教師のみなさんへ、原発について再考を
インターネット上でよく読ませてもらう「J-CASTニュース」(2011年4月16日(土)13時17分配信)で、“原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」”という、下記の記事が掲載された。ぜひお読みください。
東京電力の福島第1原子力発電所の深刻な事故を受け、政府の原子力安全委員会の歴代委員長を含む原発推進派学者の重鎮たちが原発の「安全神話」崩壊に懺悔を繰り返している。特に元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏や前原子力委員会委員長代理の田中俊一氏ら原発推進の学者16人がこのほど、異例の緊急提言を行った。
「原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝する」との謝罪を前面に掲げた提言の内容は政府や東電の発表よりも今回の事故を深刻に受け止めている。
報道された記事によると、高木義明文部科学相が昨日の記者会見で、文科省と資源エネルギー庁が平成22年2月に発行した小中学生向けのエネルギー学習用の副読本について、放射性物質(放射能)が「しっかりととじこめられています」などとする複数の記述が、東京電力福島第1原発の事故と照らし合わせた際に不適切だと見直しを行うことを明らかにした。
副読本は小学生向けの「わくわく原子力ランド」と中学生向けの「チャレンジ!原子力ワールド」で、それぞれ全国の小中学校に配布済み。小学生向けの副読本では「原子力発電所では、放射性物質が外にもれないよう、五重のかべでしっかりととじこめられています」などと表記し、中学生向けの副読本でも「大きな地震や津波にも耐えられるよう設計されている」と解説している、と伝えている。
話しは飛ぶようだが、1958(昭和33)年の「勤評反対」の運動の中で、広く読まれた「詩」を、最近、大先輩からいただいた。
「戦死せる教え子よ」
逝(ゆ)いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ
君が縊ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において
鳴呼!
「お互いに騙されていた」の言い訳がなんで
できよう
慙愧、悔恨、懺悔を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
いまぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に」
――送らじなこの身裂くとも教え子を 理(ことわり)もなくいくさの庭に――
この詩は、高知県池川町の中学校教師の竹本源治さんが、朝鮮戦争の勃発で再び戦争の危険を感じてつくられたもので、勤評闘争の中で全国で読まれたという。
戦地に子どもたちを送った人間としてのこころからの反省を込めたものである。
「二度と教え子たちを戦場へ駆り立てるようなことはしないんだ」という決意を込めた詩だが、東日本大震災と東電原発の人災を眼前にして、子どもたちに正確に伝える役割を、日本の教師たちは、果たしてほしいと願っている。
二度と「原発推進」の側に立たない「教師たちの奮闘」を、今こそ期待したい。
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