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2011年5月

2011年5月31日 (火)

『毎日新聞』紙面が連日伝える東日本大震災のPDF

 以前、『朝日新聞』発行する東日本大震災のPDF紙面を紹介したが、この小さなブログでの反響は、大きいものがある。

 
 ▽現在(2016.03.11)、下のサイトにはUPされていません。以下の写真集を参照されたい。
   『写真記録 東日本大震災 3・11から100日』(毎日新聞社、2011年7月23日)

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  https://www.amazon.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD-3%E3%83%BB11%E3%81%8B%E3%82%89100%E6%97%A5-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE/dp/4620606596#reader_4620606596



 次に、『毎日新聞』紙面を連日伝える東日本大震災のPDFを紹介したい(今は削除されています)。
 
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 3月11日の号外から読める。

 3月22日以降は、「希望新聞」と銘うっている。
 
 ただで記事を読めることもすごい。
 読みながら、一日も早い被災地の復興を願う。

 

 ▽追加(16.03.11)twitterで発信されている。

   @mainichi_kibou   

     毎日新聞の東日本大震災希望新聞取材班が、被災地の皆さんに「希望」を届けられるよう、役立つ情報などをつぶやきます。

 https://twitter.com/mainichi_kibou?lang=ja

2011年5月27日 (金)

ブログ:「五十嵐仁の転成仁語」の問題提起が…。

 『朝日新聞』夕刊(5月26日)によると「連合、原発推進方針を凍結」とTOPで報道していた。中身のポイントは、“連合(古賀伸明会長)は東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて原発推進政策を凍結し、新規立地・増設を「着実に進める」としてきた方針を見直す”とのこと。
 社会科学関係では有名な「五十嵐仁の転成仁語」のブログでこの間、連続的に警告を発していた、五十嵐さん(法政大学大原社会問題研究所所長)の問題提起を受けるかのようだ。

 五十嵐さんは、その任もあり、ナショナルセンターの連合の人や労働組合幹部も顔が分かる関係の人だが、以下のようにブログで、「原発推進」を諫めている。

 5月19日(木) 民主党と同じ頃、連合も原発推進へと方針を転換していた
 5月20日(金) 連合は脱原発へと明確にエネルギー政策を転換するべきだ 
 5月21日(土) 原発の新増設推進に合意した自治労の責任は大きい
 5月27日(金) 連合は原発推進政策を凍結するだけでは不十分だ

 この中で、旧労働編集者としては、「自治労の責任は大きい」としている文書が気にいった。

 “福島第1原発での放射能漏れ事故の後、自治労の徳永委員長は「計画中の原発の新増設を容認した連合のエネルギー政策について問われ、現状のままであれば、自治労として充分な議論を申し入れる考えであることを明らかにした」と報じられています。そうえで、「自治労として、事態が収束したうえで改めて問題点を整理し、今後のエネルギー政策についての議論をしたいと申し上げていく」と語ったそうです(『連合通信』2011年4月5日付)。
 「現状のまま」ではなく、「改めて問題点を整理し」たうえでの議論とは、どのようなものなのでしょうか。連合に対して、「脱原発」路線への明確な転換を求めていくということなのでしょうか。

 昨日のブログでも紹介したように、連合は今後、エネルギー政策の見直しを行うようです。しかし、古賀会長は「どういう方向付けになるかわからない」と述べていました。
 大震災と原発事故による被災への救援活動の最前線に立って、自治労組合員の多くは大きな役割を演じ苦労しています。その自治労こそが、今後の連合内での議論において「脱原発」の方向を明確にするために大きなイニシアチブを発揮するべきではないでしょうか”
 
 そうなんです、東日本大震災と福島原発事故における奮闘その後の「地域コミュニティの再生・福祉社会のルネッサンス」における自治体職員のさらなる頑張りが、大事なことだと思う。
 さらに市民の協同力と協同していく時代への期待を込めて。
 

2011年5月24日 (火)

深夜特急・沢木耕太郎を発掘した編集者・太田欣三

 本屋で立ち読みした『旅する力――深夜特急ノート』(新潮文庫版)の最初に開いたページ(p58)に、なんと身近な人だった(故人)、「太田欣三」という名前が書かれていた。

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 ウィキペディアによると(よらなくても)、『深夜特急』は、“作家・沢木耕太郎による紀行小説である。産経新聞に途中まで連載された後、1986年5月に1巻・2巻(第1便・第2便と称す)が、1992年10月に最終巻(第3便)が新潮社から刊行された。また、新潮文庫からは6冊に分冊化されるかたちで単行本として出版されている”。
 これまで多くの読者に読まれている沢木さん。作家としての「揺籃期」に「ボクサーとトレーナーのような関係にあると見えていたかもしれない」と書かれている編集者、それが太田欣三さんだ。
 太田さんは、60年代末、日本読書新聞からTBS発行の『調査情報』誌に移った編集者だった。
 沢木さんは「太田氏にセンテンスは短くしろと言われつづけた。過剰な修飾語を排せ。修飾したければ修飾語でなく前後のセンテンスで説明しろ。
 太田氏は私が徹夜で原稿を書くのに付き合ってくれただけでなく、書くのが遅れれば平気で雑誌の発行日を延ばしてくれた」
 沢木さんが「深夜特急」を書くきっかけになった、「アジアからロンドンへ」から帰ってきた1970年代半ば、2本の原稿を『調査情報』書いた後、「あの雑誌には、もうお前さんに書かせてやれるページはないんだよ」と別れを告げられた(同書p233)、と書く。
 「太田氏は、私に面白がり方の技術を教えてくれただけでなく、またシャープでストレートなジャブの打ち方を教えてくれただけでなく、ジャーナリズムにおける身の処し方を黙って教えてくれたのだ。いや、それはジャーナリズムの、という限定をつける必要のないものだったかもしれない。私は人生における潔さというものを学んだ」(p234)

 自宅にあったおびただしい本群は、そのベースをつくったのだろう。この時代は「義兄」だったが、まだ自分は青春期だったので詳しく話したことがなかった。
 しかし、私の姪と甥っ子は、このような親父を持っていたんだ。

 講談社のHP(講談社の新ノンフィクションメディア『G2』。)にも、沢木さんの「極楽とんぼ――あるいは、ある編集者の死」でその思いが書かれていた。

 ▼追記 太田欣三さんは、実は無明舎出版刊『江戸の極楽トンボ』『嘉永5年東北』の著者である(織田久はペンネーム)。

2011年5月 6日 (金)

岩手・大船渡における「介護保険の被介護者の被災状況」から。

 日本高齢者協同組合連合会のHPに、大船渡市にある岩手県高齢者福祉生活協同組合の「すずらん」の被災状況が報告されている。
 1か月前の話(4月4日)だが、「死亡された方/理事・通所の生活相談員・安倍啓世さん 享年48歳/デイサービスの利用者6名/訪問介護の利用者16名、家を流された職員12名」という被災状況が報告されている。
 「東日本大震災の被災で亡くなった人の半数以上が60歳以上」という概略情報は、新聞紙上で伝えられているが、介護保険利用者全体の被災者がどうなっているのか、わからない。
 小さい情報であるが、デイサービスに通ってくる人、日常的に訪問介護でヘルパーさんを待っている高齢者の笑顔が浮かんでくる。なんともむなしい「天災、そして人災」を感じざるを得ない。
 そのうえ、東京電力の福島第一原発の「人災」で、ふるさとを追われた要介護者はどうなっているのだろうか。

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