田欣三さんだ。
 太田さんは、60年代末、日本読書新聞からTBS発行の『調査情報』誌に移った編集者だった。
 沢木さんは「太田氏にセンテンスは短くしろと言われつづけた。過剰な修飾語を排せ。修飾したければ修飾語でなく前後のセンテンスで説明しろ。
 太田氏は私が徹夜で原稿を書くのに付き合ってくれただけでなく、書くのが遅れれば平気で雑誌の発行日を延ばしてくれた」
 沢木さんが「深夜特急」を書くきっかけになった、「アジアからロンドンへ」から帰ってきた1970年代半ば、2本の原稿を『調査情報』書いた後、「あの雑誌には、もうお前さんに書かせてやれるページはないんだよ」と別れを告げられた(同書p233)、と書く。
 「太田氏は、私に面白がり方の技術を教えてくれただけでなく、またシャープでストレートなジャブの打ち方を教えてくれただけでなく、ジャーナリズムにおける身の処し方を黙って教えてくれたのだ。いや、それはジャーナリズムの、という限定をつける必要のないものだったかもしれない。私は人生における潔さというものを学んだ」(p234)

 自宅にあったおびただしい本群は、そのベースをつくったのだろう。この時代は「義兄」だったが、まだ自分は青春期だったので詳しく話したことがなかった。
 しかし、私の姪と甥っ子は、このような親父を持っていたんだ。

 講談社のHP(講談社の新ノンフィクションメディア『G2』。)にも、沢木さんの「極楽とんぼ――あるいは、ある編集者の死」でその思いが書かれていた。

 ▼追記 太田欣三さんは、実は無明舎出版刊『江戸の極楽トンボ』『嘉永5年東北』の著者である(織田久はペンネーム)。

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